#5 表裏(前編)
◼︎永禄三年八月 尾張国 津島湊
家族のもとを離れた後、俺は津島に身を置いていた。
西尾城攻めの拠点として、ここ以上の場所はない。
津島は尾張随一の商業地だ。酒や米、金融が集まり、人と銭が動く。
人と銭が動く場所には、必ず情報が集まる。
今川の透破として、織田家の本拠・清洲を避け、
この町に根を張るのは、ごく自然な選択だった。
力攻めはできない。
ならば――勝敗を分けるのは情報だ。
遁尾衆の半数は、すでに商人としてこの町に溶け込んでいる。その人脈を、今こそ使う。
さて、仕込みの時間だ。
まず俺は代官所を訪れた。ここで信長に要望した褒美の1つ――預けてもらう家臣の一人と落ち合うことになっている。彼には色々と助けてもらうだけでなく、無益な疑いを信長に持たれぬ様に俺を見張ってもらう役も兼ねている。
門をくぐると、見知った顔と見知らぬ男が話していた。
「おっ父!遅かったの!」
息子たちに西尾城攻めを手伝いたいと言われたときは断った。何もせずとも織田家で出世して、天下をとる。下手に自分に関わらない方がよいと思ったのだ。
最初で最後だと中々折れないので、ついには押し負けた。今回の城攻めに藤吉郎と小一郎も参加することになった。
「いやいや、ちょうどだと思ったんだがな……、横の方は誰だ?」
見知らぬ男のことを聞くと、藤吉郎は友達を紹介する様に話し出した。
「与四郎どのじゃ、河尻与四郎秀隆――この前の戦では義元の首を取った張本人だかね。」
「河尻与四郎秀隆にござる。此度の仔細、殿より承っておりまする。寄騎として、目に留まった者を五人ほど連れてまいった。どうぞ、お好きにお使いくだされ。」
面は縦に長く、精悍というよりは強面と呼ぶほうがふさわしい。どこかで聞いた名だと思ったが、義元の首を挙げた男か。それに騎馬兵が五人も付くとなれば、作戦の幅は大きく広がる。正直なところ、ありがたい。
「木下弥右衛門吉成だ。
かたじけない。今日より、よろしく頼みます。」
頭を下げると、与四郎はきちんと下げ返してきた。
農民上がりに対しても、武家としての礼を欠かさぬ。顔つきに似合わず、実に丁寧な性分であることが、ひと目で分かった。
「一つ、お聞きしてよろしいか?」
「もちろんだ。なにかな?」
「木下家の家紋が入った旗などはございませぬか。こちらはこの通り、織田木瓜のものしか持ち合わせておらず……。このままでは、織田が攻め入ったと思われかねませぬ」
たしかに、それはそうだ。
だがそんなものはない。こちらはこの間武士になったばかりなのだ。武士の魂――刀だってまだ買っていない。
あれ……藤吉郎はすでに帯刀している。嬉しさのあまり買ったのだろうと思うと、少し可愛く見えた。
そんな息子と目が合うと、ニマッと顔を崩すと風呂敷の中から黄色の旗布を取り出す。
そこには黒色で描かれた立派な家紋があった。
「おっ父、あるぞ!作ったんじゃ!
