【短編】東の王冠 〜我が愛しきオスタークロン〜
彼は多くを語らない。
ただそこにいるだけで、比類なき威厳を放つ。
私の恋人、オスタークロン。
濃厚でまろやかで、そして大理石のように美しい、オーストリア生まれのブルーチーズ。
その名はドイツ語で『東の王冠』を意味する。
日本中のどこを探しても、私ほど彼を正しく理解できる者はいないだろう。
なぜなら私には、彼の声が聞こえるのだから。
今宵も、薄暗い部屋で二人きりの晩餐会が始まる。
グラスに注いだ赤ワインを片手に、私はそっと彼に問いかける。
「ねぇクロン、あなたの故郷ではどんな人々があなたを愛するの?」
すると頭の中に、低く重々しい声が響いた。
『……我が記憶が正しければ、シェーンブルン宮の夜会にて、皇帝陛下が我をいたくお気に召された』
ああ、やっぱりそう。
この高貴な青カビの風味は、選ばれし者のためにこそある。
私はうっとりとしながら、彼の言葉をSNSに綴る。
『今宵も愛しき王は語る、いにしえの宮殿の記憶を #東の王冠 #オスタークロン』
誰にも理解されなくていい。
私だけが、彼の言葉を正しく書き留める唯一の存在なのだから。
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それから数日後。
私の投稿にコメントがついた。
『素敵な投稿ですね! オスタークロンへの愛を感じます』
コメント主のプロフィールを見ると、それは某国大使館の公式アカウントだった。
嘘でしょ!?
国家レベルで、私の活動が認められたの?
……いやまさか、そんなことあるわけない。
イタズラに決まってる。
でもそのアカウントには、公式を示すマークが付いていた。
イタズラにしても、ここまで手の込んだことをするだろうか?
やっぱり、本物……?
真偽を図りかねて私が悩んでいると、そのアカウントから一通のDMが届いた。
『突然のご連絡、失礼いたします。先日投稿されていた内容についてですが、もし差し支えなければ一点だけ。オスタークロンを擬人化した際の正確なキャラクター像は、およそこのようなものになるでしょう』
メッセージは、こう続いていた。
「皇帝ぃ? 知らんなぁ! 俺は昔から腹を空かせた若ぇモンの味方なんだ! 固ぇこと言わねぇで、ビール片手に楽しくやろうぜ!」
……え?
私の脳内で響いていた、荘厳なバリトンボイスが、ノイズとともに消えていく。
代わりに聞こえてきたのは、ビアホールで陽気に騒ぐ、気のいいオヤジのダミ声だった。
私はテーブルの上のオスタークロンを見た。
そしてグラスに残った赤ワインを、ビールジョッキのように一気に煽った。
fin.