第13話 魔王の娘ベリネ
来客の少女は魔王の娘だった。
ベリネは爪を見せつけるような構えを取り、殺気をあらわにする。
「行くぞ、勇者!」
「ま、待てって!」
「はあああっ!」
ベリネが突っかけ、爪を振りかざす。
ラディルはソファを持ち上げ盾にするが、あっさり切り裂かれる。
布から中の綿が飛び出てきた。
これが体にヒットしていればどうなるか、容易に想像できてしまう。
「……!」
「勝負しろ、勇者!」
仕掛けられたら応じるしかない。ラディルは剣を中段に構える。
「父親の仇討ちってわけか!?」
「さぁな。答える必要はない」
再びベリネが飛びかかる。
ベリネの爪攻撃が、幾度もラディルを襲う。ラディルも紙一重でかわし続ける。
「よくかわすが、この狭い中でいつまで避けられる!?」
ベリネのフックに似た軌道の一撃で、ラディルの頬に傷ができる。
「くっ!」
「流石だな、勇者。今ので決めるつもりだったが」
ベリネはサーナを一瞬見ると、フットワークを駆使し、彼女から離れる。サーナもそれに気づいた。
「さあ、まだまだ行くぞ!」
ベリネの猛攻。彼女の爪は、指一つ一つに鋭い刃物がついているといっていい。
ラディルはどうにか剣で受け続けるが、防戦一方だ。
「どうした! 魔王を倒した実力はそんなものか!?」
「くそぁっ!」
ラディルはベリネの左脇腹に蹴りを入れる。ドフッという音が鳴った。
ベリネが吹き飛ぶが、難なく着地し、ニヤリと笑う。
魔族は肉体的には人間より遥かに強靭である。武器による攻撃でないとダメージを与えるのは厳しい。
「魔光爪!」
ベリネの長く鋭い爪が光を帯びる。爪に魔族の力の源――“魔力”を帯びさせ、より強靭となった。
そこから繰り出される一撃で、今度はラディルの足に傷がついた。
ベリネが押しているが、その顔に喜びはない。
「ふん……どうやらやる気が出ないようだな」
明らかに全力を出していないラディルに対し、不満を抱く。
「……まあな。俺はなんつうか、悪い奴かどうかよく分からん奴と戦うのが苦手なんだよ」
ラディルは正直に答える。
ベリネはそれを鼻で笑う。
「だったら教えてやろう。お前が倒したロックビースト……巨大化させたのは私だ!」
「……!」
ラディルの目つきが変わる。
「あれはお前が……。だったら放っておけないな」
鋭い踏み込みから、一気にベリネへ斬りつける。
「ぐっ……!?」
ベリネの頬が斬れ、赤い血が噴き出した。魔族も血の色は人と同じ。
反応したのに避け切れなかった……。
ベリネの中に“敗北”の二文字がよぎる。
同時に“死”という文字も――
「魔王の娘ベリネ、こっからは手加減しない。覚悟しろ」
ラディルが改めて剣の切っ先をベリネに向け――正眼に構える。
雰囲気が一変し、“本気モード”という様相だ。
「それでこそ勇者だ!」
汗を滲ませつつ、ベリネも両手を前に突き出す構えを見せる。
鋭い爪を攻撃にも防御にも生かすことができる。
次の激突で決着か――その時だった。
「待って!」
サーナが叫んだ。
「サーナ……?」
「ラディル、ちょっと待って。あたしの考えだとこのベリネっていう人、悪い人じゃないと思う」
「私は人じゃなく魔族だ!」
「そんなことはどうでもいいから」
サーナはベリネをあっさり黙らせる。
「こいつが悪い人じゃないってなんでそんなこと分かるんだ?」
サーナはベリネに顔を向ける。
「ベリネさん」
「な、なんだ」
「あなたさっきこう言ったよね? 『どんな手を使っても貴様を倒す』って」
ベリネは自分の言葉を思い出してからうなずく。
「ああ、言ったがそれがどうした?」
「ここでラディルに問題です」
「へ?」
きょとんとするラディル。
「彼女が本当に手段を選ばなかったら、とっくに取っているはずの手段を、彼女は未だに取っていません。それはなんでしょう?」
「え、いきなりクイズ……?」
戦闘の最中にクイズを出され、ラディルは戸惑う。
俺、クイズの系統は苦手なんだけど……と思いつつ、考える。
「今あたしたちがいる部屋にヒントはあるよ!」
「マジで?」
ラディルがきょろきょろすると、ワインの空き瓶が床に転がっていた。
昨夜彼が飲んだボトルである。
「分かった! 俺を酔わせて、その隙に襲う!」
「ブブー! 回りくどすぎるよ! 時間もかかるし!」
