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オヤジ太閤記  作者: 芭音


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11/11

#11 西尾・東条の戦い 其の五

◼︎永禄三年九月 三河国 東条城


 数刻後――


 弥右衛門は着替えを済ませると、静かに外へ出た。

 城内は、すでに大騒ぎとなっている。


 西尾城落城。

 吉良義昭、討死。

 そして――もう一つの報。


 人々が浮き足立つのも、無理からぬことだった。

 だがその中で弥右衛門は、ただ一人、屋敷へと歩を進める。


 彼を引き止めるほど冷静な者は、

 もはや城内にはいなかった。


 

「――静まりなさい」


 一人の女性の声が、張り詰めた空気を裂いた。

 ざわめきは、波を引くように収まっていく。


「奥方様。このような場所にお出ましになっては――」


「大騒ぎの最中にあって、座してはおれませぬ。

 ……よいから、静まりなさい」


「かたじけねぇ……。

 奥方様こそ、さぞお辛かろうに」


 弥右衛門は、確信した。

 ――義昭亡き後。

 この城を束ねるのは、他ならぬこの方だ。



 城内を鎮めるように歩を進めるその背に、

 すれ違いざま、弥右衛門は低く声を落とした。


「私は――義昭殿を討ち取った、

 木下家の者にございます。

 少しばかり、お話をうかがいたく存じます」


 女は、すっと振り返った。

 声を上げかけ――だが、その口が閉じられる。


 弥右衛門の身に着けている衣。

 そこに縫い取られた、吉良の紋。


「……息子は、どこにおります」


 それが、彼女の発した唯一の言葉だった。


 東条城を騒がせていた、もう一つの報。

 ――嫡男、行方知れず。


 火消しに走っていたあの若者を捕らえ、

 すでに部下二人に命じ、城外へと退かせてある。


 弥右衛門は、その高貴な衣を身にまとっていた。

 吉良の紋を、隠すことなく。


 ――それだけで、すべては通じた。



◼︎永禄三年九月 三河国 東条城 屋敷


 奥方が、静かに唾を飲み込む。

 その微かな音が、弥右衛門の耳にははっきりと届いた。


「――それで。

 木下家の使いが、何の用でございましょうか」


 弥右衛門が正面から視線を向けると、

 奥方もまた、一歩も退かずに目を合わせてきた。


「使いではございません。

 私は――此度の戦の大将。そして木下家当主、

 木下弥右衛門吉成にございます」


 一瞬、奥方の表情が強張る。

 だが、それも束の間。

 すぐに、何事もなかったかのように顔を整えた。


「……では、木下殿。

 要件を、お聞かせ願いましょう」


 肝の据わった女であった。

 夫を討たれ、嫡男を奪われながら、そのことを口にすることなく、ただ、城主として交渉の席に立っている。


 対等の立場で交渉に臨む――

 その覚悟が、言葉の端々に滲んでいた。


「単刀直入に申しましょう。

 城を明け渡し、三河の外へ退いていただきたい。

 さすれば、誰の首も求めず、

 ご子息は無事、お返しいたしましょう」


 ――静寂が、室内を覆った。


「……私たちは、まだ戦えます」


 それは、必死に絞り出された声であった。


「戦えますまい。

 吉良の兵は銭で雇った者が多く、内応も容易。

 よろしければ――

 西尾城がいかにして落ちたか、

 お話しいたしましょうか」


 再び、場は水を打ったように静まり返った。

 さて、抵抗せずに応じてくれれば良いのだが…




 奥方は、ゆっくりと目を閉じる。

 そして――何かを腹に据えたかのように、静かに口を開いた。


 その言葉は、肯定でも否定でもない。

 問いであった。


「……あなたが、吉良の領地を引き継ぐのですか」


「はい。この木下弥右衛門が、西尾城主となります」


 奥方は一瞬、視線を落とす。


「我が家は、家格と経済で、この地を治めてまいりました。――あなたは、いかにして治めるおつもりですか」


 この方は、弥右衛門に吉良の国を託せるかを問うている。今度は、己の唾を飲み込む音が、はっきりと耳に響いた。


「私は百姓の出です。

 家格もなく、頼みとするのは――

 ただ二人、働き者の倅がいるだけです。


 だからこそ、この地では、

 逆らう理由より、従う理由を多く作る。

 刀を取るより、穏やかに暮らす方が得となるように。


 それでもなお刀を抜く者、

 この豊かな土地を奪おうとする者があれば――

 その時だけは、此度のように頭を使い、

 容赦はいたしませぬ。」

 

