「FLASH」 ロードバイク女子のレポート
ソロでアウトドアする系女の子ってすごく良いじゃないですか、ねぇ?
この作品では、日常の事は今は忘れて、今一瞬だけは好きな事を楽しむ、そんな女の子の様子を書いたものです。
ロードバイク好きの方は勿論、全てを忘れて打ち込める事を持ってる人には、あるあるを楽しめると思います。
そんな事を持ってない人も、好きな事ができるとこんな感じかぁ、と読んで頂ければ幸いです。
自宅出発まで。
日曜日の朝5時、目覚まし時計のアラームが遠く聞こえる。春になっても朝はまだまだ寒い。布団から脱出するためには、体力と気力の9割は消費する。自転車乗りの間では、「お布団峠」なんて言われてる。逆に言ってしまえば、布団さえ脱出できれば、最大の関門はクリアしたようなものだ。さぁ、覚悟を決めよう。
「とぅりゃあ!」と叫びながら、私は掛け布団をはねよける。「さっむぃい!無理!」すぐさま掛け布団を回収してくるまる。1時間前からこの調子で、これで3度目の脱出失敗だ。だが今回は踏ん張った。身体からぬくぬくのお布団を無理やり引っぺがす事に成功した。睡魔とお布団のディアブロによる誘惑に打ち勝った。部屋の暖房をすぐさま全開にする。こんなに寝起きに苦労するのは、低血圧ぎみな身体と、Tシャツとパンツのみの就寝スタイルのせいだ。寝る時くらいは楽な恰好をして何が悪いのか。
お父さんとお母さんはまだぐっすり寝てるため、起こさないよう、物音を立てないよう、気を使いつつ居間へ移動。
重たいまぶたを、ほんの少し持ち上げて、カップ麺とインスタントコーヒーという、日本の文化が生んだ超すばらしい朝食を摂りつつ、スマホで今日走るルートをまたおさらいする。
「えっと…、入間川沿いを、サイクリングロードの起終点である入間市まで走って、そこから県道を使って西を向いて走る。飯能市まで来たら、南に進路を変える。小さい峠をひとつ越えて、青梅市に入ったら、あとは国道411号をずっと奥多摩町方面に行くだけ。」おし、任務了解。目的地は柳沢峠だ。そして天気を確認する、気温16度、晴れ、微風。ところにより風が強まるもよう。
糖分とカフェインがもたらす覚醒作用に期待して、砂糖とミルクをたっぷり入れた2杯目のコーヒーをずずずっと啜り、ウェアとバイクの準備を始める。
心拍計センサーベルトを、密着するように胸に巻き付け、細くしなやかな指で、左腋の下でホックをかけて留める。心拍計のセンサー部はすごく冷たい。まるで冷や水を浴びせられたようで心臓に悪い。しっかしこんな物、胸が大きい人がセンサーを付けようとしたら、きっとわずらわしくて仕方がないだろうな。
ビブショーツをはきトップにはアンダーウェアと半袖ジャージを身に纏う。アームカバーを付け、薄手のウィンドブレーカーを丸めて、ジャージバックポケットへ突っ込む。
鏡の前でおかしなとこが無いかチェックする。自転車のウェアは風でバタつかないように、身体に密着するようなサイズで作られている。そのため、鏡に映った自分は体格が丸わかりだ。凹凸の少ない私の場合は、胸部に重量物が付いて無いおかげで身軽に走れる、流線形ボディを侮るなかれよ…。この時期は空気も乾燥しているため、肌のケアを出発前に簡単にしておく。女の子としての恥じらいを色々と捨て、こんな格好をしているのだ。長めだった髪も、走ってると邪魔くさく感じて、ショートカットにした。肌を守ることは、せめてもの乙女としての意地だ。
サドルバック、前後ライト、サイクルコンピューター、ボトル2本をバイクにセットする。
出発前の準備の時間は好きだ。出撃前の戦闘機のパイロットになった気分になれる。さも重大なことがらのように、いちいちチェックしていく。
財布、持った。スマホ、充電よし。予備チューブ、オッケー。ライト前後、点灯確認。ベルをわざわざ鳴らす「ちりーん…。」よし!行ける!あっ、空気入れてない。てかこれタイヤパンクしてるし!うわ最悪だ…。
「焦るな、落ち着け、まだここは家だ。」と自分に言い聞かせ、すぐにチューブの交換を始める。もしママチャリなら、パンク修理だけで1時間以上はタイムロスだろう。そうしたら、走る気力なんて、遙かパリの凱旋門の方まで吹っ飛んでしまうだろう。しかしロードバイクの場合はそうならない。ホイールごとパッと外して、タイヤの中のチューブを引っ張りだして、新品に交換。タイヤをリムにセットして、空気を入れたらはい終了。全行程15分。慣れって凄い。
今度こそ出撃準備完了。空気圧チェック良し。サイクルコンピューター起動、システム、オールクリーン。このサイクルコンピューター、略称サイコンは、スピードは勿論、ペダル回転数、心拍計、GPS、果ては自転車を漕ぐパワーまで、様々な数値を表示できるのだ。まじカッコいい…。なお件のパワー計は、センサーの価格がおよそ15万円也。学生の身分では運用は不可能の為、機能をキャンセルだ。やむなし。
玄関にて、ヘルメットとグローブを身に付け、シューズ側面のダイヤルを、チキチキチキッと回して足形に合わせる。この方式は、未来的でカッコいいと思ってるんだけど私だけだろう。
玄関のドアを開ける。冷たい外気に身体を包まれる。はぁっと吐く息が白い。だがここまで来ればもう大丈夫だ、寒さに怖気づくことはない。冷たく清浄な朝の世界に、相棒のロードバイクと一緒に踏み出す。
