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オヤジ太閤記  作者: 芭音
永禄四年(1561)

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#23 上ノ郷城の戦い 其のニ

◼︎永禄四年四月 三河国 上ノ郷城 木下軍本陣


 城攻めを開始して四日目の夜――。

 松平蔵人佐が予言した「納期」まで、残り六日。

 弥右衛門は前田又左衛門と河尻与四郎を本陣に呼び、蝋燭の火に照らされた軍議の席にいた。


「ちっ……相手は全く焦っている気配がない。今日も、こちらの出方を探るような小競り合いが一回だけ。本腰を入れて打って出る気はさらさらないようだ。」


 又左衛門が、溜まった鬱憤を吐き出すように軍配を膝に叩きつけた。彼のような武闘派にとって、このような時間は何よりの苦痛に違いない。


「城主・鵜殿長照の母君は、亡き今川義元公の妹君……。今川一門としての矜持が、あの一枚岩の守りを支えているのでしょう。駿河から必ずや大軍が駆けつけると、腹を括っているのです。……現に、その通りなのでしょう?」


 与四郎が、隣で沈黙を守る勘十郎へ静かに問いかけた。勘十郎は無言で頷き、数通の報告書を広げた。


「はい。駿河、遠江に潜ませた遁尾衆からの報にございます。今川の本隊が西下を開始。大井川、天竜川の渡し場では、朝比奈備中守の手配によって多くの百姓が渡河の準備を整えておるとのこと。……松平殿の予言、一分の狂いもございませぬ」


 やはり、松平蔵人佐は只者ではない。

 今は味方で頼もしいが、奴よりも信長にとって役に立つ男でなければならぬとなると……、頭が痛い。


「それで……明日からはどう動く? 予定通り、弥右衛門殿が直々に出張るのか?」


 又左衛門が、軍議を目の前の城の話へと強引に引き戻した。


「そうだ。勘十郎たちが仕掛ける『満潮』の決戦まで残り三日。これまで西側の二門に注意を惹きつけてきたが、明日からはその圧力を一段階、跳ね上げる」


 皆が一斉に陣内に並んだ百丁の種子島へと向けられた。微かに漂う油と鉄の匂い。

 

「これほどの火縄……。否が応でも、敵の意識はこちらに釘付けになりましょうな。」


 与四郎が同意するように頷く。弥右衛門は不敵に笑った。


「……百丁の一斉射撃だ。ただ注意を惹くだけでは面白くない。少し欲張って、一気に敵の『頭数』を減らさせてもらう…。」


 弥右衛門の不敵な提案に、又左衛門が野性的な勘で応じた。


「賛成だ! この威圧をまともに浴びれば、敵は二度と門を開けなくなるだろう。……隠し持っていた切り札だ、最初で最後の奇襲は上手く使おう。」


「よし。……であれば、夜のうちにそれぞれの隊から五十人ずつ本陣へ送れ。代わりに、鉄砲隊を同数、貴殿らの陣へ派遣する。」


 与四郎が地図の上で、兵を示す囲碁の白黒の玉を静かに入れ替えた。盤上の配置は、見た目には何ら変わっていない。

 

「敵の目には、これまで通りの包囲陣に見えるわけですね。油断を誘い、懐に飛び込んできたところを撃ち抜く……。恐ろしい策だ」


 鼻息を荒くした又左衛門が、血の気の多い笑みを浮かべた。


「ははっ! 明日、門をくぐった奴らは、一歩たりとも生きては帰さぬぞ。」


 勘十郎も無言で深く頷いた。弥右衛門は、西側に連なる四つの曲輪のうち、最も外側にある一角を指差した。


「明日は、あくまで『いつも通り』を装え。敵の出撃を誘い、打撃を叩き込む。だが、どれほど戦況が良くとも、端の曲輪を奪うところで止まれ。それ以上の深追いは、無駄な損耗を生むだけだ。……本命は、あくまで三日後の満潮。そこを忘れるな」


 陣内に、短く、だが重い承知の声が響いた。

 夜の帳が下りる中、鎧の触れ合う音を殺した「中身の入れ替え」が、密やかに、そして着実に行われていった。




◼︎永禄四年四月 三河国 上ノ郷城 本丸


 我が名は鵜殿藤太郎長照。

 亡き義元公の妹を母に持つ、今川一門衆の末席に連なる者である。


 数日前、吉良を滅ぼしたという木下なる賊が、突如として我が城を囲んだ。当初こそ狼狽して救援の狼煙を上げたが、蓋を開けてみれば敵は六百に満たぬ小勢。対する我が城の守備兵は五百。難攻不落を誇るこの上ノ郷が、賊風情に落とされるなど、天地がひっくり返ってもあり得ぬ話よ。今にして思えば、狼煙など過分な心配であったわ。


