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夏を前にほっとけないこと

作者: ライン

 




 一人の少年は悩んでいた。

 手紙とはなんぞやと。

 一人の少年は悩んでいた。

 今さら何を伝えるべきかと。

 一人の少年は悩んでいた。

 もう外が明るくなっているではないかと。

 

   ◇

 

 とある田舎町にある八代台(やつしろだい)中学校の体育館は既にサウナと化していた。それは終業式という行事にちょっとしたスパイスを加えるような生易しいものではなく、学校生活そのものを地獄絵図に変えてしまうほどの威力のあるものであった。しかしここの長であるところの校長、そんなことにはお構いなしなようで、夏休みの過ごし方を説くべくステレオタイプな熱弁をふるっていた。

 蝉の声が鳴り響くだけで話し声が皆無な空間は校長にとって相当居心地のよいものであったかも知れないが、もちろんこれは校長の話を真面目に聞こうなどという殊勝な心がけから自然発生的に生まれたものなのではない。ただただ、ただただ単純にこのうだる様な暑さに生徒たちが辟易していただけのことである。

 だが校長はついに自分の幼少期のことまで語り始めた。負のスパイラルは蝉の声に後押しされるかのように、いつまでも止まる気配がないのであった。

 

 

 終業式終了後の二年四組の教室。

 そんな苦行ともいえる儀式が行われる日に、一人の男子生徒は堂々と遅刻してきていた。クラスメイトたちが戻ってきたとき、教室でひょうひょうと麦茶を飲んでいる姿はさぞ反感を買ったことだろう。

 そんな彼の名は池森(いけもり)亮大(りょうた)。一学期から幾度となく遅刻した彼に反省の色は見えない。

「てめぇ何涼をとってやがんだよ」

 何人かの男子が亮大につめ寄る。

「終業式に遅刻する。それ人類の知恵」

 焦点をどこにも合わさずそう答える亮大に、

「うるせーこの遅刻魔め」

 と批難の嵐が飛んだ。けれども、そこは終業式という名の夏休みイヴの力が働いている。周りはいつもよりなごやかムードで、それ以上の罵詈雑言は聞こえてこなかった。先生も戻って来ないせいか教室は次第に賑やかになっていく。

「せっかくの大切な日に遅刻か?」

 今度は亮大の親友(悪友ともいう)である野田(のだ)健史(けんし)も話しかけてきた。

――大切な日。

「別に終業式なんて大切でも何でもねーよ」

 そう亮大が返すと、健史は一瞬困ったような表情を見せた。

「そうじゃなくて、あれあれ」 

 健史は親指をくいくいと後ろの方に向ける。その先にはただの終業式だというのに人だかりができていた。クラスの女子たちが一つの机を囲んで、わいわいきゃぴきゃぴと世間話に花を咲かせている。

「すげー人気だよな」 

 健史は本気で感心しているようであった。

「人間、捨てる時になると名残り惜しくなるんだよ」

「うわ、ひっでぇ言い方」

 亮大が頬杖をつきながら眺める先、その中心には一人の女子がいた。彼女の名前は奈村(なむら)真衣香(まいか)

 真衣香は明るく活発でクラスの中でも人気者だった。そんな真衣香が引っ越しを宣言してからというもの、ずっとあの調子である。

『終業式の日に引っ越すことになりました』

 亮大が真衣香からそう聞かされたのは今からちょうど一週間前の帰りの学活であった。驚いた女子もいたし、涙目の女子もいた。だけど、既に知っていたかのような生徒も何人かいたようだった。おそらく部活の仲間だろう。

 本当はもっと早く引っ越す予定だったのだが、自分と妹だけは終業式まで居ることを許してもらえた。そんなことも話していた。

 亮大と真衣香の関係はいわゆる幼馴染というやつであった。だから亮大はいつかこんな日が来るんじゃないかとは薄々感づいていた。

 だけど亮大はどこか心にポッカリと穴が開いたような気持ちでいた。確かに言う機会はなかったかも知れない。でも、それでも思ってしまうのだ。なぜ自分もそのことをもう少し早く知らされなかったのかと。

