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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

国王に婚約させられた町娘がバケモノ級の強さになって帰ってくる話

作者: チェレステ

 とある酒屋の厨房では、一人の少女が忙しなく動き回っていた。

 この厨房は彼女の職場である。どこに何があるのか、目を閉じていてもわかってしまう。それも長年働いてきた賜物であろう。

 ふと、鍋の中の汁が煮立つ。

 それを合図に、少女は前もって同じ大きさに切り揃えていた野菜を鍋の中に投入する。

 蓋をした後は、時間が過ぎるのを待つだけだ。

 何回と繰り返してきた作業だ。仕込みの手際の良さなら、誰にだって負けない自信がある。


「店長。仕込み、終わりましたよ」

「おう、ありがとな。開店まで休憩しててくれ」

「はーい」


 店長と入れ替わる形で厨房から出る。

 休憩しようとしたとき、ドアのベルが鳴った。

 誰かが店に入ってきたみたいだ。

 看板に準備中と書いているはず。それなのに、どうして店に入ってきたのだろうか。

 不思議に思いながらも、客が待っている出入り口に向かう。


「ごめんなさい、まだ準備中で──」


 喉から出かけていた言葉が引っ込む。

 開いたドアの向こう側にいるのは、鎧に身を包んだ男たちだった。

 少女はその鎧に見覚えがあるが、それもそのはず。自分の住んでいる国の兵士が着ける鎧であった。

 張り詰めた空気を感じ取り、漠然とした不安と恐怖が這い出てくる。


「リチュア・レイ様ですね」

「そうですけど…… その、私に何の用ですか?」


 念押しするような口調で名前を呼ばれ、少女は── リチュアは、ただ頷くしかなかった。

 人違いというオチはなさそうだが、彼らがどんな用事で会いに来たのかは見当もつかない。

 リチュアは今まで、至って普通に生きてきた。少なくとも兵士に捕まるようなことはしていないと胸を張って言える。


「カレイド王があなたをお呼びです」

「……えっ、えええええぇぇ!!??」


 店内にリチュアの叫び声が響く。

 王とは国の頂点に立つ存在だ。そんな存在に名指しで呼ばれたとなれば、叫び声をあげてしまうのも仕方ない。


「どうか我々と一緒にカレイド城に来ていただけないでしょうか」


 さっきから兵士の言葉遣いが怖いほど丁寧だが、断るのは許さないという無言の圧力を感じる。

 その圧力に屈したリチュアは、カレイド王の待つ城へと連行された。









 カレイド城の最上階には玉座の間がある。

 玉座の奥まで続く真紅のカーペットは、一目見ただけで高級品だとわかる艶がある。こんなカーペットの上を歩くなんてもったいないと思ってしまうが、足を乗せた感触がとても心地良い。

 思わず見上げてしまいそうになる高い天井には、ステンドグラスが何枚も取り付けられている。陽の光がステンドグラスを透過して玉座の間に差し込み、灰白色の床に鮮明な影が映る。

 見惚れてしまうほど優雅な場所ではあったが、今のリチュアは景色を楽しむ余裕なんてなかった。


「貴様がリチュア・レイか」

「は、はいっ! お会いできて光栄です!」


 カーペットの終着点に置かれている大きな玉座。

 その玉座に座っている壮年の男がカレイド王だ。

 リチュアは床に片膝をつき、頭を下げる。

 そして、その状態のまま動きを止める。カレイド王の許しを得るまでは、決して顔を上げてはいけない。許しを得ずに顔を上げた場合、不敬罪で裁かれることもあるらしい。

 日照りの川辺のように口の中が乾く。こんなに緊張しているのは人生で初めてかもしれない。

 カレイド王に呼び出されたと知ったとき、スケールが違い過ぎる話で、最初は夢の中にいるように現実感がなかった。

 だけど、今は痛いくらいに現実だと実感している。


「顔を上げよ」


 言われるがままに顔を上げる。

 視線と視線が交差する。

 カレイド王の瞳は真っ直ぐと、リチュアだけに向けられていた。

 顔を逸らすのは逆に失礼だと感じ、リチュアは緊張した面持ちで見つめ返す。

 どうしてだろうか。不安に思う反面、どこか懐かしい気持ちにもなる。


「……ふぅむ」


 カレイド王は場の空気を仕切り直すように、小さく息を吐いた。


「その目、余の弟に似ているな」

「え……?」


 つい疑問の声を漏らしてしまう。

 カレイド王は確かに「余の弟」と言った。しかし、カレイド王に弟がいるなんて話は聞いたことがない。


「何故貴様のような平民を我が城に招いたのか、その理由を明かそう。心して拝聴するがよい」

「は、はいっ!」


 カレイド王の弟は一旦忘れ、一語一句に集中して耳を傾けなければ。

 話を聞き逃してしまえば、それで最後だ。国王を相手に聞き返せる度胸なんてない。


「貴様は自分の父親を覚えているか?」

「はい。覚えています」


 リチュアがまだ幼い頃、リチュアの父親は病気で死んでしまった。しかし、一緒に遊んでくれた思い出は今も残っている。この先も決して忘れないであろう、心の奥深くに刻み込まれた優しい記憶だ。

 このように父親のことは覚えているが、カレイド王に呼ばれたことと何の関係があるのだろうか。

 ふと、違和感が込み上げる。

 「覚えているか?」なんて聞き方、父ともう会えないのを知っているかのようだ。


「貴様の父親の真の名はウェント・カレイド。私の弟だった」

「…………へっ? お、お父さんがカレイド王の弟!?」


 リチュアの疑問に答える形で告げられた言葉は、今日これまでの出来事が些末に思えるくらい衝撃的な内容であった。

 ウェント。その名前は間違いなく父親のものでありり、その名前はよく母親の口から語られていた。


「本当、なんですか……?」

「貴様の母はカレイド家に仕えるメイドだった。弟は貴様の母と結ばれるためだけに、王族の地位を棄て、平民に身をやつした。つまり、貴様はカレイド一族の血を引いておるのだ」


