5章 ⑦
「科戸の名を冠する者として。その身は盾にして、剣となれ」
瞬間、空奏の纏う空気が一変する。
青かった瞳は黄色い光彩を放ち、身体から青白い炎のようなオーラが立ち上る。
科戸の風はいっさいの穢れを祓う風の名を示す。
守るために討ち払う。それが己に課した空奏の誓約。
空奏は警戒をあらわに跳びかかってきた黒猫を切り伏せ、スターチスを見据えた。
その姿に目を見張ったスターチスは、口元に小さく笑みを浮かべて珍しく感嘆したような声を出した。
「科戸ちゃんの獣化。もう見れないと思ってたよ」
「良かったじゃないか。一度しか拝ませるつもりは、ないけど」
言いながら懐に飛び込み、横に一閃。それをスターチスは先ほどと同じように後退して避ける。蓮華も後を追ったことで、ひとまずは彩那との間に距離を作ることに成功した。
「(俺の方にいつもの拒絶みたいな負荷はない。そっちは?)」
「(私にも感じられない。問題ない)」
「(俺もだ。何の問題もない。一気にぶっ倒すぞ!)」
ルウとバルドに問題が無いことを確認。空奏の調子も問題ない。むしろ好調と言っていい。
三年ぶりの同時獣化は問題なく成功した。加速する脳と身体のバランスに力を奪われるような感覚。そう長い時間獣化状態を保つことはできないだろう。
空奏は蓮華の背後に回り、峰打ちで意識を刈り取る。
崩れ落ちた身体を抱き留めた瞬間、横から飛びかかってきた黒猫に向かって蓮華の身体を放った。
「さっき斬り捨てたと思ったんだけどな!」
「そう簡単に僕のプランクが死ぬわけが無いでしょ」
プランクと呼ばれた黒猫が蓮華の身体に阻まれるも、態勢を立て直すと再び跳躍して来た。
空奏に喰らい付くためむき出しにされた牙を避け、その横っ腹に掌底を打ち込む。
「獣化ができると言っても、二体と同時に獣化したのは失敗だったんじゃないかな?」
プランクとスターチス。両方を相手取るのは確かに難しい。しかし、通常の獣化で幻獣はルウかバルドどちらかに任せるという選択を取っては、スターチスに勝つことはできないだろう。
嫌になるな、と空奏は独り言ちた。
熊井の時も、今回も。格上を相手にどうにかしないといけないという状況に変わりはない。
だからまずは、この状況を変える。
「少しでも手抜いてどうにかなる相手じゃないことぐらいわかってる」
プランクが吹き飛ばされた先には意識を失った蓮華の身体が横たわっていた。
蓮華の身体にぶつかり、跳ね上がったところで空奏はそこにかまいたちの檻を創り出し、閉じ込めた。普通の人間なら壁となっている風に触れれば腕がちぎれてもおかしくはないような代物だ。いくらソウルイーターの幻獣と言っても、そう簡単に抜け出すことはできない。
一対一での対面となったスターチスに空奏は改めて向き直る。
「これで邪魔が入らなくて済む」
「想像以上の力だね。思わず見入ってしまったよ」
「お前が動かなかったおかげでこの獣化が失敗じゃなかったと判断できる。感謝するよ」
「いやいや、それほどでも」
皮肉を躱し、身体にソウルイーター独自の紋様を浮かべたスターチスは軽く腕を振るう。
その紋様は彼らが能力を使う証。すぐに周囲に黒い煙が展開され、様々な武器の形を取って宙に浮かび上がった。
それを見た空奏は先手を取って動き出した。
ルウの身体強化とバルドの風を操る力。獣化により通常より強化されたそれらを使い、まるで瞬間移動したかのようにスターチスの背後を取る。空奏が刀を突き刺す瞬間、スターチスの姿が消えた。
「(チッ、またかよ。これでもまだ捉えられねえってのか!)」
「(落ち着け、バルド。私たちの感覚もまた獣化の影響で鋭敏になっている。まずはああやって姿を消しているタネを探さなくてはならん)」
「観察するのもいいけど、フォローも頼むからな!」
わかっていると言わんばかりに、後方から飛んできた槍をバルドの風が迎え撃つ。
スターチスの厄介なところは攻撃が当たらないといううことだ。管理局にもたらされる数多くのレポートにはソウルイータースターチスの目撃例、交戦事例は複数あるものの、今まで彼の負傷について記載されたことは無かった。
