老人を憎む社会の終わりを目指して 世界を変えていくのは、あなたなのです
のんびり死体はね、凄くお気楽な人だと思われてます。
全然お金持ちじゃないのに、いいとこの子やろとか言われたりします。
あふれ出る気品のなせる業かもしれません。
「何も考えていないんでしょ。」
そういわれることもあります。
いえいえ、人にそんなこと言わない程度には、考えがあります。
「苦労してない人の顔してるわぁ。」
苦労しまくってる顔よりかは、なんぼかましですなぁ。
と、こんな感じでお気楽極楽だと思われているのですよ。
そういわれてしまうような言動があるのかもしれないので、周りを責めたりはしませんよ。
でも、それは僕の全部ではありません。
のんびり死体にだって、深い考えというのはあるのです。
僕は、「日本を変えていきたい」と、強く願っています。
なぜ、のんびり死体がこのように考えるに至ったのか。
それを説明するために、簡単に半生を書いてみます。
僕は俗にいう氷河期世代です。
初めての就職先は、食料品系物販で、名ばかり正社員というやつでした。
残業代をもらったことは、一度もありませんでした。
有給休暇とか、夏季休暇とか、そんなものも、経験したことありません。
休日出勤したことを、カウントしてもらったこともありませんでした。
正社員の唯一の特典のボーナスだって、数回しかもらったことないです。
毎日理不尽に怒られて、意味もなく就業時間前に出社していました。
そのうち、その会社はつぶれてしまいました。
食品の物販って、割と大変な割に、身につくスキルが限定的なんです。
汎用なのは愛想の良さくらいかな。
次の仕事を一生懸命探しましたが、正社員で働くことは出来ませんでした。
そっからは何年も契約社員や派遣社員です。
契約社員って切ないです。
何年も同じところで働いて、色々仕事を覚えて責任者になりました。
立ち上げして、必死こいて、家にも帰らず働いて、働いて、働いて。
落ち着いたころに、配置転換になります。
そうすると、またゼロからです。
何にも残りません。
特に技術系でもない限り、契約社員で得られるものは、少ないです。
サービス系の仕事なんかは、特にその傾向が強いように思います。
なんというか、他所に認められるような要素がないんですよね。
本当は、そこにも価値があると思うのですが、明確に周りに認めてもらうことは難しいです。
年を取って、契約や派遣の仕事も厳しくなってきました。
だんだん条件が悪くなって、そのうち仕事が無いって状態になってきたんです。
気持ちだけでは、どうにもならないなと実感しました。
なんて生きにくい世の中なんだろうって思ってました。
景気の良い時代に正社員になって、高給を貪る上司を呪ったこともありました。
誰にも迷惑かけずに死ねるなら、死にたいと思ったことも、何度もありました。
でもってね、そういう暮しをしてきた中でね、よく聞く言葉があったんです。
「今の若い人達が、お金が無くて苦労しているのは、年寄りが悪い。」
んー。そうなんですかね。
少なくとも、僕が貧乏なのは、時世と要領が悪かったからだなぁと思ってたんですけれど、違うのかなぁ。
「年金も年寄りばかり優遇されている。」
「日本の蓄財の大半は高齢者が持っている。」
そうかぁ、そうなんだぁ位にしか思いません。
のんびり死体は、人が持っている大金より、自分の手元のお小遣いのほうに興味があります。
確かにね、お金を持っている人は、どんどんお金を集める方法を持っていて、持っていない人から吸い上げるようなシステムがあるのはその通りだと思います。
たまに若い人もいるかもしれませんが、大抵のお金持ちは高齢者なのでしょう。
税金のうち、医療に使われる部分の大半は高齢者に使用されるのかもしれません。
年金も、どうなんだろうって心配になるようなシステムですよね。
でも、のんびり死体は、最近こう思うのです。
過去の若者達が現在の高齢者なんですよね。
彼らだって、若いころは、たぶんそれなりに苦労したんだと思うのです。
そうして、戦い終わった人たちなんだなぁと。
いま、コロナで世界が大騒ぎです。
日本では、実感わかない人もいるかもしれませんが、外国ではとんでもない量の人が死んでいます。
本当に、とんでもないことだと思うのです。
それだけじゃないんです。
宗教的対立や、食糧不足、水不足での争いが、今現在でも起こっています。
ちょっと話が大きくなりすぎました。
身近な話に戻ります。
よく目を凝らしてみれば、ほんの身近にも、悲しみがあふれています。
クラスに一人二人、両親がコロナで職を失ってなんてことが、珍しくない状態です。
ちょっと、とぼけた考えの、あんまり好きになれない年寄りも。
自粛してろっていっても、いうこと聞かない、馬鹿な若者も。
それは、誰かのおじいちゃん、おばあちゃんです。
頭の悪い若者も、それは誰かの息子や娘です。
僕から見たって、かわいくはないけど、家族にとっては大切なんです。
いま、大変な思いをしてる人に伝えたいのです。
言葉に出せない、怒りを持ってる人に伝えたいのです。
誰かを憎む気持ちで、自分の生活も、周りの環境も変えることはできないのです。
怒っても、どうもしようもないのです。
だからのんびり死体は、どんなことがあっても、のほほんと、のほほほんとしてやろうと思っています。
でもって、たいしたことないなりに、頑張って生き抜こうと思ってます。
多分これから、もっともっと景気とか、悪くなっていくんです。
過去の不景気を生きてきた自分には、確信に近いものがあります。
でも、そのときに、誰かを憎むなんてことは、必要ないと思うのですよ。
年寄りを責めても、何にも変わりません。
若者を責めても、何にも変わりません。
社会を変えていくのはっていうのは、大げさかもしれませんが、少なくとも
「自分の生活」を変えていくのは、いつだって自分です。
より良い世界を作っていくのは、いつだって、私と「あなた」だと、僕は思っています。
こんな話を書ける、のんびり死体は、やっぱり「いけおじ」だなぁと、我ながら思うのです。
読んでいただき、ありがとうございました。