番外編「小さな狼とミルクの香り」
それから数年の月日が流れた。
ヴォルグ帝国の冬は相変わらず厳しいが、城の中は春のように暖かい。
特に、温室の奥にあるサンルームは、今や城内で最も賑やかな場所となっていた。
「あー、うー!」
元気な声が響き渡る。
ふかふかの絨毯の上で、一人の幼児が手足をバタつかせていた。
その髪は、イリアと同じ神秘的な銀色。けれど瞳は、ガレク譲りの鮮烈な金色をしていた。
ヴォルグ帝国の第一皇子、アルクだ。
「こら、アルク。じっとしていないと服が着られないぞ」
ガレクが困ったような顔で、逃げ回る我が子を捕まえようとしている。
戦場では鬼神と恐れられる皇帝も、この小さな怪獣の前では形無しだ。
アルクはキャッキャと笑いながら、ハイハイで器用に逃げていく。その先には、ソファで微笑んでいるイリアがいた。
「ままぁー!」
アルクはイリアの足元に突撃し、しがみついた。
イリアは愛おしそうにアルクを抱き上げ、そのぷにぷにとした頬にキスをした。
「ふふ、アルクはパパと遊ぶのが上手ね」
「……遊ばれているのは俺の方だがな」
ガレクがため息をつきながら近づき、イリアの隣にどかりと座った。
その表情は呆れているようでいて、目尻はこれ以上ないほど下がっている。
イリアの腕の中にいるアルクからは、甘いミルクの匂いと、微かに森の香りがする。二人の匂いが混ざり合った、幸せの結晶だ。
「でも、ガレク様。アルクは本当にあなたに似ています。特に、欲しいものを狙う時の目の輝きなんか、そっくりです」
「そうか? 俺は、この愛想の良さはお前に似たと思うがな」
ガレクは大きな人差し指をアルクの前に差し出した。
するとアルクは、小さな手でその指をぎゅっと握りしめた。
その力強さに、ガレクは満足そうに口元を緩める。
「強い子になれ。そしていつか、俺がイリアを守ったように、お前も大切なものを守れる男になるんだ」
言葉の深い意味はまだわからないはずのアルクだが、父親の真剣な声色を感じ取ったのか、金色の瞳をキラキラと輝かせて「あい!」と答えた。
その様子がおかしくて、イリアとガレクは顔を見合わせて笑った。
かつて「不吉な子」と呼ばれ、誰からも愛されなかったイリア。
氷の暴君と恐れられ、孤独に玉座に座っていたガレク。
欠けていた二つの魂が出会い、こうして新しい命を育んでいる。
イリアはアルクの頭を撫でながら、心の中でつぶやいた。
生まれてきてくれてありがとう。
そして、私を見つけてくれてありがとう、ガレク様。
窓の外では雪が降っているが、この部屋には永遠に消えることのない温もりが満ちていた。