まずはロードバイクにまたがる、この段階ではペダルに足はかけない。次に右足をペダルにかけて、ブレーキを握りながらグッと右足に体重を乗せる。「バチンッ!」と小粋良い音とともに、ビンディングペダルが、シューズに取り付けられたクリートを捕らえる。右足がペダルに固定される。そして右足で最初のひと漕ぎと同時に、左足を地面から離しペダルへ。軽く右側へふらつく、発進のギアが少し軽すぎたか。だが大した事はない、重心移動により、すぐに持ち直す。左のクランクが9時のところで左足に体重を乗せて、左足もペダルへ固定する。それとほぼ同時に右手コントロールレバーの小レバーを、素早く内側へ押し込む、コントロールレバー内、シフトワイヤーの巻取りが一段階解放され、「カンッ」という乾いた音がして、シフトアップ。適切なギアに入ればロードバイクの走行感は安定する。これでテイクオフ。ロードバイクは人間という動力を得て完成し、自在に走る。
私の気持ちも、退屈な日常から切り離されて、厳しくも素晴らしい、非日常へと漕ぎ出した。
入間川CR~飯能市
市街地の入り組んだ道を走り、県道15号へ出る。何度も信号ストップに捕まりながら、西に向かって走る。すると県道は入間川に直角に突き当たる。川を渡ると、県道は日高市方面に向かいそのまま直進を続ける。私は橋を渡り切った所で、入間川CRに入り、上流の入間市に向かって走って行く。
入間川は飯能市の有間ダムを水源に、北東に向かって流れ、私が住む街の市街地北側を、ぐるりと巡って向きを南東に変え、市街地の東側で荒川に合流する。入間川CRは総延長と規模は大きくない、しかし関東随一の荒川CRと、走りやすい環境である県中央部へのアクセスにとても都合が良いため、ロードバイクの利用者は多い。
早朝でも入間川CRには結構人が居る。ランニングや犬の散歩、サイクリングや筋トレの人、等々。サイクリングロードと銘打っているが、実際にはただの長い歩道みたいなもので、歩行者優先で走ることが利用規則で決まっている。
私はここを走る時はスピードは控えめにする。ここは車は来ないし信号は無く快適であるのは間違いない。しかし何が飛び出して来るかわからない。子供や犬猫や、お年寄りからでっかい虫、ボールなどなど、挙げればキリがない。そしてサイクリングロードは、さほど広い道ではない。危険を回避するスペースは少ない。危険を感じたら停止するようにする。
前方50m先にママチャリのおじいさんが走る。ママチャリを追い越す時には気を遣う。ママチャリの人は大体の場合、後ろに居るロードバイクの存在に気付いてない。下手に追い越そうとすると、その瞬間ママチャリが偶然こっちによろけて接触事故が発生。良くある話だ。特に人が少ない時などは、ママチャリは道路の中央を走りがちだ。このママチャリを何も考え無しで追い抜くのは大変危険だ。
とは言っても大したことはない、だた、ちょっと遠慮がちな声で、「通りまぁす…すみません。」と声をかければ大丈夫だ。変に因縁を付けられないように、平身低頭な感じを出せばなお良し。そうしたら幸いおじいさんは左側にすうっとよけてくれた。
周囲に視線をやる、対向からの自転車や、追い越した先の歩行者の有無を確認、後方から自転車の接近は無い、進路がクリアである事を確認。追い抜きは一瞬で行うのが鉄則だ。シフトアップ、右側に車体1台分レーンチェンジ、32km/hで素早く抜き去る。再び左のラインに車体を乗せるため、危険が迫って無いか左後方を確認する。重心移動により左側のラインに戻り、巡航の速度に落ちつける。シフトダウンおよびキープレフト。後方確認の時におじいさんと目が合った。その後から、なんだか視線を感じるのだが気のせいだろうか。それも尻にだ…。この爺さん、追い抜きの瞬間に深呼吸してたような気がする。いや、邪推は止めよう…。多少ケイデンスを上げて、ママチャリ爺さんを容易く引き離した。
ロードバイクに乗ってる時は、危険に気を配る必要はあるものの、基本的にはペダルを漕ぐことだけしていればいい。言ってしまえば暇だ。だがこの暇な時間こそ、誰にも邪魔されることのない、自分自身とじっくり対話できる、現代において貴重で贅沢な時間だ。そういう意味では座禅などの修行に似ているかもしれない。走る哲学者ってのもいいかも知れない。
私は自分がロードバイクで走る時、最も大事にすることを思う。「無事に必ず帰ること」月並みだがそれが全てだ。そうすることで周囲の人の理解が得られるのだ。最初はあれほど自転車で遠出なんて危ないだの、やめろだの言ってきたお母さんも、遠出して何事も無く戻って来て飄々としている娘を見て、ある程度理解を示してくれたようだ。
最近では、「ある程度ラインを寄越すように。」としか言われない。ひょっとして呆れてるのか、まぁいいかな。ちなみにお父さんは自転車用のヘルメットを買ってくれた。父曰く「教育費みたいなもんだから、まぁ気にすんな。」だそうだ。意味がわからない。
入間川CRの終点、豊水橋の手前まで来た。対向100m先にロードバイクが来る。大概のロードバイクと自転車ウェアの色は派手で視認性が高く、良く目立つ。見ると真っ赤な色の空力を意識した車体に、白抜きで北米メーカーの名前が堂々と掲げられている。赤と黒からなるウェアは、その自転車のメーカー公式チームのものだ。ロードバイクとその装備を、ざっと見積もっても総額50万円以上也。うぅむ、圧倒的、財力がストロングスタイルだ。
