妖精のお礼
秋晴れの良い天気。高校生になった裕美は、両親と高原にある別荘に向かっていた。別荘は、登山が好きだった祖父が残したもので、別荘、といっても、山小屋のようなログハウスだった。裕美の父は、誕生日をそこで過ごすのが子供のころから毎年の習慣になっていた。今年はちょうど、父の五十歳の誕生日を明日に控えていた。母とは一回りも年が離れていて、のんびりとして落ち着いた、どこか少女のような雰囲気を残す母とは、年以上に離れて見られることもあった。
星を見るのが好きな裕美は、美しい星空が見られる高原の別荘に行くのは毎年楽しみだった。
父が運転する4WDが、白樺の茂る林を抜けて進む。
「あれ、なにかしら?」
助手席の裕美が、前方の道に横たわる、倒木か、岩のようなものを見つけた。
車が近づいて、降りてみると、それは、石像だった。
「これ、泉のところにあった石像じゃない?」
泉というのは、別荘地の水源にもなっている湧き水のことで、円形の水盤の底から清水がこんこんと湧き出していた。その傍らに、何時建てられたのか、胸の前で腕を組んで祈るような古い少女の石像があった。意匠からして西洋風なので、大昔というほど古くはないだろうが、百年以上は前のものだと言われていた。皆、その見た目から、妖精の像、と呼んでいて、泉の名前も妖精の泉、と呼ばれるようになっていた。
「酷いことをするやつがいるな」
石像はところどころ傷がついていたが、大きく欠けたりはしていないようだった。
裕美は、父を手伝って、車の後ろに乗せた。
車は別荘に向かう前に、一度泉に寄って、石像を元に戻すことにした。
別荘地を離れて、山の方に向かうと、次第に霧が深くなっていった。ライトを付けて、ようやく泉の傍らに着いた時には、あたり一面霧に包まれていた。
「こりゃまいったな。帰りは晴れるまでまとうか」
その間に、車から降ろした石像を、石像が置かれていた、台座の上に戻した。
「石像をあんなところに放り投げておくなんて、酷いことをするのね」
裕美は憤慨して言った。
「まあ、昔からちょくちょく悪戯はされていたからな。こう、酷いことはなかったと思うけど。父さんも友達といたずら書きくらいはしたことがあったな」
「ええ。酷い」
「木の実でちょっと顔に〇とか書いたくらいだよ」
裕美に睨まれて、父は、弁解がましく言った。
「あら、霧が晴れてきたわね」
母が言うと、すうっと、泉の上に陽が差した。そこだけスポットライトがあたったようだった。
『悪戯されて、遠い所へ運ばれて困っていました。親切なご家族ですね。助けていただいてありがとうございます』
どこからか、柔らかい女性の声。頭の中に響くようだった。
――え、妖精の声?
裕美が驚いていると、父と母にも聞こえているのか、驚いた表情で妖精の石像を見ている。
『お礼に、一つだけ、皆さんの未来について、お教えします』
妖精がそう言った。
「未来って……。えー、何がいいんだろ?」
「私は、健康で過ごせるかどうか知りたいわねぇ」
母がそう言った。
『わかりました。私が視ることが出来る未来は、その人が五十歳になるまでです。ご家族の皆さんは、それぞれ死ぬこともなく、大きな怪我も病気になることもなく、健やかに過ごすことでしょう。それでは、さようなら……』
妖精の声は次第に小さくなり、消えていった。すると、綺麗に霧も晴れ上がった。
「五十歳まで、元気で過ごせるんだって、良かったね、お母さん」
裕美が母に向かって言った。
「あらまあ、そうねえ……」
二人はそう言って、顔を見合わせて笑いあい、ふと気が付いて振り返った。振り返った先には、憮然とした表情の父の姿があった。