第28話 ラディル、親友を殴る!
半年余りで目に見えてやつれたアレス。
その原因は過労や病気ではなく毒であり、黒幕にいる可能性が高いのは国王ゴードウィン。
何かの間違いだと、ラディルは思いたかった。
だが、同時に「あの国王ならやりそう」「やってもおかしくない」と合点がいってしまう。
国王にとって勇者アレスは国を盛り立てる上で必要な人材だが、それ以上に邪魔な存在でもあったのだ。
サーナは顎に手を当てながら、自分の推測を話す。彼女の父を思い起こさせる仕草だ。
「国王はアレスさんを使えるだけ使って、出来る限りそこから出る甘い汁を吸ってから、最後には死んでもらうつもりだったんだと思う。このまま毒で弱らせるか、あるいは弱ったところを狙うか、のどちらかで。死因は魔王との戦いでの後遺症、だなんて発表すれば悲劇性も増すしね。さらに言うとラディルを追放したのは、その時障害になりそうだからってのもあるんじゃないかな」
ラディルは奥歯を噛み締め、憤る。
「くそっ!」
ベリネも眉をひそめている。
領主エドロード、そして国王ゴードウィンは、邪魔者を容赦なく排除しつつ、なおかつ自分は悪者にならないよう立ち回っている。そうした人間を理解しきれず、困惑している。
しかし、当のアレスは表情を変えていない。
ラディルはその顔を見て、何かを察する。
「アレス?」
「……」
「お前まさか……食い物に毒を盛られてるのを知ってたんじゃねえだろうな!?」
「……」
アレスは答えない。
ラディルは肯定と捉えた。
「なんでだよ!? 毒盛られてるのを知ってて、なんでみすみすっ……!」
興奮しすぎて、声がちゃんと出ていない。
一方のアレスは極めて冷静に話し始める。
「陛下が私を疎んじていることは分かっていた。毒のことも、すぐに気づいた。それとなく調べたら、陛下がやらせていることも、すぐに判明した」
アレスは知っていた。
主君が、自分に毒を盛っていることを。
「だが、私は使命を果たせば、陛下は必ず私に心を開いて下さると信じていた。そのために、この半年間、私なりに一生懸命働いた」
勇者アレスの活躍は、旅人などを通じ、辺境にいるラディルたちにも届いた。
ラディルが“勇者”としてがむしゃらに努力したように、彼もまた“勇者”としての努力を惜しまなかった。
「しかし、残念ながら陛下の私に対する評価は変わらなかったようだ。これはもう、私の落ち度というしかない。私は甘んじて毒を受け入れることにした。だから……お前と会うのも今回が最後となるだろう。お前が“勇者”となってくれて本当に嬉しかった。これでもう私に思い残すことはない……」
死を覚悟し、穏やかな笑みを浮かべるアレス。
優美ではあるが、死相が漂うとはまさにこういう面持ちを言うのだろう。
これを見てラディルはゆっくりと立ち上がった。
「なるほどな。お前は国と国王に忠誠を誓っていた。たとえ向こうに裏切られたとしても、最後まで国に仕え、勇者としての責務を全うしたいってか。実に立派な心掛けだ」
ラディルがアレスに近づく。
小さく笑むと、親友を称える。
「俺は親友として、お前の生き方を心から尊敬するし、支持するよ」
「ありがとう……」
ラディルの目つきが変わる。
「……ってそんなわけねえだろうが!!!」
ラディルの右拳が、アレスの顔面にめり込み、そのまま体ごと吹き飛ばした。
アレスの体が壁に叩きつけられる。
家全体が揺れるほどの衝撃だった。
「ちょっとラディル!?」
「何をしている!?」
いきなりの鉄拳制裁。
サーナとベリネは驚き、セネックは青ざめている。
ラディルは怒りに満ちた眼光をアレスに向ける。
「お前……なんで……」
「ラディル……」
アレスの左頬が大きく腫れ上がる。
ラディルは必死になって、自分の言葉を発しようとする。
「お前は……すげえよ。平和のために、魔王を倒して……。国のために働いて……俺が追放される時も……俺のために、怒ってくれた。今も、国王のために、自分は死んでもいいと思ってる……」
アレスは黙って聞いている。
「だけどさ、“お前”はどこにいるんだよ? お前の人生はどこにあるんだよ!? こんな他人のことばかり考える人生で、本当に満足か!?」
アレスはうつむいたままだ。
「お前は……“勇者”じゃねえ!」
「……!」
「お前がホントに勇者だったら、悪いことしてる国王に立ち向かう勇気も持ってるはずだぁ! だからお前は勇者じゃねえ!」
すると、ラディルの目から――
「ラディル……!」
大粒の涙がこぼれ、アレスもショックを受ける。
「だから……頼む! “勇者”になってくれ! 俺はお前に死んで欲しくねえ……! 頼む……頼む……頼むぅ……」
両膝と両手をつき、うなだれるラディル。嗚咽まで漏らす。
アレスもこんなラディルを見るのは初めてだった。
修行がどんなに辛くても、魔族がどんなに強くても、たとえ国王に追放されても、ラディルはいつもの調子だった。いつもの調子で笑っていた。
生真面目なアレスにとって、それがどれだけ羨ましく、救いになったことか。
そんな彼が初めて見せる涙であった。
誰も言葉を発せずにいたが――
「アレスさん」
サーナだった。
