5章 ⑤
「ここは……?」
「(彩那! 彩那、良かった。目を覚ましたんですね)」
「わっ!? ら、ラナの声か。びっくりした」
彩那は気づけば知らない場所に立っていた。
彩那がいる場所は開けているが、少し離れた位置には多くの箱が置いてあるのが月明かりからわかる。暗くてよく見えないが、様々な物が積まれているということは倉庫か何かだろうか。
突如頭に響いたラナの声に驚いたものの、周囲の様子を見ながら彩那もまた頭の中で言葉を紡ぐ。
「(頭の中で急に声が聞こえるの、まだ慣れないなあ。でも目を覚ましたって。部屋で寝てたはずなのに……わたしどうしてここにいるの?)」
「(彩那の言う通り、屋外訓練場から帰った後は部屋で寝ていました。しかし、起き上がったと思ったら歩き出して、ここまでやってきたのです)」
彩那の様子が戻ったことに安堵しつつラナが簡単に説明をする。
それを聞いて彩那はますます首を傾げた。寝ている時に歩き回るなど、どういうことだろうか。
「その様子だと幻獣と話をしてたのかな? 疑問に思ってるだろうし、とりあえずここはある倉庫の中とだけ言っておきましょう」
「だれっ!?」
振り返ると、突然倉庫内にコツコツという足音が反響した。
暗闇の中から現れたその人物は彩那の目の前で立ち止まり、ニコリと笑った。
対して彩那は呆然としてその姿を見上げる。
「上村、さん?」
「ええ、彩那ちゃん。あなたが施設からいなくなって数日。心配していたのだけれど、元気そうで何よりだわ」
止まった上村に対し、彩那はじりじりと後ろに下がった。
数か月しか関わっていないが、上村は彩那のことをずっと気にかけてくれていた。穏やかな笑みを浮かべて彩那の心を解きほぐそうと尽力していたことは確かだ。そして彩那は、友魂同盟の人間に狙われていることを隠しながらも、その笑みに救われていた。巻き込むわけにはいかないと奮起したものだった。
しかし今、同じ笑みを浮かべるその姿に彩那は恐怖にも似た何かを感じ取っていた。
「彩那、下がってください。この人の匂い、何かおかしい」
「落ち着いて幻獣の子。私は彩那ちゃんの知り合い。争うつもりはないのよ」
彩那が正気に戻っていることで実体化することができるようになったラナが、彩那を守るようにして上村との間に降り立つ。その様子を見て上村は苦笑しながらラナに向かって言った。
しかしラナは警戒を緩めるようとはしない。彩那もまた上村から感じる雰囲気に違和感を感じ、目を離さないようにしながら更に少し後ろに下がった。
「何でこんなところに上村さんが」
「悲しいな。私はただあなたのことを心配しているだけなのに」
「そうだよ。レンゲは北野ちゃんのことを心から想っているんだ。そこに偽りはないよ」
背後から聞こえた声に振り仰ぐと、一人の青年がこちらを覗き込むようにして積み上げられた箱の上に座っていた。
青年はニコリと笑むと、彩那の前にふわりと降り立ち興味深そうに彩那を観察し始める。
「ほほう。これは聞いた通りすごい魂の持ち主がいたものだね。いやはや、人間の成長というのは恐ろしい」
「スターチス。彼女を怖がらせるような真似はやめなさい。今更多少感情の乱れを起こしたところで魂に影響は無いでしょうけど、ここまで育んだ彼らの努力を鑑みるべきでしょう」
「それはそうだけど、僕としては彼女自身にも興味が尽きないんだよ。強い感情の発露がアニマの覚醒に影響するというのを彼女の存在が証明してくれている。まだ一つだけとはいえ、このサンプルが得られたのは僕たちソウルイーターにとっても大事なことだと思うけどね」
「私はあなたほど魂の質に興味は無いから。それよりほら、よそ見してると」
上村が言いかけたその時、彩那の背後で水球が弾ける。
ラナの指示で真横に駆けた彩那の立っていた位置に向かってラナが水球を飛ばしたのだ。少し遅れて上村の眼前にバケツを返したような水流が迫り、上村は難なくそれを避ける。
軽く腕を振っただけで水球に触れることなくそれを防いだスターチスは愉快そうに笑った。
「優秀な子。いや、さすがに小学生程度でその判断はできないよね。ということは幻獣の指示かな?」
二人に挟まれているのはまずいとラナに言われ、とっさにとった行動は正解だったようだ。
ラナがスターチスと呼ばれた青年に向かって攻撃するのに遅れて彩那もまた上村に向かって創り出した水をそのまま飛ばした。
駆け抜け、壁を背にするようにして立つ。振り返った先では二体のソウルイーターが何事もなかったかのようにこちらを見ていた。
