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オヤジ太閤記  作者: 芭音
永禄三年(1560)

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19/30

#18 勘定寄合(前編)

◼︎永禄三年十ニ月 三河国 西尾 一色湊 天王屋敷


 木下家より譲渡された一色湊の周辺では、あちこちで建設の槌音が響いていた。

 港を核とした新たな商業地として、座株楽座「天王」の手で急ぎ整えられつつあるのだ。


 中でもひときわ目を引くのは、西尾天王社――牛頭天王を祀る津島神社の分社であった。その隣には、座株楽座の執務用屋敷、通称「天王屋敷」が建てられている。将来を見据えて広く土地は確保されたが、今は時を優先し、簡素な平屋のみが先行して用いられていた。


 この組織の次席にあたる若座主・木下小一郎は、来る日も来る日も帳簿に向かっていた。

 屋敷の中では、津島商人の子息を中心とした総勢二十名が筆を取り、紙の上に数字と名を書き連ねている。筆先が紙を擦る音だけが、絶え間なく室内に満ちていた。


 そこへ――

 どんどんどん、と、床を踏み鳴らすような足音が近づいてくる。


 小一郎の上司にあたる座主、津島屋宗左衛門。

 津島屋の嫡男にして、この地の実務を一手に引き受ける男である。


「今戻ったぞ。熱田商人も出店を希望しており、新たに四店舗が決まった。これで一色湊には十五店舗目だ。二ヶ月にしては、よい成果ではないか、小一郎!」

 

 宗左衛門は小一郎より十七歳年上である。この二ヶ月、昼夜を問わず働き続けるうちに、二人の間には主従とも親子ともつかぬ、不思議な絆が芽生えつつあった。


「惣右衛門殿、お帰りなさいませ。……目標の十五に達しましたか。明日の『勘定寄合』に間に合って何よりです」 


勘定寄合――弥右衛門が提案した、現代でいう「株主総会」である。戦国版株式会社である座株楽座の心臓部ともいえる会議だ。

 


「して、勘定はまとまったか?」


「はい。この二ヶ月間の収支を記した『算用帳(さんようちょう)』と、我らが所有する建物などの価値を記した『目録』は揃いました。あとは……」

 

「うむ。来年の『差配計画書』だな。この後、じっくりと相談させてくれ」


 勘定寄合では、過去の収支報告だけでなく、向こう一年の方針を承認させる必要があった。利益から計画に必要な銭を除き、残りを株主に「配分」するからである。


「かしこまりました。此度も、四郎次郎を呼んでもよろしいでしょうか」


「あのキレ者か。もちろん構わんぞ!奴の提案は、実に見事であったからな」


 四郎次郎――京で店を構える茶屋の嫡男である。

 四十日ほど前、噂を聞きつけて「見習いとして雇ってほしい」と現れたこの男は、驚くほどの才覚を見せ、早くも座主のお気に入りとなっていた。


 この後三人は別の部屋に入り、卓の上に墨の香も新しい「差配計画書」広げた。

 夜が深まり、行灯(あんどん)の油を幾度も注ぎ足しながら、議論の火花は絶えることがなかった。

 結局、三人がその部屋から姿を現したのは、三刻(6時間)が過ぎ、冬の凍てつく星が西の空へ傾き始めた頃であった。


 部屋から出てきた三人の眼光は、疲労を通り越し、未だ見ぬ巨大な利を捉えた獣のような鋭さを帯びていた。


 

◼︎永禄三年十ニ月 三河国 西尾 一色湊 


 弥右衛門は久方ぶりに、自領の玄関口である一色湊を訪れていた。

 道の左右には、真新しい杉の香を漂わせた店が軒を連ね、ひしめき合う人々の熱気が冬の寒さを撥ね退けている。軒数こそ未だ西尾の城下には及ばぬが、すれ違う人波の密度は、すでに城下のそれを凌駕していた。

 

「木下殿、三河一の町はいかがですかな?」


 背後からかけられた声に振り返れば、そこには豪商・津島屋惣右衛門が、老獪な笑みを浮かべて立っていた。この町の座株を二十五も有する、株主である。


「津島屋か。……まだまだ一番ではないぞ。()()、な」


 私が不敵に返すと、惣右衛門は満足げに口元を緩ませた。


「左様ですな。ですが不思議なものだ。遠からずここが日の本でも有数の栄えを見せることが、もはや動かせぬ(ことわり)のように思えてなりませぬ。……銭の匂いが、鼻をつまみたくなるほど漂っておりますわ」


 私は思わず吹き出した。


「ははは! さすがは商人だな。私には潮の匂いしかせんぞ」


「おやおや、木下殿こそ誰より鼻が利く御方だと思っておりましたが。……まだまだ修行が足りませぬな」


 二人は顔を見合わせ、愉快そうに肩を揺らした。そして、連れ立って、建立されたばかりの立派な鳥居をくぐり抜けた。


 