「ラディルの言う通りだよ。あなたがこのまま死んだところで、王は反省しないし、この国だってよくはならない。本当に王国のことを思うなら、あなたは死んじゃいけない」
そして、アレスを指差す。
「もし、このまま安易に死を選ぶなら、ラディルの相棒としてあたしはあなたを許さない。墓石にツバ吐いてやるんだから」
頬を腫らした顔で、アレスがふっと笑う。
「さすがはラディルの相棒……はっきり言ってくれる」
先ほどまでは死んでいた目に光が宿る。
「その通りだ……私は“勇者”ではなかった……。自分にもやりたいことはあるのに、それから目を逸らし、国や王のために働く自分を演じ、逃げていたんだ……。その方が楽な生き方でもあるからな……。だが、私はやっと自分の気持ちに気づいた。もしも、まだ間に合うなら、まだ出来ることがあるなら……」
アレスは顔を上げる。
「私は今度こそ……“勇者”になりたい!」
ラディルの顔がぱぁっと明るくなる。
「アレス……!」
「ラディル、今のは効いたよ」
アレスが殴られた頬をさする。
「わりぃ、本気で殴っちまって……」
「だが、その後のサーナの言葉の方が効いたよ。いい相棒を持ったな」
「俺には過ぎた相棒だよ」
「私も自分の墓にツバを吐かれるのはゴメンだ。花を手向けられるような生き方をしたい」
サーナは笑い、ベリネも見守るような笑みを見せる。
アレスがセネックの方を向く。
「セネック君」
「は、はいっ!」
「私はどのぐらい蝕まれている? どのぐらい生きられる?」
セネックはすぐに答える。
「もし、このままのペースで毒を盛られていたら一年……といったところでしょう」
「では、このままなら?」
「内臓にダメージがありますので、十年生きれるか……というところではないかと」
再び場の空気が重くなる。
アレスの体が毒に蝕まれていることに変わりはない。
しかし、アレスは奮起する。
「元々は命をかけて魔王を倒そうとした身だ! それだけ生きられれば十分だ!」
「ああ、そうだ! アレス! その意気だ!」
ラディルも続く。
すると――
「あのぉ……」とセネック。
「なんだよ、セネック?」
ラディルが今いいところだったのに、という顔をする。
「今言ったのは毒を蓄積したままだったら、という話であって……要は毒を抜ければいいんですよね?」
「そりゃそうだけど……一度体内に入っちまった毒を抜くなんて……」
「出来ますよ、僕」
「へ?」
セネックがあまりにあっさり言うので、ラディルは呆気に取られる。
「僕が飼ってる虫には体内の毒を抜けるやつもいるんです。もちろん、毒の種類にもよりますが……アレスさんが蝕まれている毒は抜ける類のものだと思います」
別に誇るでもなく、淡々としているセネック。
呆然としていたラディルだが、すぐに顔を歓喜に変える。
「さすがセネック! 村一つ滅ぼしかけただけのことはある!」
「滅ぼすつもりはなかったですよ!」
「とにかく、さっそくアレスを治療してやってくれ!」
「分かりました!」
セネックは一度自宅に戻ると、“ドクスイビル”という蛭を大量に持ってきた。
薄い紫色で、一匹一匹が人差し指ほどの大きさをしている。
アレスを半裸にすると、体の至る部分に蛭を張り付けていく。
「こんなので、本当に大丈夫なの?」
サーナは顔を引きつらせる。
「ええ、大丈夫。美味しそうに吸ってますよ」
うっとりと笑うセネックはどこか楽しそうだ。
本当に虫が好きで、自分の虫が役に立つことが嬉しいのが分かる。
大量の蛭に顔をしかめつつ、サーナはアレスに尋ねる。
「アレスさんは大丈夫なの? そういうの」
「得意ではないが……魔王を倒した身からすれば、どうってことはない。なぁ、ラディル?」
「いや、俺は苦手なんだけど」
「え……」
ラディルに即否定され、アレスが唖然とする。
「ベリネちゃんは?」
「魔界には私より大きい虫も沢山いたからな。この程度の虫は可愛いものだ」
「ひええ~」
人間よりも巨大な蛭を想像し、サーナが青ざめる。
「よく吸ってくれるなぁ。さすが僕が育てた蛭だ!」
セネックはなぜか興奮している。
「お前、やっぱり本性は危ない奴なんじゃ……」
ラディルに指摘され、慌てて否定するセネック。
家の中に笑い声が響く。
一時間ほど吸わせ、セネックが全ての蛭を回収する。
「完璧……とは言えませんが、だいぶ毒は抜けたはずです。いかがですか?」
アレスは腕をぐるぐると動かす。
「うん、いくらか体が軽くなった。体内にあった重しが取れたような気分だ。今ならラディルにも勝てそうだよ」
「いや、はえーよ。病み上がりに負けたら、さすがに俺の立場がねーわ」
すかさずラディルがツッコミを入れる。
セネックによると毒で受けた肉体のダメージは大きく、体力を戻すには数ヶ月はかかるとのことだった。
しかし、アレスからはそんな弱みは感じられない。体の回復はこれからだが、心は十分回復している。
サーナがにこやかに笑う。
「アレスさんが元気になったら、場の空気も明るくなったね。ここらへんがやっぱりラディルとは違うんだろうねー」
「おい、サーナ。ますます俺の立場が……!」
ラディルはがっくりしてしまう。
しかし、嬉しかった。
死を選ぼうとしていた親友を立ち直らせることができたことが――




