第89話 白衣
それから、どのくらい眠ったのだろうか。
扉の開く音で目を覚ますと、長身の猫耳さんが入ってきた。
白衣姿で茶色の革のカバンを抱えて、ボクのそばのテーブルへ歩いてくる。
「お加減はいかがですか?」
「ありがとう……ございます。……ずいぶん楽に……なってきました。」
するとその人はボクにニッコリ笑いかけながら、持って来たカバンをガチャガチャ漁って体温計や血圧計のようなものを取り出し、目の前までやってくる。
おそらく、医師か看護師なのだろう。
「お熱を測りますね。ちょっと失礼しますねー。」
と言いながら、慣れた手つきでスッとボクの懐に手を入れ、体温計を脇に挟む。
そして、ベッド隣の椅子を持ってきてボクの隣りに座り、ササッと血圧計の腕帯を巻いて聴診器を挟み、脈診しながら血圧を測定。
ああ……魔法全盛のこの異世界でも、こういう医療行為ってあるんだねぇと妙に納得しながら、ボクはしばらく目を瞑った。
しばらくすると腕帯が減圧される。
「105の62ですね。大丈夫ですよー。あとお熱は――」
と、サッと体温計を懐から取り出す。
「36.5度ですね。いい感じですよー。」
そしてボクの目を覗き込むような感じでもう一言。
「顔色も良くなってきましたねー。体は動かせますか?」
手を動かしてみると、ダルいながらも何とか布団の外に腕を出すことができた。
「だいぶ……イイと思います。……まだ起き上がれるまででは……なさそうですが。」
「大丈夫ですよー。時間はかかりますから、ゆっくり治していきましょうねー。」
と、ニコッと微笑みかけてくれるネコ耳看護師。
「お水は飲まれますかー?」
「あ……はい、一口……頂きたいです。」
「ちょっとお待ちくださいねー。」
体温計と血圧計をカバンにしまうと、テーブルの上にある水差しからガラスのコップに半分くらい水を注いで持ってきてくれる。
「ありがとう……ございます。」
「いいえー。ゆっくりお飲みくださいねー。」
両手でガラスのコップを支えながら、乾いた喉を潤していく。
そういえば、コッチの世界で水を飲んだことって無かった気がするなぁ。
……その代わり、アルコールは飲み放題だったんだけどね?w
「それでは、栄養剤を注射しておきますねー。」
と、注射器セットと薬のアンプルをカバンの中から取り出し、金属のトレイに乗せてベッドの上へ運んでくる看護師さん。
アンプル頭部を軽く指で弾きながら薬液を落とし、頸部でパチンと折って開封。
慣れた手つきで、注射器で薬液を吸い上げ、針を上に向けトントンと弾き、そしてピストンを押し空気を抜いている。
アルコールの匂いがする脱脂綿でボクの腕を軽く拭き、にこやかな笑顔で――
「じゃ、始めますね。軽くチクッとしますよー。」
片手でしっかりとボクの腕をつかむ看護師。
再度ピストンを軽く押すと、わずかに薬液が針先から漏れ出てくる。
ふと、手元に置いてある金属のトレイに転がった、真っ二つに折れたアンプルが目に止まる。
そのラベルを何気なく見ると、『フェンタニル』(※1)と書いてある。
……ん?
……何の薬剤だったっけ?
どこかで聞いたことがあるような??
「……あの……フェンタニルって……何でしたっけ?」
ボクの腕をつかむ手が、わずかにビクッと震える。
看護師は目を見開いてボクを凝視する。
「ええ、とても楽になるお薬ですよー。」
ネコ耳の看護師は、ボクを見つめながらそう答えた。
……そう、妙にギラギラした目で。
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※1 違法薬物の一つとして有名になりすぎた感があるが、医療現場において正規製品を正しく使えば非常に有効な鎮痛薬。いまや現場では無くてはならない薬剤といわれている。




