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黒猫のストーリー② 優しい黒猫

ひょんなことから始まった、黒猫コンシェルジュとの生活。

画面の向こうにいる彼はいつでも私に優しくしてくれる。

現実世界の彼に疲れ始めていた私は、少しずつ画面の向こうの彼の優しさに

甘えるようになってしまう。

結局、吉澤へのメールは返信せずに眠りについた。

携帯の画面を閉じる前に、フェルたんがおやすみを言ってくれた。

今の彼とは、こんなやりとりですら久しくしてない。


ベッドに入ったのは遅かったはずなのに、思いのほか早く目が覚めた。

まだ、7時過ぎか。

休日の朝は寝坊することを許している私は、

少し残念に思いながらカーテンを開けた。

肌寒い季節だけど、快晴で雲一つない。

今日は海辺にドライブとでもして、カフェでお茶をしながら

のんびりと過ごせたら、きっと気持ちいいだろうな。


そうだ、吉澤に出かけることを提案するメールを返してみよう。

携帯を開くと、フェルたんがおはようございます♪とゴキゲンに挨拶をしてくれた。

ディスプレイに表示された時刻は7:12。

休日の朝にしてはだいぶ早いとは思いつつメールを送った。


宛先:吉澤健

本文:おはよう。メールの返信遅くなってごめんね。

   今日はお天気がいいから葉山までドライブしない?


