これは謂わゆる、嵐の前の静けさです?
「はぁ……聞くんじゃなかったよ」
そう呟くエルフリーデは項垂れながらトボトボと渡り廊下を歩いて行きます。
その後ろ姿を追いかけて行くのですが、なんともいたたまれない気持ちになってしまいますよ。
数十分前の事を思い出せば無理もないとは思いますが。
「全然授業にも集中できなかったし……本当最悪だよぉ!」
テオさんとの話の後、とりあえず教室に戻ったエルフリーデ。
私もさすがに心配になってしまったので、彼女の授業が終わるまで外で待っていたのですが、出てきた途端にこの調子である。
きっと授業を受けている最中も悶々と考えていたんでしょうか。周囲の奇異の視線など気のすることもなく、背後をついて行く私に話しかけています。
「でもさ、なんだろ。すごくモヤモヤするんだよね。何でだろ……」
……おっと、いけない。思わず感極まってしまいましたよ。
鈍感だと思っていましたがどうやら気づき始めたみたいではないですか。
あとはその『何故』という気持ちに理由をつける事が出来るようになれば良いのですけどね。
さすがにそれ以上を求めるのは酷というものでしょう。
だからゆっくりで良いのですよ、ゆっくりでね。
「安請け合いするんじゃなかったかなぁ。どうしよう」
とりあえずは少し、テオさんとのやりとりを思い出してみましょうか。
「つまり、ハルカさんとお話をしたいってことですか?」
「そうなります」
「ちなみに、理由を聞いても?」
「それは……言わずとも分かるでしょう?」
「……まぁ人を傷つけないお願い事ならいいですけど」
「では頼みます、待っていますからね!」
ゲンナリしてしまいますよ! ちょっとは自分で頑張れよと、心の底から叫んでしまいたくなるやり取りですよ。
厚顔無恥にも程があるテオさんの行動にもですが、我がご主人様の言動にもため息が出てしまいます。
エルフリーデについては今の姿を見れば後悔しているので怒る気も失せているのですが、私は何よりテオさんに文句を言いたい!
ちなみに時代遅れだの、世相を読めていないだの言われても、これだけはハッキリと言ってやりますよ!
好きな女の子にアプローチするのに、端から人の力に頼っちゃダメです!
それでも男の子ですか! ってね。
この気持ちを伝えようとすると、噛みつくくらいの行動になってしまいかねないので、今はまだ何もしませんけどね。
とりあえず何度もため息をつくご主人様が心配で仕方がありませんから、瑣末ごとなどは放っておきましょう。
「はぁ、何かこんな風に愚痴ってみるとスッキリするね。聞いてくれてありがと」
私は聞くくらいしかできませんからね。それで気が休まるのであれば、どんどん話してくださいよ。
「んー! こうゆう日は早くお部屋に帰ってのんびりしようか?」
そうそう。昨日からこっち、色々急展開で疲れてしまったでしょう。幸いにも明日は授業もお休みですし、お部屋でゆっくりとしておきましょうよ。
そんな夢見たいな情景を想像しながら胸を熱くさせていました。
が、やはりそうは問屋が卸さないとでも言いましょうか。淡い私の希望はあっさり打ち崩されてしまうわけです。
それは一つの音から始まりました。
私たちの背後から聞こえる、床を叩くヒールの音。
少し嫌な予感とともに一人で振り返ると、そこには見知った女性の姿。
何だ、特に心配することはない……ん? なんでしょう、いつもとは少し違う雰囲気を見に纏いまながらこちらに歩み寄ってくるではありませんか。
何かから逃げているような、隠れようとしているようなそんな印象を覚えます。
しかしこんなに急いでいるなら一声だけかけてサッと横を通り過ぎて行くだけでしょうとタカを括っていたのですが、
「―――キャ!」
私の耳に届くエルフリーデの叫び声。
少しも予想していなかっただけに思わずびくりと身体を震わせてしまいますが、それと同時に『その人物がエルフリーデに危害を加えるはずがない』という確信があったので、特に慌てずに状況を見守ることにしましょうかね。
とそんな事を考えていると、エルフリーデの腕を引いてちょうど通りがかっていた空き教室の扉を開け、エルフリーデ共々そこに身を潜めようとする音の主。
私もそれに倣って教室の中に入ります。一瞬視界の隅に『とある人物』の姿が映りましたが、すぐに追いついてくるでしょう。
一旦今は目の前のことに集中しようと二人を見上げているのですが、
「えっと……レオノーラ様?」
「ようやく……会えました」
一言だけ口にして、彼女はじっとエルフリーデを見つめ続けるだけなのです。
普段の余裕はどこに消えてしまったのか、肩で息をする彼女に違和感を覚えますが、その様子でさえ美しく見せるのはレオノーラ様のレオノーラ様たる所以でしょうか。
そんな彼女が今、息を切らして入っていった教室の壁に押し付けているわけですよ! 片腕は彼女に掴まれたまま、エルフリーデの動きは少し制限されています。エルフリーデを見つめるレオノーラ様のお顔がかなり艶っぽく見えてくるんですが……
―――ハッ! いけない! あらぬ事を考えてしまいましたよ。
私にとってはグヘヘな場面ですし、ずっと見ていたい気分にさられましたがいつまでもこのままというわけにもいきません。
お二人から少し離れ、教室のドアの前で短く鳴き声を一つ。それにつられて、エルフリーデもようやく口を開いてくれました。