赤のロードバイクの人は、私の羨望と嫉妬の混じった視線に気づいたようだった。私にちらりと目線を寄越すと、右手をハンドル横で小さく振った。私は軽く会釈する。一瞬のやり取り、3秒くらいの事だったろうか。赤ロードバイクは速度を落とさずに走り去った。でもその一瞬だけでも、誰かと走る楽しさを分かち合えた気がして嬉しい。
入間川CRを抜けて、豊水橋を渡る。400mほど南に進んだら、鍵山の交差点を右折し、西武池袋線に寄り添う県道195号を使い、西に向かって、飯能市方面にずっと進む。
県道195号はよく見ると、じりじりと高度を上げる登りで、池袋線の仏子駅の先からは、若干のアップダウンが続く。この辺りは、広大な関東平野の一番端っこの丘陵地帯で、平野と山地の境界であり移行地帯だ。進行方向左手はずっと小山になるが、右手は入間川を挟んだ向こう側に平地が続いてる。
ここから東京の瑞穂町方面に向かう為には、この左手の山を越える必要がある。この山地には、加治丘陵という名前が付いている。昔は里山として生活に利用されていたそうだ。丘陵地帯を越えた向こう側は、また平地になる。地図で見ると解るのだが、加治丘陵は平地にせり出した半島状になっている。地質年代で見たら、関東平野もちょっと前までは海だったのだから、その表現は間違ってないだろう。ちょっとって言っても、私の人生何千回分だけど。
仏子駅を過ぎて、西武線の踏切を渡る。1kmほど行くと軽く登り坂になっていて、坂の上は切通しになっている。そこを過ぎると下り坂で、正面にブラウン色のバカ高い建物がそびえていて、左手にはあけぼの子どもの森公園があった。この公園はカバに似た、北欧の某妖精の谷がモチーフになっていて、件のカバ似妖精の家が再現されていたりする。飯能市と北欧の共通点といったところで理解に苦しむが、公園の雰囲気は悪くない。ちなみにこの公園は昔、「亜炭」と呼ばれる資源の採掘場だったようだ。亜炭は肥料等に使われていた。そのせいか加治丘陵は、坑道があちこちに空いているらしく、シロアリに食われた木材のように脆いそうだ。
ちなみに、今回の行程における地勢や土地小話は事前に調査済みだ。余談だが私は友達から「地理学の教授」などと呼ばれる事がある。ふむん、悪い気はしない。「中身オッサン」よりは100倍マシだろう。
山肌をえぐって無理やり平にした場所に、正面のバカ高い塔が建っている、大学の施設らしい。あの塔の最上階は展望ラウンジになっていて、関東平野を一望できるそうだ、羨ましい。
高いところは好きだ。子供の頃は、男の子に交じってよく木登りしたっけ。怖くなって降りれなかったけど。幼き日の私は、「眺めいいから降りないの!」と頑なに譲らなかった。結局は一緒に居た仲間たちに大人を呼ばれて、私は強制的に救助された。いやでも、怖いけど頑張れば降りられたし、あの出来事は私の失態では無いぞ、そうだそうだ。
八高線の線路をくぐり、阿須の交差点を直進、2kmほど走ると岩井堂のT字路に突き当たり、そこを左折して、小曾木街道を青梅方面に進む。街道沿いにある第六中学校、その脇を流れる川が、東京の川とはちょっと思えない感じにキレイだ。ここの中学校の生徒だったら、夏とか絶対楽しいだろうなぁ。私だったらスイカとかジュースとか持ってきて、冷蔵庫代わりにして友達と昼休みに取りに来たり、帰りに川で遊んだりしただろうなぁ。
ふと、自分の冴えなかった中学時代を思い出した。空想はむなしいばかりだ、止めよう。もっともここの生徒もそんな事はしないだろう。その環境に慣れ切ってしまうと、地元の長所はしばしば見過ごされる。
そこからしばらく走ると、寒念橋という交差点がある。ここ左折したらすぐ青梅市だ。だが今回はここは通過した。青梅市に到るルートは3つある。一つはこの寒念橋で左折するルート、次にこの先の黒沢2丁目の交差点で左折するルート、最後に黒沢2丁目の交差点を直進し青梅駅のすぐ近くに出るルートだ。どのルートを使うにしても、簡単な山越えが待っている。
私は交差点を左折することにした。3つのルートのうち、道幅が一番広く、勾配が緩いからだ。楽しようと軟弱なルートを選んでるわけじゃなくって、ちゃんとした作戦に基づいた、体力温存のためのルート選びだ。誤解しないで欲しい。ルート選びも実力の内だし、ロードバイクはとっても知的なスポーツなのだ。
黒沢2丁目の交差点に差し掛かった、赤信号で停止。ボトルの水を一口飲む。ついでに登りのタイムを計測することにした。それにより、今日の身体の調子を推し量る。タイマーをセット。ここの登りは距離約660m平均勾配5%。なんてことない登り坂だ。信号が青になると同時にタイマースタート、立ち上がってダンシング、ギアを2枚シフトアップする。勢いを付けて28km/hで登りに突入する。勢いが落ちたところでサドルに座ってシッティングに切り替え、シフトダウン。左手の小レバーの押し込む、フロント側のギアがガシャンと音を立て、内側に入る。右手ではブレーキレバーを兼ねた大レバーを内側に押し込み、軽いギアに叩き込む。18km/hで登って行く。心拍数は177bpm、ケイデンスは62rpm、心拍が高めだが思うようには出力が上がらない。頂上手前70mで再びダンシングへ切り替えるが、脚の動きがギクシャクしている。リズムに乗れないまま頂上通過、すぐに下りに入る。下りで脚を休めるため、フロントギアを外側へ、リアは4枚分シフトアップし、ゆっくりとしたペースで回す。タイムは2分30秒。いまいちだった。