しかしスターチスは以前、高橋という男の魂を回収した時に言っていた。
空奏と琴絵をまとめて相手にするのは面倒、と。
全て避けることができるはずの彼が面倒と言う。つまりそこに攻略の糸口があるはずなのだ。
今ここに琴絵はいない。物量で圧倒することができない以上、空奏が手数で勝負するしかない。
黒い煙から作られた武器が降り注ぐ中を掻い潜りながら、空奏はスターチスに肉薄する。
余裕の笑みを浮かべるスターチスが手元に生成したナイフを投げてよこすと、空奏は身体を捻ってそれを躱した。
だが同時に踏み込んでいる。剣先ではなく鍔で殴るかのように大きく踏み込んで振り切った空奏の一撃は、腹を裂いたと思われたスターチスの姿が消えたことで空振りに終わった。
視界の隅に姿を現したスターチスは当然のように無傷で立っている。
空奏は前方に転がり、宙から振り下ろされた大剣を避けてから立ち上がる。
「(まだ来るぞ!)」
ルウの声と共に腕が跳ね上がるようにして空奏の意志と無関係に動き、回転しながら迫ってきたの斧を叩き落した。続いて飛来した得物を風と刀でいなし、隙を見て再びスターチスの元へ飛び込む。
ついに刀を突き刺し、捉えたかと思ったその姿は、再び不敵な笑みを浮かべたまま虚空へと消えた。
「当たる直前に消える。当たっても消える。斬った感触が無いのは同じ。武器すら落とした後は霧散して別の場所で生成される。いくらなんでも反則じゃないのか、お前」
「次々と迫る武器を躱しながら僕の姿を捉えるだけでも凄いことだよ、科戸ちゃん。さすが獣化。自分を褒めてあげなよ」
「余裕な顔しやがって」
「それはもちろん。僕はこうやって君の獣化が解けるのを待てばいいだけだからね」
のらりくらりと時間を稼ぐつもりでいるスターチスの愉しそうな表情を見て空奏は唸った。
このままではまずい。獣化が解けた後はあの武器群に捕まるのがに見えている。
その後も何度かスターチスに届くものの、全て影を切ったかのように手ごたえが無く、スターチス自身は無傷で飄々としていた。手ごたえがあるのは武器群のみ。
空奏の方は致命傷こそ避けているが、小さなかすり傷が増えている。
多方面から飛んでくる武器群を捌くのにも、両手だけでは限界があった。
そんな空奏を見てバルドが焦れたように言う。
「(やめだ。みみっちいことはやめちまおう)」
「(みみっちいとか。人が苦労してる時にお前)」
「(お前の苦労ぐらいわかってる。それに俺たちの消耗もな。だがこのままじゃ埒が明かないのも確かだ。そうだろ?)」
「(それはそうだけどさ)」
バルドの言う通り、この先何度やっても同じことの繰り返しになるだろう。獣化状態に身体が慣れるにつれて空奏もまた速くなり、剣筋は鋭くなってきている。
しかし、それでもスターチスを捉えることができない。
「(もう全方位吹き飛ばして、あいつが逃げられないようにすればいい。この空間を全て自分の支配域として旋風を巻き起こすぐらいのことなら、今の空奏ならできる)」
「(まあ一理あるな。このままではこちらが消耗しきるのが先だろう)」
「(ルウまで……)」
「(今のところ身体強化の影響で戦えている部分が大きい。ここらで俺に活躍させてくれてもいいだろうがよ)」
ケラケラと嗤うバルドからは、空奏がまだ全力を発揮できていないと指摘されているかのようだった。
確かに迎撃や回避において風に乗って動き回る自分の戦い方は、主に身体強化に依るところがある。サポートではなくメインとして、暴風を使ってみろと言われているのだ。
「(バルドの考えはともかく。空奏、お前が昔考えていた竜巻の複数操作。今ならできるのではないか?)」
「(複数?)」
「(あ?)」
ルウの言った言葉で何かを掴んだ気がした。全面を埋め尽くすという案と複数とという言葉。
バルドの問いかけには応えず、頭に浮かんだ疑問を追うようにして空奏はスターチスについての情報を思い返す。