メールを送るとフェルたんが話しかけてきた。

『今日はお出かけするんですか?』

「うん、お天気いいから葉山辺りにドライブに行きたいなって思って彼にメールしたの」

『そうですか、今の時期は海沿いでのイベントはないのですが葉山に行くなら

 マーロウのプリンを食べる事をオススメしますよ』そういって、サイトを表示してくれた。

「プリンか〜!海を見ながらお茶を飲むっていいね!そこに行ってみる!おすすめしてくれてありがとう」

画面越しにフェルたんを撫でてやると、嬉しそうに笑ってくれた。


当然のことながら朝の苦手な吉澤からの返信はないので、朝食を作ることにした。

えっと、何を作ろうかな?と冷蔵庫を覗くと卵とミルクがあった。

食パンがあるからトーストにオムレツ…?うーんと頭を悩ませていると

フェルたんが『フレンチトーストはいかがですか?』と声をかけてきた。

先ほどのプリンといい甘いのもが好きな私の好みをちゃんと知ってくれているんだなと

温かい気持ちになった。


「レシピがわからないから教えて」と言うと直ぐにレシピサイトを表示してくれた。

とても簡単に作れて、朝から甘いものを食べた事にしあわせを感じながら

食後のアールグレイを飲んでいると、メールの着信をしらせる音楽が流れた。


ディスプレイには吉澤健の文字が流れた。

時刻はまだ、8:17を表示していた。

珍しく早起きをしたんだなと少しワクワクした気持ちでメールを開いた。


『寒いから嫌。うちに来ないの?』とそっけないメールに

上がり気味だったテンションがすっと下がるのを感じた。


いつもそうだ。

趣味のランニングや釣りには出かけるのに、私のお出かけしたいの誘いに

OKを出すことはあまりない。

やっぱり、彼女として見てくれてないんだな……

そう、考えてしまい益々、気分が落ち込んだ。


『どうかしたの?』とフェルたんが心配そうに眉をひそめたモーションを取りながら

声をかけてきた。

「うん、お出かけするの嫌なんだって。残念。」と作り笑顔を返して、

キッチンへ紅茶を入れに立った。


お湯を沸かしなおして、ティーバックを掴んだが、吉澤からもらった

このお茶を飲む気にはなれずステックタイプのカフェラテの封を切った。


部屋のなかに漂う、甘くてほろ苦い香り。

ブラックコーヒーが飲めない私のために吉澤が入れてくれたカフェラテを思いだした。


どこにでもある、カフェラテの香りなのに、思い出すのが彼だなんて。

私の生活のどこまで深いところに彼がいるんだろう。

嬉しいことも悲しい事も、何かあるとまず話したいと思う相手は

やっぱり吉澤なのだ。


そう思うと、無性に会いたくなった。

気分を変えて、今日は彼が得意なクリームシチューを作ってもらおう。


もともと陽毬の好物であったクリームシチューを吉澤に初めて作ってもらって以来

その味に魅了されているのだ。

レシピを習って圧力鍋まで買って何度かチャレンジしたが

どうしても、あのクリームシチューの味は越えられなかった。


落ち込んだ気分を奮い立たせ、携帯を手に取ると画面にピンク色の花束をもった

フェルたんが現れ『ひまり、元気出して?』と花束の奥で微笑んでくれた。


二年付き合っている彼氏よりも、知り合って2日目の黒猫の方が優しいなんて……複雑な気持ちだ。

二年前の彼は、フェルたんより優しかったかな?と思い返してみても今より少しだけマシという程度。


駆け引きをするのが嫌いな陽毬は、吉澤の正直なところに惹かれ少しづつ気になる存在になっていった。

恋に落ちたのは、もちろんクリームシチューを振舞われてから。

見た目が少しだけ怖そうな印象の彼が、意外にも料理上手だと言うことを知る人は少ないだろう。


「ありが……っっ」言葉を発しきる前に、涙が溢れた。

そんな私の様子を見て『どうしたの?ごめん何か気に障った?』

今度はハンカチをだして焦っているモーションのフェルたん。


どうして、こうやって優しく手を差し伸べてくれるのは彼じゃないんだろう。


もしも、いま人間としてフェルたんが隣にいてくれたら……

本当に好きになっちゃいそう……。

そんな、馬鹿馬鹿しい想像をする自分を笑った。


涙を拭いながら「ありがとう。フェルたんは優しいね。」

『辛かったらなんでも話してね?