外れだった。
ラディルは「もう一度チャンスをくれ」と、部屋を見回す。
二人の戦いのせいで、皿が床に落ちている。
「俺を料理して、皿に盛りつけて食う!」
「ブブー! 真面目に考えてよ!」
真面目に考えたんだけど……。自分の“真面目”は、サーナにとっては“ふざけ”に過ぎないことにショックを受ける。
呆れたサーナが正解を言う。
「正解は“あたしを人質に取る”でしたー!」
「あっ……!」
ラディルはハッとする。
確かにそうだ。
もしサーナを人質に取られたら、ラディルはサーナの命を優先するし、そうなると戦いはかなり厳しくなる。
なのに、サーナは未だに無事である。ベリネは狙う素振りすら見せていない。
「ねえ、ベリネさん。なんであたしを人質にしなかったの?」
サーナが尋ねる。
「誇り高き魔王の娘であるこの私がそんなことできるかぁ!」
ベリネは顔をしかめて、怒鳴り返す。
「でも、どんな手段でも使うんでしょ? あれは嘘だったの?」
「いや、嘘ではないが……」
「あたしを人質にすればラディルに勝てるかもよ?」
「勝てるかもしれぬが……」
「なら、あたしを人質にしてよ。ね? ね? ね?」
サーナが上目遣いでベリネににじり寄っていく。
オモチャをねだる子供のように。
「危ないぞ! そいつは魔族なんだ!」ラディルが叫ぶ。
「大丈夫だよ。だってこの人、さっきからあたしのこと、ずっとチラチラ見てたもん。心配そうな眼差しで」
ベリネは戦いの最中、サーナがどの位置にいるかを常にチェックしていた。
それはもちろんラディルも同じことをしていたが、もしベリネがラディルを倒すのならば、そんなことをする必要はどこにもない。
むしろ積極的にサーナを狙うべきだった。
「くっ……!」
ベリネがサーナを狙えば、それだけで非常に有利になる。
なのに、それができない。
サーナはベリネが“そういう魔族”なのだと察していた。
「お願い! 一度戦うのをやめて! あたしたちと色々話そうよ! それでも戦うんだったら……その時は戦えばいいじゃない!」
サーナの訴えにベリネは両手を下ろす。爪に帯びていた光も消えた。
それはそのまま彼女の戦意が喪失したことを示していた。
「分かった……そうしよう」
ラディルはサーナに感心した。
自分だったら、この場を収めるにはもうベリネを倒すしかなかっただろう。
ベリネは手強く、加減できる相手ではないし、ラディルは剣以外の解決方法は苦手だからだ。
倒したとして、残されたベリネの亡骸はどこか後味の悪さのようなものを生んだはず。
しかしサーナは、ベリネの性質を冷静に見極め、戦いをやめさせた。
この少女が相棒になってくれたことに、改めて感謝するラディルだった。
戦いで荒れたリビングを片付け、三人で椅子に座る。
そして、ベリネの事情を聞くことになった。
***
「私は……父から魔界を追放されたのだ」
「追放!?」
ベリネの言葉にラディルとサーナは同時に声を発した。
金髪碧眼の仮の姿になったベリネは、コクリとうなずく。
「魔王の後継者に相応しくない、という理由でな」
「相応しくないってのは、どこらへんが?」とラディル。
「さあな。私が女だからか、実力が足りないからか……とにかく魔界に居場所がなくなったのは確かだ」
追放されたベリネは人里を避け、自然の中でひっそりと暮らしていたという。
上級魔族である彼女は魔物を従わせる力もあるし、不自由はなかったそうだ。
その後、魔王はエラド王国侵攻を企てる。
ベリネは今更魔王軍には戻れないし、人間側につくこともせず、その戦いを傍観していた。
しかし、ベリネは確信していた。
人間では父を倒せない。魔王軍が勝つ、と……。
魔王軍がエラドを制圧したら、棲み家を変えねばな、と考えていたという。
だが、奇跡が起こった。
“勇者”が魔王を倒したというのだ。
ベリネは驚いた。
まさか、人間があの強く恐ろしい父を倒せるとは――
そして、ベリネも挑戦してみたくなった。
魔王の血を継ぐ者として、父を倒した“勇者”に。
「とりあえず事情は分かった。別に仇討ちしたいわけじゃなかったのか」
ラディルが腕組みしながら言う。
「自分を追放した父の仇など討とうとは思わない。倒されたのも父の自業自得だしな」
「それで、ベリネさんはこれからどうするの?」
