#14 座株楽座
お久しぶりです。
戦国時代に受け入れられる株式会社の制度を考え、文字に起こすのに時間かかりました。
お気に入りの話です。
ぜひ。
◼︎永禄三年十一月 三河国 西尾 一色湊
突き刺すような秋の陽光が、西尾の海面を銀色の刃のように弾き飛ばしている。
弥右衛門は、一色湊の外れにある荒れ地に立っていた。そこは泥濘と砂浜が入り混じり、打ち捨てられた流木が転がるだけの、誰の目にも止まらぬ寂れた海岸線だった。
「おっ父、これで宜しいのですか?」
小一郎が豪華な天幕の中から出てきた。
藤吉郎は歴史通りの道を歩んで天下人になってもらうために織田家に残したが、弟の小一郎は木下家に呼び寄せた。とにかく人手が足りぬのだ。しっかり働いてもらわねば。
尾張の中村に残している妻と娘たちは屋敷の整備が終わる来月やってくる予定だ。
「完璧だ。荒れた土地に不釣り合いな天幕よ。」
天幕には大きく木下家の沢瀉紋と――
津島神社の神紋である木瓜紋が描かれていた。
織田信長が掲げる紋と瓜二つであることに気づいたのは、つい数日前のことだ。西尾では織田の匂いは消したかったが、此度は流石に致し方なかった。
「よし、津島屋を呼べ。この泥沼を金の大地に変える、商いの話をしよう、とな。」
小一郎は心得たと深く頷き、湊に待機している津島のご一行を迎えに走った。
◼︎永禄三年十一月 三河国 西尾 一色湊・特設天幕
潮騒が響く天幕の中。
弥右衛門と小一郎の対面には、尾張随一の豪商・津島屋とその嫡男、そして津島商人の精神的支柱である「津島天王社」の代官が、居ずまいを正して座していた。
「木下殿。わざわざこのような荒れた地までお招きいただき……一体、何のお話で?」
口を開いたのは津島屋だった。その声は穏やかだが、眼光は獲物を狙う鷹のように鋭い。
「さきの戦で全面協力した折の約束……
木下家が西尾を切り取り、領した暁には、西尾の町を海側へ伸ばす――つまり、この一色湊に新たな町を築く。その差配のすべてを我らに委ねる、と。左様、記憶しております。
……はて。我が目には、町どころか鳥の羽休める場もない、ただの泥濘にしか見えませぬので、
差配する町がないのに呼ばれたのはなぜかと思っておるのですよ。」
津島屋は老獪な笑みを浮かべ、弥右衛門の腹を探るように言葉を継いだ。隣に座る代官も、無言のまま杯を弄んでいる。
「津島屋。単刀直入に言おう。我が木下の蔵には、今、金がない」
弥右衛門が放った一言に、小一郎がわずかに肩を震わせた。だが、弥右衛門は表情を崩さない。
「そのまま町を作ったとしても、精々が鳥の巣のような小規模なもの。……それでは、お主らが三河湾で煮え湯を飲まされている吉田の商人どもに、到底勝てんと思ったまでだ」
「……ほう」
津島屋の目が、さらに細められた。その瞳の奥で、冷徹な算盤が弾かれる音が聞こえるようだった。伊勢湾を盤石のものとした津島にとって、東進を阻む吉田商人と今川の壁は、最大の懸念事項である。
「金がないと白状し、さらに我らの急所を突く。……木下殿、それは交渉としては少々、無茶が過ぎるのではないですかな? 金のない男に、誰が大きな商いを預けましょう」
津島屋は身を乗り出し、弥右衛門を圧するように睨み据えた。代官の手元で、杯の中の酒がわずかに揺れる。
「金は、お主らが出せばよい。
その代わり――
三河一の町にしてやろう。
その町を差配すればよい。」
津島屋は大きくため息を吐き、天幕の外を伺った。まるで商談が破談になる時の光景を思い出した。
「それほどの普請、一体いくらかかると思っておいでか。」
「だからこそ、お主たちに出してもらうのだ。だが、それは、寄進でも、貸し付けでもない。俺が売るのは、この一色湊という町の主権そのものだ。」
弥右衛門は、厚手の和紙を百枚、卓上に並べた。
そこには「壱株」の文字と、木下家の沢瀉紋、そして天王社の神紋が、くっきりと押されている。
「これは座株という。
一色湊の権利を百に分けたものだ。
お主たちから銭を吸い上げるのではない。
この湊そのものを、一つの巨大な座と見なし、その持ち分を皆で分かち合う算段だ」
「座株……。
座の権利を小分けにする、というのですか。
座とは本来、家や職能に固く縛られたもの。
それを売り出すなど……」
津島屋の嫡男は、困惑と好奇心が入り混じった声で問い返した。
弥右衛門は、力強く頷く。
「名付けて、
座株楽座 天王。
木下家は、この海岸一帯の土地を提供する。
その対価として、三十株。
津島天王社には、尊き御名と信用をお借りする対価として、十株。
そして津島屋。
お主には、開発に要る銭を出す対価として、二十五株。