「全て無効になるのに避けるのは何でだ。琴絵と一緒だと面倒だと言っていた。あいつの攻撃手段は。違う種類の竜巻の操作の可能性。そして獣化。……そうか。わかった!」
「(おう、何でもいいが口に出すとバレちまうぞ)」
プランクと蓮華に向けて創っていた壁を解除し、同時に彩那たちの周囲に五つの小型竜巻を展開させる。
それらが干渉によって消滅させないよう調整するのをバルドに任せ、空奏はプランクが動き出したのを視界の端に留めながら両腕を高く振り上げた。
「倉庫の代金は友魂同盟に請求してもらうからな!!」
声を張り上げながら空奏は両腕を振り下ろした。
すると、空奏を中心にして生み出された風が波紋のように広がり、プランクと蓮華の身体をを巻き上げて黒い煙をも呑み込んでいく。
そしてスターチスを呑み込んだ瞬間、空奏は身体から煙が噴き出し、姿が消えるのを見た。
「バルド、上げろ!!」
「(任せろ!)」
竜巻が浮かび上がり、風に巻き上げられたプランクの身体を捉える。
彩那たちを守るように展開したのは、スターチスの意識にそういうものだと刷り込ませるためだった。
五つの竜巻は変化し、四角錘を作り結界となる。
これであの幻獣も再び身動きが取れない。
「おや、また捕まっちゃったか。でも僕を捉えられない限りそれは無意味だよ」
「最後に邪魔されるようなヘマしたくないんでね」
縦横無尽に吹き荒れる風に呑み込まれるのを逃れた黒い煙は、倉庫の天井付近に移動。
相当な質量を持つらしいそれらは滞留して風に対抗してくる。
「いいねえ。すごいね、科戸ちゃん。でもまだまだ」
どこからか響くスターチスの言葉と共に黒い煙は徐々に増殖して風すらも呑み込もうとする。
空奏は煙が風に抵抗するという奇妙な光景に思わず眉を顰めた。
どこまでも規格外れなソウルイーターだと思った。
かつて対峙したソウルイーターの中でもスターチスは破格の力を持ち合わせている。
その力が魂を無差別に食べることではなく、彼の興味関心に向けられていることは幸いと言うべきだろう。
しかし、彼の興味に付き合わされてきた異能事案管理局としては、そろそろ彼との関係に終止符を打つ頃合いだ。
「もうタネはわかってるんだ。幕引きにしよう」
空奏は吹き荒れる風を強化した。
倉庫内は通常の人間であれば立つこともままならない暴風状態になる。
ルウの力により身体機能を限界まで強化した空奏は、バルドの力でその風の中に生み出した別な風に乗り上空へと駆ける。
「うわ、風の上を走るとか。科戸ちゃん最早人間じゃないよそれ」
「規格外の化け物相手に、人間なんてやってられないんだよ!」
上空から打ち落とされる得物たちは屋内に吹き荒れる風によって軌道がバラバラになり、狙い通りにはいかない。
それでも空奏を串刺しにしようと飛来するそれらを、空奏は幾筋もの風を生み出し躱していく。
スターチスも気づいたのだろう。空奏の目的が上空の黒い煙ではないことに。
「くっ。気づいたのか」
「お前の姿は切れないのに、飛んでくる得物には感触がある。つまり、あの煙には二種類ある。そして、姿が消えるのは別なところに本体があり、偽物だから。本体はここから遠くにあるわけにはいかない。つまり、そこだ」
空奏は空中で風の檻に捉えられたプランクの元に向かっていた。
実体を持たないスターチスが攻撃を避けていたのはそこに実体があると思わせるため。しかしそれでも避けきれないものは瞬時に消滅させ、別な場所へ新たな虚像を創り出すことで惑わせていたのだ。
琴絵がいれば空間を覆いつくすほどの物量による攻撃が可能となる。先日会った時に言っていたのはこれが原因だろう。
だが正体が見えていれば惑わされることはない。
瞬間移動を繰り返していたように見えていたのはただの目くらまし。
本体は必ず実体をもってそこにいる。
「断ち切れ!」
空奏は刀に風を纏わせ、プランクの身体を一閃した。
一筋の斬撃は一瞬遅れて荒れ狂い、かまいたちのようにその肉体を切り刻んだ。