 突然そんなことを言われて、はいそうですかと受け入れられるはずがない。

 だけど、納得してしまった。

 無性に懐かしさを感じたのは、カレイド王の面影が父と重なったからだろう。兄弟だけあって、二人とも似ているのだ。


「愚かな弟であった。流行り病なんぞで死に、挙げ句の果てに愛した女までも死んだそうではないか。大人しく城に篭っていればいいものを」

「っ……!」


 たった1人の家族だった母は、少し前に病気で死んでしまった。リチュアにはもう家族がいない。

 最近になってその傷もようやく癒えてきた。

 しかし、軽蔑が混じったカレイド王の言葉が、リチュアの心をぐちゃぐちゃに掻き乱す。


「とはいえ、たった一人の弟であったことには変わりない。助けられなかった代わりに、せめて弟の娘くらいは気にかけてやらねばと思ってな」


 言ってることこそ至極真っ当だが、カレイド王の口調や表情からは優しさが微塵も感じられない。


「両親がいなくては満足に生活できなかろう。そこでだ、余が直々にお前の婚約相手を見繕ってやった。ありがたく思うがいい」


 婚約なんて珍しくもない。それこそ上流階級ではよくある話であり、政略的婚約が今もどこかの家の間で繰り広げられているだろう。

 リチュアたち庶民の間でも、誰それと誰それが婚約したという話題が時折上がる。それだけ身近でもあるのだ。


「そんな…… そんな勝手なことされても困ります!」


 婚約したからといって、必ずしも不幸な結末が待っているとは限らない。限らないのだが、抗議せずにはいられなかった。

 リチュアは今の暮らしを気に入っている。不自由なことも多いが、毎日ちゃんと食べていけている。仕事にだって自分なりのやり甲斐を持っている。

 しかし、婚約すれば今の暮らしは捨てることになってしまう。積み上げたものは捨てられない。捨てたくないのだ。

 それ以前に、自分の血筋を利用する魂胆が明け透けの婚約で、どうして幸せな生活を想像できようか。


「貴様は王の厚意を無碍にするのか?」


 カレイド王に睨まれた瞬間、全身に氷柱を突き立てられたような悪寒が襲う。

 そのとき、リチュアは気づいた。これは厚意なんかじゃない。命令だ。

 命令に従わなければ、この国王は容赦なく罰を下すだろう。


「…………ありがとう、ございます」


 それがどんなに理不尽な命令でも、断るという選択肢なんて選べるはずがなかった。

 国を濁流に例えるならば、リチュアは濁流の前に立たされた無力な枯れ木だ。抗う術など最初からなく、行き着く場所まで流されるしかない。






 もしもこの人生が小説のようなものであるなら、最後には爽快な逆転劇でも用意されていたのだろうか。

 山道を進む馬車に揺られながら、リチュアは漠然とそう思った。

 彼女が乗っている馬車は今、カレイド王国から遥か北方にある山道を進んでいる。

 王族の血を引いているとはいえ、どうして少し前まで平民同然だったリチュアが、カレイド王から婚約の話なんて持ち込まれたのか。

 当然、そこには理由がある。

 リチュアの婚約相手はマガト族という民族の族長である。

 マガト族と親交を結んだ証として、王族の娘の1人を彼らの族長と婚約させることになった。

 そうまでしてマガト族と関係を保ちたい理由は、カレイド王国にとってマガト族は最高の貿易相手だからだ。

 マガト族の領土には金や銀といった貴重な金属が大量に眠っている。

 だからなのか、マガト族はそれらの金属が価値のあるものだと思っていない。ワインやチーズといった特産品で快く交換に応じる。

 こうして、最近のカレイド王国は貿易で莫大な利益を上げている。

 ただ、マガト族とはつい最近になって発見された民族だ。その正体は未だに謎に包まれている。そんな民族の族長を相手に、王族の娘を婚約させるのは躊躇われたのだろう。

 そこで、リチュアに白羽の矢が立った。

 率直な言い方をすれば、生贄だ。生贄にしていい人間として、リチュアが選ばれた。

 母が病気のときは何もしてくれなかったのに、こんなときだけは自分を同族扱いする。

 それに不満を抱かないわけがないが、今のリチュアの心の大部分を占めるのは諦念だった。怒りの炎を燃やす気力は欠片も残っていなかった。


「……あれ?」


 カレイド王国から遠く離れた山の山頂。そこで馬車は止まった。


「あの、どうして止まったんですか?」

「我らがお送りするのはここまでです。ここから先はマガト族の使いの者が案内します。姿を現わすまでもう少々お待ちください」


 ずっと座りっぱなしで退屈してたリチュアは、どうせならと馬車から降りる。

 周囲にあるのは草木や岩ばかりだが、その向こうには遠くに連なる山々と草原が広がっている。山頂から眺める景色というのは、どうしてこうも美しいのだろう。


「ふぅ…… 遠くまで来たなあ」


 その絶景を眺めつつ、椅子におあつらえ向きの小岩に腰を下ろす。

 今いる場所は、この近辺で最も高い位置にある。いつもよりずっと近くで見る空は、とても綺麗な青で染まっている。

 人が来る気配はしない。

 いっそのこと、このまま誰も来なければいいのだ。そうなれば婚約する必要もなくなる。


「……何だろ、あれ?」


 青い空の向こうから黒い影がやって来る。

 小岩から立ち上がり、その影に目を凝らす。

 鳥だ。1匹の鳥がこっちに向かって飛んでいる。翼を羽ばたかせる音も聞こえる。


「……えっ」