青梅~古里 コンビニにて補給。
青梅鉄道公園入口を通過して、成木街道入り口の交差点を右折し、青梅線の勝沼踏切を渡る。ここの踏切ではロードバイクは降りて押した方が賢明だ。この踏切を直進する場合、踏切の線路はタイヤの向きに対して、浅い角度で設置されている。そのため変にハンドルを切ればタイヤが線路の溝に落ちて、有無を言わさず落車する。
青梅の町は絵に描いたような扇状地だ、地図の航空写真で見るとJR青梅駅を頂点に、扇状に市街地が広がって行く。この地形を作ったのは多摩川であり、この後、私はこの多摩川の横をずっと上流まで走っていく。
先ほどの踏切から青梅駅に向かって進むと、街道両側にこげ茶色っぽい住居兼商店が立ち並び、昭和感漂うレトロな街並みになっている。街のあちこちには、こてこての色使いで描かれた、古い映画の宣伝看板が掲げられている。平成の人間の私にはあいにく、この街が持つ昭和時代への郷愁は持ち合わせていないし、昭和の思い出も共有してはいない。逆に目新しささえ感じる。
落ち着いた色合の街並みのなかで、パステルカラーにも近い私のロードバイクは、間違いないく浮いている。例えるならば、諸国漫遊時代劇のちょんまげキモノ、サムライたちがワイワイと殺陣をしている中、白いタンクトップが良く似合う、黒い口髭をたくわえたゴツイ外人が、マイクを握りしめて超ハイトーンボイスで登場するようなものだ。僕を止めないでくれと。
青梅市からは国道411号をひたすらに走る、この道はすでに目的地である柳沢峠のてっぺんに続いているのだ。
青梅市街地を抜けるまでは信号が多いため、必然的にストップ&ゴーを繰り返すことになる。ビンディングペダルを使うロードバイクが、最も苦手とするタイプの道だ。ロードバイクはレースなどの場面で、速く走るためのものだ。そのため、比較的高速域では快適に走れるように設計されているが、街中でのストップ&ゴーは想定されていない。それはママチャリの得意分野だ。適材適所。ママチャリは劣っているわけではない。
信号待ちのたびにシフトダウンして、左足をペダルから、ガコッと外してステップアウト、停止。信号が変わり発進、ペダルに足をかけ、体重を載せてバチッとステップイン。そしてシフトアップ、車体が安定する速度に達する前に、次の信号待ち。シフトダウンとステップアウト。何度もこれが続くと段々とフラストレーションが溜まってくる。最初は丁寧だった発進も、慣れにより無意識になる。表面上はあくまで平静を装っているが、内心イライラしつつ。
「うわぁまた信号赤か、ないなぁ。」ブレーキレバーをジワリを引いて停止。ここで油断した、「あっ、足外してねぇ…」まばたきする間くらい、車体は直立した状態だったが、あえなく歩道側へ倒れ込んで行く。心の中で「あれぇえ~」と間抜けな叫び声が上がる、心の声はそのまま口から発振されていた。
さらに悪いことに、歩道と車道の間には20cmほどの段差が付いている。段差に身体を打ち付ければ、骨折コース。最悪打ちどころが悪ければ、ヘルメットをしていようとお構いなしに、死。
地面へ引き寄せられる力は大したものだ。永久に変わらない吸引力、アダム・スミスもびっくりの、神のインビジブルハンドだ。抗いようの無い物理法則の暴力を前に心は恐怖一色に染まる。人間は不思議なもので、危機に瀕すると脳のシナプスが超爆発し、時間が引き伸ばされたように感じる。だがこの状況では、恐怖の感覚が引き伸ばされるだけだ。
あぁ、無情である。次の瞬間を意識した時は病院のベットの上かなぁ。もしくは麗しのリバーサイドか。無様に地面に転がった私の姿が目に浮かぶようだ。そして傍らに無残に転がるのは、可愛らしい緑色をしたフレームに無数の傷と、深々と亀裂が刻みこまれて、スクラップとなった、私の可愛い相棒。すでに肉体から解脱を始めていた魂が、他人事のようにつぶやくのが耳に入る「倒れたら痛いよなぁ…擦り傷じゃすないな。でもなぁ…ロードバイクに傷が入ったらなぁ、やだなぁ。まだ傷一つ付いてないんだけど。バイト一年分全てつぎ込んだのにな。相棒と一緒に、もっと沢山行きたい場所も、見たい景色もあったのに、きっと相棒も泣いてるだろうなぁ、『ボク、生まれてから一度も生かされないまま死んでゆくんだ…。』って。ぁああ!!っダメ!!そんなんダメだ!!逝くなぁあ!!私の可愛い可愛い!相棒!!」
肉体が魂にコブラクラッチを決めて私は覚醒し、「フンゥヌ!」と気合いで左足をペダルから引き離した。左足は接地に成功したが、その勢いにより外側にドリフトして行く、クリートは滑りやすいのだ、しかし覚醒した私は、これしきの事を抑え込むのは、ビフォア・マイ・ブレックファーストだ。シューズのヒールと側面をアスファルトに擦り付け、ついに私と相棒は静止した。重力との壮絶な戦いに終止符が打たれた。
今の出来事が、信号待ちをする車のドライブレコーダーに記録されていたところで、地面に足を付けたらちょっと滑った。としか映ってないだろう。先刻の超感覚が証拠として残ることは無い、ただそれが起きた痕跡が、一瞬で190bpmオーバーまで跳ね上がった心拍数と、股関節の痛みと、2万円するシューズの側面に付いた擦り傷に残るのみだ。真実と現実は自分の中にしか存在しないのだ。
改めて思うと、ペダルと足が固定されるって事は、結構クレイジーだ。それを忘れ、油断した自分を反省して、グリーンシグナルでちょっと慎重に走り出した。
