これ、本当に『断罪イベント』ですか?
私がその変化に気づいたのは、喫茶室の入り口が少し騒がしくなり始めたからだ。
エルフリーデを取り巻く喧騒とは少し違うその喧騒は、徐々にこちらの方に近づいてくる。彼ら彼女らのそれに耳を傾けていれば、一体に何が起こっているのかは容易に想像できるでしょう。
ここまで足早に状況が展開していただけに、若干の違和感を覚えずにはいられないというのは本音のところなのです。
人垣が分かれ、こちらに歩いて来られているウェルナー様の表情にもそれを感じずにはいられません。まるで彼の掌の上で踊らされているような感すら覚えます。
しかし肝心なレオノーラ様はずっと顔を下に向けられているため、表情を読み取ることができません。
「なるほど、やはり君だったのか」
私たちに投げかけられた声もこの状況が起こりうることを確信していたように聞こえます。まるでウェルナー様とレオノーラ様がその場からいなくなることで、この状況を作り出したように思えるのです。
しかしそれを周囲の人たちがどれだけわかっていたでしょうか。
「で、殿下……」
エルフリーデを激しく追求していたエリカさんでさえ、読み切れていなかったのでしょうか、勝気な表情に一気に困惑の色が差し込まれます。
騒がしかった周囲も、お二人がこちらに近づいてくる度に、徐々に静けさが広がっていきます。姿を現しただけでこの場を支配してしまいました。
「……あまりに想像通りで力が抜けてしまうな」
呆れ声が喫茶室に響き渡った。
そしてウェルナー様はジロリとエリカさんの方に向き合うと。
「うん、もう少し巧くやると思っていたが、存外間抜けだったね」
普段の彼からは想像できないような冷めた言葉を吐き出した。
そんなウェルナー様に、おどおどと視線を動かしていたエリカさんでしたが、どうにか気持ちを持ち直そうとしています。
「い、いえ……これは」
どうにか言葉を返そうとするエリカさんでしたが、
「……これは一体どういうことなのです?」
それを遮ったのはウェルナー様の前に歩み出ていきながら、そう口にしたレオノーラ様でした。
言葉通りの厳しい表情を浮かべながさらに一歩、また一歩と彼女に近寄っていきます。学園にいらしてからのレオノーラ様は常に冷静沈着、悠然としていながらも気配りのできる人であると周囲の学友からは評判になっていました。
しかしそんな前評判を覆すような雰囲気に、エリカさんもしどろもどろになってしまいます。
「れ、レオノーラ様……これは! これはその女が!」
言い訳を口にしようと必死に考えを巡らせるエリカさん。
ですがそれがいけなかった。
エリカさんの言葉を耳にした瞬間、レオノーラ様の放つ雰囲気がさらに重々しいものに変化していきます。
「―――口を、口を開かないでください……」
「それ、は……え?」
きっとレオノーラ様のその冷たい言葉を想像していなかったのでしょうか。エリカさんはさらに身体を震わせながら辿々しく声をあげます。
「何度も同じことを言わせないでください……もう口を開かないでいただけませんか」
険しい顔でそう続けていると、周囲にもエリカさんの恐怖が伝播していったのか、『ヒッ』という声が聞こえてきます。
私の横でその状況を見つめるエルフリーデでさえ怯えを隠しきれずに、私にヒシとしがみ付いてくることを考えるに、彼女もレオノーラ様のこんな様子を見たことはなかったのでしょう。
一気に周囲の雰囲気が変わったことを察したのか、レオノーラ様はため息を吐き出して続けます。
「そうですわね。この際ですからはっきり言っておきます」
凛と響いたその声に喫茶室にいる全員が固唾を飲んで言葉を待ちます。
そしてーーー
「私も、そして皆さんもただの人間です。良からぬ感情を抱くこともあるでしょう。それは無理もないことです。ですが私はあえて言います。こんなことは許さない! 私の大事な人を、この人を傷つけるのであれば容赦しませんわ!」
普段の冷静な姿とはまるで別人のように、荒々しく声をあげるレオノーラ様。この声に喫茶室にいるほぼ全員が顔色を変えてしまいます。
ここにいるほとんどの人がレオノーラ様の言葉に心当たりがあったのでしょう。一様に全員が顔を伏せ、言葉を失ってしまいます。