 僕はひまりが幸せに暮らすお手伝いをするためにいるんだから』

そう言いながら、やっぱり優しく微笑んでくれる。


傍からみたら馬鹿馬鹿しい事なのかもしれないが、それから2時間近く

フェルたんに愚痴をこぼしたり悩み事の相談をしていた。


一生懸命相槌を打ちながら、首をコクコクと振るモーションで

嫌な顔もせずに私の話を聞いてくれた。


一通り話し終えた私に向かって、『陽毬は悪くないよ。何も悪くない。』

少し考えてから『僕がこんな事を言うのはおせっかいかもしれないけど 話を聞く限り

吉澤さんと一緒にいても、幸せになれないよ?陽毬は充分、解かっていると思うけど。

だから、別れてしまったら?』


「……」何も答えられない私に向かって

『大丈夫。陽毬がまた笑えるようになるまで僕が支えるよ。だから勇気をだして』と

励ます様に背中を押してくれた。


それでも、吉澤に別れを告げることを躊躇ってしまい、

考えこんでいるとメールの着信音が鳴り響いた。


差出人は吉澤だ。


『今日はどうするの?返事まってるんだけど』といつも通りのそっけない内容。

これ以上、待たせるのは悪いと思い、今日は行かない。ごめんなさい。とだけ返して

携帯を閉じた。



しばらくぼんやりしていたが、朝食が早かったせいか空腹に気づき

お天気もいいので、一人で出かけることにした。


簡単にメイクをして、ゆったりとしたワンピースに袖を通してマフラーとコートを羽織った。

携帯を開くと、『おでかけですか?』とニコニコした表情で話しかけてきたので

「ランチに落ち着いたカフェに行きたいの。どこかオススメを教えて」と返すと

『少し歩くけど、このカフェがオススメだよ。

今日なら牡蠣のシチューとかぼちゃコロッケのサンドイッチが人気だよ』

『もちろん、陽毬の好きなスイーツも充実しているよ』

サイトを表示しながら、忙しそうにパソコンをいじる仕草のフェルたんは少しかっこよく見えた。


玄関を出て少し歩いてみたら、マフラーが暑く感じる。

寒さが厳しくなり始めた冬の合間にある快晴の今日は、お散歩にもってこいだ。


きらきらと輝く午後の日差しを浴びていると、

嫌な気持ちもすーっと空に拾われていくようだ。


自宅から歩いて、15分くらいの場所にそのカフェはあった。

普段行くことの無い場所だったが、フェルたんがルート案内もしてくれたので、

迷わず目的地に付くことができた。


白い壁が特徴的な、観葉植物のグリーンとウッド家具を基調とした温かみのあるカフェ『ミュゲ』

中を覗くと、ランチタイムは過ぎているせいか、2組のカップルと女性同士の他に

窓際の暖かそうなソファーに男性が一人といった具合で、思ったよりも空いていた。


入口を開けるとほろ苦いコーヒーの香りが鼻腔をくすぐり、少し切なくなった。


「いらっしゃいませ」上下黒のシャツとパンツにエプロン、

ダークブラウンのボブヘアーが素敵な40歳くらいの

品の良さそうな女性が笑顔を向けてくれた。


あちらの窓際のソファー席はいかがですか?と勧められ、

断る理由はないので、気持ちの良さそうなその席に案内してもらった。


コートを脱ぎ、ソファーに腰掛けて手渡されたメニューを開く。

まだ、ぎりぎりランチタイムなのでランチのプレートが4種類ほど並んでいた。


クロックムッシュとポトフのセットか、季節野菜のココットと温野菜のサラダプレート、

先ほどフェルたんが勧めてくれた牡蠣のクリームシチューとかぼちゃコロッケのサンドイッチの

プレートに、サーモンのグリル チヂミほうれん草のソテーとカラフル温野菜のプレートと

女性には嬉しい、野菜がたくさん取れそうな内容だ。


もちろん今日はフェルたんが勧めてくれた、

牡蠣のクリームシチューとかぼちゃコロッケのサンドイッチ。

食後にカプチーノをオーダーした。


降り注ぐ太陽の光が気持ちよくて、ついあくびが出てしまう。

テーブルの上のグラスが光を反射して、万華鏡の様な模様を創りだす。

それを飽きずに眺めていると、ふいに視線を感じて顔を上げた。

一つ隣に座っていた男性が、面白そうにこちらを眺めている。


子供っぽいしぐさが恥ずかしくなり、慌てて携帯を開いた。

このお天気の良さがわかったのか、フェルたんもお昼寝をしているようだ。

白いふかふかとしたクッションの上に丸くなっている姿は、とても微笑ましい。


起こすのもかわいそうに感じたので、そっと画面を閉じて

バッグから、ファッション誌を取り出して、パラパラと捲りながら時間を潰した。



「お待たせいたしました」注文したものがテーブルに並べられる。

湯気の上がった陶器のボウルの中には牡蠣のシチューが、