青梅駅から約3km、青梅市街地をなんとか脱出してから、周囲に山の雰囲気が濃く感じるようになった。この先は平坦の割合が今までの道よりグッと減る。日向和田駅のY字路に差し掛かった。この交差点で直進しするか左折するか、どちらでも構わない。後々道路が合流するからだ。
多摩川の右岸側を走るか、左岸側を走るか、ただそれだけ。私は直進のルートを選んだ。こちらの道の方が走り易いと考えたからだ。左折した先の川向こうの道は、おそらく青梅街道の旧道だ。経験的に言って、旧道のほうが住宅地が多いため信号が多い。しかし観光名所も旧道の方が多い。どちらの進路を選ぶにしろ、一長一短といった感じだ。帰りに旧道を走って寄り道等を楽しむ事にする。
青梅市にはその名に相応しく、梅林の名所が多く存在する。今はもう梅の花の時期は終わってしまったが、ハイシーズンは観光客で結構にぎわうのだ。
桜の花に比べて梅の花は正直見劣りする。だが、梅の花見には桜の花見にはない、慎ましやかで可愛らしい、味わい深さがある。桜の花見が野外で開かれる宴会だとしたら、梅の花見は、山間の里にある茅葺屋根の団子屋の軒先で、ゆったりお茶を啜りながら楽しむ感じだ。ただ残念ながら数年前に梅の病気が流行したらしく、多くの梅の木が無くなってしまった。
青梅街道をひたすらに黙々と、西へ西へと走って行く。ここから奥多摩町までが今回の行程で、最も走り良いのではないだろうか。さほど車も多くなく、平地の割合が減ってきたとはいえ、過激な登りは無い。じりじりと登るタイプの道だ。多少退屈ではある。
こういう時、私の意識はまた現実世界を遠のき、頭の中では勝手に、地勢学の講義が開講される。受講生は私一人だ。
青梅街道の脇を青梅線が走っている。通り過ぎる駅も結構な数が有る。普通に東京で暮らす人たちは、この路線を使うことはまず無いだろう。路線終点の奥多摩町には山しかない、そこにわざわざ出向く東京人はそうはいない。この路線の名前を耳にする事があるなら、関東での荒天時だろう。関東で大雪や大雨になったら、真っ先に息絶えるのがこの路線だ。
軍畑駅を通過する。この辺りに住む人々の交通手段はもっぱら車だ。青梅線は実質、奥多摩方面に向かう、アウトドア趣味連中の観光列車になっているのだ。下り列車の乗車率はきっと、平日と休日の間で逆転している事だろう。まだその時間に乗り合わせたことは無いが。
だがこの路線は、東京に住む自転車趣味の同胞には重宝される。青梅線を使えば、信号と車が多く、色々な危険の絶えない東京西部の市街地をすっ飛ばして、快適な走行環境までワープできるのだ。といっても自転車に乗ったまま改札抜けて乗車、なんて事は無理だ。自転車を電車に乗車させるには、輪行という手段を使う。自転車を某モビルスーツのごとく3つに分解する。車体から車輪を外して、コンパクトにまとめて専用のカバーをかけたら荷造り完了だ。小さくして袋に詰めてしまえば、これは乗り物ではなく手荷物です。という主張だ。
軽くてすぐに前後車輪を外せる、スポーツタイプの自転車だから成せる技だ。JR等で輪行のルールはしっかり定めてあるので、それに従うことと、ちょっとほかの乗客に気を配る必要があるが。
輪行はいい事づくめのようだが、車体の分解、取り回し等で、それなりに自転車運用の慣れが求められる。中級者向けといったところだろう。
厳ついお寺のような駅舎の御岳駅を通過し、多摩川に架かる印象的な橋を横目に見つつ、川井の交差点を過ぎ、古里駅前のコンビニにて、本日最初のピットストップだ。ここまでで、走行距離は約50km、経過時間は2時間強。
道路と駐車場の段差を、前、後、と小さくウィリーするようにして、ホイールの荷重を抜いて丁寧にクリアする。ホイールの荷重を抜くのはパンクやホイール破損防止のためだ。店先には3台ロードバイクが駐輪してある。他の自転車人もここで休憩しているらしい。3台ともイタリアメーカーのバイクだ。内2台は、伝説的自転車選手が使用した、老舗メーカーのもので、名の「O」の文字をハートマークにしたロゴが特徴だ。しかもイタリア製高級パーツで武装している。もう一台の方はパーツは日本のものだが、最上級の電動変速のものを使っている。これは現役最強自転車選手の駆るモデルだ。3台を総計すると、このコンビニの店先に、ポンと200万円が置いてある感じだ。
この先に進む自転車乗りの人間は、ここで補給をしておかないと、この先で後悔することになる。この先は補給できるような店は少ない。奥多摩町のマイナーコンビニや、この先にある、奥多摩湖ほとりの水と緑のふれあい館、道の駅たばやま。
どれも、コンビニの使い勝手の良さと、品揃えや商品の安定感には遠く及ばない。コンビニでは、交通系電子マネーが利用できて、財布をガサゴソ言わせる必要もない。営業時間は24時間年中無休、普段から使い慣れていることも強みだ。それが日本全国、ほぼどこでも存在するのだから、利用しない手は無い。スーパー耐久ロングラン系自転車乗りにとってのコンビニは、砂漠のオアシス、大海原を行く船乗りの灯台、星々の間を航海する宇宙船にとっての地球型惑星、要するにコンビニ様様だって事だ。コンビニ店員の方々、お疲れさまです。
隠すまでも無いが私はコンビニ大好き人間である。有名観光地での昼食も、コンビニにすることは厭わない。友人や家族での旅行時にはそんな態度にブーイングの嵐だ。しかしコンビニの造りや品揃えにも、よく見ると地域色が表れているし、商品の味も地域毎に微妙に違いがある。そういった事を楽しめないようなら、コンビニ大好き人間としての修行が足りない証拠だぞ。
