言葉にされたくないものもある。
わたしたちを包む茜色は徐々にその色を黒に近づけ、周囲は更に翳りを濃くしています。
そして先ほどから廊下に私たちだけしか居ないせいでしょう、この世界にわたしたちしかいないのではかという錯覚すら覚えてしまいます。
ハルカさんのあまりに痛快な物言いにまた言葉を失ってしまいましたが、ハルカさんはじっと押し黙ったままこちらを見つめて動こうとはしていません。
何故何も言ってくれないのだろう。そんな疑問が頭を過った時、ようやく彼女が何を待っているのかが理解できました。
そもそも彼女はわたしに疑問を投げかけていました。わたしとテオドールさんが関わっている理由は一体なんなのかと。
ハルカさんの認識としては、中庭でのいざこざがあってテオドールさんがハルカさんに接触してくるという理由自体が理解できていなかったはずです。
しかし実のところはこうやって接触もすれば、意味深にも「協力してくれると言った」とい言葉すら、彼は言い放っていました。だからこそハルカさんはわたしからの言葉を聞かなければ腹落ちする事は出来ないのでしょう。
「ご理解されている通り、リヒトホーフェン様は……ハッキリとは仰っていませんでしたが、ハルカさんとお話をしたいとずっとわたしに言ってらっしゃいました」
「それなら直接私に接触してこられれば良かったのではないかと思うのですが」
「やっぱりプライドのせいかもしれません」
「……それは、なんとも言えませんね」
苦笑を漏らすハルカさん。本当にテオドールさんに呆れてしまっているのだろう。わたしも同じように苦笑することしか出来なかったけど、まだまだ彼女の疑問に答えていないという自覚は残っていた。
「自分から動くのは貴族のプライドが許さないんだと思います」
「実に滑稽ですわね。更にあの方の事を好ましく思いませんわ」
「でも、どんな手段を使ってでも欲しいものを得ようとするところは、まぁ……」
途中までその言葉を言いかけて思わず声を飲み込んでしまった。
わたしが一体何を言おうとしたんだろう? なんで何も言えなくなってしまったんだろう?
考えなくても理由は分かっている。
わたしは、単純にテオドールさんの『正直なところ』は羨ましく思っている。自分勝手だけれど、自分が求めるものへの妥協のなさだけは見習うべきだと思っていたのだ。
じゃあわたしはと言えばどうなるだろう。
何を考えていた? 何を欲していた? 一体何をしたかった?
ハルカさんのライバルになりたかったはずだった。
接していくうちに守ってもらう事が、そばにいてもらい事が当たり前になっていった。それを心地良く思う自分もいて、このままで良いやとそんな事を思うようになっていた。
でも違う感情もあった。それは気付いてはいけない、考えてはいけない事だ。
しかしそれがテオドールさんやエリカさんの存在のせいで少しずつ露わにされていく。あの人たちの、目的にためなら手段を厭わないやり方は、そうは出来ないわたしには少しだけ羨ましく見えた。
「……接点も何もなかったから、結局わたしを頼ってきたんだと、そう思います」
少しの沈黙の後、見つめてくるハルカさんから逃げるように視線をそらします。余計な事を言いすぎてしまいそうですが、これくらないならば許される範囲でしょう。
「なるほど。それでエルフリーデ様に……」
一瞬怪訝そうな表情を浮かべるハルカさんでしたが、すぐに感情の見えにくいものに変わってしまします。もしかするとわたしの仕草は少し不自然だったのかもしれない。でも伝えたいことなんて何も口にしていないんだから大丈夫だよね?
それでもわたしの期待なんて叶うはずがない。
「……気に入りませんね」
独り言とも聞き間違えるくらいの静かな声。でも視線は間違いなくこちらを捉えている。
その瞳の強さに思わず逃げようとしますが、廊下という限られた空間では壁の方に少し移動するのがやっと。
それもハルカさんが一歩こちらに近づいてくれば何も変わりません。わたしが後退さればハルカさんは一歩近づき、結局壁際まで追い詰められてしまいます。
「えぇ! ますます気に入りませんわ! これは、貴女にですわ。エルフリーデ様!」
それはわたしの行動についてでしょうか。それも理解できないまま、今ハルカさんに抱いたものは恐怖に違いないと、そう自覚しながらまた視線を外そうとします。しかし彼女がわたしの動きを阻害するするように彼女の腕がわたしの真横に突き出され、視線を外すこともできずおそるおそる彼女と視線を交わします。
「……」
「聞きましたね? 気付いているのかと」
「それは……」
「貴方こそどうなのですか? 気づいていらっしゃるのですか?」
「えっと……」
何を言っているのだろう。わかりたくない、知りたくない。
『気付いている』事を悟られてしまっては、きっと今までのような関係ではいられないのに、何故こんな事を聞いてくるのか。
逆に憤りを覚えかけた瞬間、わたしはまたハルカさんの表情に息を呑んでしまいます。
「もうね、今回のようなことがあっては私も堪らないのです」
悲しそうに表情。なんで今にも泣き出しそうな顔をしているの?
「確かに言葉にして伝えてこなかった私にも問題はあります。しかしこのようなことがあった以上、貴女にも分かっていただかないといけません」
「―――て」
でも違う。聞いちゃいけない。
「エルフリーデ様……私は、貴女のことを!」
「―――やめてください!」
最後の言葉を前に、自分でも出したことのないような大きな声が廊下に響き渡る。
それでもハルカさんは臆することなく、わたしから視線を外す事はない。
「……」
ただ素直わたしの「やめてください」という言葉に、一旦の猶予をくれているだけなのだろう。
あぁ、それも気に食わない。
思い知らされてしまうじゃないですか……わたしはやっぱりこの人には叶わないんだって。
それでも紡ぎ出した言葉を止められない。
「わたしは、違う! わたしと貴女は、ライバルで……わたしは……」
守られるだけじゃない、影に隠れているだけじゃない。
その気持ちを吐露しようとするけれど、結局何もできていない自分に気が付き言葉が止まってしまう。
実際、わたしはずっと周囲の人に、あの子に守られてきた。
どの口が自分はハルカさんのライバルだと言うのだろう。そんな事を口にすることこそ、滑稽じゃないですか。
そう思ってしまうと何も言葉にできない。
その瞬間でした。本当に不意を突かれてしまったのです。
頑なに口にさせないと誓っていた言葉を、ハルカさんはついに口にしてしまいました。
「私は、貴女のことを愛しているのです……」