 その鳥が人間よりずっと大きい怪鳥だとわかったのは、地面に映る影を目にしてからだった。

 怪鳥はリチュアの目の前に降りる。巨大な翼の羽ばたきによって風が巻き起こり、彼女の髪をかき乱す。


「あああ、ああぁぁ……」


 咄嗟に逃げることもできず、呆然と立ち尽くす。

 ああ、私は鳥の餌になるんだ。そんな諦念の想いが胸を過ぎる。あまりにもあんまりな末路に、静かに嘆くしかない。

 ところが、怪鳥はリチュアを襲おうとしない。

 地面に降り立ち、大きな翼を折り畳む。


「……すまない、時間に遅れたようだな」


 よく見れば、怪鳥の背中に男が乗っている。とても鋭い目つきの男だ。

 男は怪鳥の背中から飛び降りる。そこそこの高度があるはずだが、まるで小さな段差から降りるような軽やかさで着地する。


「あ、あなたは誰なんですか!? その鳥は何なんですか!?」


 リチュアのまくしたてるような質問に、男はただでさえ鋭い目をもっと鋭くする。

 その迫力に、リチュアはたちまち圧倒されてしまう。猛獣に睨まれた気分というのは、きっと今のような気分を指すのだろう。


「……こいつはテラーバード。俺の家で飼っているんだ。襲ったりしないから安心してほしい」


 鋭い目つきとは対照的に、男はテラーバードの体を優しく撫でる。

 怪鳥は嫌がる素振りを見せず、むしろ男に触れられるのを完全に受け入れている。

 そんな穏やかな光景を見て、リチュアは少しだけ落ち着きを取り戻す。


「……それと、俺の名はマガト。マガト族の族長だ」





 ──この瞬間を境に、爽快な逆転劇の幕が開くのであった。









 リチュアは今、橙色に染まった空の中にいる。

 マガトと共にテラーバードの背中に乗り、マガト族の大多数が住んでいるというアルガ村に向かっているのだ。

 下を見れば、随分と遠くなった地面がある。

 心臓が縮み上がる。

 振り落とされれば、待っているのは死。そんな状況である今、ずっしりと構えているマガトの背中は正に命綱である。

 だから、腕を回してマガトの背中に必死でしがみつく。意外とフカフカな羽毛なんかに気を取られている場合ではないのだ。

 とはいえ、そんな状況にも時間次第で慣れてくるのが人間だ。

 マガトの背中という一点しか映っていない視界が、徐々に広がってくる。


「……すごい。こんな綺麗な景色、見たことない」


 リチュアの心にある恐怖は薄まり、目の前の絶景に感動する余裕さえ芽生えていた。

 世界広しといえど、海のように広がる一面の白い雲に沈む夕陽を見た者はそうそういないだろう。

 振り返れば、険しい山脈が並んでいる。あれを普通に越えようとすれば、きっと何日もかかるだろう。

 しかし、こうして空を飛んでいれば話は別だ。目を瞑ってまた開けるくらいの、ほんの少しの時間で事足りる。


「……!」


 一つの気配が自分たちに近づいているのをマガトは感じ取った。

 ふと、マガトの視線の先にある雲が不自然な揺れ方をする。

 あたかも水面から現れる水棲生物のように、何かが雲を突き破って現れる。

 その瞬間が訪れて、リチュアもやっと自分たち以外の存在がいるのに気づいた。


「な、何なの……!?」


 その生物はリチュアもよく知っていた。

 しかし、本や世間話などでその存在を知っているだけで、一度も生で見たことがなかった。


「きゃああああああ!!??」


 リチュアは恐怖のままに叫んだ。

 テラーバードよりもずっと大きな図体。しかも、余すことなく堅牢な鱗で覆われている。そう、リチュアたちの前に現れたのはドラゴンである。

 ドラゴンといえば、単体で小国を滅ぼしたという噂があるほど凶暴な生物である。

 今までリチュアは、その噂を尾ひれ背びれが付いたものだと思っていた。

 しかし、その考えは改めざるを得ない。小国程度なら滅ぼせるという威圧感が、ドラゴンにはある。


「は、早く逃げましょう! 食べられちゃいますよ!」

「……」


 ドラゴンはリチュアたちを獲物と認識している。

 鋭い牙の間から涎を垂らし、大口を開けている。獲物の肉に牙を突き立てるのを、今か今かと待ちわびるように。

 テラーバードは飛ぶ速度を上げるが、それでもドラゴンの方が速い。追いつかれるのも時間の問題だ。

 恐怖に囚われているリチュアとは対照的に、マガトはこの状況でも平静を保っている。

 マガトはテラーバードの背中に備え付けられた筒から槍を取り出す。そして、上半身だけを背後にいるドラゴンに向ける。

 自然と、リチュアとマガトは向かい合う形となる。

 まただ。リチュアは心が落ち着いてくるのを自覚した。微塵も動揺していないマガトの様子を見ると、否が応でも落ち着いてしまうのだ。


「あの、そんな槍で何を……?」

「撃ち落とす」

「……えっ、えぇ!? そん──」


 「そんなことできるわけない」という言葉は、轟音と呼んでも差し支えない風切り音によって掻き消されてしまった。

 リチュアが知覚したのは風切り音、風圧、そしてドラゴンの断末魔であった。マガトが投擲した槍は、あまりの速さで影さえ捉えられなかった。

 胴体を貫かれたドラゴンは重力に抗う術をなくし、雲海の中に沈む。その様子を、リチュアは呆然とした面持ちで見つめる。


「ほ、本当に撃ち落としちゃった……」


 王族の血を引いていると判明したり、国王に勝手に婚約相手を決められたり、その婚約相手が巨大な鳥に乗って現れたりしたけれど、これが一番衝撃的かつ現実感のない出来事だ。