 

 ――みんなと同じタイミングで知らされたことが悔しかった。

 

   ◇

 

 放課後。

 真衣香は亮大とは長年の友達であると思っている。この土地に引っ越してきた際、まだ新しい小学校に慣れていない自分を一番気にかけてくれたのは亮大であった。

 確かに亮大は泣き虫で意地っ張りでデリカシーがないけど、でも優しくて面白くて一緒に話していると楽しかった。

 亮大がそっけなくなったと感じたのは中学に入ってからである。それはしょうがないものだと半分諦めていた真衣香であったが、ここ最近はそれに輪をかけてそっけない。というか冷たいとさえ言っていい。

 ――自分は何か悪いことをしたのだろうか。

 しかももう最後の最後である。このまま疎遠に終わってしまうのは寂しかったし、ちゃんとしたお礼もしたことがない。

 こんなもやもやした気分では終われない、と真衣香は思っていた。

 

 教室は人がまばらになっていた。

 ちょいちょい。真衣香が手招きしている先には亮大がいた。亮大は目が合ったかと思うと、おもむろに後ろを振り向いた。

「ちょっと! 後ろには誰もいないし」

「そうか」

 渋々といった様子で、亮大は真衣香の元へ向かった。

 二人は教室の前の廊下に出て、窓に腕をかけるようにして並んだ。そこはちょうど木陰になっていて、夏の暑さを和らげてくれた。時折窓から吹き込む風が心地いい。

 亮大は呼ばれた身でもあったので、話し出すのを躊躇っていた。無言の時間が続く。

「もう八年になるか~小一からだもんね」

 先に語りだしたのは真衣香の方だった。真衣香は続ける。

「クラスは違ったときもあったけど、何かと一緒に行動していた気がするな~。亮大、昔は泣き虫でさ~、よくおばさんに泣きついてたっけ」

「いいよそういう話は。圧倒的に俺が不利になる」

 亮大はバツが悪そうにしている。

「そんなことないよ~。私だって恥ずかしい話くらいあるよ。たとえば小学校四年生のとき読書感想文で銀賞しか取れなかったとか、去年数学の実力テストで二位に甘んじたとか、本当たくさんある」

「全部自慢じゃねーか」

「ですよね~」

 この性格は変わらないな。昔は大人しい奴だったのに。真衣香は窓のサッシを両手で掴んで懸垂みたいな格好になっている。

「そうそう、クラスのみんながバス停まで見送りに来てくれるんだって。遠い人もいるのに。亮大も来てくれるでしょ?」

 風に吹かれて真衣香の長い黒髪が揺れる。嬉しそうな口調で話す真衣香ではあったが、やはりどこか寂しげであった。

「まあ、そりゃあな」

「そっけないな~。最後くらい泣き虫亮ちゃんになったりしないわけ?」

「そのあだ名やめろ」

 真衣香はにやにやと憎らしい笑顔を浮かべる。この顔をするときはロクなことがないと亮大は思う。

「ごめん嘘嘘、もう言わないから。で、亮ちゃんだって最後くらい泣いたりしてくれないわけ?」

「ちゃん付けもやめろ!」

 間髪入れずに亮大はつっこむ。

「えーいいじゃんちゃん付けくらい!」

「ダメ。恥ずかしい。言い直せ」

「泣き虫野郎はさ」

「もう何でもいいです」

 相手にするだけ無駄だと気付いたときはたいてい手遅れのケースが多いと亮大は知っていた。

「じゃあ亮大には特別に」

 ごそごそごそごそ。

 真衣香は一つの箱を鞄から取り出した。

「いつも遅刻するから、時計あげる。腕時計だけど、目覚まし時計も付いてるんだよ」

 箱を開け、中から腕時計を手に取る。

「まあ私の形見だと思って使ってよ」

「死ぬんかい。それを言うなら餞別だろっておい何だよ」 

 真衣香はそんなツッコミも聞かず、亮大の左腕に腕時計をつけようとする。けれど、一方の亮大は周りをきょろきょろ。クラスメイトに見られているかもしれないと思うと気が気ではなくなっていたのだ。亮大は語気を強め、

