16話
セツリとクララは倒れ込んだアルマを抱き起こし、すぐに息を確かめた。
「……クララ、アルマさんはどう?」
賢者とはいえ女性だ。セツリは同じ女性のクララに任せる。
クララが学校で習った通りに脈を測ろうとしたその時、小さな声がかすかに響いた。
「……すまないね。少し、頭を起こしてくれるか。」
クララがそっと背に手を添えて上体を起こす。
その腕の中で、アルマはいつの間にかあの古びた本を手放していた。
代わりにサッシュの内側から小瓶を取り出し、中の液体を一息に飲み干すと、わずかに息をついた。
「この木の前で話したことは、他では口にしないように。ここは少し世界の理の外に閉じ込められた場所になっている。
君たちが何か話したいときは……ここで“逢引”でもするといい。」
冗談めかした声に、クララが真っ赤になり、セツリは顔を逸らしたままため息をつく。
それでも彼は気になって、思わず口を開いた。
「アルマさんは……いつも、こんなことをしているんですか?」
まだ十代の少年から向けられたまっすぐな問いに、アルマは一瞬目を細め、少し遠くを見つめるように語り始めた。
「私の両親は地方の教会の司祭をしていてね。今でこそ確立され始めたが、その当時は第6ギフトの体現者は異端者扱いされ即処刑対象だった。
そんな彼等を匿っていた両親も異端者狩りで殺された。私は逃げるように聖律院で学術を学び、賢者のギフトを授かった」
小さく息を飲むクララ。
アルマは伏せた瞳のまま、ゆっくり続けた。
「……私が“賢者のギフト”を授かって間もない頃――辺境の地に、十五にもならぬ少女が“神託”を受けたという報せが届いた。
派遣された私は、確かにその子の中に“第六のギフト”を見つけたんだ。」
アルマの声は穏やかだったが、その奥には硬い棘のような痛みが滲んでいた。
「その時思ったんだよ。“これは復讐のために与えられた力だ”と。 お前たちの無知がどれだけの命を奪ったのか、無作為にこんな力を与える神に、それを排除しようとする世界に突きつけるための力だと。
彼女のギフトを初めて第6のギフトと定義した。
他のギフトと同じ、”神の理”としてしまえば畏れ多く異端者扱いされまい、そう思っていたがね…。」
だが、アルマは苦笑した。
その目には、深い疲労と後悔が混じっていた。
「……けれど、結局、あの子は救えなかった。
私の留守中、言葉を奪われ、ただの人形のように――死んでいた。」
静寂。風すら止む。
「十にも満たない幼子が“神の理”を語った。
道理の分かる年齢なら、口に出していい事悪いことの判断もついただろうが……。
それだけで、都合の悪い者たちは彼女を消した。
それから私は“異端擁護派”と呼ばれ、肩身の狭い身となった。
だから私は第六のギフトを持つ子らに会い、偽りの理――《理の覆い(アポクリファ)》を施して回った。
本来のギフトを封じ、ただ“普通”に生きるようにと。」
アルマは短く笑ったが、その瞳の奥には諦めきれぬ光が残っていた。
「それでも結局、神の理には逆らえなかった。
魂に刻まれた“本来のギフト”が精神を蝕み、理の通りに生きねばと彼らは壊れていく。
それを識った私は聖律院での”探理派”として彼等を保護するに留まっていたのだ。」
アルマはふと、遠い目をして呟いた。
「聖律院の聖典にはこうある――
“ヴモーフには、ヴモーフの生き方しか許されない”。
つまり、“与えられた理の外に出ることは許されぬ”ということだ。」
「――それでも!」
セツリが食い気味に声を上げた。
その眼差しはまっすぐで、言葉に力があった。
「それでもアルマさんは来てくれたじゃないですか。
こんな辺境まで、なんの得にもならないはずなのに。
僕は……信じます。アルマさんの言う、“運命を変える力”を。」
クララもその手を握りしめ、言葉を続けた。
「わ、わたしはヴモーフなんかじゃありません!
ヴモーフだったとしても――コンキーのように生きてやります!
だから、もうあんな怖いこと……しないでください……!」
「クララ、それは……」とセツリが言いかけると、クララは涙声で言い返した。
「だって……賢者様が、死んじゃうかと思ったんだもん……!」
その言葉に、セツリも何も言えなくなり、ただアルマを見つめる。
二人からの視線に、アルマは少し驚いたような顔をしたあと、ほつれた白金の髪を耳にかけ、嘆息混じりに微笑んだ。
「……わかった。前処しよう。
だが、私はまだそんなに老いぼれではないぞ。」
「さすが、史上最年少の賢者様……!
それなのに、すごく大人っぽくて……」
クララのうっとりした声に、アルマは苦笑して言った。
「大人っぽいか? 君たちと十も違わん。
今年で二十四だ。」
「え、それじ――ぐふっ!!」
セツリの脇腹に、容赦ないクララの肘が突き刺さった。
彼女はにこやかにアルマへ向き直る。
「えぇ!? “九つしか”違わないんですね! 全然見えませんっ!!」
悶絶するセツリを尻目に、クララは心の中で(ふふん、どうせ“それじゃほぼ十じゃないですか”とか言うつもりだったんでしょ)と勝ち誇る。
アルマはそんな二人を見て、ふっと穏やかに微笑んだ。
「……まったく、賑やかで良いことだ。」
風が吹き、黄金の葉が一枚、三人の頭上をひらひらと舞い落ちる。
その光景はまるで、賢者の“偽りの理”の残光が、まだ優しくこの場所を包んでいるようだった。