残る三十五株は、他の津島商人たちに売り出し、普請の足しとする」
株式会社という仕組みを、この国の言葉に置き換えれば、これが最も近い。
“天王”とは、その座の名であった。
「……待たれよ。それでは我らが銭を投げ、我らが町を作ることになる。木下様は土地を貸すだけで、一体何をしてくださる?」
津島屋の鋭い問いに、弥右衛門は不敵に笑い、すらりと刀を抜いた。
「俺は――お主たちが、安心して稼ぐための盾になる。
木下家は、この地から一切の年貢を取らぬ。
関銭も、運上も、すべて免除だ」
ざわり、と空気が揺れる。
「その代わりだ。
俺は三十株の持ち主として、この町が生み出した利のうち、来年の普請や備えとして座に残す分を除き、座で定めた勘定に基づき諸経費を引いた残りを、毎年受け取る。
お主たちもまた同じだ。
倉の増築、湊の整え、道の普請――
座に必要と決まった投資を先に行い、
残った利を、持ち株に応じて正当に分け合う。」
天幕の中に、戦慄に近い静寂が走った。
大名が、商人と同じ条件で利を分け合う。
それは、この時代の常識を根底から覆す提案だった。
「さらに――この湊の運営は、武士ではなく商人が行う。
実務を仕切る座主には、津島屋。
お主の嫡男を据えたい」
津島屋が、息を呑む。
「我が子、小一郎は若座主としてその横につける。
算術を助け、武家との折衝を担わせるためだ。
一年に一度、株主が集まる勘定寄合を開く。
帳簿はすべて開示する。
もし嘘偽りがあれば――」
弥右衛門は、天王社の方へ視線を向けた。
「神前で誓う。
天王社の御名のもと、神罰を受ける覚悟でな」
沈黙を守っていた天王社の代官が、
ゆっくりと、その目を開いた。
「神の前での勘定……。それが成れば、商人の信用は不動のものになりますな。」
「津島屋、お主なら分かるはずだ。
ここは三河湾でも指折りの水深を誇り、巨大な船であろうと、そのまま岸へ寄せられる。
背後には矢作川が通り、岡崎、さらに信濃へ通じる道にも直結している。
浅瀬で荷を積み替えねばならぬ吉田の湊とは、器が違う。
この泥濘には、三河湾の流れを一つに集める力が眠っている」
「……三河湾の覇を握る、か」
津島屋の嫡男の目が、野心にぎらりと光った。
津島屋自身も、ゆっくりと腰を上げる。
天幕を出て潮風に吹かれながら、冷たい干潟の向こうに広がる水平線を見据えた。
「……木下殿。
この座株とやら、途中で手放すこともできるのか」
「無論だ。
年に一度の勘定寄合にて、他の株主へ売ってよい。
最も高い値を付けた者にな。
ただし、新たな者を迎えるには、株の過半を持つ者たちの承諾が要る。
軽々に渡る権利ではない」
「……なるほど」
津島屋は天幕へ戻り、弥右衛門の前に座り直した。
その顔に、もはや疑念はない。
未知の利を嗅ぎ取った、商人の顔であった。
「面白い。
一色の泥を、すべて銭に変えてみせましょう。
……その座株――
我ら津島商人が、すべて引き受けます。
ただし、木下様。
ここは神の加護を受けた、独立の地。
たとえ信長様が銭を求めてこられようとも、
我らの座株は、盾となって守っていただく」
「ああ、約束しよう」
弥右衛門と津島屋の手が、固く握られた。
◼︎永禄三年十一月 三河国 西尾城
「……ふぅ」
交渉を終え、城に戻った弥右衛門は、安堵の溜息とともに文机に深く身を沈めた。
隣では、小一郎がまだ興奮冷めやらぬ様子で座株の控えを数えている。
「おっ父、凄かったです……! あの津島屋が、最後はあんなに必死になって。
でも、本当に良かったんですか? 税も取らず、土地を丸投げにするなんて」
「小一郎。土地は、持っているだけではただの泥だ。
人が集まり、金が回って初めて土地は価値が生まれる。
俺たちは、自分たちの力では作れない価値を、商人の銭と知恵で代行してもらったのさ。
それに……商人を味方につけるということは、彼らの持つ情報網を、信長様を凌ぐ精度で手に入れるということだ」
弥右衛門は、窓の外で月明かりに照らされる西尾の町を見つめた。
「信長様から与えられた三年という期限内に、松平元康よりも三河を任せるに値すると認めさせる。そのためには、この地の経済を爆発的に成長させるしかない。
さあ、小一郎。明日からは忙しくなるぞ。津島から石工や船大工が雪崩れ込んでくる。
お前は若座頭として、現場のすべてをその目に焼き付けてこい」
「はい、おっ父!」
暗闇の中、西尾の海から吹く風は、もう冷たくは感じなかった。
そこには、新しい時代が産声を上げる、確かな響きが混じっていた。
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