「僕たちって、言った。ということは、上村さんもソウルイーターなの?」
「今更確認するのね。今の水、驚かせる程度の威力じゃなかったと思うわよ? ただの人間なら吹き飛ばされていておかしくないものだった」
「答えて。上村さんは、ソウルイーターなの?」
人の魂を喰らい、死へ導く者たちの存在はもちろん彩那も聞いたことがある。
ニュースで何度も取り上げられ、時には異能事案管理局によって討伐されたという話も出る。
実際に目の当たりにするのは初めてだが、聞いた通り見た目は人間と変わりない。
ラナがおかしいと言った言葉を、自分の中の違和感が裏付けるように胸がざわついていた。だからさっきは動けた。
再び彩那を庇う様にして向こうを威嚇しているラナの姿が彩那を冷静にさせていた。
元々自分を押し殺すようにしていたおかげで、小学生らしくない達観した思考を持つ彩那は湧き上がる様々な感情を押し殺し、ただ一点のみを確認する。
自分を気にかけてくれていた女性が、自分を殺そうとする存在なのかどうか。
「……そうよ。私は人間にソウルイーターと呼ばれる存在」
「……そう、なんだ」
下を向きそうになるのをグッと堪え、彩那は自分を見る上村を見つめ返した。
いつも気遣うように彩那を見てくれていたその目からは何も読み取ることができない。
「上村っていうのは偽名なんだけど、蓮華は本名なのよ。綺麗な名前でしょ?」
ふわりと笑うその表情はいつも彩那が施設で見ていたものと同じようで、でも少しだけ違う。柔らかい笑みは自分を気遣うものではなく、そこに暖かさは感じられなかった。
「彩那。気持ちはわかりますが、もう少しだけ」
「ありがとう、ラナ。大丈夫だよ」
ラナが前を見据えたまま背後の彩那に声をかける。彩那はその温もりに押されるように感傷を横に置く。
死を体現するものがそこにいる。改めてその現実に向き合おうとするのは足がすくむような気がした。視界に映るラナの背中がかろうじて彩那を支えてくれている。
「(彩那、そこの荷物の陰に水を貯め込んでください)」
「(……わかった)」
ラナの目的はわからないが、何か考えがあるのだろう。彩那は言われた通り、ソウルイーターたちに気づかれないようにしながら陰に水を創り出し始めた。
ラナがソウルイーターたちに向かって凛とした声を張って立ち向かう。時間を稼ぐつもりのようだ。
「このおかしさはソウルイーターの証だったのですね。それにしては二人の匂いに差がある気がしますが。ともかく、彩那をここに連れてきたのはあなたたちのはずだ。どうやって彩那を操ったのです」
「覚醒前の幻獣は記憶を共有するのよね。だとしたら知ってると思うわ。病室で彩那ちゃんと二人っきりになった時に遅効性の術式をかけておいたのよ。便利でしょう?」
「彩那が病室から抜け出して、空奏と琴絵に保護された時……。目的は何です」
「やだなあ、ソウルイーターの目的なんて魂に決まってるよ」
「なぜ、彩那の魂を狙うのです。それも、こんな回りくどいことをしてまで」
「それについては僕じゃなくて蓮華の考えなんだけど」
「私たちだって、あの城ヶ崎真白のいるところに乗り込んでまで彩那ちゃんの魂を取ろうという気は無いということよ。あんな化け物相手にしていられないわ」
「ソウルイーターが人間を化け物と呼ぶとは、笑えない話ですね」
ラナはまだこの世に顕現したばかりのため、真白の力を知らない。
彩那も詳しいことは知らないが、管理局に滞在していたこの数日の間、局員や空奏たちの態度を見ていて真白が凄い人であるということはわかっていた。
しかし、異能事案管理局に属する局員でさえ相手取る時は数人で対応するというソウルイーターに化け物と言わしめる真白の力はどれほどのものなのか、想像もできない。
「しかし答えになっていませんね。上村……いえ、ソウルイーターの蓮華。あなたなら彩那に接触する機会はあったはずです」
「外に連れ出すことはできなかったでしょう。いつだって誰かしらの監視のあったあなたたちだもの。それに、魂が欲しいのは私じゃなくてスターチス。内部で悟られないように魂を取ったとしても、渡すまでに鮮度が落ちてしまっては意味が無いわ」
「僕としては勝手に取ってっても良かったんだけどね。レンゲと約束したから、こうして君たちがここに到着するのを待っていたというわけさ」
「約束、ですか」
