1章 ⑤
しばらく適当に歩いていると、不意にバルドの声が頭の中に響いた。
「(つけられてるな)」
「(大丈夫、わかってる。でもどうするか。尾行の割には下手すぎないか?)」
少し前から物陰に隠れながらついてくる気配はしていた。先ほどの少女を追っていた人物と関係があるのであれば話を聞き出せるかもしれない。
上手いこと自分という餌にかかってくれたのはありがたいが、あまりにもわかりやすいのでどうしようかと考えている間にどうやらバルドは痺れを切らしたらしい。
「(空奏、俺が奇襲をかける)」
「(頼む。目的を吐かせることにしよう。人目のあるところで実体化するのは避けたい。そこ曲がるぞ)」
大通りから外れ、狭い路地に入る。影に入ったタイミングでバルドが実体化、上空へ飛び去って行く。空奏はそのまま路地を歩いていき、尾行している人物が路地の中ほどまで進むのを待っていた。
そして、後方で悲鳴が聞こえたのを合図にルウが実体化し、空奏はUターンして強化された足で走り出した。後を追ってきていた人物も暗がりに入り込んでいる。これなら人目を気にする必要もないだろう。
バルドから逃げようとして空奏の方に近づいて来る相手の足元に横風を発生させて体勢を崩させる。一息に距離を詰め、たたらを踏んだ足を狙って袋にしまったままの刀で薙ぎ払う。見事に転んだ相手の胸元をルウが踏みつけて威嚇した。
「うわ、わ! なんだよ!!」
「喚くな。てめぇの目ん玉くり抜くぞ」
機嫌の悪そうなバルドにパーカーのフードが取られて顔が見えるようになったその人物は男だった。だいぶ若い。十代だろうか。
額に陣取ったバルドに脅されて必死に目を瞑って怯えている。額を踏んでいる鉤爪だけでも痛そうだが、ルウの足は容赦なく胸元を圧迫しているだろう。下手に動くと危ないことはわかっているようで、両手両足は投げ出されている。
そんな彼に空奏は近づき、バルドに周囲の警戒をするように言ってから男をうつ伏せにして横にしゃがみ込んだ。ルウが今度は頭を踏みつけている。
浅木に連絡を入れてから男に聞く。
「何が目的だ?」
「……。」
「もちろん話さないのは勝手だけど。俺も君の目が潰れるところとか、腕が噛み千切られるとか、見たくはないんだ」
空奏が冗談めかして言う。だがその物騒な物言いに男の身体がビクリと震えた。
もちろん空奏にその気はないが、先ほどバルドが脅しつけた上にルウが頭を押さえつけている。空奏は立ち上がって刀を抜き、男の耳にそっと押し当てた。冷たく無慈悲なその感触に男が冷や汗を流す。それでも口は開こうとしない。
男は唇を噛みしめて諦めたように目を瞑った。
「……そうか」
空奏は男の左掌に刀を突き刺した。その掌に生成されていた液状の何かが霧散する。
悲鳴を上げる男からすぐに刀を抜き取ってその身体を飛び越え、数歩踏み出し低い姿勢から刀を前に突き出す。鈍い手ごたえ。刀を引き戻すと、何もなかったはずの空間に先ほどのトカゲが姿を現した。
痛みで保護色状態を維持できなかったのだろう。口を貫かれたトカゲはのたうち回りながら粘性のある液体を撒き散らす。すぐに凝固してしまうそれに触れないように空奏が距離を取ると、上空を舞っていたバルドが風の刃を生成してトカゲに向かって放った。
背中に直撃して血を吹きだしたトカゲは痙攣して倒れ、淡い光に包まれて姿が消えた。
「シップ!」
左手の痛みに悲鳴を上げていた男が叫ぶ。シップとは先ほどの幻獣の名前だろう。
空奏は未だルウに抑え込まれて動けない男に向き直り言った。
「後は向こうで話してくれ」
ちょうど近くにいた局員が増援に来てくれたことで、空奏は男を引き渡す。少女を追っていた犯人が捕らえられたから今日はもう大丈夫だと浅木から釘を刺すように言われたので、空奏は帰らせてもらうことにした。
ルウとバルドが空奏の中に戻ってきたので、先ほど少し気になったことを話す。
「(なんかバルド機嫌悪くない?)」
「(眠いんだろう。私も疲れている)」
「(ガキみたいに言うんじゃねえよ。だが実際眠い。さっさと帰るぞ、空奏)」
眠いからという理由で目をくり抜くと脅された彼が少し可哀想になった。だが幻獣の疲労はアニマの精神状態から影響を受けていることが多い。さすがに空奏も疲れているため、それが二体にも伝播しているのだろう。日付も変わってしまっていることだし早く帰ろうと考え、空奏は浅木が気を使って手配してくれた車に乗り込んだ。