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山でお茶でも飲みましょう、花を愛でながら

作者:

処女作です。

読み苦しいかと思われますが、どうか読んで感想をいただけたら幸いです。


 流暢な英語が身体の芯まで響き渡るエントランス。「YATA RYOYA」「TO : NEW YORK USA」と綴られた紙切れを手に矢田凌也は濁点混じりの深い息をつく。

 「なんで僕が…、ふざけんなよ。」内緒話をするかのようなか弱い声で文句を吐くが、時間は彼の気持ちを嘲笑うかのように針を動かす。ニューヨークに行くのが嫌なんじゃない、あの環境が好きだったから離れたくなかったのに…。ぼそぼそと不満を漏らす僕に見送りに来た宮島が声をかける。彼女は胸までの長い髪が印象的な高校の先輩だ。大学卒業してから就職に絶望していた僕を推薦してくれて特例で入社できた。それができたのは彼女の地位があったからであり、今の僕が働けているのは彼女のおかげである。

 「なにシケた面してるのよ。」

 「先輩…来てくれたんですね。」

 「当然じゃない。それより先輩呼びはやめてくれない?『元』先輩だから。」

 「ありがとうございます、それでも僕の先輩には変わりないですから。」


 【先輩なんで会社辞めたんですか?】この言葉がどうしても聞けなかった。先輩は三ヶ月前に会社を突然辞めた。理由は謎だ。普段なにかを決断するときは僕にも相談してくれていたのに…。だからこそ一人で決断をした先輩に理由を聞くことはできなかった。プライベートなことは聞くものでもないからな。そう自分に言い聞かせていると、先輩が話しかけてきた。 「矢田君、ニューヨーク行くの嫌なの?なんでよ、営業部から海外転勤組になった人は本社に戻ったときにはエリート扱いされて出世一本道なんだよ。」

そう言う先輩に僕は間髪入れずに言い返す。

 「嫌ですよ、行きたくないですよ。それに先輩こそ業績トップですし行くべきだったんじゃないですか?」そう言うと彼女は

 「確かに営業成績では私が一番だけど、君は私に次いで二番じゃない。行く価値はあると思うけどな。」

 「僕の成績なんて大したことないですよ。それに先輩からしたら僕は見えないでしょ。それほどあなたの存在は大きすぎました。」

 「俺は先輩と仕事がしたいです。今の仕事だって先輩が俺を誘ってくれたおかげで、先輩が教えてくれたからここまでやってこれたのに。」

開いたら閉じることを知らなそうな勢いで喋る僕に先輩は思わずクスッと笑みを浮かべた。

 「君って昔から変わってないね。大きな壁ができたらそれに対する不満を撒き散らしてくるところ。」彼女はため息をつく。「本当…何も変わってない。」


先輩がなにを考えているのかわからない。僕はただあなたと離れたくないだけなのに…。


 「いいよね、未来ある子って。なんでもできるじゃん。」明るめのテンションで彼女は言った。

 「先輩だって若いじゃないですか。僕と二個違いですよ、まだまだこれからですよ。」

 「君…レディーの二年がどれだけの価値が知らないでしょ。肌質は悪くなるわ、変に痩せちゃうわ、身体にガタがくるわ、もう嫌になっちゃう。それにメイクも流行りのやつ調べるの大変なんだからね。」

 女性の代表かのように苦労する場面を挙げていく先輩をみて、少しだけ笑ってしまった。

 なに笑ってるのよ。と睨んでくる先輩を見ながら勇気を出して伝えることにした。

 「先輩…ニューヨークから帰ってきたらデート行きませんか。」

 突然の言葉に驚くもののさすが先輩。ポーカーフェイスまで上手い。

 「珍しいね、君からお誘いなんて…。そうね、私ワインに合うお肉を探してるんだけれど中々良いお店が見つからないのよね」彼女は淡々と言う。

 「お肉ですか…探しておきますね。」


 見つかるといいねと彼女は言った。

そう言う彼女は涙ぐんでいたように見えた。話していると飛行機の時間が近づいてきた。形式的な別れの儀をした後、僕は空を飛んだ。

誰かに泣いてもらえるほど想われ見送られるなんてドラマのようだと、少しだけ自分を主人公目線でシナリオを頭に描いたりしていたら段々と眠くなってきた。1年の異動だけどもう帰りたい。先輩になにをお土産買ってあげようかな。そんなことを考えながら眠りについた。