「やめろって、これくらい自分でつけられるから」

 もう少しでつけ終わるかというところで、振りほどいてしまった。主を失った腕時計は居場所もなく、廊下に転がっていく。

「あ! もう何やってんのよ。せっかく付けてあげようと思ったのに」

 もう一度時計をつけようとする真衣香に亮大は、

「いつまでも子ども扱いすんなよ。俺はもう泣き虫じゃない」

 と苛立たしげであった。

「せっかく買ったんだし、ほら小学校のときから……ちょっと亮大!」

 亮大は腕時計をひったくると、走り出していた。何やってるんだ自分は、と亮大も思う。

「今日五時のバスだから絶対来てよね!」 

 背後から真衣香の声が聞こえる。恥ずかしかったのもあるが、最後の最後ですら素直になれない自分の情けなさやもどかしさ、そんな感情たちが交錯して、その場にいてもいられなくなったのだ。真衣香の声が遠くなっていくのを感じながら、亮大は階段を駆け下りていった。


   ◇

 

 亮大は自転車を止め、家に入る。

 コップに注いだ麦茶を片手に自分の部屋ドアを閉める。そして机の上に麦茶を置くと、ベッドに倒れ込んだ。

 眠い。

 朝まで起きていたせいだろう。

 はぁ~。しかし亮大は体を起こし机に向かう。やるべきことがあったからだ。

 机の引き出しを開けるとそこには昨日書きかけだった手紙が入っていた。手紙といっても白紙の便箋が入っているだけである。

 もらった腕時計を机の脇に置く。五時までに絶対何かしら書き上げてやる。そう決心した。まっさらな便箋を前に亮大はシャープペンを手にとった。

 

 

 学校からほどなく離れた田んぼ道。

 一人取り残された真衣香もゆっくりと帰宅していた。今日で最後になってしまうであろう帰り道は何とも寂しいものであった。

 はぁ……。真衣香はため息をつく。

 すると前から見慣れた車がやってきた。あれはうちの車だ――。

 真衣香の横に停車すると、運転席の窓が開いた。ハンドルを握っているのは珍しく真衣香の母親であった。

「ちょうど良かったわ真衣香。早く乗って」

「え、でも萌と電車で行く予定じゃ」

 真衣香は突然のことで戸惑いを隠せない。

「いいの私が迎えに来たんだから。それに萌ちゃんだってちゃんと後ろに乗ってるの」

 妹の萌が後部座席から手を振っているのが見えた。でも、みんなが迎えに……。しかし、躊躇っている様子の真衣香に母親は容赦がなかった。

「お母さんたちは忙しいの。面倒をかけないで頂戴」

 無理やり車に乗せられる真衣香。車は高音を立てて急発進した。

 

 

 真衣香行くな。待ってくれ。頼む止まってくれ。

 

 ――ガタン!

 机に突っ伏していた亮大は椅子から転げ落ちそうになっていた。あれ? 真衣香は? 黒のクラウンは?

 暑! クーラーをかけ忘れていたせいか、部屋の暑さは尋常ではなくなっていた。西日が眩しい。亮大はとっさにカーテンを閉めた。

 一旦落ち着く。

 ……夢か。

 リアルな夢だった、と冷や汗のぬぐいながら亮大は思う。もう一度よく考える。うん、やはり夢だ。亮大はひとまずほっと胸をなで下ろした。

 ぬるくなった麦茶を飲み干す。

 ところで今何時だろう。

 服をパタパタさせながら、真衣香にもらった腕時計を確認する。時計は四時四十分になっていた。……は?

 ――四時四十分!

