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知らないことを知らなくては前に進めない。

『人に頼りたまえよ』



 あれから一方的にではあったけど、ウェルナー様の話を聞くことになったのだが、一番印象に残ったのはその言葉だった。



 それはお部屋にいた時にぼんやりと私も考えていた。それをウェルナー様に言われてしまうと、思った以上に自分が追い詰められていたということを実感させられてしまう。



 ウェルナー様に借りが出来たような気がして違和感を覚えてしまう。そんな彼も後に用が控えているとが控えているということで、中庭から去っていってしまった。一匹取り残された私も手持ち無沙汰になってしまい、一路教室棟の方に足を伸ばすことにしました。



 教室棟に入った途端、私の耳をガヤガヤと喧騒が劈く。どうやら休憩のタイミングになったのでしょう、たくさんの人が廊下にごった返していた。嬉しいことに騎士団の方と学園の生徒たちが仲良く話をしている姿も見受けられました。やはり最初の催しが良い結果に結びついたのではないか、と私は思った。



 もしかしたらあの模擬戦がなかったら、おじいさまの言葉がなければ、きっとギクシャクしたままこの合同講義は進んでいって、なんの実りのないものになってしまったでしょう。それでは一斉に介した意味もないですからね。しかし将軍自ら沢山の人のいる目の前であんなことを言ってしまえるのは、ある意味すごいことだと思う。いや、むしろ自分がそういう人間を演じることで、発言しやすい空気を作り出しているとするならば中々に策士だなぁと思うわけです。



 あぁ、おじいさま……出来ればすぐに甘えに行きたいんですけど。



 私がトボトボと廊下を歩いていくとどうやら騎士団の方々の控え室として割り当てられた区域にやってきていました。誰も私のことを止めないことに違和感を覚えましたが、チラホラと廊下には見知った騎士団の方々の姿が見受けられたので、無害だと思われたのかもしれません。ここは犬としての役得ではありませんか。そんな中に特定の教室の前だけ、誰もいない空間がありました。あえて全員がそこにだけ近づかないようにしているようにも感じます。



 もしかしたら―――と、私は思いました。



 おそるおそるその教室に近付き聞き耳を立ててみると、私の鼓膜を叩いたのは聞き惚れるくらいのバリトンボイスでした。




「少し見ない間に見違えたね」


「そんな……恥ずかしいです」



 思わず身体が硬くなっていくのを感じる。きっと教室の中にはおじいさまと、そしてエルフリーデがいるのでしょう。二人の会話が私の耳に届いてきた。彼女を最後に中庭で目撃してから結構な時間が経過していることを考えれば、おじいさまと彼女が会っていてもおかしくはない。



 自分のタイミングの悪さを恨めしく思ってしまうのと同時に、こんな機会は滅多にないと、そう考えている自分がいた。



「そんなことないさ。もうすっかり、淑女然といているよ」


「ありがとうございます」


「でもどうしたんだい? 少し元気がなさそうだね?」



 さすがはおじいさまだ。私の耳に届くエルフリーデの声は、照れてはいますが努めて元気なように振る舞うものでしたが、声色一つで普通ではないと感づいたようでした。



「やっぱり、そう見えますか?」


「自覚はあったんだね。君がそのような表情を見るのは……あぁ、そうだね、見たことがなかったよ」


「そんなにおバカさんに見えます?」


「そうじゃないさ」



 その言葉と同時に席を立つ音がしました。姿を見ることができないためハッキリとはわかりませんが、向かい合って席についていたのでしょう。懐かしいお屋敷の中庭の様子が思い出されます。




「君はいつだって前向きで、悩みはするけれど必ず一歩でも前に進もうとしていたじゃないか」



おじいさまは「その前向きさは見ている側としては小気味良いけれど、少し落ち着きは持って欲しいね」と付け加えていますが、不服そうな唸り声が教室の中に響いていました。



「でもそんなの、特別じゃないですよ。誰だって……」


「特別? それはそんなに重要なものなのかい?」


「でも、わたしはおじいさまの孫ですし皆さんと釣り合おうと思うと……」



 きっと痛ましい表情を浮かべているのでしょう。彼女の声色は少しずつ悲哀に満ちていきます。



 しかし彼女に返された言葉はあっさりとしたものでした。



「あぁ、なるほど。そういうことで悩んでいたのかい?」



 その飄々とした言葉に私も、そしてエルフリーデも目を丸くしてしまったことでしょう。そんな私たちを気にかけることもなく、「気にする必要はないんだよ」おじいさまはエルフリーデに声をかけていました。



「私はね、君が生まれてきてくれただけで幸せなのさ。それだけで特別なんだよ」



これは肉親の色眼鏡かもしれないと、そう付け加えた後に何かにもたれ掛かるような音が響いた。音から判断するに、窓枠にでも肘をおいたのでしょう。しかしエルフリーデはあまりに直球なその言葉に、恥ずかしさと嬉しさがないまぜになったような、悲鳴にも似た声を上げています。



 咳払いをした後少し声が遠くに聞こえてきるけど、おじいさまが、しかしね、と声を上げた。



「自分にとって特別なものが欲しい、誰かの特別になりたいと思うのは仕方がないことだがね」


「……」


「一度冷静に自分が本当に欲しているものが何か考えてみた方が良いね。君には素晴らしい相談相手がいるだろう?」



 胸が苦しくなった。



「あ……」



 エルフリーデが不意にこぼした言葉にもまた、胸が苦しくなってしまう。



「喧嘩でもしてしまったのかい?」


「……がう」



 そうだ。あれは喧嘩なんかじゃない……


「ちがいます。喧嘩じゃなくて……」



「わたしが、一方的に……あの子に」


 教室の中から嗚咽が聞こえてくる。


違う! 私がエルフリーデの気持ちを考えずに動いていたことが原因なんです!



 私がこんなことで大事な彼女を、エルフリーデを泣かせたかったわけではないのに……一体私は何をしているんだ。



 また自分の不甲斐なさが頭の中を占めていく。


 やはり自分は何もできない、何も伝えられないただの犬なのだと、そう思えてしまう。


「そうか。辛かったね」



 でもそれでもおじいさまは優しかった。



「気が済むまで、こうしていると良いよ」



 きっと今、エルフリーデはおじいさまの優しい腕の中にいるのでしょう。


 そう思うと少し嫉妬で胸が熱くなりましたが、それ以上に自分の中に安堵が広がっていきます。



「おじい、さま……」



「泣いた後に、しっかりあの子に謝れば良いのさ。あの子はちゃんと分かってくれる子なんだから……泣いた後に、自分がどうしたいのかしっかりと見つめ直せば良いのさ」



 その言葉にきっと、私のことも信頼してくれているのだと、そう思えたから……

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