最初はこの格好でコンビニに入店するのは、気が引けた。派手な色使いの自転車ウェアは、店内で確実に悪目立ちする。身体のラインを丸わかりだし、お尻を守るクッションが縫い付けられたビブショーツは、男性用の競泳水着にしか見えない。そしてビブショーツはつまり、ショーツだ。お察しください。それが嫌ならば、パレオのようなサイクルスカートを身に付けるという方法がある。しかし、こやつのお値段の相場は7千円。それに私はどうにもスカートが苦手だ。ジーンズで乗るという荒業もあるが、これは1時間以上の走行には超絶な苦痛を強いる。結局、今のこのスタイルが一番なのだ。
だが慣れて来ると、このスタイルも結構カッコ良く思える。それに自転車に乗り続けると、体形がスリムになる為、このピチピチスタイルウェアを、本当に格好良く美しく着こなすことができるのだ。女子自転車レーサーは本当にスタイルが良い。プロレーサーの脚は意外なほど細い。しかし貧弱な訳ではなく、引き締まり芯の通った、しなやかな強さがある。乗り方が上手いと脚が太くならないのだ。まさに美脚だ。私はまぁ、微妙な脚、微脚ってところだろう。…プライドは無い、笑ってくれればいい。
なお、日焼け対策をしっかりしておかないと、コンビニ店員をビックリさせる日焼けが出来るため注意が必要だ。おもにサングラス焼けとかグローブ焼けの事だ。ビブショーツ焼けに至っては、太ももが本当にきれいに2色に分かれる。
入店後、カゴを取って飲み物売り場へ直行。とりあえずフランス水源のミネラルウォーターと、プライベートブランドのスポーツドリンクを手に取る。次に素早く菓子パンコーナーへ移動する。4連装130円の小粒あんぱんを、一点の曇りなき電光石火の動作でカゴに入れる。ここまでの動きはもはや自動化され、動作も洗練された。
さて、ここからが問題だ。食事系、おやつ系、どちらのタイプのパンを選択すべきか。食事系パンなら、迷わずウィンナードッグだ。低価格で炭水化物とたんぱく質と塩分の摂取が可能で満足感が高い。味も良い。ウィンナーのジューシーさのポイントも高い。だがこの後、激しい運動が控えていると思うと、消化に負荷がかかるこれはちょっと気遅れする。
おやつ系ならば、メイプルシロップがサンドされたパンケーキを選ぶだろう。疲れた身体に甘いものは最大のご褒美だ。疲労で食欲が落ちていてもスイスイ食べられる。消化も容易く、糖分を摂ると思考も冴える。その反面、腹持ちは悪い。パッとひと花咲かせたらすぐに散っていくタイプのエネルギーだ。ううむ、悩む。
しかし、こうしている間にも、貴重な時間は刻一刻と流れてゆく。何よりも不安要素は、店先の相棒だ。ロードバイクは本当に盗まれやすい。さぁ、最後の審判だ、シロかクロか。ウィンナードックかパンケーキか。
会計を済ませて、レジ袋をブラブラさせながら店を出る。レジにてついでにホットコーヒーを買った。相棒の元に戻り、空になったボトルに、水とスポドリをそれぞれ詰める。4連装あんぱんは、ジャージのポケットへそのまま入れる。結局ウィンナードッグとパンケーキ両方購入した。買ったパンはその場で食べてしまう。コンビニの店先で立ち食いが、みっともないかどうかは知らないし、考えるつもりも無い。
あいにく私の乙女力は、相棒のロードバイクとの数々の冒険のどこかで、置き去りにしてしまった。コーヒーを啜る。最近のレジ横コーヒーは美味しくて良い。もし女子力が湧きだす泉があったなら、5000m級のヒルクライムだって厭わない。ボトルに汲めるだけ汲みまくってやる。
ウィンナードッグとパンケーキを平らげ、コーヒーの残りを名残惜しく思い、じっくり味わう。自転車乗りにはなぜか、コーヒー愛好家が多い。確かにコーヒーに含まれるカフェインには、運動時のパフォーマンスを向上させる効果がある。だがカフェインを摂取する事が目的ならば、他にいくらでも手段がある。それでもライド前の一杯や、休憩時の一杯は、やはりコーヒーだ。自転車乗りはなぜコーヒーにこだわるのか、ヨーロッパの文化への憧れがあるからだろうか。それともコーヒーの歴史に刻まれた、ウェストアメリカンドリームを味わっているのか。答えは人それぞれ千差万別だろう。
先客の自転車乗りは、自分の愛車について談笑したり、自分が参加した自転車走行イベント等の話題で盛り上がっていた。
店の軒先をちょっと離れて、遠巻きに相棒を眺めてみる。色とりどりの先客の3台に交じって、私のロードバイクは置かれている。ロードバイクが数台集まっても、ライムグリーンの私の相棒は存在感を放っていた。私の世界では、相棒の周りだけにピントがフォーカスされている。「いやぁ、相棒、カッコいいぞ。」と呟く。
私の相棒のロードバイクは、アメリカメーカーのアルミバイクだ。メーカーのイメージカラーでもある、この柔らかい黄緑色が気に入っている。
ロードバイクのフレームの素材は主に、アルミニウム、炭素繊維強化プラスチック(CFRP)俗称カーボン、クロムモリブテン鋼の3種だ。それぞれに持ち味がある。アルミのロードバイクの場合は、カーボンほど軽くないが、十分軽量で値段が安く、なおかつ壊れにくいので、扱いやすいロードバイクとなる。
