ただ言葉は宙を舞う。
最後の学生が静かに教室を出て行く。
そうなってしまうと教室は先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返っている。エルフリーデが作り出していた静寂とはまた別の、本当に人のいない静けさだ。
この場に残っているのはエリカさんとテオさん、そして私だけ。
教室のちょうど中央の辺り、項垂れるように椅子にへたり込んでいるエリカさんの肩に手を置きながら何やら話しかけていますが、私のいるドアの側からではなかなか聞き取ることが出来ません。
別にエリカさんが心配なわけではない。彼女の失態が原因でこんな状態になってしまっているので、因果応報と言わざるを得ません。しかし何故かそんな彼女が居た堪れなくなってしまったのだ。やはり混乱している女の子を放っておいて良いとは私には思えなかった。
この場に残っても、教室の入り口にキョトンとしていても意味はない。仕方なく私は彼女の足元まで歩み寄り、二人を見上げます。
疲弊しているのか、虚に床を眺めるエリカさん。
あれだけ言われれば仕方がないでしょうか。こんな様子を見てしまうと少し同情してしまいそうになりますが、
「……何よ、貴女まで私を馬鹿にするつもり?」
瞳だけを私に向けて、彼女が口にしたのはそんな言葉。
優しさなど意味がないなと思ってしまうくらいに、自分の心が冷ややかになっていくように感じます。こうなればさっさとエルフリーデのところに行きましょうか。そんな考えが頭を過った瞬間、テオさんが慌てて声をあげます。
「姉さん、彼女に八つ当たりをしてはいけないよ」
さすがにこれには私も目を丸くしてしまいました。
あのテオさんがですよ? 私にもエルフリーデにも色々失礼なことを言っていたあのテオさんが私を気遣うような言葉を口にするなんて……ちょっと信じられない。
しかし私の気持ちとは裏腹にテオさんは私の前に跪き、その大きな手私の頭に持っていきます。撫でられ方は慣れていないのか少し乱暴にも思いますが、不器用なりに気を使った感触が伝わってくる。
「本当にすまない。君にも迷惑をかけた……」
ニコリと笑う彼は、いつかゲームの中で見た終盤の成長した姿とだぶって見える。
この数日で色々なことを考えたのでしょう。まさにあの諺そのままの成長ぶりには感心してしまいます。
「姉さん……」
感心する私をよそに、テオさんはエリカさんに向き直り一言。
しかし弟からの言葉だからこそ、彼女は素直になれないようです。
「貴方も早くどこかに行きなさいよ」
あまりにぶっきら棒に投げ出された言葉には少しの哀愁があった。
それは自分に絶望した時に出てしまう音だ。それを悟られたくないからとわざと棘を振りまいて、そして誰も近づけないようにする。
私にはそんな風に思えて仕方がない。そんなところろを見せられたら……簡単に立ち去ることなんて出来なくなってしまいますよ。
「出来ないよ。そんなに泣きそうな顔をしているのに」
テオさんも同じように……いや、家族だからこそ分かるものがあるのでしょう。
エリカさんの乱暴に投げ出された手を握り締めながら、励ましの言葉を何度も、何度も繰り返しています。
でも、それは……あまり良くないですよ。
「少しは……」
テオさんに握られた手が微かに震えていく。
「少しは、空気を読みなさいよ!」
言葉と共に握られていた手は振り解かれる。
きっとエリカさんがして欲しかったのは、励ましの言葉でも嘲りの言葉でもなく、『何もして欲しくなかった』のだと私は思います。
だから今は、黙って彼女の吐露を聞いてあげるのは一番なのかもしれない。
「そうか。少し無遠慮すぎたね。すまない……」
テオさんは呆然と目を丸くするどころか、そう呟いてじっと彼女を見つめます。
「一人になりたいのよ、どうしたらいいか分からないのよ、何も考えていたくないのよ!」
ちがう。きっと誰かに側にいてほしい。どうしたら良いかはわかっている。そして今も様々なことが頭の中を駆け巡っている。
でもそれらを放棄してしまいたくなるほどに、エルフリーデとのやり取りは彼女の中で大きな衝撃を与えてしまったのでしょう。
「何が違うっていうの? あの女と、私に……何が違うっていうのよ!」
だからこそ自分とエルフリーデを比べる言葉ばかりが彼女の中で頭を擡げているのでしょう。おそらく入学当初は彼女からすれば、自分と同じようにレオノーラ様の取り巻きの一人と考えていたはずです。
「何も、違わないと思うよ。あの人だって、普通の女の子じゃないか」
テオさんはそう言いますが、私はそうではないと思う。
エルフリーデはエルフリーデで自分の状況を必死に変えようとして足掻いてきたから今があると思う。どれだけ悩んで今があるのか、どれだけ苦しさを乗り越えてきたのか、きっと私にも分からない。でもエルフリーデをずっと近くで見てきたからこそ、分かることもある。
だから安易に『普通の女の子』という枠に彼女を収めたくない。まぁ身内贔屓になってしまっているかもしれないけれど、それが私の素直な気持ちだ。
だからこそ我慢できないこともある。
「……なら、なんでこんなに違うのよ! なんであの女だけが!」
そう、この言葉だ。あの女『だけ』がという言葉。
これだけは、この言葉だけは許すことは出来ない。
それは、エルフリーデの今までの努力を汚す言葉だからだ。
いつかテオさんに感じていた真っ赤な気持ち。それが今私の視界を染め上げていく。
遠くから聞こえてくる自分の唸り声。その地を這いずるような音を耳にして怯えない人はいないと思う。
「―――!」
それはエリカさんも例外ではなかった。
真っ赤に染まり始めた視界に映った彼女の表情は、怯えに染まっている。
そりゃこんなところを見せたことなんてありませんでしたからね。怯えるのも舌がないことでしょう。
それにしたって感情は沸騰寸前の自分が、頭がこんなにも冷静になってしまっているなんて、少し違和感を覚えてしまう。まぁ『自分のこと』理解してしまったし、さすがに二度目ともなると一歩引いたところから見てしまうのかもしれない。
それに今は私を止めてくれる人もいますからね。
その瞬間、不器用な手が私の頭にのせられる。
「彼女の怒っている理由、姉さんは分からないのかい?」
そう尋ねるテオさんに安心した表情を一瞬見せたエリカさんは、すぐに顔を曇らせます。
「そんなの、この子がいくら賢いからって……」
「エルフリーデ嬢はエルフリーデ嬢で苦慮してこそ今があるはずだ。私自身も彼女のそう言った面を少しは見てきたからそこ理解はできる。それに引き換え姉さんはどうだい? 姉さんはなんだかんだと人の揚げ足をとって、自分の都合の良いよう周りを操作していたじゃないか。それを彼女は怒っているんじゃないのかい?」
まぁ概ね合ってはいますけど……ここまで理解されているというのは少し恥ずかしい気がしますね……でもまぁ気が抜けてしまいましたし、もうそんな雰囲気ではないでしょう?
「何よ、それ……」
不意に上を見上げてエリカさんが呟くのです。
「私だって、こんな風にはなりたくなかったのよ」
それは今までエリカさんが決して口にしなかった言葉で。
「私だって、できるなら……もっとちゃんと仲良くしたかったのよ……」
ただその言葉だけが再び、宙を彷徨って行った。




