1章 ③
「それで鈴守ちゃんがいるわけだ」
屋上で街並みを見下ろしていたスターチスは面白そうに笑いながらそう言った。
ルウとバルドは空奏の中に戻り、空奏は刀のみ腰に下げて彼と相対する。琴絵も自らの異能を使うために必要な道具をしまい、特殊なゴーグルのみを付けた手ぶらの状態である。
「鈴守ちゃん、僕と会うのにそのゴーグルつけておく必要なくない?」
「念のためよ。この場に乱入してくるようなのはいないでしょうけど、私は空奏くんみたいにとっさの判別ができないもの」
琴絵が装備しているゴーグルは魂の色を見分けるための特殊なゴーグルだった。空奏も本来はそのゴーグルをつけなければ魂を見分けることはできないが、ルウが判別能力を持つため空奏は基本的にゴーグルを持っていない。
「戦う気が無いっていう姿勢を見せてくれるのは嬉しいけどさ。せめて鈴守ちゃんはいつもの紙、持ってた方が良いんじゃないの? もしかしたら僕の気が変わって二人とも食べちゃうかも」
スターチスの横に大きな黒い猫が現れる。通常の豹と同じぐらいの大きさになるだろうと思われる黒猫は、伸びをした後体勢を低くして目に鋭い光を宿らせた。
ソウルイーターはアニマと同じように幻獣を従えている。しかしアニマと違い、幻獣が実体化していなければ能力が使えないというわけではないのが特徴である。彼らの幻獣は単独で顕現しているようで、ソウルイーターが能力を使うときに浮かび上がるはず紋様は、幻獣の顕現では見ることができない。
つまり幻獣が戦闘を行うというだけでは、見た目からはその主がアニマかソウルイーターかという区別をつけることができないということである。
特殊ゴーグルが開発されるまでは一時ではあるが魔女狩りのようなことも行われたという。
アニマという存在が受け入れられ難く、時に差別の対象となりえるのはソウルイーターを目の敵にする者の余波がアニマにも向けられた結果であり、空奏も時に苦渋を味わうこととなっている。
「お前は約束を守るやつだってことを、俺は知っている」
黒猫を見て反射的に身構えた琴絵を制し、空奏はスターチスに歩み寄る。
そんな空奏を見てスターチスは手を振って黒猫を消した。そして降参というように両手を上げ、やれやれと言いながらため息をついた。
「そこまでの信頼を裏切るわけにはいかないねえ。そのつもりもないけどね」
「じゃあ余計なことはやめてくれ。俺の勝手に巻き込んで琴絵に怪我させるわけにはいかないんだ」
「そう思うならしっかり守れるように準備するべきだと思うけど?」
自分以外ならこうはいかないという忠告か。空奏だって死にたいわけではない。相手が彼だからこそこうしている。琴絵を制したのはいいものの、今の空奏にはこのソウルイーターに対応する術がない。本当に気が変わって黒猫が襲い掛かってきたらこの命は自覚するまもなく刈られていただろう。
脳内ではルウとバルドが文句を言っている。空奏が抑えているため実体化することができない彼らはそもそも、空奏単独でスターチスと対峙することに反対していたのだ。
ほら言わんこっちゃない。琴絵に何かあったらどうする。いいからさっさと出させろと散々である。ごもっともなので何も言い返せないが。
「科戸ちゃんさ、結構危ないことするよね。どうせまた文句言われてるんでしょ? 幻獣の子たち出していいから楽にしなよー」
「こっちはお前だからこそ大丈夫だと踏んでるんだ。それがわざわざ威嚇なんてしてくるから脳内お祭り騒ぎだっての」
ニヤニヤと笑うスターチスの先の行動は絶対にわざとだ。どうせお互いにこの場で敵対する意志はない。わかっていても空奏に万が一のことがあるわけにはいかないとするルウとバルドを煽ったものに違いない。
実体化した二体が直接文句を言い始める前にさっさと本題に入ることにする。
「スターチス。高橋さんとは元々面識があったのか?」
「高橋? ああ、さっきの男のことか。面識ってほどじゃないけど、知ってたことは事実だね」
「あのタイミングで現れたということは、お前は何らかの取引をしてたんじゃないのか?」
「……ふうん。どうしてそう思うの?」
「高橋さんの計画が失敗に終わり、あとは機関に捕まるだけだった。そこに現れて魂を取ったということは、あの人の計画に加担していた。もしくは何らかの助力をしていたんじゃないか?」
