第86話 飛翔
後ろを振り返ると、もう既に廊下は火の海。
火の粉が降り注ぎ、ボクの髪をジリっと焦がす。
そしてあっという間に、炎はついに部屋の中に侵入してきた。
せめて扉だけでも閉めておいたのであれば、もう数分の余裕くらいは出来ていたのかもしれない。
もっとも……その余裕があろうとも、この状況が好転するとは思えないのだけど。
もはや、猶予はない。
もう……飛ぶしかないのか?
「ワシが先に行くから、よう見ちょれよ!」
そう言うとスカウトタヌキは窓枠に手を掛け、勢いをつけ窓枠に飛び乗る。
――その瞬間、なぜかボクには時が止まったかのように見える。
漆黒の宵闇の中、遠くから雷鳴が聞こえたかと思うと、ピカっと稲光が光り、分厚く黒い雲の隙間を一瞬輝かせる。
タヌスカウトさんが飛ぼうと腰を浮かしたその時、天空から眩い光がストンと落ちてきた。
「わ?!」
「ん!?」
あまりの眩しさに手をかざすと、突然全身から力が抜け出していくような、何とも言えない不思議な感覚がボクを襲う。
すると、目の前の街路樹が強烈な破裂音と共にバチンと弾け、ドンと強い圧力でボクたちを部屋に押し戻した。
一体何だ? 何が起こった?
そして、次の瞬間――
まるで建物ごと滝壺に落ちたような、夥しい量の豪雨に包み込まれる。
その水圧で屋根は紙のように破られ、大量の水が濁流の如く流れ込んできたのだ。
それこそボクたちが、危うく溺れてしまわんばかりの水量……。
もちろん、龍のように暴れ狂っていた炎など、あっという間に消え去ってしまった。
「…………。」
「…………。」
余りの出来事に、二人ともしばし呆然。
「コレって…………。」
「助かった……のか?」
水浸しの床から、シーツを引っぺがされたベッドに這い上がる2人。
もちろん……自分たちも、ベッド自体もぐしょ濡れなのではあるが。
ああ、ひどく眩暈がするような……。
気が抜けてしまったのか、途端にドッと疲れが押し寄せてくる。
だんだんまぶたが重くなってきて、意識を持っていかれそうになったその時、窓から大きな塊が飛び込んで来た。
「ああ良かった!間に合ったわ!」
その塊はそう言うと、ボクを抱きすくめる。
どこかで聞いた、優しい声。
「タマキさん、ホントに無事で良かった……。」
聞き覚えのある声の主は……母ネコさん。
遠く離れたネコの村にいるはずなのに、なぜ……ここに?
「『魔法の糸』がぷつりと途切れたの。だから私、嫌な予感がして……飛んできたのよ?」
そう言いながら、濡れたボクの髪を撫でてくれている。
「飛んできた、って言ったって……」
あんなトコから……どんなに急いだって、あの『魔導馬車』でだって1時間以上は掛かったのに?
ドンだけ健脚なんだよ?!
もしかして……『メロス』並みのスプリンターなのか?(※1)
「うふふ? コレがあればそんなの一瞬よ?」
手に持ったホウキでトンと床を打ち鳴らすと、母ネコさんは何でもないことのように微笑んだ。
ああ……そっち?
ホントに何でもアリなのね……。
その笑みの裏に潜む、彼女の『魔力』に背筋がぞくりとしたものの、安堵と疲労に押し潰され、ボクはそのまま意識を手放していく。
ボクが深い眠りに落ちる瞬間、優しい声が囁いた。
「大丈夫よ。あなたはまだ……導かれているのだからね……。」
――――――――――
※1 太宰治の『走れメロス』には「少しずつ沈んでいく太陽の、十倍も早く走った」という比喩表現がある。が、それをマトモに取ると時速14,000〜17,000キロ……マッハ12〜14程度か? うん、そこはせめて3倍くらいにしようか……w