 慌ててもう一度確認する。当然時間は変わっているはずもない。いやむしろ数秒進んでいるくらいである。

 ――まずい。これはまずい。限りなくまずい!

 真衣香は五時のバスに乗ると言っていた。

 寝過した自分を恨む。もう最後なのに。大事な日なのに。このままじゃ終われない。ケジメをつけなきゃ駄目だと強く思う。

 準備をしている暇はない。適当に顔を洗うと自転車のカギを取り、すぐさま家を出た。真衣香んちの近くのバス停までは結構距離がある。果たして間に合うのだろうか。亮大はそんなことを思いながら鍵を閉めると、家の前にある自転車に飛び乗った。

 

   ◇

 

 蝉が鳴いている。

 もう五時だというのに、夏の日差しは弱まる気配がなく、まだまだ暑い日が続くことを予感させた。亮大はなるべく木陰を選びながらアウトインアウトで少しでもタイムを稼いでいく。

 しばらく経つと開けた道に出た。

 地平線とまでは言わないが、そこはかなり先まで見渡せる道であった。周りに人も少ない。よし、と亮大は珍しくギアをMAXにする。亮大は時計を確認する余裕もないままに、さらにスピードを上げて飛ばしていった。

 必死にペダルを漕いだ。かなりの速度が出ている。どれほど時間が経っただろう。数十分経ったと感じるときもあれば、まだ数分しか経ってないような感覚になるときもある。

 どこまでも続く砂利道の上を軽快に走っていた。しかし、カーブを曲がろうかというときに事件は起こった。

「――うおっ!」

 小屋の陰から急に子どもが飛び出してきたのである。亮大は慌ててハンドルを切る。

 ――キキィィィィィ。

 そんな音と同時かあとか。亮大は気付くと土手の下でうずくまっていた。

「お、お兄ちゃん大丈夫~?」 

 カープの帽子をかぶった子どもが心配そうに見つめてくる。さっきまで右手にあったアイスキャンディーがなくなっているところを見るに、蟻のエサと化してしまったのだろう。

 亮大は起き上がる。多少すり傷はあったが、特に痛いところはなくとりあえず一安心。だけど、横に目をやると自転車は見事に大破。カタカタカタ……という断末魔は今にも消え入りそうだった。

 走るしかない。亮大は土手を一気に駆け上がり、子どもの頭をなでた。

「いいか、あの自転車はお兄ちゃんが必ず助け出す。それにあいつは土手の下が一番気持ちいいらしい。このことは絶対に誰にも言うなよ」

 亮大は子どもに百円玉を握らせると、目的地であるバス停目指して一目散に走っていった。

 もう一度会いたい。

 会って何を話す? とりあえず今日のことを謝ろう。

 謝るだけ? いや違う。

 書きかけの手紙は? 言葉で伝えればいい。

 もう少し、もう少しだ。砂利に足を取られそうになりながら、亮大はとにかく走る。時折見上げた空はどこまでも青かった。

 途中話しかけてくるおじいちゃんもいたが、ガン無視を決め込み風を切っていく。自転車に乗ったアイスキャンディー屋も華麗に差し切る。まさに走り屋であった。

 勘に頼りながら走っていた道もあったが、だんだんと土地が掴めてくる。もう、すぐそこだ。やがて緩やかな坂に差しかかる。そのふもと。

 ――あった!

 ついにバス停が見えた。正確にはバス停の横にある小屋が見えた。オンボロなその小屋は、台風でもあればすぐに倒れてしまいそうだ。バスが来ている。それを見た亮大は最後の力を振り絞った。

 頼む間に合ってくれ!

