17話
「さて──」
身体についた草を払いながら、アルマは静かに立ち上がった。
そのままセツリとクララを見下ろし、穏やかに微笑む。
「随分長居してしまったが、そろそろ戻らないといけないようだね。」
そう言うと、何かを思い出したようにサッシュの内へ手を差し入れ、
金属とも陶器ともつかない光沢をもつ小さなコップを取り出した。
「これは、遠く離れた相手とも連絡が取れる道具だ。
使う場所に制限はないが……万が一を考えれば、この木の下で使うのがいいだろう。」
セツリがそれを受け取ると、クララが横から覗き込みながら首を傾げた。
「なんだか……“糸電話”みたいですね。」
「いとでんわ?」
セツリが不思議そうに聞き返すと、クララははっとしたように口元を押さえた。
「あ……学校の図書館で、そんな名前のものを見た気がして……」
「……ふむ、クララは勤勉だな。古い時代には、そう呼ばれていたこともあるらしい。」
アルマが微笑むと、セツリが横で得意げに言う。
「幼なじみとして鼻が高いよ。」
「もうっ、セツリったら何様なの!」
ぷいと顔を背けるクララ。その様子にアルマは目を細めた。
「片方のコップに向かって、相手の名を呼びながら話しかけると、
もう一方のコップからその声が聞こえる仕組みだ。」
「じゃあ……アルマさんから連絡が来たときは、どうすれば?」
セツリが問うと、アルマは彼の手を取り、コップの口を上に向けてみせた。
「こうしておけば、中から声が聞こえてくる。
重ねて置いておけばかさばらんし、こちらからの連絡を受けない時は──下向きに置いておくのだ。」
説明を終えると、アルマは静かに一歩、二歩と後ろへ下がる。
額のサークレットに指を触れると、背後の空間がわずかに歪み始めた。
そこには光も影も混ざったような、不思議な揺らぎが生まれていく。
「今度こそ──本当にさよならだ。
また機会があれば、きっと会えるだろう。」
セツリの胸が強く締めつけられた。
今日出会ったばかりだというのに、アルマと離れることがなぜかひどく惜しい。
だが、賢者という立場ならば仕方のないこと……それでも。
「アルマさん!」
歪みに足を踏み入れかけたその背中へ、セツリは叫んだ。
「僕のこの力で、この世界の運命を変えられるのなら──変えてみせます!
僕の運命も、クララの運命も……それに、アルマさんの運命だって!
だから……待っていてください!!」
彼の声は、まだ若い喉には似つかわしくないほど真っ直ぐで、痛いほどに強かった。
その叫びに、アルマはしばし呆然と立ち尽くしたが、すぐに柔らかく微笑み、
「……期待しているよ。」
そう言って、光の歪みに一歩を踏み出した。
だが、完全に消える直前、ふと振り返ってクララを見つめる。
「君も気をつけたまえ。──“いとでんわ”は、少し迂闊だったぞ。」
微かにからかうような声音と共に、アルマの姿は完全に光の向こうへ消えた。
あとには、ひと巻きの風が吹き抜け、
古木の枝をわずかに揺らすだけだった。




