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オヤジ太閤記  作者: 芭音
永禄三年(1560)

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#6 表裏(後編)

◼︎永禄三年八月 尾張国 津島湊 大通り 駿河屋地下

 

 百人余を収めるには、やや手狭な部屋に頭領の弥右衛門と副頭領の服部勘十郎以外の遁尾衆が集められていた。

 

 そこに二人がやってきた。

 百名に満たぬ人数だが、空気は重い。

 誰もが口を閉ざし、互いの顔色をうかがっている。主を失った獣の群れのようだった。


 裏切った。

 裏切られた。

 織田に売られた。


 そんな思いとともに静寂が続いた。

 怒りをぶつける相手はおらず、疑念だけが残った。


 上層部の判断だけで、国を裏切った組織なのだ。こういった反応は想定の範囲内だった。


 弥右衛門は一歩引いた場所から、その様子を眺めていた。


 前に出るのは、服部勘十郎。

 弥右衛門の腹心であり、三河の忍びの一族に連なる男だ。この隊の副頭領を任せている。


「騒ぐな」


 声は低く、しかし通った。

 命令でも、叱責でもない。ただの事実確認のような声音だった。


「此度の件、疑念に思っている者も多いと思う。今川のために働いていた者は特に、知らずのうちに織田のために働いていたことに納得はいくまい。」


 その通りだと同意するような素振りや表情を見せる者が多数だった。それもその筈、勘十郎のように俺に忠義を誓う者は少数で、今川に忠義を誓っていた者が大多数なのだ。


 今川の耳目(しのび)を俺のものにする。

 その重大な任務を、俺は勘十郎に任せている。


「裏切ったのは事実。だが、お頭がお主たちを織田に売った事実はない。――そなたたちを思っての決断だ。」


 数人が納得できぬと顔を上げる。

 「家族に顔向けできぬ」「織田で犬死にするだけではないか」と声をあげるが、声は続かず沈黙が再び場を支配した。

 勘十郎は続けた。


「今川は身分が第一。疎まれる身分に生まれれば一生そのまま、抜け出すことはできまい。

 

 だが、織田は違う。お主たちも尾張で情報を集めていて気づいた筈だ、ここでは成果が第一。そして我らはこたび成果が認められた。

 

 今川で一生疎まれながら生きていくか、織田で立身出世の機会を得るか……どちらが良いかは言うまでもあるまい。」


 あとひと押しだ。

 弥右衛門は、そこで初めて口を開いた。


「去る者は止めぬ。ただし――去れば二度と戻れぬ」


 それだけだった。


 誰もすぐには答えなかった。

 だが、剣を抜く者もいない。


 やがて、一人が武器を置いた。

 次に、もう一人。

 気が付けば、隊列は自然と整っていた。


 勘十郎は深く息を吐き、弥右衛門に向き直る。


「我ら遁尾衆、命ある限り、頭領に従います。

 何なりとお命じ下さい。」


 今川の透破が俺のものになった瞬間だった。



 

 

 その後、弥右衛門は勘十郎だけを呼び寄せた。

 人払いをした後、低い声で告げる。


「頭領……お主に任せても良いか?」


 勘十郎の顔が引き締まるとともに、喉の音がなった。


「俺は木下家の当主、そして此度の城攻めが終われば西尾城主にもなる。分かるだろう――透破集団の我らにとって頭である頭領との絶え間ない連携は必須。なければ頭のない死体と同義だ。俺が携われなくなる分、お主に任せたい。」


「私で務まりましょうか……。」


 弱気ではない。急に背負わせた重荷に、つい口から溢れた。そんなように見えた。一瞬視線を落とした勘十郎に声をかける。


「案ずるな。織田家と同じく、我らも成果が第一。


 お主は成し遂げたではないか――先ほどの説得は、百人の調略に等しい。失敗すれば、西尾城攻めは成し遂げられず、信長から信頼を失った俺たちがどうなっていたか分からん。


 大きな成果だ、我が耳目の頭領として相応しい。」


 勘十郎は手を強く握りしめ、覚悟を決めた男の顔をしていた。


「かしこまりました。遁尾衆の頭領、引き継がせていただきます。」


「すまんな、大きなものを背負わせて。俺も雇い主として、引き続き細かく指示を出す。安心せよ。」


「はっ……。」


 弥右衛門の腹心――

 服部勘十郎は新たな道を歩み始めた。

 


◼︎永禄三年八月 三河国 西尾 町はずれ


 俺と勘十郎は夜通し駆け抜けて、西尾の町が一望できる丘までやってきた。現地での作戦の最終打ち合わせだ。


「あちらの平野にある町が西尾――海上輸送と漁業、塩を中心に栄える商業の町です。その中心に今回の標的である西尾城があります。

 

 そして、川を挟んだ山側には東条城。こちらは完全に軍事拠点。立て籠もられれば、すぐには落とせぬ城となります。


 どちらも城主は吉良家の当主、吉良義昭。経済と軍事の拠点を行き来し、付近一帯を抑える国衆です。」


 勘十郎の報告は俺の認識とも差異はない。つまり、吉良氏は商業用の町として、明確に位置付けて西尾を作っている。経済に明るい者でなければできぬ、良い政策だと思う。


 この城主は経済を分かっている。そこが脆さになる。

 だからこそ――そこを突く。


「勘十郎、西尾の商人にはどれだけ伝手(つて)がある?」


「私たち駿河屋も店を出していますので、殆ど顔見知りです。津島の商人が多く出店している場所でもあるので、誰であれ接触する事は可能かと。」


 本店同士での繋がりも、現地同士での繋がりもあると言う事か。思ったよりも根を深く下ろせているなと、改めて遁尾衆を評価した。

 そして、津島の豪商たちの顔が浮かんだ。彼らの影響力を使えれば成功率は跳ね上がる。


「よい。では、津島と西尾、そして清洲と()()に商人経由で噂を流してくれ――西尾は戦間近とな。」


「かしこまりました。岡崎も……ですね。」


「そうだ。以前の報告で、松平元康が岡崎の城を奪い、独立を企んでいるとあっただろう。そこと時期が合うのでな。岡崎でも噂があれば吉良の疑心暗鬼を誘うことができよう。」


 西尾はもちろん、情報のハブである津島に噂を流す。そうすれば、吉良の耳には必ず入る。その際、西尾に攻め込むのは織田か松平だと予想するはずだ。その本拠で噂があれば信憑性があがる。

 

「勘十郎、此度は服ではなく、不安を売れ。

 逃げ遅れれば損をする、とな。商人にはそれが効く。」


 勘十郎はしばし考え込み、やがて理解したように息を吐いた。弥右衛門は踵を返す。


「それが成し遂げれば、西尾城はもう半分落ちたも同義だ。頼んだぞ――勘十郎。」


 さて、これで西尾城攻めの準備は整う。


 こたびの戦、

 総大将木下弥右衛門吉成が率いるは、


 息子――木下藤吉郎と小一郎、


 織田の出世頭――河尻与四郎秀隆、


 尾張一のかぶき者――前田又左衛門利家、


 そして、透破の頭領――服部勘十郎。




 戦の火蓋が、相手の知ることなく切って落とされた。

ご拝読いただきありがとうございます。


次回よりいよいよ城攻めが始まります。

表裏を操る弥右衛門の初の戦い、是非お楽しみに!


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