 3月の空は澄み渡っていて綺麗だった。

 

 先輩との別れを経て早七ヶ月。慣れない英語に慣れない土地。慣れない文化に慣れないご飯の量。そんな不慣れに溢れる生活だったが半年もすれば、慣れないことに慣れてきた。仕事は順調である。海外にも支社がある会社のため、日本で新しく開発した製品をプレゼンでより広めていく。そのための準備に大忙しの毎日。てんやわんやとは正にこのことだと思った。

 「んへー…やっと終わった。これで来月のプレゼン大丈夫かな。とりあえず大きいプロジェクトだから時間はあるけれど最初から見直すか…。」

プレゼン資料とにらめっこしながらふと先輩のことを思い出した。そういえばあの人なにしてるかな…。こっちに来てから先輩とは時々話していた。しかし最近、連絡頻度が少なくなっている。学生の頃とは違って社会人は忙しい。それ故に先輩はおろか、家族や友達とも連絡を取っていなかった。先輩元気にしてるかな…。


プルルと言う音を聞きながら彼女を待つ。


しかし彼女は電話に出なかった。


忙しいのかな…、最近ずっと電話に出てもらえない。先輩も会社を辞めてやりたいことがあったのだろう。今はそれに忙しいんだ。自分の忙しさと憶測の先輩の忙しさを重ね合わせ勝手に親近感を感じている自分に気持ち悪さを感じたが、兎にも角にも今は仕事だ。

無事にプレゼンが終わればあとは冬休みだ。ニューヨークのクリスマス。期待しないなんてことは不可能なほどワクワクしていた。僕は何気に初の海外を忙しさと共に楽しんでいたのだ。


 一ヶ月が経ったある日。変な冷や汗をかきながらも僕の企画したプレゼンも無事に終わった。ふと外を見るとニューヨークはクリスマス一色だった。楽しげな雰囲気。アメリカは規模が日本と比べ物にならない。会社の同僚がパーティーに誘ってくれたが僕は乗り気にならなかった。アメリカのクリスマスは家族と過ごすのが主流らしい。各々家族と過ごしているのに、見知らぬ外国人がお邪魔するのも気が引ける。だから僕は部屋で一人、相変わらず大きいチキンとケーキを食べてシャンパンを飲んでいた。チキンが美味しい…。酔いが少し回る。


リンリンリン


子ども達の笑い声に大人たちの笑い声が聞こえてくる。幸せの象徴と言えるようなこの空間に不意に虚無感が襲ってきた。得体のしれない人物の到着を待ちわびて、会ったこともないやつの誕生日ってだけで気分が跳ねてた子供の頃を思い出した。一人暮らしも長くなるがホームシックになりかけた。

今年の正月は日本に帰って親に会おう。そう思いながら僕は眠りについた。


 真っ白い雪が太陽を反射させる。その眩しさがいつもの朝日と違うことを知っている。僕はバッと体を起こしてカーテンを思い切り開けた。

目の前に広がる銀世界。僕が寝ている間ホワイトクリスマスだったらしい。【雪】この非日常感が僕は堪らなく好きだった。窓を開けると肌を突き刺すほどの冷たい風が吹くと共に白い息が広がっていく。

 「雪だ…」

僕はしばらく外を眺めていた。するとふと懐かしい匂いがした。向かいの家のベランダに咲く花の匂いだ。確か先輩がつけてた香水がこの花の香りだった。僕は居ても立っても居られず先輩に電話をかけた。