◼︎永禄三年十ニ月 三河国 西尾 一色湊 西尾天王社


 弥右衛門と津島屋が、真新しい拝殿へ通されると、そこにはコの字型に配された一段高い上座が用意されていた。

 八つの席のうち、二人の席を除いたすべては既に埋まっている。それぞれの座所には座布団が敷かれ、その傍らには丁寧に綴じられた数枚の和紙が置かれていた。

 二人の若者が、寸分の隙もない動作で頭を下げる。

 座主・津島屋宗左衛門と若座主・木下小一郎である。


「木下様、()()()()。この度は、勘定寄合へのご臨席、誠に恐悦至極に存じます

 かつてお二方と相まみえたあの天幕が、今やこの荘厳なる社となっております。これもひとえにお二方の厚きご出資あればこそ。本日は何卒よろしくお願い申し上げます」


 続けて、小一郎が静かに、だが凛とした声で促した。


()()()、津島屋様。中央のお席へお進みください。本日は座株の数に従い、お座りの位置を定めております。何卒ご容赦を」


 二人は、「父」と呼ばなかった。

 その瞳には、肉親としての甘えなど微塵もない。ここにあるのは、主従を超えた「経営者」と「出資者」という、この時代にはまだ存在しないはずの、新しい信頼の形であった。

 領主や神職という身分ではなく、出資した座株の数で席次を決めたことも、彼らが弥右衛門の思想を深く理解し、実践している(あかし)であった。

 弥右衛門は頼もしさを噛みしめ、深く頷いて指定の席へと腰を下ろした。


 居並ぶ顔ぶれは、津島屋のほかに、津島天王社の神職、常滑屋、堀田屋、駿河屋、松阪屋、山川屋といった、津島の経済を握る豪商たちだ。

 ちなみに、遁尾衆の頭領・勘十郎が店主を装っていた駿河屋は、彼が目付奉行に任じられてからは配下が店を預かり、勘十郎本人は甲賀の地へと発っていた。


「……それでは。第一回『勘定寄合』を始めさせていただきます」


 一同の注目が集まる中、座主を務める津島屋宗左衛門が、通る声で宣言した。

 

「皆様よりご信託いただいたこの大役、誠心誠意、勤め上げさせていただきます。……ではさっそく、この二ヶ月間の収支を記した『算用帳さんようちょう』について、若座主の小一郎よりご説明いたします」


「若座主――木下小一郎にございます。

 お手元の和紙を一枚捲っていただき、算用帳と書いてある項をご覧ください。」


 ――ひらり。

 冬の静謐な拝殿に、紙が擦れる音が一斉に響いた。


 小一郎の澱みのない説明とともに、算用帳の数字を追っていく。

 商いを行うための「運上(うんじょう)」、湊を利用する船舶に課す「関銭(せきせん)」。本来、領主である木下家が徴収すべき税を、座株楽座が代行して集める仕組みは、弥右衛門の目論見通りであった。


 だが、その中に一つ、見慣れぬ収益項目が記載されていた。


――棟貸銭むねかしせん


「最後に、この『棟貸銭』について。これは、新たに発案した当座の収入源にございます」

 

「一色湊の目抜き通りに建つ店舗は、すべて座株楽座が建立いたしました。商人たちには、その建物と土地を()()という形をとっております。初期投資こそ(かさ)みますが、商人が身一つで参入しやすくなる上、我らには中長期にわたり安定した地代が転がり込みまする。……もちろん、自ら建立を希望する者には、土地のみを貸し付けております」


(……なるほど。不動産賃貸業か)


 令和の知識で導かずとも、この時代の者たちが自らその利に気づき、仕組みを作り上げた。その事実に驚きつつも、弥右衛門は胸の内で、熱い高揚感を感じていた。


「素晴らしい。

 店を建てる銭がない若手商人でも、この湊なら勝負ができる。結果、湊の活気が加速し、ここは新しい商売の実験場にもなる。その狙いがあるのだな、座主よ。」


 弥右衛門よりも先に、津島屋が自らの息子である座主に問いかけた。宗左衛門は力強く頷き、居並ぶ豪商たちを見渡した。


「仰せの通りにございます。現在の三河の中心は岡崎。何もせねば、人は自ずと岡崎へと流れまする。なれば我らは、岡崎にはないものを提示せねばなりませぬ。進出しやすく、活気があり、常に新しい商いが生まれる――我ら商人が、『あそこで商売をしたい』と切望する場所。それを作るのが我らの仕事でございます。」


 隣で算用帳を見ていた常滑屋が、思わずといった風に膝を打った。


「……新しい商いが生まれれば、それを支える職人が集まり、新しさを求める客が遠方から足を運ぶ。そしてまた別の商売が芽吹く……。なんと、恐ろしいほどの循環ではないか」


 常滑屋の興奮が、静かな拝殿に波及していく。堀田屋も、山川屋も、算用帳の数字を食い入るように見つめ、深く、深く頷いた。


 算用帳の説明が滞りなく終わり、続いて目録――現在の楽座が保有する土地と建物の検分が始まった。一冊一冊の重みを確認するように、商人たちは真剣な面持ちでそれを見つめている。


(償却という概念もいずれは導入したいが、銭が潤沢でない今はまだ時期尚早か)




 

 そして……


「それでは、最後に差配計画書について、お話しいたしまする。」


 これまでの説明役だった小一郎が下がり、座主・宗左衛門が自ら前へ出た。

 その顔には、実務家としての冷静さと、勝負師としての覚悟が同居している。


「結論から申し上げます。……来年は、一色湊の未来を左右する大規模な投資が必要と考えまする。なればこそ、皆様方へお渡しする今期の『配分』は、最小限に留めさせていただきたい」


――場の空気が、一瞬で凍りついた。


 さきほどまで算用帳の数字に浮き立っていた商人たちの目が、一転して猛禽のような鋭さを帯びる。銭の出入りに命を懸ける彼らにとって、利益を削られるのは身を切られるに等しい。


 対する座主・宗左衛門も、その刺すような視線から逃げることなく、真っ直ぐに株主たちを見据え返している。


 ここからが正念場だ……、配当か、再投資か。

 百戦錬磨の豪商たちに、「銭を預けておく方が将来化ける」と思わせることができなければ、座株楽座の成長はここで止まる。


「それでは、差配計画書……ご説明いたしまする」


 宗左衛門の低い声が、静まり返った拝殿に重く響いた。

 

ご拝読いただきありがとうございます。


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