今の相棒は、お店でひと目見た時に頭に浮かんだ、「海岸線の道、白い夏の日差しの中、緑のロードバイクが真夏の景色に馴染みつつも、眩い日差しを反射し、光り輝いてその存在を主張している。」この私の妄想により、その瞬間から、お店の商品から私だけの相棒へと昇華した。
チェーン回りである駆動系や、ブレーキ関係には日本の超一流メーカーのパーツが使われている。なおパーツのグレードは、レーススペック3種類の内で一番下。ホイールは買った時のまんまで、フランスの有名ホイールメーカーの物だ。ホイールのみの重量、前後合わせて1.8kgだ。軽量ではないが頑丈だ。そして奮発して買ったビンディングペダル、約2万円。ふみ面が平で、丸い形をしたそれは、まるでキャンディのロリポップのような形をしている。ペダルのカラーは本体とそろえて、浅い緑色だ。このペダルが、ある意味で今回のライドの主役なのだ。
私はつい先日までフラットペダル、つまり足とペダルが固定されない、いわゆるママチャリタイプの物を使用していた。それで不満は無かったのだが、もっとロードバイク、私の相棒と一体化して、その本気の力を確かめたくて、ビンディングペダルの購入を決意した。脱着の練習に数日費やした。そして今日、ついにそれを実行する。そのため今日は果てしなく登りが続くルートを走ることにしたのだ。改造メカバトルゲームで考えてみて欲しい、誰だって自分のメカが改装強化されたら、その性能をすぐ発揮させてみたくなる。今回のライドはそれと全く同じ動機だ。
私のロードバイクを総評すると、「低価格ド定番の入門車」だろう。だがそれは表面上の話だ。アルミはカーボンに後れを取る、これは一般論に過ぎない。私のロードバイクの重量などの性能は、カーボンバイクをも凌駕するのだ。しかし価格はアルミバイクらしく低価格だ。つまり性能のコスパが素晴らしいのだ。まぁそれでも20万円はオーバーするが。
それでも、その秘めたるポテンシャルの高さから、自転車乗りの間では「卍カーボンキラー卍」または「✝アルミバイクの神✝」として恐れられている。語彙力や中二っぽさを気にしてはいけない。私のロードバイクは、お金で高性能なロードバイクを所有する大人に対して、真向から挑戦状を叩き付けるような、超反抗的で挑発的存在なのだ。可愛いカラーリングの裏に隠された、その本性が、私はとても気に入っている。
そしてこのバイクにはまだ、成長の可能性が沢山ある。パーツが一番下のグレードだからこそ、ホイールやパーツをランクアップしていける。私自身も相棒に育てられ、私も相棒を育てていく。最高の入門車だ。
そろそろ出発しよう。人のバイクと比較して、あれこれと考えるのは楽しい。しかし私にとっては走らせることが一番楽しい。諸々の事情で走れない週末などは地獄だ。それだけで息が詰まりそうだ。そんな時に部屋の相棒を見ると、まるで狭い水槽に閉じ込められた、…息が詰まる…狭い水槽…マグロか?
私もマグロなんだろうか。今度からは回転寿司屋の人気のネタに親近感を感じてしまいそうだ。
自転車の楽しみ方は様々だ。私のように走ることを楽しむ人や、カスタマイズを楽しむ人、レースで勝つことや、旅先のグルメを満喫する為、健康や美容の為、コレクターや自転車を交流目的で乗る人も、絵のモデルに使うのだっていい。好き勝手に楽しめばいいのだ。公道法は守らなければならないが。
自転車は冒険の道具だ。人それぞれの色んな冒険があっていい。「ロードバイクはこうなければならない。全力で走らせなければロードバイクの意味は無い」といった事は無いし、私はそういう決めつけは大嫌いだ。とにかく、もしそういう、いやな人に出会ったら、逃げろ。プロ選手の如く逃げろ。逃げて逃げて逃げまくれ!最後の最後まで渾身の力を込めて逃げるんだ。そういう人に縦書きの便せんを押し付けられたら、90度回転させて横書きにして突き返してやる。
カフェインの摂りすぎで熱くなって熱弁をふるってしまった。現実世界に戻ろう。
コンビニを出る際、リアテールランプを点灯させておく。この先はトンネルが多くなる、暗闇での自転車の視認性の低さは致命的だ。
休憩後の走行ではケイデンスを、高めの85rpmに保つ。ビンディングペダルだと、こうした高めの回転を維持しやすい事に気が付く。青梅街道のようにアップダウンの多い道では、重たいギアをゆっくりと回し、登るたびに変速をするより、軽いギアをリズムに乗ってクルクルと回し、登りもそのままのギアで乗り切った方が足の疲労が少ない。
リズムは結構重要だ。青梅市前の登りで調子がいまいちだったのは、重たいギアの無理やり使っていたからだと、今気づいた。心拍数155bpm、この先は奥多摩湖まで、ほぼ登りのみだが、この調子なら、キツすぎることは無い。
リズムに乗ってペダルを回していると、自然と歌を歌いたくなる。歌と自転車はリズムだ、歌が口から自然と漏れ出しても不思議ではない。というわけで、辺りに人もいないし、車上ヒトカラ開始。
「ロードバイク!ロードバイク!ロードバイクに乗って好きな場所へ行きたい~」
あっ、今、人いた、熱唱してたところ、すごい気持ち入れてサビ入ったとこ、完璧に見られた…ギアを2枚上げてダンシングして、一機に速度を上げて逃げた。逃げる事は大事だ。
鳩ノ巣~奥多摩湖
鳩ノ巣って駅名がゆる過ぎではないだろうか。青梅線の路線図でこの駅名は異彩を放っている。解説の看板によると、この地名の由来は、江戸の大火と関係しているようだ。江戸の街再建の為、この辺りの木材を切り出す事になった。その際に祀られた水神社に、巣をかけた二羽の鳩が村人に親しまれたことから現在の地名になったようだ。なんだか微笑ましい話だ。
