5章 ⑥
『助けて、空奏さん』
風に乗せられた小さな祈りは、間違いなく空奏に届いた。
水柱を見て駆け出した空奏が穴の開いた天井から飛び込んだのは、スターチスの手が届こうかというまさにその時だった。
その腕を切り落とすつもりで振るった刀を、スターチスは後ろに飛び退いて躱した。
「そっちにいるってことは、あんたは敵なんだな。上村さん」
「それがわかっていながら『さん』付けなんて、礼儀正しいのね。科戸空奏さん」
「……。浅木さん、彩那ちゃんを発見。敵の数は二。一人はスターチスです。手が空いたら人回してください」
浅木に連絡を入れ、通信を切る。
スターチスの名前が出た時点で浅木が止めに入ったが、このまま逃がしてくれるとも思えないし、そのつもりもない。
スターチスが彩那を狙っている以上、手を打たなければ彩那に平穏は訪れない。
神出鬼没なソウルイーターである彼をここで討たなければならないと空奏は決意していた。
「怪我ねぇか二人とも」
「無いよ。ラナも怪我は無い」
「あ、彩那。そろそろ、はな……いきが……」
「あ、ごめん!」
空奏に遅れて降り立ったルウとバルドが二人の様子を確認する。
改めて無事を確認し、空奏はスターチスへと意識を向け直した。
「遅れずにここまで辿り着くなんて、いやはやハウンドというのは末恐ろしいね」
「猟犬の名を戴いただけはあるってものだろう。友魂同盟のやつらはどうした。いないところから考えるに、食べたか?」
「話が早くて助かるよ。ここにいたのは全員食べちゃった。んで、君たちが上村って呼んでる彼女はソウルイーターだ。名前は蓮華。ここに連れてきたのは彼女だから、変に横やりが入ることは考えなくていいよ」
スターチスは嘘は言わない。彼の言葉は信じてもいいだろう。
そして横やりが入ることを嫌がるのもスターチス自身だ。だからこそ全て喰らった。
そしてサラリと明かされるもう一人のソウルイーターの存在に空奏は思わずルウを見やる。ルウはソウルイーターを見分ける目を持っている。だから空奏にはゴーグルが必要無いのだが、まさか見落としていたということだろうか。
「バカな。私がソウルイーターを見逃すわけが……いや、まさか」
「ルウ?」
「蓮華と言ったか。お前、人の魂を喰らったことが無いな?」
「……幻獣風情が。そんなことまでわかるのね」
「科戸ちゃんの幻獣は本当に優秀だよね。よくその可能性に辿り着けるものだよ」
蓮華がルウを睨みつける。
対照的に何故かスターチスは嬉しそうな顔をしている。一人理解の追い付いていない空奏がルウに訊ねる。
「待て。ソウルイーターの魂は最初から人間とは別の物なんじゃないのか?」
「もちろん別物だ。しかし、一見区別がつかない。人間も犬も。猫、鳥、この世に生きる全ての生き物は全て違う生き物であり、違う個体だ。それぞれが魂を持っている限り、そこに差があるのは当然」
「じゃあ、お前らは何で見分けてるんだ?」
「私たちは色で見分けている。通常魂は青い色をしているが、ソウルイーターの魂だけは赤い色をしている。赤くなるのは他者の魂を取り込んだことによる異常反応の影響であり、管理局のゴーグルはその異常を感知するために創られたものだ。色の区別も、私のような存在の感覚に似せたものだったはずだ。……いくら使わないからといっても組織の道具の構造ぐらい把握しておくのだな」
「いや、さすがに知ってる人少ないと思うよ?」
ソウルイーターに対しては赤い反応を示す、ぐらいの認識で使っている者がほとんどだと思う。
そう思いたい。
「ともかく、二人ともソウルイーターってことでいいんだな?」
「いいや。今の状況ではソウルイーターと言えるのはスターチスだけだ。客観的にはな」
「いいじゃねえか。どっちもソウルイーターで。そう考えておかねえと、スターチスに構ってる隙に刺されてもおかしくねえぞ」
「しかしだな」