「……」


 マガトは何も言わずに前を向く。

 その瞳に一抹の困惑と確信を宿らせながら。







 太陽は雲海の地平線に沈み、夜が訪れた。

 いつもよりずっと近くにある星々が、雲の上の世界を照らしてくれる。視界を闇で覆い尽くす恐ろしい夜ではない。幻想的で心が温まる夜だ。


「…………あっ、いけない。また…… 眠って…………」


 さっきから眠くて仕方ないリチュアはウトウトし、目を閉じたり開いたりを繰り返している。

 本来はとっくに夢の中にいる時間なのだ。加えて、今は長旅の疲れが一気に押し寄せている。強烈な睡魔に襲われるのも仕方がない。

 意識が飛んでいるのも同然の状態で、既にマガトの背中にもたれかかっている。

 落ちたら死ぬのは理解しているが、マガトの背中がそうさせるのだ。この背中の後ろにいれば、何が起きても大丈夫だと思えてしまうのだ。


「……」


 マガトは何も言わずにリチュアの手を握る。

 俺が君の手を握っているから、絶対に落ちることはない。だから我慢せずに眠るといい。そう言われた気がした。

 息を吹きかけられた蝋燭の火のように、リチュアの意識は急速に消えた。マガトの行為が決め手になったのは言うまでもないだろう。

 テラーバードは休まずに夜の空を駆ける。テラーバードを御すマガトも同様で、一睡もせずに進行方向を見据えている。

 やがて空が白み始め、太陽が顔を出す。


「うぅん……」


 太陽の光を浴びて、リチュアは目を覚ます。


「わああああ!!??」


 開口一番、リチュアは叫んだ。

 寝起きの頭脳からは、今の状況に至るまでの記憶が抜け落ちている。麻痺していた感覚が睡眠によりリセットされたとも言える。


「どどど、どうして私はこんな場所に……!?」

「おはよう」


 どうにか落ち着かせようと思い、パニック寸前のリチュアに声をかける。

 その冷淡とも言える口調は、人を落ち着かせる場面では効果覿面だった。


「おっ、おはようございます……」


 挨拶を返したところで、一時的に抜け落ちていた昨日の記憶が蘇ってくる。

 落ち着きを取り戻したリチュアは「私だけぐっすり眠っててすみません……」と呟き、マガトは気にするなと言わんばかりに首を横に振る。

 寝起きの頭で今のような状況を受け入れろというのは、中々に酷である。


「そろそろアルガ村に着く。ちゃんと掴まってろ」

「きゃっ!?」


 海中を泳ぐ魚を獲ろうとする海鳥のように、テラーバードは雲の中へと突入する。

 リチュアは目をきつく閉じ、マガトにしがみつく腕の力を強める。

 蒸気で全身を蒸されているような感覚だ。

 雲海の底を突き抜けると、その感覚も消え失せる。

 テラーバードの降下もなだらかになる。

 うっすらと目を開けると、眼下には一面緑色の大樹海が広がっていた。


「見えたぞ。あれだ」


 キャンパスに色を塗り忘れたように、ある場所にだけ平野が広がっている。

 あそこがリチュアがこれから暮らす場所、アルガ村である。









 テラーバードはアルガ村の上空をひとしきり旋回し、とある洋館の前に降り立った。

 その洋館は煉瓦を材料に造られている。カレイド王国で生まれ育ったリチュアの感覚でも、迷わず豪邸と思えてしまう外観だ。

 他の建物も同様に、レンガで作られている。

 マガト族が未知の民族だと聞いたとき、藁や粘土の家で質素に暮らしている姿を想像した。

 しかし、それは先入観による間違いであった。マガト族の建築技術はカレイド王国に勝るとも劣らない。


「立派な建物ですね」

「俺の家だからな」

「そ、そうなんですか!?」


 どうやらマガトの家らしい。

 族長という立場なだけあって、他の家と比べても一回り大きい。


「あっ!?」


 リチュアたちが地面に降りた瞬間、テラーバードは大空に飛び去ってしまった。

 マガトはテラーバードを放し飼いにしている。用があるときに呼べば、どこからともなく駆けつけてくるので問題はない。

 そんなことを知る由もないリチュアは、テラーバードが逃げてしまったと誤解して、やきもきした様子でマガトに目配せする。


「……」

「……えっと、大丈夫なんですか? 逃げたとかではなく」

「ああ、問題ない」


 マガトが問題ないと言っているので、リチュアも気にしないことにした。


「それにしても、無事に着けて良かった……」


 やっと地に足が着いたことに安心するが、その安心も束の間だった。

 リチュアを一目見たいがために、村中の人間が集まってきたのだ。畏敬の念がこもった無数の視線に晒され、不快とまではいかないまでも、妙な居心地の悪さは感じる。

 ただ、それ以上に違和感もある。王族の血を引いているだけで、あんな目を向けられるものなのだろうか。


「中で休もうか」

「は、はい」


 マガトの提案に従い、家の中に避難する。

 その外観と違わず、内装も豪華の一言に尽きる。

 細部まで行き届いた装飾もそうだが、何よりも目を引くのはモンスターの剥製だ。今にも動き出しそうなほど活き活きとしている。

 黙々と家の奥に進むマガトの背を追う。家のどこに向かっているのかわからないが、マガトの背を追う以外に選択肢はない。


「……座るといい」


 足を進めた先にあるのは、椅子とテーブルだった。

 マガトは近くの椅子を引き、座るように促す。


「その、ありがとうございます……」


 リチュアが椅子に座ると、マガトもテーブルを挟んで向かい側に置いてある椅子に座った。

 双方喋らず、沈黙の時間が続く。

 この気まずい時間をどうにかするため、リチュアは必死に話題を探す。


「一つ質問したい」

「!」


 口火を切ったのはマガトからだった。

 別段強い口調でもないのに、取り調べを受けているような気分だ。

 和気藹々とした質問ではないのだろう。わざわざ二人きりになって、やっと切り出すような質問だ。

 不安が喉の奥から迫り上がる。


「私が答えられるものであれば……」

「大丈夫だ。難しい質問をするつもりはない」


 そう言われても緊張が和らぐことはない。

 わざとなのか、素なのか、場の緊張感を煽るようにマガトは押し黙る。

 緊張が最高潮まで高まる中、いよいよマガトの口が開いた。


「君一人でドラゴンを倒せるか?」

「いや、そんなの無理に決まってるじゃないですか」


 反射に近い速さで言葉が出た。だって考えるまでもないのだ。

 たった一人でドラゴンを倒すというのは、絵本の中にだけ存在する英雄的所業だ。それを成し遂げたマガトの姿は、今でも克明と脳裏に浮かぶ。

 あんな風にやれと言われても無理だ。無理だと断言できる。

 たった一人でドラゴンに遭遇したとして、正気を保っていられる自信すらないのだ。勝つどころか、勝負の土俵にすら上がれないだろう。

 本当に難しくない質問で、簡単に答えられた。

 どんな質問をされるのかと戦々恐々していたが、肩透かしもいいところだ。


「……だろうな。ドラゴンに襲われたときの慌てぶりで予想はしていた」

「それなら、どうしてこんなわかりきっている質問をしたんです……?」

「念のための確認だ。俺としては、その答えが返ってこないのを願っていたんだがな……」


 話が見えてこないが、嫌な予感だけはひしひしと感じる。


「俺以外のマガト族の人間は、君には最低でもドラゴンを一人で倒せる力があると誤解している」

「へあっ!?」


 予想だにしていなかった言葉に、リチュアは盛大に調子の外れた声を出してしまう。


「ど、どうしてそんな誤解が生まれてるんです!?」

「……それについて今から話し合おう」


 だからこうして、二人きりになれる場所までやって来たのだろう。

 リチュアはこの話し合いこそが正念場と感じ取り、ショックを受けてる場合ではないと気を取り直す。

 散々衝撃的な話を聞かされたり経験したせいで、謎の耐性が付きつつあるのかもしれない。


「俺たちマガト族のしきたりでは、マガト族で一番強い者が族長…… マガトの名を襲名する。カレイド王国でもそうじゃないのか?」

「ち、違います。一番強い、というか…… 戦う人たちは別にいるんです。王様は戦いません」

「それなら、どうやって次の王を決めている?」

「王様の子どもたちの中から、次の王様を選ぶんです」

「……血を重視するのは理解できるが、そうだとしても随分と偏っているな」


 マガトは純粋に不思議そうに首を傾ける。

 偏ってると言われてしまえば、返す言葉もない。

 極端な話、暗君となる可能性がどんなに高い王子であろうと、一人っ子であれば自動的に王の地位を手に入れてしまうのだ。

 それに、力の強さや頭の良さも判断基準の一つではあるかもしれないが、最終的には国王に最も気に入られているか否かに行き着いてしまう。

 だからこそ王国と呼べるコミュニティの歴史の中では、暗君と呼べる統治者が数多く現れてしまうのだろう。


「俺たちはカレイド王があの大国で一番強い男だと思い込んでいた。そして、カレイド王と同じ血族の君も強いに違いないとも……」


 それなら村人の視線にも納得がいく。今思い返してみれば、あれは絶対的な強者に向けるような目であった。


「どうしよう…… 私、全然強くなんかないのに……」


 この誤解が解けてしまったとき、果たして周りはどんな反応をするのだろうか。

 こんなことなら、王族の娘として恐れられる方がまだマシだ。


「……相談役の連中に全て話して、国に帰るといい。この婚約は元々、強い女を村に迎え入れるのが目的だったんだ。その目的が果たせないと知れば、君を引き止めようとしないだろう」


 願ってもいない婚約破棄のチャンスが目の前に舞い降りる。

 しかし、あまりにも理由が悪すぎる。

 要するに、リチュアが相手の期待に応えられなかったという理由なのだ。たとえ、その期待が無理難題の極みだとしても。

 カレイド王国に帰ったとして、カレイド王はこちらの言い分に耳を傾けてくれるだろうか。居場所はあるのだろうか。


「帰れない…… 今帰ったって、私に居場所なんてないよ……!!」


 絶望にまみれた声を絞り出す。

 カレイド王国にも、マガト族にも、リチュアの居場所は存在しないのだ。

 想像よりもずっと心にくる。帰る場所がないのは、こんなにも苦しいものだったのか。


「……」


 マガトは絶望に打ちひしがれるリチュアを黙って見つめる。


「……君の弱さをずっと隠し続けるのは不可能だ。いつか絶対にバレる。そして、相談役の連中はそんな君を絶対に認めない。別の嫁を貰うように言ってくるだろうし、俺も族長として無下にはできない」