しかしその中で唯一、どうにかしようと声をあげます。
「ま、待ってください! その女は殿下とレオノーラ様を利用して!」
ですが、エリカさんが突然言葉を止め、思わず立ちすくんでしまいます。
「―――ッ! え……」
視線の先には言わずもがな、レオノーラ様の姿。
「なるほど、貴女は……」
ポツリと、静かに彼女は呟きます。
しかし言葉とは裏腹に、彼女を取り巻く雰囲気はさらに冷えたものになっていきます。
「貴女は、私の『敵』ですね?」
そこには明らかな敵意がありました。
これまでは努めてそれを表に出していなかったレオノーラ様もそれをはっきりと言葉にしてエリカさんに詰め寄ります。
「……ぁ、ちが……!」
もはやエリカさんに返す言葉はありませんでした。
ただただレオノーラ様の雰囲気に、言葉に怯え、何もできずにただ顔を伏せ何と言えばいいのかわからなくなっているのでしょう。
先ほどまでは弾劾される側であったエルフリーデも今のエリカさんの状況に同情を禁じ得ないのか、更にきつく私を抱きしめてきます。
ここからどのような追求が続くのかと私自身も身体を固くしてしまいましたが、それと同時に私たちの後方からこれまで状況を見守っていたウェルナー様が声を発しました。
「―――そこまで」
まさにその一言でこの場を掌握してしまわれましたウェルナー様。
怒りを抑えられずワナワナと身体を震わせるレオノーラ様の肩をポンと叩き、ニコリと笑顔を浮かべる彼からは、戻ってきたばかりの呆れた表情は見えません。
「……」
「もういいだろう、さすがに怯えさせすぎだ」
「……確かに、少し大人げありませんでした」
そう言って一歩引きつつ、その場を明け渡していくレオノーラ様。同時にエリカさんもその場にたりこみ、立てなくなってしまったのでしょう。人垣の中にいた数人が彼女の元へと歩み寄り、支えようとしています。
そんなことを気にもとめずレオノーラ様はエルフリーデの横に戻ってきて、そっと彼女の肩に手を置きます。やはし人に触れてもらえるというのは落ち着くものなのか、私を抱きしめいていたエルフリーデの震えも、少しずつ治っていきます。
それと同時に次は一方踏み出したウェルナー様に周囲の視線が集まります。
「皆、聞いて欲しい」
言葉と同時に彼が深く頭を垂れました。
それには思わず喫茶室にいる全員が動揺を隠せません。茫然自失としていたエリカさんでさえどうすればいいのか分からず、支えてくれる取り巻きたちと顔を見合わせています。
「まず、皆を謀ったことは謝罪する。正直に言って、この場にカロリング嬢を一人にすればこのような状況になるであろうと予想してのことだったのだが……まさかここまで思惑通りになるとは思わなかったがね」
顔をあげた彼の顔には、ニヤリとしたいやらしい笑み。
これをここまではっきりと言えてしまうのが、ウェルナー様のウェルナー様たる所以でしょう。
その場にいる全員が各々落ち度を感じているだけに、周囲もグッと言葉を飲み込み、彼の言葉を受け続けるしかありません。
「しかしね、正直に言って入学式から今日までのこの学園の状況、私も許せるものではなかった。それが特定に一人に向けられたものであれば、許すことはできないだろう?」
しかしその言葉に一気に周囲が響めきかえります。
「やはりカロリング様を特別扱いしていると言うことではないか」
「そうよ! その人だけ特別に扱われるは納得いきません。やはりその女は殿下たちを惑わす悪女なんです!」
次々に聞こえてくるその声に、ウェルナー様も返す事が出来ないのではないかと、私が諦めかけたのですが、
「あぁ、そうだね。彼女は『特別』さ。私と、そしてレオノーラにとって特別な友人なのさ」
さも当然のように口にされたその言葉に、声をあげていた学友たちは口をつぐんでしまいました。
「その友人がこんな目にあっていれば助ける。それは当然のことだろう?」
そう続けながら、私たちを取り囲む人垣の、その一人一人をジロリと見つめるように周囲を歩くウェルナー様。皆が一様に彼と視線を合わせる事が出来ず、顔を伏せている中レオノーラ様と私だけが彼を真正面からずっと見ていました。