「そう。僕はアニマとして覚醒した北野ちゃんの魂が欲しかった。レンゲはこの辺で活動するにあたってそろそろ一旦、管理局の目を遠ざけたかった。じゃあ何やら有望な異能持ちを探しているらしい友魂同盟にも手伝ってもらおう。ということで、彼らの集会場所でもあるここを借りたということさ。ここで北野ちゃんがレンゲと話をするまでは僕は手を出さないことになっていた」
「スターチス。喋りすぎよ」
「おっと、これは失礼」
ピシャリと釘を刺した蓮華に向かってスターチスは芝居がかったお辞儀をした。
緩い空気のソウルイーターに反して、彩那とラナは周囲に対する警戒を強めた。スターチスの言うことが本当なら、友魂同盟の人間が出てくる可能性がある。
ラナは混乱の最中にありながらも、あの時熊井という人間を逃したことを思い出していた。彩那の内から見ていた、傷付いた空奏たちの姿が目に浮かぶ。
今の状況でさえ絶望的なのに、熊井まで出てきたら逃げることなど叶うはずもない。
「ん? 二人して顔が強張っているね。安心しなよ。友魂同盟の人はここにはいない」
「彩那を途中まで連れてきたのは友魂同盟のはず。それに、ここを拠点としているなら熊井という男がいてもおかしくない。その言葉を信用することは……」
「食べちゃったから」
「は?」
ラナが呆けたような声を出す。彩那もまた、何を言われたのか理解できずにいた。
固まった二人を見て、スターチスは何が可笑しいのか愉快そうに笑って再び言う。
「だから、その熊井って人。魂食べちゃったから。他にも三十人ぐらいかな。全部僕が食べちゃったから、ここには来ないよ。安心していい」
楽しそうなスターチスの横で蓮華が小さく溜め息をついた。
相手は子どもとその幻獣。ラナのおかげで保っていた彩那の気力は、今の発言で失われるだろうと蓮華は見ていた。
スターチスとすればそれが目的なのだろうから、蓮華は何も言わずに様子を見ることにした。
彩那はポツリと呟く。その雰囲気にラナは震えた。
これは、壊れる。
「そんな。……そんなにたくさんの人を、あなたは、殺したってこと?」
「そうだね。さて北野ちゃん、そろそろお話は終わりにしようか。蓮華と話をするところまでの約束は守ったし、これ以上はもういいよね」
「彩那!! 天井に向かって打ち上げて!」
思わずふらついた彩那をに向かってラナが叫ぶ。
その言葉にハッとした彩那は、言われるままに貯め込んでいた水を天井に向かって放った。
何も考えずに解き放たれた水流は天井を壊して一つの柱となる。
ラナはその一部を巻き取り、自らと彩那の周囲を流れるように水流を展開した。
あの相手に対しては一時しのぎにもならないのはわかっている。
だから、一刻も早く気づいてもらえることを祈るしかない。
呆然としている彩那の足元に駆け寄り、見上げる。
「彩那、しっかりしてください。彩那!」
「ラナ、わたし。わたし、また関係ない人を巻き込んで」
「違います。彩那のせいじゃない」
「だって、あの人たちはわたしを狙って。わたしが、いなければ。わたしは生きてたら……」
違う、と叫ぼうとしたラナは彩那に抱きしめられてその動きを止める。
彩那の腕の中は、初めて実体化したときと同じ暖かさに満ちていた。
ラナは気付き、目を見張る。
自らを責めているだけだった彩那の気持ちに変化が生じている。
「生きたいと思ってもいいって、言ってくれたんだ」
「……はい」
「もっとラナと一緒にいたい。また我が儘言っても、聞いてくれるかな」
「はい。彼ならまた笑ってくれるでしょう」
「ラナのことだけでも助けてほしいな」
「……。いいえ、彩那。わたしはあなたと共に」
ムッとしたように言うラナに向かって彩那は笑った。
一緒にいてくれる。その言葉が何よりも嬉しい。
水流が弾けた。
水の壁の向こうには、こちらに掌を向けたスターチスと複雑そうな表情で立っている蓮華の姿があった。スターチスが歩いて来る。
「物陰で水を蓄えて何をしたいのかと思ったら、こんなことに使うとは。お別れの言葉を言いたかったのかな。それぐらいなら待ってあげたのに。でも、もういいよね」
「彩那ちゃん、時間よ。……さようなら」
確実に近づいてきた死を間近にして、彩那はラナをきつく抱きしめて目を閉じる。
恐怖で固まった口を動かし、彩那は願う。
声にならない声を紡いだその時、彩那は柔らかい風に包まれたのを感じた。
「遅くなってごめんな」
「……空奏、さん」
「ちゃんと、届いたから」
目を開けた彩那に向けて、少しだけ振り返りニコリと笑う。
いつか夢見た大きな背中が、そこにはあった。