 マガトは追い打ちをかけるような事実をつらつらと並べ立てる。

 リチュアは俯いたままで、何も言わない。もう言葉を返す気力も残っていないのだ。


「だが、全てを丸く収める方法が一つだけある」


 その一言に、リチュアはゆっくりと顔を上げる。

 マガトは相変わらず無表情だ。

 しかし、その目の奥底には憐れみでも同情でもない、純粋な優しさが隠れている。どうにかして助けてあげたいという想いが伝わってくる。


「相談役の連中が納得するくらい強くなればいい。そうすれば連中も文句はない」


 とてもシンプルで、だからこそ誰も思いつかないような提案だった。


「ずっと隠し続けるのは無理にせよ、当座はどうにかしのげるはずだ。その間に、俺が君を強くする」

「……私、ろくにケンカしたことすらないんですよ。それでも本当に強くなれるんですか?」

「ああ、なれる」


 マガトは今までにない強い口調で断定する。

 たった一言なのに、どんなに言葉を重ねられるよりも説得力がある。


「辛い鍛錬になるが、それでも大丈夫か?」


 どんなに辛い鍛錬が待っていようと、答えは最初から変わらない。

 居場所が見つからないのなら、作るしかない。

 それに、マガトの優しさに応えたいと思えたのだ。何の得もないはずなのに、こうして手を差し伸べてくれている。

 目に溜まっていた涙を拭い、覚悟を固めた目をマガトに向ける。


「……大丈夫です。やります。やらせてください!」


 その日を境に、今までに味わったことのないほど辛く、だけど充実感のある日々が始まるのであった。









 カレイド王国史に残る最悪の事件の始まりにしては、あまりにも静かだった。

 カレイド王国の上空に黒い影が映った。最初にそれを見た者は鳥か何かだと思ったに違いない。

 しかし、その影は次第に大きくなっていく。

 カレイド王国の領土に降り立とうとする瞬間になって初めて、人々は影の正体がドラゴンだと気づいた。

 ドラゴンがカレイド王国に襲来するなんて、今までに一度もなかったことだ。

 カレイド王国の兵士たちはドラゴンを撃退しようと挑んだが、片っ端から蹂躙されるだけで終わった。

 それほどまでにドラゴンは脅威なのだ。剣さえ弾くほど強靭な鱗のせいで、傷一つ負わせるのさえ叶わない。丸太のように太い手脚は、兵士たちを紙切れのように吹き飛ばしてしまう。