「……彩那ちゃんを連れ去った原因は蓮華にある。友魂同盟の組員として対処する。以上」
空奏の決断に二体も頷く。
名目上とはいえ、ソウルイーターとして処理することはできない。誰にわかるものでもないからこそ、空奏は自身の責任として対応することに決めていた。
「熊井とケリと付けたかったところだけど、仕方ないか」
「代わりに僕が遊んであげるよ」
「本命に言われてもな。悪いが遊ぶつもりも、その余裕もない」
空奏は正眼に構えながら言った。
全員食べたということは当然、熊井も含まれるのだろう。相手をする人数が減るのは素直に助かるが、残っているならスターチスではなく熊井が良かったと思うのはあの男に悪いだろうか。
「北野ちゃんを守りながら僕とやるつもりなんだ。それも一人で」
「お前のおかげでこっちは友魂同盟の連中に人手を割かれているんだ。二人まとめて俺がここで倒す」
凛とした表情の空奏を見てスターチスは目を見張り、笑った。
スターチスの足元に以前にも見たことのある、大きな黒い猫が実体化する。ルウとバルドも臨戦態勢に入り、一触即発の空気が漂う。
「空奏、わたしも」
「うん、わたしたちも!」
「ダメだ。悪いけど足手まといにしかならない」
厳しい言い方だが、それが現実だ。スターチスと蓮華。二人のソウルイーター相手では、彩那がいるということが一つの枷となる。動き回られればその分空奏たちのフォローが間に合わなくなる危険がある。
少しでも戦力が欲しいところではあるが、彩那たちを危険に晒すわけにはいかない。
「科戸ちゃん。一つ、約束をしようか」
「なに?」
「僕と蓮華は、君が立ち上がれなくなるまで彩那ちゃんに危害を加えないと約束をしよう。そもそも蓮華は魂を食べていないせいで碌に力を使えないしね」
「……お前のメリットは何だ」
「君ならわかってると思うけど、僕の目的は北野ちゃんの魂だよ。でもそこにアクセントを咥えようと思うんだ。……助けに来た君が目の前で死んだら、北野ちゃんはどうなるかな?」
「……」
「その魂は絶望に染まる。今度はアニマの覚醒とは関係なく、染まってみてもらおう。そしてその魂の味がどうなるのか、僕に教えてほしい」
「相変わらず狂ってる。でも、いいか。勝手に制限をかけてくれるなら好都合だ」
「それに北野ちゃんのことを気にして全力で来ない、なんてことになったらつまらない」
「……そうか」
空奏は一度身体ごと彩那に向き直る。背中はルウとバルドが守ってくれるから心配はいらない。
こちらを見上げた彩那は空奏を心配するような表情で立ちすくんでいた。
その頭に手を乗せて笑いかける。何も心配はいらないと言うように。
「悪いけど、すぐに逃がしてあげることができそうにない。自分の身を守ることだけ考えて、ここから動かないようにしててくれ」
「……わかった」
「ラナ。彩那ちゃんのこと頼むぞ」
「わかりました」
ラナの言葉に頷く。それを見たラナは彩那と目を合わせ、水の壁を創り出した。
空奏は彩那たちの元から少し下がってから刀を抜き、自分と彩那たちの間に一本の線を引いた。
振り返り、愉快そうに笑っているソウルイーターに向かって言う。
「この先に行けると思うなよ」
もういいだろう。
この子が危ない目に遭うのは。
自分を押し殺さなければならない状況に追い込まれるのは。
ルウとバルドが実体化を解除し、空奏の中へと戻って来る。
三年間がむしゃらに探して来たのも、もう終わりにしよう。
ただ強くなろうとした自分ではなく、在りし日の自分へ還ろう。
いつしか獣化は目的となっていた。
獣化を取り戻して強くなろうとあがいていた。
守ることばかり考えて、大事なことを忘れていた。
一番初め。アニマとして覚醒した時はそうではなかったはずだ。
当時の誓いを思い出し、口を開く。
今度はこの力で必ず守り抜くという決意と共に。
「科戸の名を冠する者として。その身は盾にして、剣となれ」




