1ー3
紅茶を飲んで一息つくと隣に居る妹を見る。
グラスを両手で持ち窓の外に視線を送ったまま此方を向くことはない。
あの日から妹の顔をまともに見ていない気がする…
今日から妹は叔父夫婦の元で暮らす。
元々11歳年の離れた妹は私にとっては可愛くて仕方がない存在でいつでも、何をするにも私の後を付いてきては真似をしていた。勿論今でも可愛い存在でただ一人の大切な家族である。
私が21歳の年に両親が事故で他界してからは10歳になる妹と二人で暮らしてきたら。新米ではあったが短大を卒業して社会人になっていた事と両親が残してくれた貯金と保険金で二人の生活でも不自由することなくやってこれた。
勿論、妹の将来の為に貯金は崩したくなく自分の収入で遣り繰りするよう努力した。
それに両親が居る家庭の子に負い目を感じさせないように休みの日も私が両親にしてもらった事を思い出しながら出来得る範囲で妹と過ごしてきた。
両親が居なくなったことで不安がった妹も徐々に笑顔になり時々喧嘩もしたけど二人の生活を上手くやれていると思ってた。
それなのに突然叔父夫婦のところに行きたいと言われたのだ、それも私に相談も無く叔父夫婦と話を進めて引越しの準備も進めていた。
志望校に進学をして友達もできたと喜んでいたのに何故?
妹は私の元では不自由だったのだろうか?
何か不満があったのだろうか?
いつから叔父夫婦の元に行きたいと思っていたのだろうか?
そんな事ばかりが頭を過って話を切り出されてからは上手く妹と接することができなくなってしまった。
何時もなら注意できていた事も出来なくなり機嫌を窺うように余所余所しい態度でしか接することができない毎日が続き、あっと言う間に今日を迎えていた。
もしかしたら何か話してくれるかもしれない。
やっぱり残ると言ってくれるかもしれない。
そんな甘えがあったのも確かである。
それでも最期の希望をかけてグランクラスに乗ったのは以前同僚からグランクラスに乗った時の話を聞き、値は張るが静かな空間と非日常的な空間だから普段話せなかったことが話せたと嬉しそうに話していたのを思い出しほんの少しでもいい、話ができたらと思ったからだ。
だけど私の希望も虚しく妹は私と話をするつもりはないようだ。
返事は返してくれる。ただ最低限のものだけでいくら話を広げようとしても会話が続くことはなかった。
アテンダントさんはそんな私達の事情など知るはずもなく、大宮に到着する頃に"富士山が見えるなんてラッキーですね"とにこやかな笑顔を贈ってくれたけど別れの時間が近づいている私にとって心中は全く穏やかではなく口では"そうなんですね"と言いつつも全く幸せな気持ちにはなれなかった。
ただ妹との無言の空間が辛かったからグランクラスの由来だったりパネルの話をしてくれたのは本当に助かったとも思っている。
アナウンスが流れて次は長野に着くことを告げている。
あと1時間ほどて金沢に着いてしまう。
別れの時が近づく
このまま話をしないで後悔しないのか?
妹の気持ちを最後まで理解しないで逃げるのか?
そんな気持ちからか潡々息苦しくなっていく。
話したい事、聞きたい事、不満でも何でも良い、たった一人の家族と向き合えない自分が情けない。
残りの紅茶を一気に飲み干し口をついた言葉は
「双葉、コレ渡しておくね、コレはーーーー」
漸く絞り出した言葉は最後に渡そうとしていた通帳の説明だった。
向き合いたいと言っても、思っても、結局は最後に拒絶される事が怖くて逃げたのだ。
情けない
情けない
情けない
両親が居たら、妹とこんな関係にはならなかったのではと思う。両親が居たら、妹は幸せだったのではと思う。
居たら居たらと居ないものを強請っても意味がないとはわかってはいるけどそう考えてしまうのは私自身が弱っているからだろうか?
通帳と印鑑を押し付けて席を立つ。
突然立ち上がった私に酷く驚いた表情を見せた妹に何も言わずにカバンを掴んで後方デッキに向かった。
デッキと客室を隔てる扉を出た瞬間に涙が溢れて出た。
だけどこの涙を妹に見せるわけにはいかないのだ。
妹の気持ちを縛り付けない為に。
元々は優しい妹は自分が望む事よりも私を気遣う傾向にある。休みの日に出かけようと誘っても"疲れちゃうからゆっくりしよう"なんて私の身体を気遣い我儘なんていう事もなく、今日だって私がフルーツを好きなのを知っていて軽食のフルーツを分けてくれたりするそんな妹なのだ。
そんな妹が叔父夫婦の元に行きたいと言うのに涙で引き止めるなんてことはあってはならないと分かっている。
勿論妹が戻りたいと言ってくれたら嬉しい。
ただそれを強要する事で妹の自由を奪う権利は私にはない。
大切な妹には誰よりも幸せになって欲しい気持ちが大きい。
妹を傷つけるものからは出来るだけ守ってあげたい。
いつだってそう思っている。
溢れる涙が止まらずデッキの隅で身動きを取れずにいると業務用室と書かれた扉から先程のアテンダントさんが出てきて驚いた顔をした後すぐに
「如何なさいましたか?」
と聞かれ
「コンタクトがずれてしまって」
と誤魔化したが"少々お待ちください"と業務用室に入ったと思ったら直ぐに暖かいおしぼりを出してくれた。"ありがとうございます"と伝えると"折角の旅行て目元が腫れてしまうと勿体無いですから"と淡く微笑んでくれた。
暖かいおしぼりで目元を抑え涙が止まったのを確認するした彼女はまた業務用室に戻り水の入ったグラスを"どうぞ"と差し出してくれた。
口に含めば渇いた口が潤うのがわかる。
飲み終えたグラスを受け取るとそのまま洗面台に案内してくれて"お席に戻られる頃にまたお飲み物のご注文を伺いに参りますね"と言って離れていった。
鏡を見ればそれこそ少し目は赤いものの腫れることもなく酷い状態にはなっていなかった。
少しメイクを直して気合いを入れて席に戻れば既に長野を出発していた。
先程の態度と戻るまでの時間についてどうやって誤魔化そうかと考えたところでアテンダントさんがやってきて飲み物の注文を取ってくれた。
その後
「先程はデッキで軽食の味やボリュームについての感想を頂いてありがとうございました。会社に報告させて頂いて今後の参考にさせて頂きます」
と言われた。
きっと誤魔化しきれなかったのだろう。
その上で妹と気まずくないようにと彼女は気遣ってくれているのだ。
きっと年下であろう彼女への感謝の気持ちが大きくなっていく。
彼女の優しさを無駄にしないように、そして悔いのないようにしっかりと妹と向き合おう。
そう決意して妹に向き直った。
11/22 誤字の修正をしました。