 国民たちは建物の中に避難し、ドラゴンに襲われないのをひたすらた祈る。ドラゴンが外をうろついている今、迂闊に外にも出れない。


「っていうのが、カレイド王国で起きている事件の全容だ。おかげで商売上がったりだぜ」

「そうですか、そんな大変なことが……」


 カレイド王国のとある酒屋にて、その酒屋の店長が二人の旅人にこの王国の現状を語っていた。

 両者ともフードを被っているので顔は見えないが、背格好や声から察するに男と女である。

 今のカレイド王国に立ち寄るような、いかにも怪しいが、最後になるかもしれない客なので店長の口は回りに回った。それに、女の方には不思議と気を許せる雰囲気がある。

 男は黙々と料理を口に運んでいる。会話を聞いている様子はあるが、口をきけないのではと疑ってしまうくらい喋らない。

 その代わりに、女が店長との会話を一手に引き受けていた。

 会話の中で常に相槌を打ちながらも、既に料理を平らげている。初めて会ったというのに、店長の会話のペースをもう把握している。


「さっきまで外を出歩いてましたけど、近くにドラゴンはいませんでしたよ。今のうちに逃げてはどうですか?」

「そうしたいのは山々だが、この店は我が子みてえなもんなんだ。見捨てて逃げるなんてできねえよ。この店がドラゴンに襲われたときは潔く心中するさ」


 この店は店長が若い頃から汗水流して資金を集め、ようやく立ち上げたのだ。愛着を通り越して、我が子に注ぐような愛情を持っている。

 店長の覚悟を聞き、女は店長ならそう言うのをわかっていたように口元を緩めた。


「あんたらこそ、ドラゴンがいないんならさっさとこの国から立ち去った方がいいぜ」

「忠告ありがとうございます。さて、そろそろ行きましょうか」


 女の言葉に男が小さく頷いた後、二人は席から立ち上がった。


「また来てくれよな。この店が残ってたらだけどよ」

「大丈夫、ドラゴンもすぐいなくなってくれますよ」


 慰めの言葉にしては、妙に確信を持った語調だと感じた。

 すぐに気のせいだと思い直し、店長は「だと良いんだけどな」と言葉を返す。

 女は2人分の料理の代金をカウンターに置き、男と一緒に店の出口へと歩く。


「店長、ごちそうさまでした。昔と変わらない味でとても美味しかったです」


 店から出る直前、女は振り返ってそう言った。

 その姿が、その言葉が、かつてこの酒屋で働いていた少女と重なった。国王の命令で異民族の族長に嫁がされた、哀れな少女(リチュア・レイ)と。

 だけど、彼女がここにいるはずがない。いるはずがないのだ。

 頭ではそう理解しているが、聞かずにはいられなかった。


「おい、あんたまさか──!」


 店長の言葉が最後まで届くよりも早く、フードの女は店のドアを閉めた。







 昼下がりのカレイド王国市街地。

 人間が創り上げた場所にもかかわらず、ドラゴンが我が物顔で闊歩している。

 己の命を脅かすような外敵もいなければ、すぐ近くに餌がごまんといる。地面が固いのが気になるが、かつての住処と比べればどれだけ快適だろう。

 このドラゴンはカレイド王国から遠く離れた山奥で生まれ育った。苛烈な生存競争をどうにか勝ち抜いてきたが、ある日を境に運命が変わった。

 一匹の鳥を狩ろうとしていた最中、意味がわからないまま重傷を負い、大空から地に堕とされた。あのときの困惑と、漠然とした恐怖は今でも忘れられない。

 命からがら逃げ続け、普通は足を踏み入れないようなこの場所にたどり着いたのだ。その頃には傷も完治していた。

 帰るよりも、ここ(カレイド王国)を新しいナワバリにするのも悪くないかもしれない。


「あれが噂のドラゴンね。あまり強そうじゃないし、早くやっつけちゃいましょうか」


 フードを身に纏った二人の人間がドラゴンの行く手を遮る。

 一人は厚手の包丁のような剣を携え、もう一人は素手のまま石畳の上を歩く。

 ドラゴンはおもむろに立ち止まり、咆哮で威嚇しようと大きく息を吸う。今までの邪魔者は、これだけでみっともなく逃げ惑った。

 ドラゴンが喉を震わせようとした瞬間、素手の人間は目にも留まらぬ速さでドラゴンとの距離を詰める。そして、ドラゴンの顎を蹴り上げる。

 あまりの速さに、ドラゴンは一連の動きを知覚できなかった。何が起きたかわからず、顎に走る鈍痛に困惑するしかない。

 無防備に急所である首を晒してしまうが、それも致し方ない。岩をも砕く蹴りに耐えられる個体が、果たしてこの世の中にどれだけいるのか。


 ──キィィィン……。


 鈴の鳴るような音がした。

 落下する世界の中、ドラゴンが見たのは剣を振り切った人間の姿であった。

 この人間たちは、今までの人間たちと違う。己の命を脅かす…… いや、一方的に命を奪いにかかる捕食者のような存在であった。

 しかし、今更気づいても手遅れだ。ドラゴンの意識は急速に闇の中に溶けた。

 ドラゴンの首は無造作に地面に落ち、ドラゴンの巨体も追随して地面に崩れ落ちる。

 こうして、カレイド王国史上最悪の事件は人知れず終焉を迎えた。









 カレイド王国の中心にそびえ立つ巨大な城、その名もカレイド城。

 その最上部では、カレイド王を始めとした内政に関わる者たちが円卓の席に着いていた。

 彼らは一様に苦々しい表情を浮かべている。

 それもそのはず、彼らの国がたった1匹のドラゴンによって脅かされているのだ。


「忌々しいドラゴンめ……!」


 カレイド王は苛立ちが滲んだ声色で呟き、円卓に握り拳を叩きつける。

 この国の最高統治者であるが故に、その胸中で渦巻く屈辱感は誰よりも強い。


「カレイド王、このまま時間をかければ国民たちの被害は増えるばかりです。一刻も早い解決のためにも、やはり他国に救援を求めた方が……」

「馬鹿者! そんなことをしてみろ、カレイド王国の面子が丸潰れだ!」


 カレイド王は面子しか考えていないが、他国の援助に頼りたくないという考え自体は間違っていない。

 仮に他国の援助によってドラゴンを討伐できたとしたら、その対価として何を要求されるかわかったものではない。

 他国に援助に頼るのは最後の手段であり、カレイド王国だけでこの問題を解決するのが望ましい。だが、そんな悠長なことを言ってられないのも事実だ。


「兵士たちは何をしておるのだ!? ドラゴン1匹、どうして始末できんのだ!」


 何度もドラゴン討伐部隊を赴かせているが、敗走に敗走を重ねるばかりで一向に成果は挙がらない。

 打つ手がない。ドラゴンを殺せる妙案が浮かぶ気配は一切ない。

 とうに最後の手段を選ぶ段階に来ているのではないか。そんな考えがカレイド王を除いた全員の脳裏に浮かぶ。

 しかし、それを切り出せる者は誰もいない。口に出したら最後、カレイド王の逆鱗に触れてしまうだろう。


「カ、カレイド王! 大変です!」


 膠着した会議に変化をもたらしたのは、会議に飛び込んできた1人の若い兵士だった。


「騒々しい、カレイド王の御前だぞ!」

「も、申し訳ありません! ですが、その…… 例のドラゴンの死体を運んできた二人の旅人が、カレイド王との謁見を求めています!!」


 こうして、ドラゴン襲来とはまた別の苦難がカレイド王国に── いや、カレイド王だけに降りかかることになる。









 名作絵画から切り抜いたようなカレイド城の美しい中庭に、ある異物が紛れ込んでいた。

 粗悪な造りの荷車が停まっているのだ。

 そして、その荷車の側には2人の人間がいる。フードを深く被っているので、その顔は窺えない。

 景観を著しく損ねるが、それを気にする者は誰もいなかった。荷車の積荷に目を奪われているのだ。

 その積荷とは、カレイド王国を襲ったドラゴンの首と、かつてその首が繋がっていた胴体である。

 カレイド王国を滅亡の淵まで追いやった怪物が、頭を切り離されて運ばれてきた。嘘みたいな話だが、目の前の光景は夢ではなく現実だと五感全てで実感させられる。


「そ、そなたらがドラゴンを討伐してくれたのか!?」

「……はい。カレイド王にお会いする手土産にと思いまして」


 若い女の声だった。

 順当に考えれば、この二人がドラゴンを討伐した張本人だろう。

 しかし、一国の兵団すら太刀打ちできなかった化物を、たった二人で討伐するなんて有り得るのだろうか。近くに大勢の仲間が潜んでいるか、それか使者として訪れたかの二つに一つだ。