 亮大は走った。体育の時間なんかよりずっと必死に。久々の全力疾走は思いのほか苦しくて、声をあげることもできない。

 このど田舎に信号なんてものはない。発たれたら終わりだ。もうすぐ手の届くところまで……。

 しかし、亮大が坂を上り終えようかというところで、バスは無情にも走り出していった。

「あ――ッ!」

 バス停を通り過ぎ少し追いかけた亮大ではあったが、本気でずっと走ってきたせいか、もう足が前に出ない。

「はぁ……はぁ……はぁ……」

 無力。何て無力。

 黒煙を撒きながらどんどん遠ざかっていくさよならバスになす術もなかった。

「はぁ……クソ……」

 亮大はその場にへたり込んでしまった。夏の暑さも相まって、息を整えるだけでも一苦労だ。

 舗装されていない砂利道に亮大は大の字になった。蝉の鳴き声がまた強くなった気がした。走っているときはまるでうるさく感じなかったのに。

 もしも自転車を壊さなかったら。寝過さなかったら。昨日夜更かししていなかったら。

 亮大は全てのことに考えを巡らす。右手で握りこぶしを作ると、地面を叩いていた。真衣香ごめん。行けなかった。

「真衣香……。真衣香ごめん」


「なに? 呼んだ?」

 ――――――――――――!

 大の字になっている亮大の真上から真衣香の顔がのぞいた。

「なッ――!」

 亮大は一瞬何が起きたか分からなかった。しかし、目の前には確かに真衣香がいる。

 ばっと起き上がり、土のついた頬をこする。

「真衣香……なんで?」

 亮大は訳が分からないといった様子で呆然と立ち尽くしたままである。しかし、真衣香は意に介した様子はない。

「どうしたの? そんなにボロボロになって」

「え、あ、いや、これはちょっと土手に落ちただけで」

 亮大はパタパタと服についた土を叩き落とす。そして単純な疑問をぶつけた。

「……引っ越しはどうした? 今のバスじゃなかったのか?」

「違うよ。次のバスだよ」

「へ? 五時のって言ってなかったか?」

「それはあれだよ。多分こういうことだよ」

 真衣香は呆然としたままの亮大の左腕をとり、自分があげた腕時計をいじくる。亮大が見つめるその前で、長針を三十分ほど反時計回りに回していた。そしてバス停の横にあった時計を指差した。

 四時半。

 四時半。

 二つの時計は同じ時を刻んでいた。

「え? もしかしてこれって」

「引っかかった引っかかったぁ――! そうです。そうなんです。亮ちゃんの遅刻癖を直すために、わざと時計を早めていたんです!」

 ――しゅわしゅわしゅわしゅわしゅわ。これは蝉の声。

 真衣香は背筋をピンと伸ばし腕を組んだ。それは今にでもエッヘンという言葉が聞こえてきそうな勢いであった。

「どうこれ凄くない? 天才じゃない? ノーベル文学賞もんじゃない?」

 いや別にお前は活字の世界を切り開いてないし。真衣香は今だににこにこと楽しそうにしており、誇らしげなポーズのままである。そんな真衣香を前に亮大は言葉を紡げないでいた。だがそんな亮大とは裏腹に、真衣香はなおも喋り続ける。

「まあでも腕時計をしてくるか不安はあったんだけどね~。でも亮ちゃんは優しいから最後くらい時計してくれるかな~とか思って」

 なんだよ、それ。

 亮大は事態を把握するにつれて、何か言ってやらないと気が済まなくなっていた。

「茶化すなよ」

「え?」

 真衣香の顔色が変わる。

「茶化すなって言ってんだよ!」

 腹が立った。凄いムカついた。なのに、それなのに亮大には、怒りだけではない感情も一緒に溢れてくる。

「亮大……」

「すげー走ってきて、バスが出たのが見えたときすげー悔しくて、途中子どもも轢きそうになって、自転車だって壊れて……だけど、だけど……」

 自分でも何を言ってるかよく分からなかった。とはいえ、発した言葉は戻すことができない。つくづく自分のカッコ悪さに嫌気がさす亮大であった。

「亮大泣いてる……」

「え? あっ」 

 頬を触る。そこで初めて自分が泣いていることに気付いた。そこから亮大は急に冷静になり、さっきの言葉も含めて段々と恥ずかしくなってきた。

「いや、これは違う。目に、目に風が入ってきたせいであって」

 自分自身でもちっぽけなプライドだと思う。目にゴミが入ったせいだと言い訳っぽくなると感じた亮大は、寸でのところで言葉を変えていた。まあ、それでも言い訳っぽいことには変わりないのだけれど。