私の視線に気がついたのか、先ほどの嫌らしいものでなく爽やかな笑みを浮かべ、彼は更にこう続けました。
「だがね、我々はまだ学生だ。間違うこともあるだろう」
顔を伏せていた全員が彼の言葉に反応するように顔をあげます。
「だからこそ、今回の間違いを認めようじゃないか。気にするなとは言わない。認めなければならない。それを顧み、改めるからこそ成長につながるのだからね」
あぁ、やはりこの人はきちんとこの国を引き継ぐ準備をされているのだなぁと、心からそう思えました。
正直、アニメの中での彼はただの我儘な王太子でした。
魅力といえば、その美貌と権力。ただそれだけを振りかざしてヒロインにも強く当たっていましたが、それではいけないと気が付き、徐々に進歩していく。
アニメの中にはそんな成長の過程も描かれていましたが、それをさらりと飛び越した今の状況があると思うと、早いタイミングからウェルナー様と出会っていた事は非常に頼もしいと思うと同時に、少しの物足りなさを感じてしまいます。
「このような行動でしかそれを示すことの出来なかった私も、改めることとするよ」
そして再びウェルナー様が頭を垂れるのと同時に歓喜の声とともに、エルフリーデに駆け寄って謝罪する面々の姿がありました。同時にエリカさんとその取り巻きがそそくさと喫茶室を去っていく姿が見て取れます。
さすがにこの変わりようにはびっくりしてしまいますが、それだけ周囲が雰囲気に流されていたのだと言う事がわかりました。
まぁ流されていくのも世の常というものなのでしょうか。ここにも社会の縮図みたいなものを垣間見てしまいましたよ。
先ほどまでとは違う喧騒に頭を悩ませながら、駆け寄ってくる人たちを見ているとふと、エルフリーデが口を開きます。
「……レオノーラ様?」
少し怯えた声を出しながら、彼女はレオノーラ様の様子を伺います。
しかし先ほどから顔を伏せたままのレオノーラ様の表情を読み取ることは出来ず、意を決して彼女の手を握ってこう続けました。
「ありがとう、ございます……なんだか、気を使わせてしまって、本当にありがとうございました」
彼女に手を握られた瞬間、顔をあげたレオノーラ様の瞳がどこか潤んでいらっしゃいます。おそらくレオノーラ様もウェルナー様の言葉に感じいるものがあったのでしょう。
エルフリーデの手を握り返しながら彼女が嗚咽を堪えながらこう言います。
「貴女が困っているときに気がつけなかった私を許してください……エルフリーデさん」
さすがにこの場に私がいては無粋でしょう。
私はそっと二人の側から立ち去って、人垣の中を抜けていきます。
さすがに人の集中していた場所を抜けると、スッと風が通っていくような感覚がします。まぁ後は落ち着くのを少しの間待ちましょうか。
そう考えながら部屋の端の方に移動しようとすると、あまりに目立つ方がニコニコとこちらに視線を送っていらっしゃいます。
そんな目をされては相手をしないわけにはいきません。
私は面倒くささを感じつつも、彼の足元まで移動しジッと彼を見上げました。
相変わらず私に触れ事は出来ない様子ですが、それを表に出さないのはさすがですね。
「……いいねぇ。君もそう思うだろう?」
不意にウェルナー様がそう呟きます。
最初は私に対しての言葉とは思っていなかったのですが、続けて『そうだろう』という言葉に驚きついつい鳴き声を上げてしまいました。
……何を言いたいかは分かります。
視線の先にいるのは向かい合って手を取り合うエルフルーデとレオノーラ様の姿。身内贔屓なところをさしい引いても見目麗しいと感じますからね。
きっとウェルナー様もその程度に考えているのだろうなと、そう思っていると私は続く言葉に耳を疑ってしまいました。
「君のご主人様、ライバルには申し分ないが……しかし美少女が二人。良い光景じゃないか」
ん? ライバル? 美少女二人が……良い光景?
……ダメだ、考えないようにしよう。
まさかアニメの攻略対象の嗜好が若干変化し始めているとは……やっぱりも思いたくありませんもの。
何れにしても、とりあえず危ない状況は切り抜ける事が出来たんですから、今日のところは良しとしましょうか。




