推しのお仕事
「えっと……、時刻と場所はあってるな。にしても予定出すにしてもっと余裕持たせてくれよ」
二時ちょっと過ぎ、俺は昨日Discordで送られた予定が明日だったことに驚愕したが、たまたま予定が空いていたため今ここに立っている。別にたまたま予定が空いていただけだからな……。
「お〜い。あき君〜」
白いロングワンピースと淡いピンク色の長袖のティーシャツを着こなし、肩から黒いポシェットバックをかけた秋津さんが手を振りながらこっちへ駆け寄ってきた。もう初夏に入り、蒸し暑い日もあるが秋津さんの服装は春のコーデをよく着こなしていた。
「待った?」
彼女とデートの待ち合わせをしている時の定型文を言ってきた。
「十五分も人を待たせておいて、よくそんな事言えたな」
「そこはかっこよく、『いや、君の事を考えていたら時間なんてあっという間に過ぎていったよ』とか言う所だよ」
無駄に様になっているイケボで、俺に言って欲しかったであろう事を不満気まじりに言っている。
「お前は俺にナルシストを演じて欲しいのかよ。てか何で秋葉原集合なんだ?」
俺の周りには、世間一般的にオタクと言われる人たちで溢れかえっていた。
「いやね、本当はスタジオ秋葉原じゃないんだけど最近私のパソコンのスペック不足が気になり始めてね。だからあき君には私の荷物係を任命する〜!」
ビシッと指をこちらに向けて宣言してきた。
「騙したな!? パソコンとか物によるけど結構重いんだぞ!?」
ここ秋葉原は今はオタク街として世界的に有名だが、二〜三十年前まではパソコンや電子機器を扱う電気街だったのだ。その名残は今もなお残り、少し秋葉原の外側に行くと日本の有名パソコン店がズラリと並ぶ現在の電気街を形成している。
「大丈夫だよ〜。デスクトップじゃなくてCPUとかGPU、周辺機器とかを持ってもらうだけだから」
「いや結構持つじゃねえか……」
「それじゃあレッツゴ〜」
初っ端雲行きが怪しくなってきたが、俺達はパソコンショップが立ち並ぶ通りへ向かった。
「あき君これ凄くない! これとかも処理速度とかが早い割にコスパが良いんだよね〜」
秋津さんは両手にCPUの箱を持ち嬉しそうに語っている。
「おっ……おう」
かれこれ五軒目を回っただろうか……。喜々として俺をパソコンショップに引きずり回し、秋津さんの店を回るに連れ、その熱がどんどん上がってきているように思える。
「お前いつまでそうしてる気だ?そろそろ行く時間だろ」
俺はでかい物は買わないと言っていたのに関わらず、マウスやヘッドセットなどが詰まった紙袋を両手に持たされながら、今日の本命について言ってみた。
「行くってどこに? 今日はあき君とショッピングに来たんだよ」
キョトンと首をかしげて、まるで本当に俺とショッピングに来ることが目的というような事を答えた。
「何しらばっくれてんだ、ほらもう行くぞ」
「い〜や〜だ〜」
流石にこれ以上買い物に付き合える気がしないで、子供のように駄々をこねる秋津さんの手を引き、収録現場に連れてくしかなかった。幸い場所はDiscordに二枚目の地図があり、ここから十分もかからない距離にあった。
「ほら、ついたぞ」
さっきよりもいくぶんか落ち着きを取り戻した秋津さんを収録現場のある、ビルの中に連れ込んだ。
「そこまでして連れていかなくてもいいのに……」
「俺に荷物持たせておいてどの口が言うんだ」
「いや〜荷物持ちがいると捗るね、今日はありがとうね」
少し上目遣いで尚且推しの声でそう言われると調子が狂う。
「あ、ああ」
俺はそんな中途半端な返事しか返せなかった。後ろでちょろ、とか言う言葉が聞こえた気がするが気にしないことにする。
「桜庭さん、何故連絡しているのに返事をしないんですか! 収録時間が押しているので早く来て下さい」
後ろを見ると少し怒り気味なスーツを着た女性が秋津さんを呼んでいた。
「ごめんなさい瀧川さん。少し買い物をしてたら遅れちゃって」
「またですか……。もう準備はできているので先に行って下さい」
「はーい」
突然の出来事に置いてけぼりになっていると、さっき秋津さんと話していた瀧川さんがこちらに向かい直した。
「あなたがakiさんですよね? 桜庭より話は聞いております。こちらへどうぞ」
俺は瀧川さんの誘導で収録スタジオに案内された。俺が居る部屋は沢山の音響機器が所狭しと置いてあり、音響監督らしき人が指揮を執っていた。そして向こう側にはマイクが置いてあり、あそこで録音することが分かる。そしてその部屋に秋津さんは立っていた。ヘッドホンをかぶり落ち着くためか目を瞑り、まるで聖女が祈りを捧げているかのように見ると心が浄化されるかのような、そんな印象を受けるほどには学校とさっきの秋津さんとははっきり違う。桜庭アリスとして立っていた。
「準備できました。よろしくお願いします」
今回収録する内容は、桜庭アリスが彼女となり、聞き手とデートするというシチュエーションだ。さっきから言っている言葉を聞くとこっちも恥ずかしくが、なかなか堂に入っている演技をしている。そこからは一瞬の出来事のように感じた。
「あなたと一緒にいると毎日すごく楽しいよ!」