「通りかかっただけかもよ? もしくは前から目を付けていた魂が取りやすい状態になった。しかもそこに君がいたからちょっかいをかけた。そういう考えもできるんじゃないかな」
「いいや。通りかかったなら回収しに来たとは言わないはずだ。それに自分で言ったんだろう。俺たちと遊びに来たわけじゃないって」
「そうだっけ? そうか、それは盲点だった」
「前から狙ってたっていうのも変だ。まず高橋さんが立て籠もってから俺が行くまで結構時間はあった。別に人質がどうなろうと関係ないだろうし、何よりもお前なら適当に近づいてさっさと殺して魂食べて帰るだろ。俺が着いてからも何もしなかったってことは、無防備になるのを待っていたわけでもない。完全に状況が変わったのは、計画が失敗して事件が終息した時だ」
「だから彼と何らかの取引をしていたんじゃないか、と。そういうことだね」
「違うか?」
「いいや、合ってるよ」
スターチスは何が嬉しいのか朗らかに笑った。そしてしげしげと空奏を見つめて言う。
「何だかドラマの犯人にでもなった気分だね。科戸ちゃんは探偵とかに転職したらどう?」
「残念だが空奏は頭の回る方ではない。今のように適当に暴れてるぐらいがちょうどいいのだ」
「……ひどくない?」
「頭の回るやつであればもっと安全に気を遣っているはずだからな。私は間違っていない」
意外と世俗的なソウルイーターと、横からさらりと釘を刺してくるルウに空奏は顔をしかめる。まるで人が力を振り回すしか能がないような言い方だ。複雑そうな空奏を見てバルドがルウの背中の上で笑っている。これでも色々考えながら動いているつもりなんだけど、と空奏の心境を他所にスターチスは笑いながら続きを促す。
「それで、聞きたいことは終わりかな?」
「いいや。確認が取れたことでやっと本題。お前らソウルイーターが人と取引なんて初耳だ。いったい何を持ち掛けた?」
「魂を対価として、僕が手伝ってあげようか?って言ったんだよ」
「復讐の手伝いってことか」
「そう。最初は僕が目の前でなんとかっていう社長を殺してあげるよって言ったんだけど拒否されちゃったんだよね。社長宅に押し入るまでの手伝いをしてくれって言われたよ。相手の元に辿り着くまで死ぬわけにはいかないけどそこから先は自分でやる、そしてこれが終わった時には魂を持って行け、だって。まあ結局社長は不在。一旦延長ってわけ。そこで警察とかにやられて死なれると美味しくなさそうだったけど、彼は頑張って生き延びたね」
「そこで助けようとはしなかったのか?」
「なんで? 魂をもらうのは彼の計画が終わった時。でも僕の手伝いは社長宅に入るまで。それが取引。取引は云わば約束だよ。君も言ったでしょ。僕は約束を破らない」
「約束か。それもそうだな、お前らしい」
「死んでもすぐなら魂取れるし、その場で食べて帰るつもりだったよ。生きてる方が美味しいけどね」
「……そもそも何でそんな取引をしようとした」
空奏は最も気にかかっていた部分に踏み込む。
すぐにでも取れる魂を目の前にして、相手の要望を叶えてからその魂をもらう。ソウルイーターはそんな回りくどいことをして魂を食べるようなことはしてこなかったはずだ。
人外の力を持つ彼らにとって、人を殺すために人と組むのはメリットが薄い。要人の魂を取りたい場合などはともかく、今回のように協力する相手自身の魂を取るためにわざわざ取引を行うというのは、自らの欲求に従って過ごしている彼らの行動としては違和感を覚える。
「彼の憎しみはとても強いものだった。ただ一人にのみ向けられるその憎しみに満ちた魂がどんな味なのか。気になったのさ」
「それだとわざわざ手伝いをする必要性は感じられないな」
「育つのを待ってたんだ。人質を取って待っている間徐々に大きくなっていく彼の憎しみはとても興味深いものだった。科戸ちゃんが来た時は彼の計画も終わりだなと思ったけど、話を聞き出そうとしてくれたおかげでうまいこと想いが増幅された。結果上々の物が出来上がってくれたね」
果実が熟れるのを待つようにして収穫の時期を狙っていたのか。そして自分は図らずもその手伝いをしてしまったらしい。さっきの自分を殴ってやりたいところだがそういうわけにもいかない。心の中で悪態を吐く。
