4話
学園から戻ったセツリは、母から家畜の世話を頼まれ、小屋からバケツとブラシを取り出し放牧地へ向かった。
広場では、牛と山羊を掛け合わせたようなヴモーフたちが草を食んでいて、柵の外では、青年――兄のバラクが静かにその様子を見守っていた。
「兄さん、母さんから世話頼まれてて……。コンキーに集めて来てもらっていいかな?」
声をかけると、バラクは無言で頷き、胸元の笛を手に取る。
ひと息に高く吹くと、どこからかキツネを少し大きくしたようなコンキーが四匹、地を蹴って駆け寄ってきた。
次いで三度、短く笛を鳴らす。
その合図でコンキーたちは一斉に柵の中に入り、ヴモーフを追い立ててゆく。
「ありがとう」
セツリはブラシを手渡そうとするが、バラクは首を振った。
「お前がやるといい」
兄が“畜産”のギフトを持つことを思えば、自分がやるのは不自然に思えた。
けれど、理由を問うのも気が引ける。セツリは黙ってヴモーフの毛並みを整え始めた。
「セツリは、いつも丁寧な仕事をするな」
背後から声がする。振り向くと、兄も予備のブラシを手に取っていた。
「今日は早く終わらせて、ゆっくりしよう」
兄の言葉にうなずきながらも、セツリはどこか違和感を覚えていた。
兄は実直そのものの人間だ。――なのに、今日の彼はどこか言葉を選んでいるようだった。
バラクがふいに口を開いた。
「セツリ」
その声に振り返ると、兄はヴモーフから目を離し、こちらを見つめていた。
「ギフトを持つ俺が、片手間にブラシをかけたとしても……正直、お前の丁寧な世話より仕上がりは良くなる」
あっけらかんとした言葉に、セツリは小さく息をのむ。
兄は淡々と続けた。
「それが“ギフト”ってやつだ。努力や手際の良し悪しなんか関係ない。
たった一度、手を動かすだけで結果が違う。
……だが、それだけのものでそれ以上じゃない」
短く笑って、ヴモーフの背を撫でる。
その手つきは、どこか自嘲を含んでいた。
「けどな、俺は――だからこそ、あえて手を抜かずにやる人間のほうが好きだ。
ギフトで結果が出るのは当たり前だが、そこに心はない。
お前の世話には、ちゃんと“気持ち”がある」
バラクは黙ってブラシを動かし続けた。
兄の声は、いつになく静かだった。
「……手が止まってるぞ、セツリ」
「うん」
「覚えておけ。努力は、ギフトには敵わない。けど、人を支えるのは“結果”だけじゃない。
だから俺は……もし授かったギフトが、“商業”でも“芸術”でも――結局、同じ仕事を選んでたと思う。
ギフトが人の価値を決めるわけじゃない」
バラクは穏やかに笑い、ブラシを止めずに言った
「――少なくとも、俺はそう思ってる」
少し照れ隠しのように笑う兄に、慌てて手を動かす。
「俺は、お前のそういう姿勢が好きだ。
もしギフトが自分に合わないと思ったら……遠慮なくこの家で働けばいい。
俺たちは家族だ。ここは、お前の家なんだから」
その言葉のあと、二人は何も言わず、ただ黙々と毛並みを整え続けた。
――優しい人たちに恵まれている。
ブラシを動かしながら、セツリは静かにそう思った。
ふと、今朝のクララの顔が浮かび、胸の奥がまた少し温かくなる。
夕暮れの光が傾く頃、ヴモーフの毛並みは金色に輝いて見えた。