おかけになった電話番号は…。淡々と機械音声が先輩に繋がらないことを伝えた。


日本にいた頃の会社の同僚にもかけたが先輩の詳細はわからないと言われた。

どうせ日本に帰るんだ、先輩に会いたい。思い立ったが吉日。少し考えていた予定と早いが僕は日本に向けて空を飛んだ。


久しぶりの日本は大して変わっていなかったが僕の心を高揚させるには十分だった。しかしのんびりはしてはいられない。僕に会ったら先輩は驚いてくれるかな…、それとも連絡しろって怒られるかな…。そんな事を考えながら先輩の自宅に向かった。実家暮らしの先輩の家は高校時代に何回か行ったことがある。お土産にニューヨークの養蜂場で採れた蜂蜜を持ってインターホンを押した。

 「はい…、どちら様ですか?」

 「ご無沙汰しております、おばさん。凌也です、先輩は今いますかね」

沈黙が続いた。しばらくしてから

 「あら、凌也君、久しぶりね。今開けるんで上がってって下さい。」

もしかして忘れられてた…?それより先輩は不在なのかな…、色々思いつつも言われるがままにお邪魔した。

先輩の家の匂いではないが、懐かしい匂いを感じた。

 「ちょっと、あんた。凌也君来たわよ。何年ぶりかしらね、大きくなってたから分からなかったわ。あんたも黙ってないでお話してあげなさいよ。」


先輩はリビングで微笑みながら僕を見ている。僕は脳が石になったように思考が止まった。



僕の好きだった先輩は死んでいた。



そりゃそうだ…話すわけがない、話せるわけがない。それは先輩じゃないんだから。遺影の彼女は変わらない優しい笑みでこちらを見ている。


僕は理解がまだできない。お茶と茶菓子を置くとおばさんが溜息を吐きながら言った。「一ヶ月前になるわね、乳癌で亡くなったのよ。」

理解するどころかまた訳が分からなくなった。

死んだ?あり得ない。美味しいお肉を食べに行くと約束していたんだぞ。

そんな薄い口約束を信じ切っていた自分に怒りが湧いてきた。

 「凌也君のことよく話していたわ。出来の悪い後輩がいるとか。でも…最期まで会いたがってたわよ。なのに病気のこと、凌也君には言わないって意地っ張りでね。海外で頑張る凌也君の負担になりたくないし迷惑なんかかけれないって言ってたわ。」


迷惑?連絡なし?先輩が…?


脳味噌に【死】という言葉がゆっくり馴染んでいき、段々と現実のものになってきた感覚があった。

先輩は死んだらしい。

懐かしく感じていたお香の匂いの所々に先輩が使っていた香水の匂いがした。庭の木の花だ。網戸を通してその匂いが身体中に駆け巡り、先輩の言葉を思い出した。

 「腕を出してよ。」

そういうと彼女は僕の手首に香水を吹きかけた。

 「人間はね、人の情報で匂いは最期まで覚えているんだって。だから忘れないように私の匂いを教えてあげるよ。」

 「なんですかそれ、てか忘れませんよ。」

本当に?それは嬉しいなと茶化しながら言う彼女。ずっと好きだったからとは言えずに、前からつけてたじゃないですかと誤魔化したのを思い出した。


 「凌也君、大丈夫?」


おばさんが心配そうに声をかけた。

僕は泣いていたらしい。男らしくない情けない顔で泣いていたらしい。ただただ先輩の死を受けいれられなかっただけだ。男が泣きじゃくっているのは迷惑だと混乱しつつも冷静に思った僕は先輩の家をあとにして、実家に帰った。この時の記憶は少し覚えていない。

家につくと反抗期と受験期以来に、一日部屋に籠もった。


 病気が判明したのは僕が日本を出る数ヶ月前だったとのこと。先輩は病気が判明してから会社を辞めたのだと知った。最後に会った日、先輩が少し痩せているのにも気がついていた。でも癌なんて微塵も思っていなかった。ある時期から電話に出ることがなくなったのは、忙しかったからではなく入院をしていたからであり、電話番号が使えなくなったのは死んでから解約されたからであった。


僕はなんのために頑張ってきたか分からなくなった。当たり前が当たり前じゃないことを知る。

こんなことになるならもっと早く告白しておけばよかった。幸せになりたかった。楽しい時間を共に過ごしたかった。僕だけのあなたにしたかったし、あなただけの僕になりたかった。

