パンを分けてもらった日
初恋のはじまりは、いつも気づかないうちに訪れる。1970年代、中学三年生のとき。給食の食パン一枚を分けてもらった小さな出来事は、まだ恋と呼べるほどのものではなかった。けれど、確かに心に残る温かい記憶となり、後に「女子校の文化祭」で再会する二人の物語はここから始まっていた……。
中学三年生の頃の大和は、とにかく食べても食べても足りなかった。運動部でもないのに、いつも腹ペコだった。
チャイムが鳴り終わり、ざわつき始める教室。給食当番が運んできたのは、食パンが二枚と、プラスチックの皿に少しのおかずだけ。牛乳はあるが、腹の足しにはならない。おかずのおかわりは出来るが、寸胴に残った少ないおかずは、早く一杯目を食べ終えた者から山盛りにしておかわりしまうので、食べるのが遅い大和は中々おかわりにありつけなかった。
そんなある日、隣の席の女子が申し訳なさそうに一枚のパンを差し出してきた。
「大和君、食べる? 残すと先生に叱られるから」「え、いいの? 給食足りなかったんだ。ありがとう!」
パンに付けるバターなんかない。大和は構わず口の中にパンを頬張った。空腹が少しだけ満たされた。そして、ふと思った。
「他にも居るんじゃないか……?」
大和は他にパンが余っている女子が居ないか声をかけた……。
それをきっかけに噂が広まり、気がつけば隣の隣のクラスの女子までやってきては、廊下から声をかけてくるようになっていた。
「私のもあげるよ」
いつの間にか、学校の給食時間だけでは食べきれない量になり、余ったパンをボストンバッグに詰めて持ち帰るようになった。
それを帰宅後のおやつ代わりにペロリと平らげ、それでも夕飯では丼飯をおかわりする。今思えば、よくあんなに入ったものだ。
だからと言って太っていた訳じゃない。体重は40kg台で、どちらかと言えば痩せていた方だ。
そして、パンのやり取りの中で、隣のクラスの佐藤安奈とも少し話すようになった。
「あんなにいっぱい食べられるの?」
「帰ったらおやつ代わりに全部食べちゃうよ、それでも夕飯は丼で食べるからね」
「え〜凄い食べるね!」
「佐藤さんはパン一枚で足りるの?」
「うん……実はちょっと足りない日もある」
「だったら全部食べれば良いのに……」
「大和くんは、年ごろ女子の気持ちが分からないんだよ」
「……?」
「全部食べたら太るじゃんよ」
ただのやり取り。それ以上でも以下でもない。ただ、隣のクラスの女子との会話は、大和の心臓をドキドキさせていた。
放課後、白いテニスウェア姿でラケットを握る彼女を見かけると、目が離せなくなる。
同じ学年でもクラスは違うし、修学旅行も終わっていて接点は少ない。それでも、胸の奥に淡い何かが芽生えていた。
(安奈)
転校生の大和君は、廊下ですれ違うと笑顔で挨拶してくれる。よく食べるのに細くて、ちょっと照れくさそうに笑う顔が印象的。
自分が渡したパンを嬉しそうに食べてくれたことを思い出すと、なぜか気持ちがホンワカする。
他の女子が彼にパンを渡している姿を見ると、ちょっとだけ心の中がモヤモヤしたけれど、それを恋だなんて思いもしなかった。
ただ淡い記憶として、静かに胸の奥に残るだけだった。
やがて中学を卒業し、大和たちはそれぞれ別の高校へ進んだ。卒業式で第二ボタンを渡す事もなかったし、特別な言葉を交わすこともなかった。
けれど、あのパンを分け合った日々が、確かに二人をつなぐ小さな糸になっていたのだろう。
再び佐藤安奈と出会うのは、高校一年の秋……。女子校の文化祭でのことだった。
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