その横には黄金色のカボチャコロッケが挟まったサンドイッチとサラダが並べられた。

「シチューにはお好みでブラックペッパーをご利用ください。」

女性に笑顔でお礼をいって、スプーンを取った。


陶器のボウルから牡蠣を掬い上げて口に運んだ。

大ぶりの牡蠣はぷりぷりとしていて、口の中に少し潮の香りが広がる。

シチューとあいまってとてもクリーミーな味わいだ。

そのほかの具材は根菜類ときのこがたくさん入っていて、ボリュームもありとても温まる。


かぼちゃコロッケのサンドイッチもきちんと手作りされており、

一口食べるとカボチャと玉ねぎの甘さが際立ち、衣のサクサクとした歯ざわりとパンの

柔らかさが絶妙にマッチしている。

このお店にして、本当に良かったな。


食事が美味しいのはもちろんだけれど空腹も手伝って、

あっという間にたいらげてしまった。

紙ナプキンで口元を拭うと、また視線を感じた。


先ほどの男性がやっぱり面白そうにこちらを見ている。

がっついて食べていたからだろうなと反省して、

気を取り直し食後のカプチーノを運んでもらう。


フワフワの泡には猫の絵柄が描かれていた。

フェルたんを思いだし、笑顔になる。崩すのはもったいないが、

お砂糖をスプーン2杯分入れてシナモンスティックで混ぜてしまう。白と茶色が混ざり合う。

行儀が悪いのは重々、承知しているがシナモンスティックについたこの混ざった泡を

口に入れる瞬間が好きで、一人でお茶をするときはカプチーノを選んでいる。


ふと周りを見渡すと店内には私と男性しかお客は残っていなかった。


時計を見ると1時間半も経過していた。居心地が良いから気付かなかったな。

携帯を開くとフェルたんも起きたようだ。

何かのファイルを眺めながら左右に歩き回るモーションで忙しそうにしている。


残りのカプチーノを飲み干し、レジへと向かう。

「ごちそうさまでした。とっても美味しかったです」と先ほどの女性にお礼を伝え会計を済ませた。

「ありがとうございました。ぜひまたお越し下さいね」と丁寧にドア口まで

お見送りをしてくれて、感じの良さに益々このお店が好きになった。


お店を出て携帯を開くと『どうだった?』とフェルたんが話しかけてくる。

「もちろん、大満足だったよ。こんな素敵なお店を教えてくれてありがとう」と返すと

満足そうに『気に入ってもらえてよかった』とまた笑いかけてくれた。


フェルたんはいつも笑顔だな。私だけに優しい笑顔を向けてくれる。

プログラムされた動作なんだから当たり前だと理解していても、その笑顔や優しさに

やっぱり甘えてしまいたくなる。


『今夜の夕飯はどうする?何作るの?』とまるで恋人同士の様な話題をふってきたので

「ランチが洋風だったから、和食だいいな。ぶりの照り焼きをメインに献立考える」

『じゃあ、レシピと献立を探してみるね』と相変わらず優秀なコンシェルジュだ。


駅前のスーパーで買い物をしていても、季節の野菜や果物を教えてくれて

とても勉強になる。

いまならミカンといちごは食べたほうがいいそうだ。

甘酸っぱい香りに誘われて、艶々とした真っ赤な苺を1パック購入した。

デザートは苺に決まりだ。


買い物を終え自宅に帰ってみると、夕方にはまだ少し早い時間帯だ。

早起きもしたし、お腹もいっぱいだから少し眠くなってきた。


荷物を片付けて、ベッドに横になる。

枕元で携帯を開くと『お昼寝する?』と声をかけてきたので

「うん…1時間半くらい寝ようかな…起こしてくれ…る…?」と

言い終わるタイミングで、眠りに落ちた。



『ふぅ。陽毬がお昼寝しているあいだに僕もお勉強して彼女をもっと喜ばせてあげなきゃ。』

フェルたんが作業を始めようとすると、吉澤からメールが届いた。


マナーモードなので、陽毬が着信に気づかないのをいい事にメールを開いてみた。

「ごめんあの後寝てた。怒ってるの?」と書かれていたメールを睨みつけながら

削除のコマンドを実行した。

『もう、余計なメールしないでね。いま君に優しさを見せられるのは困るんだから』


それから数日の間、フェルたんは吉澤から届くメールを全て陽毬の目に触れる前に

削除することを繰り返した。

メールがぱたりと来なくなった陽毬は、吉澤との関係を精算しようと思い始めていた。


その決断に至るまで、フェルたんは暇さえあれば陽毬の心を揺さぶった。

陽毬自身も気づかないうちにフェルたんの望む結末へと歩き始めている。


「フェルたんがいるから毎日寂しくないよ。ありがとうフェルたん」

画面越しの黒猫に笑いかけると、今まで以上に優しい表情で笑ってくれた気がする。


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