 万が一、たった二人でドラゴンの討伐を成し遂げたのだとすれば、ドラゴンよりもずっと危険な存在である。


「どこの誰かは存ぜぬが、さぞや名のある武人とお見受けした! よくぞやってくれた、たんまりと褒美をくれてしんぜよう!」


 しかし、カレイド王は大きな苦難が思いがけず解決したことに浮かれるばかりで、彼らの正体を気にすることはない。


「……やっぱり。声だけじゃわからないんですね」


 残念というよりも、仕方ないと割り切っているような言い方だった。


「もしや、以前に余と会ったことがあるのか?」

「ええ、一度だけ」


 女はフードを外し、その顔を白日の下に晒す。

 この場にいる全員が絶句する。

 声だけではわからなかったが、顔を見ることによって彼女が誰なのか思い出した。


「お久しぶりです、カレイド王。私です、リチュアです」


 カレイド王の弟の娘であり、異民族の族長と婚約させられた少女、リチュア・レイだった。

 以前の彼女と比べると、少しだけ大人びた顔立ちになったように感じる。

 何よりも変わったのはその雰囲気だ。あれだけ気弱だったのに、今や歴戦の兵士のように堂々としている。


「紹介します。この人が夫のマガトさんです」


 もう1人がフードを外す。

 精悍な顔立ちだが、その目は猛獣のように鋭い。

 彼こそがリチュアの夫であり、マガト族の族長である。マガト族と同じ名前なのも、族長という立場と無関係ではないだろう。

 交友こそ結んではいるが、距離的な問題もあって顔を合わせたことがなかった。マガト族の族長とはこれが初めての遭遇になる。


「過去に色々とありましたが、お気遣いなく。今日はマガトさんの妻として会いに来ましたから」


 リチュアは笑顔を浮かべるが、その下ではどんな感情が渦巻いているのだろうか。

 それを知っているのは、リチュア以外にいない。







 どうしてこうなった。

 カレイド王、そして大臣たちはそんな感想を抱きながら席に座る。

 縦長のテーブルに並ぶ数々の料理。一見すれば普通の肉料理だが、これらの料理の材料は全てあのドラゴンの肉である。

 ドラゴンの肉を食べる気なんて起きず、誰も口をつけようとしない。

 しかし、大臣たちに出された料理はステーキのような見た目で、外見は至って普通である。


「ぐぬぅ……!」


 カレイド王の前に置かれている料理だけは違った。あらゆる意味で他の料理と一線を画している。

 皿の上に乗る白い球体。そう、ドラゴンの眼球だ。

 貴重な珍味だからと、カレイド王だけに振る舞われたらしい。

 だが、こうも狙い撃ちしていると他意があるとしか思えない。


「皆さん、遠慮せずに食べてください」


 カレイド王の向かいの席に座るリチュアは、そう言いながら笑いかける。その隣の席に座るマガトは、やはり無表情である。

 これらの料理はリチュアとマガトが共同で作ったものだ。マガトがドラゴンの身体を解体し、リチュアが調理をした。おかげで厨房にはむせ返るような血の臭いが充満している。

 マガト族ではドラゴンを食す文化が根付ている。

 しかし、他の国や民族は違う。ドラゴンを食す文化はあくまでマイノリティである。

 マガト族で生まれ育ったであろうマガトはともかく、リチュアはその事実に気づいているはずだ。

 それでもドラゴンの肉を振る舞ったのは、過去の仕打ちに対するちょっとした仕返しなのだろうか。


「……リチュアの手料理を残すつもりか?」


 マガトの表情が心なしか険しいものに変わる。

 表情の変化こそ乏しいが、誰も料理に口をつけないことに業を煮やしているのは、その発言から容易に読み取れる。

 部屋の温度が急激に下がったように感じた。怒りの矛先が向けられた者たちの顔は、みるみると青白くなっていく。絶対に怒らせてはいけない相手だと、生存本能が喚いている。

 誰もがマガトの真冬の夜に放り出されたように震える中、リチュアだけが「もう、マガトさんったら……」と呑気に照れ隠しの笑みを浮かべていた。

 このままではまずいと思った大臣の1人が、意を決してドラゴンの肉を口に運ぶ。

 そして、驚愕で目を見開いた。


「お、美味しい……」


 舌の上でとろけるような肉汁が広がる。

 今まで数多くの料理を食べてきたが、こんなに美味しいものを食べたのは生まれて初めてだ。

 他の者たちも半信半疑の様子で料理を口に運ぶ。そして、その美味しさに全員が舌鼓を打つ。


「──ゥエ゛!?」


 ただ1人、カレイド王だけは独特過ぎる味にえづいていた。

 間違いなくゲテモノだが、見た目に反して美味しいのかもしれない。そんな期待を込めて目玉を口に入れた瞬間、生魚の比ではない生臭さが口内に充満した。

 それでも吐き出さなかったのは、人前で無様な姿を晒してたまるかというプライドと、料理を吐き出した後のマガトの反応が恐ろしかったからだ。

 一思いに噛みしだき、喉の奥へと流し込む。


「マガト族の伝統料理の味はいかがでした? とても美味しかったでしょう」

「…………う、うむ。大変美味であった」


 狙いすましたかのようなリチュアの問いかけに、カレイド王は引き攣った表情で言葉を返す。

 傲慢不遜なカレイド王でも、国を救ってくれた英雄の手土産にケチをつけないだけの良識は残っている。

 そう、たとえ自分にだけ明らかに不味い料理が出されたとしても。


「そうですか、お口に合ったようで嬉しいです」


 この場にいる者たちは、リチュアの笑顔は嬉しそうというより、愉しそうであったと後に語った。









 全員が料理を完食したタイミングで、メイドたちが空になった皿を片付ける。

 思いがけず極上の料理を堪能できた大臣たちは、隠しきれない享楽をその表情に滲ませている。


「私たちがカレイド国に来たのは、お父さんとお母さんにマガトさんを紹介したかったからです。ドラゴンと居合わせたのは全くの偶然でした」


 弛緩していた空気が一気に引き締まる。

 リチュアはどうして夫を連れてカレイド王国に訪れたのか。どうやって一国の兵団を蹴散らすドラゴンを討伐したのか。

 その答えを、たった今からリチュアが語ろうとしているのだ。

 カレイド王たちは固唾を飲み、リチュアの一言一句に耳を傾ける。


「本当は人知れずこの国から立ち去る予定でした。ですが、カレイド王国の人たちがドラゴンのせいで困っているみたいなので、私たちが代わりにやっつけたんです。その報告のため、カレイド王にお会いしました。まさか駆除したまま放置するわけにもいかないでしょう?」


 ドラゴンの死体が野晒しにされていれば、ドラゴンを殺せる存在がカレイド王国のどこかに潜んでいるという結論に自ずと至ってしまう。

 そうなれば更なる混乱は避けられない。ある意味、ドラゴンの襲撃以上に恐ろしい事態だ。

 それを防いでくれたのは素直にありがたいが、本当に知りたいのはその先である。


「皆さんが一番聞きたいのは、どうやってドラゴンを駆除したかですよね? 今からお話しします」


 ドラゴンを討ち取った経緯を包み隠さずに語る。

 しかし、到底信じられる内容ではなかった。

 たった二人でドラゴンに挑み、とどめを刺したのがリチュアだという。夢の話でも聞かされている気分である。


「余を愚弄しているのか!? 普通の平民だった貴様にそんなことができるはずなかろう!!」


 カレイド王は声を荒げる。

 カレイド王のように露骨な態度を出さないものの、側近たちも疑惑の目をリチュアに向けている。

 少し前までリチュアは普通の平民だった。無力な平民だったのだ。そんな彼女が、どうしてドラゴンの首を斬り落とせるのだろう。


「信じられない気持ちも理解できますけど、私が述べているのは真実です」


 しかし、リチュアは毅然とした態度を崩さない。カレイド王国の理不尽な命令に涙をのんだ少女の面影はどこにもない。

 このままでは埒があかないと判断した大臣の1人が、ある提案を口にする。


「リチュアお嬢様の言葉の真偽を検証する方法はただ一つでしょうな。我々の前で、ドラゴンを倒したという力を見せていただきたい」







 カレイド王国の円形闘技場は、屈強な男たちで埋め尽くされていた。

 彼らは全員、カレイド王国の兵士である。国王のある命令により、この闘技場に集められた。

 その命令とは、カレイド王の姪であるリチュア・レイを倒せというものだ。

 たった一人で闘技場の中心に佇み、兵士に囲まれている少女。

 彼女こそがリチュア・レイである。

 優雅なドレスを着て兵士たちの中に混じるリチュアの姿は、さながら砂漠の中に咲く一輪の花のようだ。


「リチュア様を倒せって命令ですけど、どうしますか?」

「武器を奪うなりして、どうにか無傷で敗北を認めさせるしかあるまい。彼女はウェント様のたった一人の忘れ形見なのだ。万が一傷つけるわけにもいくまいよ」

「そう、ですよね。とはいえ、気が重いですよ。リチュア様を相手に、どうして俺たち兵士が寄ってたかって……」


 国王直々の命令ではあるが、兵士たちのモチベーションは限りなくゼロに近い。

 彼らは、次に戦う相手はドラゴンだと信じて疑わなかった。命を懸けて戦場に臨む覚悟でいた。

 しかし、いざ蓋を開けてみれば、その相手はたった一人の少女である。

 彼女は今、敗北したにも等しい状況に身を置いているのだ。気の毒には思えても、闘志を燃やすなんて不可能だ。

 こうなった経緯を一切知らされていないのも、兵士たちのモチベーションが低い理由だろう。ドラゴンは既に死んだから、代わりにリチュアと戦え。それしか告げられていないのだ。