サーナの問いにベリネは黙り込む。
「また俺に挑戦するのか?」
そんなつもりはなくなった、という風にベリネは首を振る。
先ほどまでは“魔王の娘として勇者に挑む”というモチベーションで一杯だったが、一度交戦し、自分の生い立ちを話したらすっかり冷静になったようだ。
ここでラディルを倒しても、得るものは何もないと気づいてしまった。
「じゃあ、魔界に戻るの?」
「いや、それは無理だろうな」
ベリネが答えるより早くラディルが否定する。
「どうして?」
「魔族ってのは人間以上に“力”を重視する。一度追放された奴を迎え入れる優しさなんて持ち合わせちゃいない。もしベリネが魔界に戻るなら、魔王以上の実力を身につけて、奴らを強引に従わせるしかないが……さっきやり合って分かった。ベリネは確かに強いが、魔族の中じゃせいぜい“上の下”レベルってところだ。戻っても、悲惨な運命だろう」
ラディルの分析は的を射ていたようで、ベリネはなんら反論をしない。
黙ってうつむいている。
そんな彼女にサーナが言った。
「ねえ……ここに住んでみない?」
ベリネが顔を上げる。
「もちろん、ラディルが許可してくれたら、だけど」
すると、ラディルも――
「ちょうど俺もそれを言い出そうとしてたところだ」
ニヤリと笑う。
「サーナを人質にしなかったってところで、なんかお前のこと気に入ったよ。よかったらここで暮らさないか?」
ベリネは目を背ける。
「しかし、私は魔王の娘だし……」
「関係ないよ! 今みたいに人間の姿になってれば問題ないし!」
「それに……俺も実は色々あって王都を追放されてる。追放された者同士、親近感も湧くしな」
両名から勧められても、ベリネはまだためらっている。
「でも……私は……」
「この家、お風呂もあるよ!」
「温かい布団もあるぞ!」
「暮らさせてもらおうかな」
あっさり落ちた。
ベリネの決断は早かった。
とはいえ、まだ疑問は残っている。
ラディルがそれを口にする。
「しかし、解せないことがある。お前はなんでロックビーストを巨大化させて、町にけしかけたんだ? 俺の実力を試すためなのか?」
「……そうではない」
ベリネはバツが悪そうに答え始めた。
「私はここから南にある……ラモン山脈だったか、で暮らしていた。人はいないし、死角も多く、不便はあるが魔族がひっそり暮らすには最適な場所だったからな。そんな時、一匹のロックビーストに懐かれたんだ。私は可愛がって、岩を食べさせてあげてた」
ラディルとサーナは耳を傾ける。
「微笑ましいことするじゃん」とラディルは茶々を入れる。
「ある日、私は岩に自分の魔力を込めて、食べさせた。すると急成長したんだ。私は大発見した気になって、あのロックビーストにどんどん魔力を込めた岩を食べさせた」
話のオチが読めてしまい、ラディルとサーナは「おいおい、まさか……」という表情になる。
「そうしたら……大きくなりすぎてしまった」
魔力たっぷりの餌をあげすぎて、10メートル以上に巨大化したロックビースト。
穏便に押さえつけるのは難しく、かといって情も湧いており殺すこともできなかった。
そうこうしているうちにロックビーストは暴走し、山を下りて、クワンに向かってしまった。
『どうしよう! どうしよう! 私のせいで!』
しかし、クワンにはラディルがおり、ロックビーストは小さく切り刻まれ、山に帰された。
これにより、ベリネはラディルが“勇者”だと確信する。
『あのロックビーストを倒すとはな……。奴が“勇者”だとするなら、今度は私が奴に挑んでやる!』
そして――現在に至る。
「……というわけだ」
ラディルとサーナは同時にため息をついた。
サーナが遠慮なく言う。
「ねえラディル、この人ドジっ子だよ!」
「俺もそう思う」
「ドジではない! 過失だ!」
「どっちでもいいよ」
ラディルは苦笑した。
とにもかくにも、ベリネはこのラディルの家の一員となることが決まった。
いつまでもいていいし、出て行きたくなったら出て行っていい、という条件で。
「それでは本日から世話になる。壊してしまったソファの分ぐらいは役に立つつもりだ」
「よろしくね!」
「よろしくな」
魔王を倒した俺が魔王の娘と一緒に暮らすことになるとは……。人生って不思議なもんだ。
ラディルはしみじみ思った。