同じ木下って男が、信長さまの家臣におってな。
真似したんじゃ。
おもろいもん――って家紋らしい!」
横にいた与四郎は、はじめての笑顔を見せながら訂正する。
「沢瀉紋ですね。“勝ち草”とも呼ばれ、縁起の良い紋。こたびの戦にぴったりですな。」
槍のような鋭い葉をした三つ葉のクローバーの左右に、小さな丸い実を連ねた枝が添えられた、力強くも整った紋に見えた。
「紋はおいらからだが、もう一つはもっと凄いぞ。」
代官所の奥から背中に何かを隠しながら向かってくる小一郎を指差しながら、そう言った。
小一郎が隠していた物をあらわにする。
それは刀だった。
「武士になったっちゅうのに、全然買う気配がなかったで……家族みんなで貯めた銭で買ったんじゃ!大事に使ってちょ〜。」
両肘を伸ばして向けられていた刀を手に取り、鞘から抜く。反射で眩しい立派な刀身だった。
「こんな高そうな刀……本当に貰ってもいいのか?」
「もちろんじゃ。その刀でもっと武功をあげて、でっかい屋敷を建ててもらうんだと、みんなで話しとった。
お返しを待っとるでな!」
冗談半分に言われたが、確かにと思うところがあった。西尾城主になれば、家族を大きな屋敷に住まわせてやれる。
「わかった。中村に戻ることがあったら伝えてくれ。すぐに引越しすることになるぞ……とな。」
貰った刀を使って、城主になり、立派な屋敷で家族を迎える――日本一幸せにするための第一歩だ。
◼︎永禄三年八月 尾張国 津島湊 大通り
俺は呉服屋――駿河屋に来ていた。
派手な服装を扱う、かぶき者が集まる場所だ。
目当ての人は探すまでもなかった。
大きな声で店主と話して、通行人からの目線を集めている。
「だからよ!やっぱりもっと派手な格好で戦に出ねぇと、信長さまの目には留まらんのよ。
遠くからでも――『あ、あれ犬千代だ』って分かるくらいにな。」
「犬千代……。そなたは既に、尾張で一番目立っている。これ以上派手にして、今度は何をするつもりだ。」
「ははっ!次は、もっと首をとるのさ。
……信長様にまた怒られんよう、次は敵の首だけにしとくさ。」
店主は困ったように肩をすくめた。
「今日は勘弁してくれ。今は“お城勤めじゃない身”だろ。」
「だから来とるんじゃねぇか。城に戻るための戦装束をな。」
噂に違わぬ男だ。
派手で、短気で、だが――戦の匂いがする。
二人に近づいて、見知った仲である店主の方に話しかける。
「駿河屋さん。久しぶりです。」
「あぁ!弥右衛門さん。今日は何のご予定で?」
「孫四郎殿と話したくてね。奥の部屋借りてもいいかい?」
「そりゃもちろん。弥右衛門さんと犬千代が顔見知りとは知らなかったよ。」
孫四郎はブンブンと首を振る。
「俺はこの人知らねぇよ。急に何用だ?」
「申し遅れました。木下弥右衛門吉成という者です。倅の藤吉郎と親しくしていただいてるようで。」
孫四郎は目と口を大きく開き、驚くままに「ってことは、先の戦で裏ぎっ……」と、裏切ったと大きな声で言い切る前に店主に口を塞がれた。
「そこから先は――部屋の中で」
そう店主に言われると、孫四郎は黙ってついてきた。駿河屋の通路を歩いている時は静かだったが、応接用の部屋に入るなり口火を切ったように話し始める。
「藤吉郎の父ということは、義元を討ち取った戦で裏切ったっていう……例の今川の透破ということだよな。」
頭を掻きながら問われ、俺は頷く。
「今は訳あっての清洲お城には入れないんだが、柴田殿から仔細聞いたんだ。上層部ではその話で持ちきりらしいぞ――影の第一貢はあんただとな。
そんな時の人が俺に何の用だ?」
「勝手に戦に出て獅子奮迅の活躍をしても、信長様に復帰のお許しがでないと聞いた。
これから戦を始めるゆえ、一緒に来ないかと誘いに来たのだ。――そなたが許されるほどの功績を保証するゆえにな。」
西尾城攻めのことまでは知らなかったようで、純粋に驚いていた。そのため丁寧に信長からの無茶振りについての詳細を説明すると、真剣ではあるが楽しそうに話を聞いていた。
「誠に信長様らしい。懐かしいの……
お主、信長様から気に入られたな。あの方は失敗を嫌がる。できると思われているからこそ、無茶振りするんじゃ。
よしっ……
そなたの戦、この前田孫四郎利家が手伝おう。
首だけでは何個あっても足りんなら、城を取ればよい。城取りの功を掲げ、俺は清洲の城に戻る。
約束した活躍の機会、きちんと用意してもらうぞ。」
胸をドンと叩き、彼はまっすぐな目で俺を見ていた。
3日後に津島湊の門前で集合することを伝えて、彼は部屋を出た。
そして――
部屋でそのまま待っていると、部屋を貸してくれた駿河屋の店主が入ってきた。
「竹阿弥のお頭……
俺たちには用事はないのかい?」
俺の透破としての名を呼ぶのは、
駿河屋の店主――裏の顔は我が腹心。
遁尾衆の副頭領を任せる服部勘十郎であった。
「遁尾衆全員、駿河屋の地下に集まっております。ご指図をお願いできますか?」
さて――裏の顔としても、戦の準備を進めよう。
ご拝読いただきありがとうございます。
続きが気になる方、本作を気に入ってくれた方はブックマークをしてお待ちください。
励みになりますので、評価もぜひお願いします
★★★★★




