第22話 『幼なじみの危機』其の三
朝食を終えたクララとハルカの親子は、片付けもそこそこに籠を抱えて玄関を出た。
中には材料になるであろう草花がぎっしりと詰まっている。
セツリもその後を追いながら尋ねた。
「ねえ、調薬って外でやるものなの?」
クララは足を止め、少し呆れたような表情でセツリを見る。
「そんなわけないでしょ。裏にある調薬用の小屋に行くのよ」
そう言って、抱えていた籠をの胸の前に差し出した。
促されるまま受け取ると、ずしりとした重みが手に伝わる。
「もう、クララったら。ごめんねセツリ君、重たいでしょ」
ハルカが苦笑まじりに言う。
「全然大丈夫です。家の手伝いで慣れてますから」
セツリはそう答え、二人の後ろを歩いていく。
家の裏手には、小さいながらもしっかりとした造りの小屋があった。
分厚い木の壁には粘土のようなものが塗り込まれ、隙間を完全に塞いでいる。
小さな明り取りの窓が一つ、そして革で覆われた重厚な扉。
「なんだか…すごく頑丈そうな小屋だね」
セツリが感嘆の声を漏らすと、クララは悪戯っぽく笑った。
「まぁね。失敗して爆発しても平気なように――ってね。」
驚いたセツリが「中にいたら大丈夫じゃなくない!?」と声を上げると、クララはぺろっと舌を出す。
「ふふっ、ウソ。調薬には“音”が大事なの。外の音が入らないように、こうなってるだけ」
そう言って扉を開けると、ふわりと甘い香りが鼻をくすぐった。
セツリはハルカと顔を見合わせ、言葉もなく続いて中へ入った。
小屋の中は外観とは違い、黒い石の床がひんやりと光を反射している。
空気には草の甘みと、ほんの僅かな金属の香りが混じっていた。
クララは慣れた様子で隅に積まれた草の束から一本を取り、「お母さん、香草燃やしとくね」と言いながら皿の上で火を灯す。
たちまち立ち上る白煙が、細い筋を描いて天井へと昇っていく。
「セツリ君、その籠はそこの机の上に置いてね」
ハルカの声に従い、セツリは木製の机に籠を置いた。
だが、その机の表面は銀のように輝いている。
木なのに金属のような冷たい光沢を放っていた。
「それ、魔銀が塗られてるのよ。調薬に欠かせないの」
クララが説明しながら微笑む。
机の上には杵、薬研、濾し布、銀の杓子、黒い小瓶、まな板、ナイフ、そして空の瓶が整然と並んでいた。
「そこの椅子に座って見てて。ただし、調薬が始まったらお喋り禁止ね」
クララの声は、先ほどまでの軽さを捨てて真剣そのものだった。
ハルカが瓶の水で手を濡らし、草花の位置を微調整する。
「うん、これでいいかな。クララ、基音瓶お願い」
「はい」
返事も凛としていて、母娘というより師弟のような緊張感があった。
クララは机の上の小瓶を選び、指先で軽く叩く。
――澄んだ音が空気を震わせ、部屋の中心に“基音”が置かれた。
ハルカが薬草を刻み始める。
トントン、と木の音が響くたび、薬草から青銀の糸がふわりと立ち上がる。
それは次第に鈴の音へと変わり、クララが花を臼ですり潰すリズムと溶け合った。
すり潰された花が液状になり、器の中で波紋を描く。
クララの呼吸に合わせて波が広がり、その香りがセツリの胸を優しく撫でた。
――安心する。理由もなく、ただ心が静まっていく。
やがて素材が整えられ、二人はそれらを壺に移す。
そこへハルカが指先で掬った水を注ぐ。
水が一滴落ちた瞬間、鈴の音と光のうねりが重なって立ち上がった。
液面には淡い紋様が浮かび、それが安定するようにクララが静かに攪拌を続ける。
うねりは徐々に沈み、最後に紋様が消えると、室内に静寂が戻った。
ハルカは銀の杓子で液体を小瓶に分け、クララが再び基音瓶を鳴らす。
澄んだ音が響いた瞬間、小瓶の口から淡い紋様が吸い込まれ、内側へと収束していく。
タイミングを見計らい、ハルカが手早く蓋を閉めた。
――そして、その工程を何度か繰り返し、すべての小瓶に蓋がされた。
音も光も消えた小屋の中に、ただ余韻の静けさだけが残った。