 ただ、彼らは一つだけ確信している。カレイド王の悪辣な嫌がらせにより、こんな状況になっているのだろうと。


「お手柔らかにお願いします」


 リチュアは丁寧に頭を下げる。

 次の瞬間、最もリチュアに近い位置にいる兵士の模擬刀が根元から折れた。

 それは蹂躙開始の合図であった。


「うわっ!?」

「ひっ!?」


 兵士たちが一陣の風が通り過ぎたと感じた次の瞬間、構えていた武器が破壊される。

 リチュアの姿はとうに消え失せている。誰の視界にも映っていない。より正確に言えば、その動きを捉えられずにいる。

 次々と兵士たちの武器が破壊される。

 誰にも風を()ませられないのと同じように、誰もリチュアを()められない。


「ふぅ」


 リチュアが足を止めて一息ついたのは、兵士全員の武器が破壊された直後だった。

 辺り一面には武器の残骸が散らばっている。

 呆然と佇む兵士もいれば、地べたにへたりこんでいる兵士もいる。


「ゆ、夢でも見ているのか……?」


 開いた口が塞がらないとはこのことだろう。

 たった1人で、誰も傷つけず、カレイド王国の兵士全員を無力化してしまった。それも、数年前はただの町娘に過ぎなかった少女が。

 間近でその力を味わった兵士たちはもちろん、高所の特等席から見下ろしていたカレイド王でさえ、何が起こったか理解できないでいる。

 実際、リチュアがやったことは単純明快だ。

 あたかも巣にかかった獲物を食らって回る蜘蛛のように、手近にいる兵士の武器を壊して回っていただけである。それを常人の目に映らない速さで行なったというだけで。

 だけど、どんなに高名な武術家でも── きっと、ドラゴンにだってできない芸当だ。

 リチュアがドラゴンの首を切り落としたという話も、一気に現実味を帯びてきた。


「……」


 カレイド王の近くにはマガトがいて、共にリチュアの蹂躙を眺めていた。

 マガトの視線に気づいたリチュアは、マガトに向かって大きく手を振る。

 弟子の成長を実感した師のようにマガトは喜んでいる。最初は呆れるほど弱かったリチュアは、今ではこうして立派に戦えるまで強くなった。

 ただ、そんな喜びを表す表情の変化は非常に希薄である。気付けるのはリチュアのように彼と親しい者だけだろう。

 当然ながら、ついさっき出会ったばかりのカレイド王では、マガトの微妙な変化になんて気付けない。


「まだリチュアを疑うなら、次は俺がやる。ドラゴンを倒せる程度に強いと証明すればいいんだったな」


 マガトはカレイド王に視線を移す。

 微かにあった喜びの表情は消え失せ、どこまでも冷たい目に戻っている。

 それもそのはず。今の今までリチュアの言葉を信じようとしなかった彼らに対して、マガトは快い印象を抱いていないのだ。


「そうだな……」


 ふと、マガトは空を見上げる。

 取り払われた屋根の向こうに広がる青空。

 太陽と雲の他に、ある建物がひょっこりと顔を出している。

 その建物とは、カレイド城のことである。

 天高くそびえ立つカレイド城だからこそ、こうして闘技場の中から視認できた。

 カレイド城の大きさは世界中の城の中でもトップクラスであり、それはカレイド王国の強大な国力を表している。

 しかし、今日ばかりはマイナスに働いた。


「あの城を解体する、というのはどうだ?」


 マガトはカレイド城を指差し、淡々と告げた。

 リチュアの強さを目の当たりにして、その発言を妄言だと笑い飛ばせる者は誰もいなかった。









 カレイド王国のとある墓地。質素な墓石が辺り一面に立ち並んでいる。

 そこにはリチュアの両親の墓もある。長方形に近い石に二人の名前が刻まれているだけの、王族の血を引いた者が眠っているとは思えない質素な墓だ。

 リチュアとマガトは、その墓の前にいた。


「遅くなっちゃったけど、紹介するね。この人が私の夫のマガトさんです」

「……初めまして、マガトです」


 当然ながら返事はない。風の音が墓地で静かに奏でられるだけである。

 それでも、二人はリチュアの両親にこの声が届いていると信じている。


「……君のご両親は何と言ってるだろうか」

「きっと喜んでくれてるよ。マガトさんみたいな人が娘の夫になってくれて良かったって」

「そうなら嬉しいんだがな……」


 言葉とは裏腹に、マガトは自嘲的な笑みを浮かべる。


「まだ気にしてるの?」

「……」


 マガトは無言を貫いているが、それは肯定と同義の反応であった。

 マガトはずっと負い目を感じていた。

 国と村の勝手な取り決めにより、リチュアはマガトと婚姻を結んだ。

 故郷の生活を全て捨てなければならないとき、どんな気持ちでいたのだろう。見知らぬ土地で、見知らぬ男の妻にさせられたとき、どんな気持ちでいたのだろう。途方もない不安と絶望に苛まれるのは、誰でも容易に想像できるはずだ。

 しかし、誰もリチュアの心情を考慮しようとしなかった。理解していて、敢えて無視していたのだ。


「……俺は頭が良くないから、いつも周りが言うことに従ってきた。そうした方が楽だし、間違いなんてないと思っていたから。だけど、それじゃダメだった。あの日の俺は、君の人生についてちゃんと考えるべきだった。親の墓参りに行くことでさえ、こんなにも苦労させてしまっている」


 最終的な決定権は族長のマガトにある。

 マガトが頑なに反対していれば、婚約の話だって取り止めになっていただろう。

 たとえ周りの声に従っただけだとしても、マガト族の族長という立場にある以上、マガトはリチュアの運命を弄んだ側の人間なのだ。

 どれだけ贖罪を重ねたとしても、その事実は絶対に消えてなくならない。


「俺は君に…… いや、君の父親と母親にも許されないことを──」

「大丈夫」


 冷たくなっているマガトの手が、柔らかく、それでいて温かな感触で包まれる。

 リチュアの両手が、マガトの手を優しく握ったのだ。


「始めは私も辛かったよ。何度も嫌な気持ちに押し潰されそうになった。だけど、大丈夫。今の私はちゃんと幸せだもの。こうなって良かったって、心の底から思っているよ」


 そう語るリチュアの表情には、眩しく感じてしまうような笑顔が浮かんでいた。


「……そうか」


 この笑顔を見ると救われた気持ちになる。

 マガトも不器用な笑顔を浮かべた。

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[気になる点] タイトル詐欺な気が……。 本文を読む限り、主人公は婚約破棄しようとはしてないですよね? 『無理矢理婚約させられた町娘がバケモノ級の強さになって帰ってくる話』 の方が正しいような気がする…
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