 奥方の口から、ふう、と息が漏れた。

 同時に、これまで微動だにしなかった肩が、わずかに震える。


「……私の息子は、無事でしょうか」


 目の前にいる城主は、

 もはや一人の母であった。


「もちろんです。

 三河を出る際も、私の部下に護衛を付けましょう。

 ご安心ください」


「……分かりました。城を明け渡します。

 夫の部下たちを説き伏せますゆえ、

 少々、時を頂いてもよろしいでしょうか」


 弥右衛門は、ゆっくりと頷いた。

 奥方は深く一礼し、静かに部屋を後にした。



 日が傾くころ、

 東条城の天にも沢瀉紋(おもだかもん)が高々と翻った。


 かくして弥右衛門の初陣は、わずかな兵をもって二城を落とし、さらに大将の首を挙げるという、

 前代未聞の戦果をもって終わった。


 

 


◼︎永禄三年九月 三河国 西尾城 城門


 河尻与四郎に東条を任せ、

 その他の者を西尾城に集めた。


 弥右衛門が門前に辿り着くと、勘十郎が申し訳なさそうな顔で近づいてくる。


「遁尾衆、藤吉郎殿に従った五十名のうち、

 四十二名が亡くなりました。

 

 その動揺からか、ほかの隊にいた数名も行方知れずになっております。


 頭領を拝命してから、初の役目でこの有様……。

 お許しください。」


 逃げた者もいたのか。

 残念だが、主君を変えた初の仕事で半減したのだ。無理はない。


「お主に落ち度はない。

 あの隊の指揮は藤吉郎だ。

 それに、その犠牲のおかげで吉良の首が取れた。


 だが――

 少し……寂しく、辛いな。」


 勘十郎は目元を押さえた。

 弥右衛門も背を向け、人気のない場所へと歩を移した。

 


◼︎永禄三年九月 三河国 西尾城 広間


 広間は、どんちゃん騒ぎであった。

 藤吉郎と孫四郎を中心に、酒を酌み交わしながら武勇を語り合っている。小一郎も目を輝かせて兄の話を聞いていた。


「だからの! おいらは、孫四郎ならやれると思ったんじゃ〜」


「いやいや、藤吉郎がうまく囮になったおかげよ!」


 笑い声が絶えず、場は温かく、浮き立つような空気に包まれている。

 だが、その輪から少し離れた上座に座す弥右衛門の胸中は、少し冷えていた。


 広間に姿を現した折、藤吉郎はすぐに頭を下げてきた。

 命に背いたこと、兵を多く失ったこと――

 そのすべてを詫びたのである。


 弥右衛門は咎めなかった。

 大将の首を挙げたことは大義であり、よくやったと褒めた。藤吉郎は、その言葉に満足げな笑みを浮かべていた。そして、今は皆と功をねぎらい合っている。


 息子が大功を成した。

 それは、紛れもなく喜ばしい。


 だが――

 遁尾衆の元頭領として、

 そして争いのない令和の世を知る者として、

 弥右衛門はこの勝利を、手放しで祝うことができずにいた。


「おっ父!

 おいら、これからも此度のように戦で手柄を重ねて、

 いずれはおっ父と肩を並べる城持ちに、

 

 いや――おっ父を超えて、

 国を動かすほどの男になるでな。

 

 その日を、楽しみにしててちょ!」


 楽しげにはしゃぐ藤吉郎の姿を見つめながら、

 弥右衛門は思う。


 雷に打たれ、この時代へと放り込まれ、

 藤吉郎――のちの豊臣秀吉を、我が子として得たとき、

 

 正直に言えば、思ったのだ。

 天下人に付き従うだけの、気楽な人生が待っているのだと。


 だが、それは誤りであった。


 天下人とは何か。

 戦国の英傑とは、いかなる存在か。


 それは、数え切れぬ死を踏み越え、

 幾多の犠牲を背負いながら、

 なおも、その頂きを目指さずにはいられぬ――

 乱世が生み落とした“ばけもの”である。


 織田信長も、豊臣秀吉も、

 おそらくは、徳川家康もまた、同じ。


 そのような者たちと歩む人生が、

 楽であるはずがない。


 むしろ――

 この世で最も、苦難に満ちた道となる。


 弥右衛門は、静かにそう確信していた。




ご拝読いただきありがとうございます。

今回で西尾城攻略編は完結になります。

この間、たくさんのブックマーク・評価ありがとうございます。

皆さんの支えで、ここまで続けられました。

感想等ございましたらお寄せください。



続きも投稿しますので、楽しみにお待ちください!

それでは!

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