 それに対し真衣香はどこか全てを悟っているようであった。

「ごめんね」

 真衣香は不意に天を仰ぐと亮大に背を向ける。亮大は次の言葉を静かに待っていた。

「……知ってる。亮大がもう泣き虫じゃないことくらい知ってるよ」

 小さくてもどこか力強さを感じさせる声だった。やがて真衣香はくるっと踵を返し、柔らかく微笑んだ。

「別に焦る必要もないんだよ。会おうと思えばいつでも会えるわけだし。この地球上にいる限りね」

 強い風が吹いた気がした。亮大もまた知っていた。真衣香がこういうこっ恥ずかしい台詞をさらりと言えるということを。

「あ、でも、宇宙飛行士だったら宇宙にいるのか。亮大の夢は宇宙飛行士だもんね」

 そしてテキトーク全開なところも。

「……いや違うけど」

 亮大の夢が新聞記者であることは付き合いの長い二人にとって割と常識であった。

「あ、そうだっけ? じゃあ亮大は将来、何屋さんになるの?」

「お店限定かよ」

「どんな生地こねるの?」

「パン屋しかねーじゃん」

 どちらともなく鼻をすする音。亮大は真衣香にハンカチを手渡した。

「ほら、いいから拭け。お前だって泣き虫じゃねーか」

「違います。風が目に入ってきたせいです」

「人の取らないで下さい」

「分かりました以後気をつけます。ごめんなさい」

「随分聞き分けいいな」

 二人で強がりながらぐずぐずと笑っていた。

その直後だった。


「真衣香――――――――――――ッ!」

 

聞きなれた声。亮大が後ろを振り向くと、クラスメイトや部活の仲間たちがこちらに向かってくるのが見てとれた。

 男子も結構な数がいる。

 なんだか亮大は急に恥ずかしくなってきた。そうだよ、冷静に考えればみんなが見送りに来るって言ってたじゃないか。真衣香の人望を思うに、仮に朝のあの人だかりを見なかったとしても見送りが来ない可能性は0だと言い切れる。

 なぜそこに早く気付かなかったのだろう。亮大はそう思うとドッと疲れが押し寄せてきたのであった。

 見送り御一行は到着するとすぐに真衣香を囲んだ。みんな真衣香との別れを惜しんでいる。手紙を渡している女子もいた。

 ――あっ。ふと亮大の脳裏に手紙のことが浮かぶ。大事なことを忘れていた。するとそこに、

「お、随分早いじゃん」

 健史の姿が。ベンチに一人座っている亮大にいち早く気づいたのは例のごとく健史だった。

「奈村が居なくなると寂しくなるな。亮大はもうお別れは言ってきたのか?」

 亮大はうずくまったままである。

「亮大? 聞いてる?」

 そこで亮大はがばっとおもむろに立ちあがった。

「だああ――、俺はもう遅刻しない!」

 見ている健史はぽかーん。亮大に気付いた他の人もぽかーんとしていた。

「……どうした、そんなに声を張り上げて。暑さでバカになったか? って元からそんなに頭は……」

「うるせー。とにかく俺は遅刻しないし、寝坊しないって誓ったんだよ」

 亮大の左腕には新品の腕時計が巻かれていた。

 

 クラスの輪に溶け込む真衣香を見て、亮大は渡しそびれた手紙を確認した。真衣香の言葉を反芻する。そうだ、焦る必要はないんだった。別にあとで郵便で送ればいいし。亮大はそんなことを思いながら、宛先のない手紙をズボンの後ろポケットに戻したのだった。

感想待ってま~すヽ(゜∀゜)ノ

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