エピローグ「北限の春」
温室のガラス越しに、柔らかな日差しが降り注いでいる。
長い冬が終わり、北国ヴォルグにも遅い春が訪れていた。
イリアは花の手入れをしていた手を止め、ふと顔を上げた。
視線の先には、庭園で剣の稽古をしているガレクと、それを真似して木の棒を振り回している五歳のアルクの姿がある。
「もっと腰を落とせ。そうだ、前を見ろ」
「はい、ちちうえ!」
微笑ましい光景だ。
イリアがこの国で暮らすようになってから、もうずいぶんと時間が経った。
最初は身代わりの生贄として、死ぬために来た場所。
けれど今では、ここが世界で一番愛しい場所になっている。
イリアの身体には、もう虐待の痕跡はない。
頬はふっくらとし、肌は艶やかで、銀色の髪は太陽の光を浴びて輝いている。
かつて「呪われた容姿」と蔑まれたその姿は、今では国民から「雪の精霊」「帝国の至宝」として愛され、敬われている。
不思議なものだ。愛されることで、人はこんなにも変われるのだから。
「イリア」
名前を呼ばれ、イリアは振り返った。
汗を拭いながら、ガレクがこちらに歩いてくる。
年齢を重ね、目元に笑い皺が増えたが、その逞しさと色気は衰えるどころか深みを増している。
彼はイリアの前に立つと、自然な動作で腰に手を回し、引き寄せた。
「何を考えていた?」
「昔のことを、少しだけ。……ここに来た日のことを思い出していました」
「フン。あの日の俺は、随分と偉そうだったな」
ガレクが苦笑する。
イリアは首を振った。
「いいえ。あの日のあなたは、凍えていた私にマントをかけてくれました。あの瞬間から、私はあなたに救われていたんです」
イリアが爪先立ちをして、ガレクの唇にキスをする。
触れ合う唇から、変わらない愛と、積み重ねてきた信頼が伝わってくる。
ガレクは愛おしそうにイリアの髪をすき、その瞳を覗き込んだ。
「俺こそ、お前に救われたんだ。ただ強くあることしか知らなかった俺に、守る喜びと、安らぎを教えてくれた」
二人は微笑み合い、再び庭園の方を見た。
アルクが「見て見て!」と手を振っている。
遠くの空には、春を告げる鳥たちが渡っていくのが見えた。
辛い過去は消えないかもしれない。
けれど、それを上書きするほどの幸せを、これからは紡いでいける。
銀色の髪の皇妃と、黒髪の皇帝。そして金色の瞳を持つ未来の皇帝。
北の果ての国で紡がれる愛の物語は、これからもずっと続いていく。
雪解け水が大地を潤し、新しい花を咲かせるように。
二人の愛は、この国に永遠の春をもたらし続けるだろう。