 それに、上ノ郷は今川の三河支配における要衝中の要衝。なればこそ、駿河から大軍が駆けつけるのは時間の問題だ。その時をゆるりと待てばよい。


 とっとっとっと……。

 屋敷の廊下を駆ける、小気味よい二つの足音が聞こえてきた。

 我が愛息子――新七郎と藤三郎だ。


「父上!今日も門の外に兵を出すのですか!」


 初めて目の当たりにする「戦」という行事に目を輝かせ、新七郎と藤三郎が作戦を聞きにやってきた。籠城中だというのに、なんとも優雅なものだ。だが、この暢気さは二人だけではない。城全体に、援軍を疑わぬ平穏な空気が満ちていた。


「ああ、そうだよ。先ほどの軍議で決まった。私としては一気に打って出て、あの木下とやらを蹴散らしてやりたいのだが……家臣たちが慎重でね。駿河からの援軍を待つことになった。今日もそれぞれの門から百の兵を出し、一撃を与えてやる。それで十分だ。」


 ふと思いたち、庭に出て空を見上げた。雲ひとつない晴天。高く昇った太陽が、我が屋敷を白く照らしている。そろそろ、城門が開く頃合いだ。

 視線を落とせば、城下で行われる「戦」という名の遊戯に、息子たちが無邪気な笑顔を向けていた。


 昨日までと変わらぬ日……

 ――そこに、すべてを切り裂くような「巨大な雷鳴」が轟いた。


 反射的に再び空を見上げた。だが、空はどこまでも青く、澄み渡っている。背筋に氷を押し当てられたような嫌な汗が流れた。


「新七郎、藤三郎。……奥へ下がれ。早く!」


 不安げな息子たちを小姓に預けると同時に、物見櫓へと駆け上がった。

 

「何があった。見えるか!」


 櫓の兵たちは、食い入るように戦場を凝視していたが、絶望的な顔で首を横に振った。


「申し訳ございませぬ! 音が鳴ったと同時に、凄まじい白煙が立ち込め……敵も、味方も、何も見えませぬ!」


 視界を埋め尽くすのは、火薬の臭いを含んだ不気味な煙の壁。焦燥に喉を鳴らしたその時、強い海風が戦場を撫でた。霧が晴れるように、眼下の地獄が姿を現す。


「……なっ!?」


 城外に出した我が兵が、なぎ倒されるように地に伏していた。その隙を突くように、敵の騎馬隊が、小競り合い後の帰還のために開け放たれたままの門へと殺到している。


「いかん! 門をくぐられるぞ! 閉めよ! 直ちに門を閉じろ!」


「しかし殿! 城外にはまだ、我が方の兵が取り残されております!」


「知らぬ! この城が落ちれば今川領の安寧は潰える。ニ百の命より城の守りを優先せよ!」


 閉門を命じる法螺貝が悲鳴のように鳴り渡った。城内の兵たちが動き出すが、その足取りはどこか重い。見捨てられる同胞への同情か、あるいは恐怖か。……役立たずめ。


 だが、非情な現実はさらにその上を行っていた。迫りくる騎馬隊の背後で、敵の歩兵隊が何やら奇妙な筒をこちらへ向けたのだ。


 ――再びの、雷鳴。


 腹を震わせる轟音が南北から同時に炸裂した。耳を覆い、思わず目を瞑る。その一瞬の空白が致命的だった。閉門の作業に当たっていた兵たちの動きが、恐怖で完全に止まってしまったのだ。


「……そうか、あれは種子島か。」


 音の正体に、ようやく気づいた。かつて今川館にて、亡き義元公が誇らしげに見せてくださった南蛮の凶器。それが、これほどまでの数で……。


「殿!どこにおられます!!ご指示を!」


 物見櫓の下で、重臣たちの悲鳴が上がる。


「見ればわかるであろう! 第四曲輪はもう保たぬ、捨て置け! 第三の門を固く閉め、そこを死守せよ!」


 蹂躙は、一瞬だった。

 瞬く間に敵の旗が第四曲輪を埋め尽くし、第三の門前には、逃げ場を失い見捨てられた我が兵たちの絶望の叫びが満ちた。


 その夜。上ノ郷城内には、第三曲輪への兵員の集中と、種子島対策としての「不用意な接敵禁止」が厳命された。

 士気の潰えた兵たちに向け、声を枯らして叫び続けた。


「耐えよ! あと数日もすれば、駿河から今川の大軍が駆けつける! 尾張攻めの時をも凌ぐ規模の援軍だ! 目の前の雷鳴に耐え抜けば、我らの勝ちだ!」


 その言葉が届いているのかはわからなかった。だが、そう信じなければ、この城を包む闇を払う術を、鵜殿藤太郎長照は持っていなかったのだ。




ご拝読いただきありがとうございます。


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