また泣きながら、赤ん坊のように疲れて眠った。


 久しぶりに見慣れた部屋の朝日で目を覚ます。

ぽっかり空いた心に何も埋めることがなく、錆びついたモーターのように動くこともできなかった。 

 それから僕は体調を崩し会社を暫く休むことにした。


寒さが別れを告げ、暖かさが顔を出すようになった。


僕は休みを使って繁華街へ行き、香水を売っている店を片っ端から歩き回っていた。そう、あの先輩の匂いを見つけるために。酸味のある中にほんの微かに優しい甘いあの香り。

しかしそれは見つからない。

探し始めて一ヶ月になるが手がかりらしきものも掴めていない。おばさんに庭の木の事を訪ねたが、おばさんも知らなかった。おばさんが生まれる前からこの家にあるらししい。僕は家の木のことくらい調べておけよと少し八つ当たりをしてしまった。


 「人間はね、人の情報で匂いは最期まで覚えているんだって。」


その言葉を思い出し、また足を動かした。忘れたくない、忘れられない。あなたのことをもっと知りたかったけれど今はもう手遅れ。だからこそ匂いだけは忘れないように覚えておきたい。


都内だけでなく車を出して関東各地のお店を回った。


また一ヶ月。群馬にまで足を延ばしたとき、僕はついにそれを見つけた。アンティークな雰囲気が漂うレトロな香水屋で僕の胸は高鳴っている。

くびれがあるボトルに透き通る黄色のノズル。自分の手首にシュッと吹きかける。ああ、これだ。脳がそう感じる。鼻腔の奥に抜ける匂いに安心感を覚えていた。ボトルを見ると【山茶花の香り】と書いてある。

 「さんちゃ…か?」

読みを知らない自分がものすごくもどかしかった。そんな僕を見かねたのか店員さんが「さざんかの匂いっていいですよね。この香水はこのお店の裏で作っているので、もしお気に召したら、ここで買わないと他では買えませんよ。」と言う。さざんか。これはさざんかの香りなのか、やっと見つけたぞ。僕の心は踊った。

「先輩はここで買ったのか…。」

誰と行ったのか、なんでこれを買ったのか。そんなことを考えながらレジに向かった。


カランカランと鳴るお店の玄関前で、また一回吹きかけた。


僕の頭は彼女のことでいっぱいになった。


一滴、また一滴と僕の思い出が溢れた。


会いたい、会いたい、堪らなく会いたい。


そんな思いに胸を張り割かれそうになる。それと同時にどれだけ好きだったかを思い知らされる。先輩のことをもっと知りたかった。僕は何も知らない。人はいつかは死ぬ、そんなのわかっている。なのになんでぼくは…


もっとあなたを知ろうとしなかったのだろう。


起きて仕事をして家については眠って。休みになったらどこかへ出かけたり、あなたとまた会ったり。そんな日常がなぜ当たり前に来ると思っていたのだろう。僕はただただどうにもならない後悔に打ちのめされた。


二月の空は僕の気持ちを嘲笑うかのような澄み渡った快晴だった。



 春息吹く陽気な日。桜の葉がひらりひらりと舞い散る中、僕は会社に向かった。

四月からまた仕事に復帰し、長い間休みをもらっていたので上司や同僚達に深々とお礼をしていた。


仕事が終わったら、帰路につく。帰り道にいる野良猫に挨拶をして家のドアをあけると親から最近どうなの、元気にしてるのとか色々お節介を焼かれる。こんな当たり前が誰にとっても特別なのだと深々と感じながら僕はベットに沈む。


 〈山茶花〉ツバキ科ツバキ属の常緑広葉樹。

     花言葉はひたむきな恋。貴方が一番美しい。


先輩、僕の恋は叶わなかったです。最期くらいちゃんと別れさせてくださいよ。

そう思いながら僕は先輩と天国での約束をした。


もし今度会えたらその時は景色が凄くきれいなところでも行きたいです。そうだ







 『山でお茶でも飲みましょう、花でも愛でながら』





                   おわり                               

ここまでお読みいただき本当にありがとうございました。


またどこかでお会いしましょう。

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