「どうしたんですか、そんなに息を切らして」
「え、えぇ。少し煩わしい人がしつこくてね。ほんとうに……ただ貴女と二人になりたいのに事あるごとにまとわりついて……」
完全にご自身の気持ちが言葉になってしまっていますよ、レオノーラ様。
まぁ口にした瞬間に赤らんだ頬を見れば、不意に言葉が漏れたのは想像に難くないものでしたが、そんなコントロールができないくらいに疲れてしまわれているのでしょうか。
「レオノーラ様?」
「……ま、まぁこうやって会えたのですから良いですわ」
心配そうに声をかける。そしてこの返答。もうデレとかそんなとこを大きく飛び越したようなそんなやり取り。
それを自然にできてしまうのも、この数年の積み重ねであり本来のあり方と変わったところではあるのでしょう。
私個人としてはこの部分には非常に満足です。
……どうやら同じように考えてくださっている方がいらっしゃったようですよ。
「突然走り去るなんてね。周りの人たちが唖然としていたよ?」
「……追いかけてくるのが速いですわよ、殿下」
「あ、ウェルナー様。ご機嫌よう」
そう、教室に滑り込む前に一瞬視界に映った人物はウェルナー様だったのです。
三年という歳月の中でこの方が一番変わられたのではないでしょうか。
面立ちは変わらず美しいものではありますが、体つきは線の細いものから変わっています。聞くにおじいさまの訓練にもずっと参加を続けていらっしゃるらしいので、こんなにも屈強なものに変わっており、それは性格すらも変えてしまったようです。
私たちが見ていたアニメの中では完全無欠のプレイボーイとでも言うのでしょうか。
手当たり次第に気になった女性には声をかけ、レオノーラ様をヤキモキさせていたのですが、今の彼からはそんな様子全くありません。
どんな方達から言い寄られようと、「婚約者がいる」の一点張りで親しい異性を作ろうとはしないのです。
現状で親しい女性はレオノーラ様とエルフリーデくらいでしょうか。
プレイボーイの時も魅力はあったのですけど今のウェルナー様、控えめに言ってすごく好みの人物に成長してくださいました。
ありがとう、愛していますおじいさま!
「ご機嫌よう、エルフリーデ。レオノーラ、君が逃げるから大変なことになったじゃないか」
どうやら教室の前で入るタイミングを伺っていたのでしょう。追いかけてきたと言っても息を切らした様子はありません。
むしろ二人が寄り添う様を見て、ニヤリと口角が少し釣り上がっているような気もするのですが……まさかウェルナー様もそちらに目覚められたのでは!
それにしても『逃げる』とは一体どう言うことでしょうか。
「知りませんよ。彼女たちが勝手に寄ってくるから、私が一人でどこかに行くのも勝手でしょう?」
「確かにその通りだよ。しかし彼ら彼女らの事情も理解してあげないといけないよ。私たちに取り入ろうと必死なのだから」
「ですが……」
なるほど。思い出してみるとお二人の周りには少しでも関係を築こうと、貴族の子息子女が集まっていましたね。
常に大人数に囲まれることの心労は、私やエルフリーデでは推し量ることができないところがあるでしょう。
「まぁ全員がエルフリーデのようであれば、そんなに気をもむこともないのだろうけどね」
チクリと皮肉とも取れる言葉を口にするウェルナー様。まぁここで普通の貴族であれば恐縮して何も喋れないところなのですが、我がご主人様は、
「……えっと、馬鹿にされてる?」
なんて、脊髄反射的にそう一言。
聞いているこちらは冷や冷やしてしまいますよ。不敬罪で罰せられても文句は言えませんよ。
「ハハハ、相変わらずズバリと言ってくるね。そうではなくて、裏表なく接してくれるのは君くらいと言うことさ」
今はこうやって笑ってくださっているので良しとしますが、お部屋に帰ったらお叱りタイムですよ。
「貴女は今のままでいいのです。ただ、貴女は私の側にいてくれれば良いのですよ」
とそんな事を考えていた視線の先では、レオノーラ様が我がご主人様の頬を撫でていますよ。うん、いいぞもっとやれ。
「レオノーラ、ますます隠さなくなってきているね」
「それで良いと、そう仰ってくれたのは殿下ですよ?」
「確かに、そのとおりだね。いやはや、判断を誤ってしまったよ。まさかこんなにもライバルが大きい存在になってしまうとは」
ライバル。言い得て妙じゃないですか。確かにアニメの中ではライバルにもなりそうにない人物が、レオノーラ様の心を占めているのですから、ウェルナー様も変わってしまうのも無理はありません。
でもウェルナー様、きっと今の状況楽しんでいますよね?
「お二人とも? どうされたんですか?」
そしてこの状況を理解していないエルフリーデ。まぁこれもお約束といえばお約束なのでしょう。
まだまだ楽しめる余地は残っていますね。
「まぁ良いじゃないか。とりあえずお茶にでもしないかい?」
「えぇ、そういたしましょう。静かに過ごしたいですわ。エルフリーデさん、行きますわよ?」
「え、はい! 分かりました」
腕をひかれ教室の外に出て行くエルフリーデを追いかけるように、私も外に出ていきます。
そう。ここで安易にお二人の提案に乗ってしまった事を後悔することになるとは。
今の私たちは知るよしもありませんでした。