ガラス一枚挟んだ部屋で満面の笑みで言っている。このシチュエーションの終盤に入り桜庭と聞き手のデートが終わり別れるシーンに入った。
「でも、あなたと別れるのがとても辛いの・・・。だから少しこのままでいさせて」
「はい、OKです」
「ありがとうございました」
音響監督らしき人がOKをだした。秋津さんが深々と礼をし、今日の収録は無事に終わった。
Vtuberの収録現場なんて勿論初めて見たが、普段配信でリスナー友人感覚で接しているものではなく、彼女として全ての気持ちを聞き手にぶつけているような、桜庭アリスの気持ちがスルスルと俺の心に落ちていく。収録している時の秋津さんはまさに声を届けようと必死になり、誰にも見せ無いような真剣な表情で言葉を紡いでいた。桜庭アリスがどうしてこんなにも人気になれたのか、ファンとして非常に恥ずかしいが魅力の本質が分からなかった。可愛い声か? トーク力か? 確かにそれも一つの要因だろう。しかし、今日の収録を見てそんな表面上での物では無いと否定できる。その魅力は声に魂を乗せること。何を言っているんだと疑問に思うかもしれない、ただそれが表面上では測れない魅力だと断言できる。他の物は全て魅力を引き立てるものでしか無い。その声は心を揺さぶり、動かし、直接感情が流れ込んでくる。それが桜庭アリスが今日まで我々を惹きつけてきた。だから俺は少しでもいいからそれを広めようと切り抜き師として活動してきたかもしれない。
「やっほ。そんな難しい顔してどうしたの? もしかして私の美声に酔いしれちゃったのかな〜」
溢れ出る感情を整理するのに集中していたら、秋津さんの接近に気づけなかった。
「そんなことじゃねぇよ。まあでも……。凄かったよ」
まださっきまでの余韻が抜けずに曖昧な返答しか出来なかった。
「あき君にしては素直だね。ついに私の魅力に気づいたのかな?」
「まあそんなところだ。今全然違うけどな」
「今って何!?」
どうして俺と一緒にいる時はさっきまでの感じが一切なく、こんなにもおちゃらけた態度しか取れないだろうか。
「まあ、そんな事はどうでもいいから、お腹空いたから今日はここで食べちゃおう?」
時刻は午後八時半。秋津さんに言われて初めて俺は自分が空腹だと気づいた。
「そうだな。何か食べたいものとかあるか? パスタとか」
「あき君、女子が全員パスタ好きとは限らないからね……。だったら行ってみたいお店があるから一緒に行こうよ」
俺は秋津さんの提案に賛同し、その行ってみたいお店に行く運びとなった。
「大丈夫か? さっきから後ろを気にしているようだが」
「えっ? ああ、ちょっと疲れちゃったから首回しているだけ。ほら、もう着くよ」
本当に疲れているのかビルを出た辺りから後ろを気にしている用に見えたが少し歯切れの悪い回答だが、そうこうしているうちに秋津さんが行きたがっていた店に到着した。見た目はいわゆる純喫茶のような小洒落たカフェだ。そこで俺はキーマカレー、秋津さんはエビピラフを頼んだ。純喫茶なのか味はどこか懐かしい味がし美味しくいただけた。そんなことがあり、秋津さんはこの付近に住んでいる姉の家に泊まるという事で店の前で別れることになった。
「今日は色々付き合ってくれてありがとうね」
「こっちも良い経験になったよ。それじゃあな」
俺達は店の目の前で別れそれぞれ帰路につくのだった……。しかし俺の足は先程の道を戻っている。
ベッ別にストーカーとかじゃ無いし……。こんな時間に女性一人で帰るのも不安ですし……。駅まで後ろからついて行って安全を保証するだけですし……。すぐに沢山の言い訳が浮かぶが特に深い意味はなかった。ただ……、さっきの姿を見て一人にさせたくなかっただけだ。そんな独占欲似た感情で秋津さんをつけてる。二十メートル位の距離をとり駅までもう少しという所で少し違和感を感じた。その違和感というのがな。つけているのだ、それはお前だろって?それが違うんだよ。俺より少し前、七メートル先にデジタルカメラのようなものを持っている二十代位の男だ。俺は秋津さんの事よりも男の方を注視していた。信号待ちで秋津さんの歩みが止まった時男はそのデジタルカメラを構えて……。
「おい、何してるんだ」
とっさに七メートルの距離を詰め男の右腕を掴んだ。しかし、男が暴れそのまま逃走した。俺の手にはデジタルカメラしか残らなかった。
「あき君……?」
秋津さんがポツリと言葉をこぼし、その場で立ちすくんでいた。
「秋津さん、大丈夫……?」
「こっち来ないで!」
とっさに名前を呼んだがその声を上書きするように秋津さんの声が重なった。
「あ、これは別に……」
「うっうっわぁぁぁー」
何か堪えていたものが決壊したようにその場に座り込み泣き出してしまった。
「えっと……これは別につけていたわけじゃなくて……」
俺は泣いている女子の慰め方など知るはず無いので、その場で言い訳の言葉を並べるしかなかった。
「何しとんじゃいゴォラァー!」
「へぶし!?」
女性の怒号が聞こえたかと思えば俺の腰に鋭い痛みが走った。
「火夜姉何してるの!?」
秋津さんの驚く声が聞こえるが俺の視界は暗闇に包まれた。