念伍の悔い
念伍と水犬の戦いが始まる前日の夜
船の汽笛、波の音、怯える声、流れる液体、魂が手元から地面に落ち、怒り…焦り…愕然とする仲間達、助けようとした手が、預けたはずの命が…、こんな形で戻ってきた。
「この命…仲間のために……」
あの時の誓いの言葉が今では呪いの言葉。
「この刀でどんな窮地でも救います」
折れずに残った木刀は思念の固まりに。
「これにて……は解散とし、一市民として生活するように」
もう自分の倒れる場所はなくなり。
「ありがとよ、これで俺達もただの一市民として生活できる、もっとおまえが強ければ上に昇れたのによ」
怒りの言葉を返せない自分、それを言い過ぎだとかばってくれる友、だが。
「おお!でたなこのお人好し、だったら今度はお前と戦ってやろうか?おおと、もう俺達は一市民だった、誰かさんが守りきれなかったから……」
木刀を握り締めて我慢していたが、かばっていた友がその大きな拳で一発殴っていた。
「もういいだろ……それ以上は…」
地面に倒れた友はやり場のない怒りを拳にのせて何度も何度もコンクリートの地面を殴った。
「ああぁ!どうして!どうしてこうなったんだ!」
友は立ち上がり近くにあった木の枝で壁を叩き、投げてはまた拾っては叩きを繰り返し、少しは落ちついたのか自分の持ってきたアタッシュケースを持ち上げると、こっちに向けて投げた、しかしあっさりとキャッチされてようやく止まった。
「……もう、そのケースを使う機会もなくなった、滑稽だな、お前の木刀と一緒だ、そうだろ……念伍!!」
寺の中で寝ていた念伍は飛び起きた。
「……ハァ、またあの時の…」
滑稽だな、お前の木刀と一緒だ。
あの時の言葉がまだ頭に残っている。
「そうだな、一緒…だったな……」
寺から出ると空が少し明るくなっていた。
押し付けがましい願い毎であの水の物の怪を傷つけている。
「しかし、もう少しだ」
水の物の怪のおかげですっかりボロボロになった木刀を見つめる念伍。
「コレが折れたとき、拙僧は新たな道と刀を手に取り歩むことが出来るのだ」
そして、その時が今こようとしている。
念伍はただ待ち続ける、門が開くその時を。
アパート近くのゴミ捨て場、ゴミの回収は今日の夜だが朝から騒がしかったその訳は。
『トウッ』
水犬がゴミ箱を荒らして缶を見つけては高く放り投げて、壁に向かって走り、壁に飛び込んでからの壁を使ったジャンプ、放り投げた缶に爪をたてた前脚で缶を切り裂こうとしていた、そのたびに叩きつけられる缶の音が寝ていた総統を起こして。
「水犬!!何やってるの、ご近所に迷惑でしょ」
と言われ、すぐにアパート内に連れて行かれた。
その日の朝食後……
「水犬、行くよ」
アラネとの屋根競争、いつものように五分五分の走りだったが。
「これじゃあきりがない……そうだ!あの道を使おう」
アラネは進行方向を大きく変え、それに水犬もついて行った。
「あれ…ついてきちゃった?なら今日もあたしの勝ちね」
ある程度走った先に大きな二車線道路が、アラネはいつものように二車線の中央に植えられている木に糸を巻いて難無く向こう側え飛び移った。
飛び移ったアラネは足を止めて水犬に勝利宣言をしようと向こう側にいるであろう水犬に話しかけた。
「残念ね、今日もあたしの勝ち…」
ところが水犬は向こう側にいるどころかアラネを抜き去っていた。
「え…嘘…どうやってここまで、あの幅は水犬の脚力だけじゃ飛び越えれないしそれにあたしと同じぐらいの時間でたどり着いたの!?…待ちなさい、水犬!教えなさいどうやってこっち側にきたのかを…聞こえてる」
アラネの声が聞こえるが頭の中には先程の技を念伍寺のどこで出来るかのシミュレーションをしていた。
『あの技をするには壁と相手の距離が短くも長くもない距離、でも念伍は常に庭の真ん中に立ってるから、どうしようか…』
水犬はアラネとの競争を忘れ、そのまま念伍寺に向かってしまった。
置いてかれたアラネは最近の水犬を心配していた、あの闘争心、妙な執着、朝の水犬らしくない行動。
「何かあったのかな……」
アラネは足を止めて水犬の走っていった方向を心配そうに見た。
競争をほっぽりだした水犬は念伍寺の門の前に到着した。
『今までの僕はがむしゃらに攻撃してたけど今日からは違う』
門を開けると念伍は待ちわびた顔で戦闘態勢に入っていた。
「なにも語らない、なにも教えない、なにも拒みはしない、五つの念を体に巡らせ、今こそ悪霊対峙と参ろうか」
両者一歩も動かずに眼で火花を散らしている、風も鳥の鳴き声も聞こえない止まっているように思えてしまうほど静かで真剣な睨み合い。
水犬と念伍が睨み合っていると、風も吹いていないのに一本の木の枝が揺れ動いた、その拍子に葉っぱが落ちて、砂利の上に落ちた、それを合図に水犬が突っ込む。
「まだそんな無鉄砲な突撃を繰り返すのか、それでは拙僧に勝てんぞ」
念伍の間合いに入った水犬を居合い切りで切り捨てようとした念伍だったが、水犬は間合いに入ったと同時に真横に移動、木刀を抜いた念伍にすかさずわき腹を狙い特攻、間一髪でわき腹を防いだ念伍は立て直しをするためにいつもの場所から寺の端に移動した。
「フェイントを入れるとは、いつも無鉄砲な突撃だと思い込んでいた拙僧の過ちだな、考えたな水の物の怪」
その後も突撃とフェイントを入り混ぜた水犬お得意のスピード戦法で念伍を攻めるが、フェイント対策に突撃してきたら一歩後ろに下がり間合いから遠くなった水犬が横にずれるかそのまま飛び込んでくるのかのパターンの見極める時間を稼ぐために一歩後ろに下がることにした念伍、この念伍の行動で優勢になっていた水犬だったが次第に行動が遅くなっていく。
「どうした、フェイントの動作にキレがなくなってきたぞ」
その言葉に反応した水犬は姿勢を低くして念伍に急接近、居合いの態勢に入った念伍、好機と思った水犬はギリギリまで走ってから切り替えようと考え、間合いの手前で切り替えようとした、その時。
水犬の爪の先にあった念伍の間合いが爪先を越えて、水犬の全身を捕らえた。
「こう言えば必ず入れてくるとふんでいた、フェイントのせいでスピードを殺してしまった今のお主は……」
念伍の渾身の居合い切りが炸裂、水犬の胴体が真っ二つになる勢いで辺りに体の水が飛び散る。
「止まった的でしかない」
よろよろと歩く水犬、倒れないように必死に立っているが、顔が上がらない、声が唸ることが出来ない。
念伍は水犬の行動を予想して一歩後ろに下がらずに前に出てきた、その結果前に出た分間合いが詰まり水犬はきられた。
切られた部分から水が垂れる、倒れたくない思いが強く残った水犬は立ったまま目を閉じてしまった。