そんな空奏の心境がわかったのだろう。愉快そうに眺めてくるスターチスに腹が立つが、知らなかったとはいえ自分の失態である。そしてこの先似たようなことがあるとしても意図的に回避することは不可能に近い。気持ちを切り替えておくしかないだろう。
「さてと、僕はそろそろ行かせてもらうことにするよ。実はこれでも忙しい身だからね。あ、そうそう」
背を向けたスターチスが何かを思い出したように振り返った。また何かやる気かと思い、腰の刀に手を置いた空奏を見て彼は笑った。
「最近、アニマの誕生は覚醒に伴う強い感情の発露が原因、っていう噂があるらしいんだけど、知ってる?」
「知らないな。少なくとも俺にその覚えはない。眉唾物だろ。というより、その辺はお前の方が詳しいんじゃないのか?」
「知ってたら聞かないよ。僕はソウルイーターであって人間じゃないからね。そっか、でも科戸ちゃんがそうじゃないなら違うのかな? ま、いいか。そのうちわかるし」
じゃあね、と手を振って今度こそスターチスの姿が消える。
気配が消え、後ろで琴絵が安堵したのが分かった。気を張り詰めていたのだろう。彼女はポケットから取り出した紙を投げる。するとソファが現れ、力が抜けたように座った。
「はぁー、疲れた。さっきの任務よりも断然疲れた。いやほとんど何もしてなかったけど。空奏くん、よくあんなのと普通に会話できるね。私は無理」
「俺だって平常心保つので精いっぱいだったよ。特に最初は死ぬかと思った」
「その死にそうな目に付き合ってあげたんだから感謝してほしいところだよ。ルウもバルドも大変だね。相変わらず心労が絶えなさそう」
「おう、もっと言ってやってくれ。早くしないとルウの毛が全部抜けて皮だけになっちまう」
バルドがソファの背もたれに飛び乗りながら抗議すると、ルウは諦めたように溜め息をついた。ぐったりとしている琴絵はしばらく動きそうにない。
仕方なく空奏は琴絵に打診する。
「琴絵、俺にもソファくれ」
「嫌。こんなに心配かけさせるような人はその辺に座ってなさい。だいたい、なんでそうやって生き急ぐようなことをするのかな。危ないところに飛び込んで、私がどれだけ心配してるかわかってるんでしょうね。三年前のことで思うところがあるのはわかるけどもっと……」
取り付く島もない。そして始まってしまったお説教が長くなりそうだと思い聞き流すことにする。
琴絵は紙に描いたものを実体化させる異能がある。今座っているソファも予め描いてポケットに入れておいたものだろう。「描く」という一工程があるため、すぐに行動に移せるように描いておいたものを幾つも仕込んでおり、そのサポート力にはよく助けられている。
何も出してもらえないろ判断し仕方なく地べたに座ろうとすると、ポケットの中で端末が呼び出しを告げた。さすがに不憫に思ったのか、琴絵が座布団を描いて出してくれたので有難く腰を下ろさせてもらう。何だかんだと優しいのは助かるが、椅子を出さない辺りに無言の抗議を感じる。
「はい」
「はい、じゃありません。報告も入れない、帰っても来ない。どこで何をしているんですかあなたたちは」
呼び出しの相手は空奏と琴絵の上司だった。
簡単に事の顛末を伝えると、詳しい報告は明日まとめてもらうから今日は帰っていいとのお達しを受ける。休める時にはしっかり休むのが信条なので有難く帰らせてもらうことにして立ち上がった。
「帰っていいってさ。動けるか?」
「動きたくない……。バルド、さっきの女の子みたいに運んでってよ」
「そいつぁ構わないが、さっきはロープがあったが今度は必然的に服を掴むことになる。そのうち上着はずり上がるし、浮いてるからスカートの中丸見えになるぜ。とんでもない露出狂の出来上がりだな」
「う、それは乙女の沽券に関わる……」
「そもそも俺はルウと離れすぎたら人一人運ぶほどのの膂力は出せねえよ」
「そうだった。……それもこれも空奏くんのせいだからね!」
「怒り方理不尽すぎるだろ。ほら、帰るぞ」
何度か促すと渋々と立ち上がった。置いていくわけにもいかないのでこの機にさっさと帰ることにする。琴絵がソファと座布団を消すと、ルウとバルドも空奏の中に戻った。
しばらくして気力を取り戻した琴絵はいつも通りの元気な様子に戻っていた。コロコロと表情を変えながら話しつづける彼女を近くまで送って行き、空奏も家路に着いた。