駅に向かう道の入り口に、静かな山里に相応しい喫茶店がある。こういう水の綺麗な場所のコーヒーはきっと美味しいはずだ。帰りに寄ろうかな。
奥多摩町の手前には4つのトンネルがあり、2つ目のトンネルを越えた。この辺りの道幅は狭いため、エスケープゾーンが少ない。車もそこそこ通る、特に周囲に気を配る。危険を回避するために、後ろに目を遣る事を覚える必要がある。目の隅に後方からのダンプを捕らえる、前方には3つ目のトンネル。
ダンプが私を追い越すタイミングと、私のトンネル突入から脱出にかかる時間を予想する。私がトンネルを脱出する前にダンプに追いつかれそうだ。シフトダウン1枚。2~3km/h減速し、トンネル直前でダンプをやり過ごした。間髪入れずに私もトンネル突入、ダンプ後方気流によるスリップストリーム効果により、ダンプ左側後輪に車体が吸い寄せられる。脚を止めて、タイヤに引きこもうとする気流からから離脱する。見ることはできない、気流の強大な力を、今、肌で感じた。
トンネルを抜けた先400m、道は大きな旋回半径で右に曲がる。その先に奥多摩街道の難所、新氷川トンネルは在った。このトンネル、とにかく長いのだ。その全長600m。車なら一瞬だが自転車ではなかなかの恐怖感を味わうことになりそうだ。今は幸いにも後方からの車は無い。スピードを上げてトンネルに入る、出来るだけ短時間で通り抜けたい。車通りのある国道であるため、トンネル内照明はしっかりしていた。トンネル中間地点を過ぎた地点で天井に換気用の巨大なファンが回っていた。ここまで静かだったトンネル内に、突然ゴウゴウという地鳴り似た音が一機に充満した。これは後方からの車の音だ。トンネル内だと普通に走行するだけの車も、威圧的に感じる。私はトンネルは苦手だ。シフトアップをして速度を32km/hに引き上げる。車に追い付かれる前にトンネルを出た。
トンネルを抜けると、もうそこは奥多摩の市街地だ。今まで街道と平行して走ってきた青梅線も、ここ奥多摩駅が終点だ。この先でロードバイクに致命的なトラブルが発生し、走行不能に陥った際は、様々な手段を用いてここまで戻ってくる必要がある。ここの日原入り口という交差点を右折した先には、なんと鍾乳洞がある。東京日帰りで探検気分を味わうには持ってこいだ。
味わうといえば、聴くところによると、奥多摩の街ではシカ肉を食べられるそうだ。シカ肉をジビエと言い換えると、とたんに欧風でおしゃれなイメージになる。時間と財力に余裕があれば、ぜひとも奥多摩ワイルドライフに舌鼓を打ちたいものだ。ちなみにシカは、山に行くと本当に良く居る。神奈川県、かの有名なヤビツ峠でお馴染みの丹沢山系は、シカ天国と化している。
奥多摩市街地から先は、奥多摩湖までの、約4キロの道のりのヒルクラム。ここでも軽いギアを選択して力を温存する。ケイデンスを80rpm程度に保つ。速度22km/h。心拍数は170bpm、高いがまだ余裕を感じる。この先もトンネル頻出地帯だ。周囲の危険を良く確認する必要がある。
愛宕大橋を過ぎた辺りで、前方にロードバイクが1台。私は人の乗っているバイクを、無意識に確認してしまう。台湾ににある世界最大のメーカーのバイクだ。ホイールは日本メーカーの軽量モデルの物に換装してあった。あのホイールは重量約1.3kgだろう。こちらより0.5kgも軽い。
流しで走っているようだ。1分もすれば追い付いてしまうだろう。ロードバイクの追い越しは、ママチャリを追い越す場合と違ってちょっと脚を使う。普通の場合は、相手のロードバイクもそれなりの速度で走っている。それを追い越すとなると、ギア2枚分ぐらいはスピードを上げなくてはならない。追い越し時に、2台が並走する時間をなるべく短くしなければ危険だからだ。それに追い越し後に力尽きて、ペースが落ちて相手の前を塞ぐような事があれば、ヒンシュクを買うのは確実だ。それは遠慮したい。だから無理に追い越す必要はない。
それか、追い越し後に、速やかに相手の視界から消えることだ。今回は相手も流しているようだし、問題なくオーバーテイクできそうだ。ダンシングモードに身体を移すと同時に小シフトレバーを素早く2回押し込む。後方から危険の接近は無し。重心移動により、ひらりと車体の走行ラインを右へ。25km/hのスピードで一息に追い越す。オーバーテイク、そしてサドルに腰を落ち着けるシッティングに移行。シフトを1枚軽くする。再び道路左ラインに戻る前、相手にライン変更の意志を伝えるため、片手で左側を指し示すハンドインを出す。走行ラインが左へ戻す。後はこのまま自分のペースで普通に走り続ければ、相手を引き離すことが出来るだろう。
「あれ、思ってたより差が開いてない。」1メールほどの間隔でぴったりと付いて来る。目測だと相手は15km/hで走っていたハズだ。スピードメーターにちらりと目を遣る、表示は20km/h。遅くは無い。
やろう、ペースあげやがったな。気づかれない程度に、後ろを見る。相手はドロップハンドルの下を握り、前傾姿勢でダンシングをしている。まるでアフタバーナー全開フルパワーで発艦する直前の戦闘機のようだ。深い前傾姿勢のそれは、戦闘機が機首を沈めて、踏ん張っている様子そっくりだ。
ああ、成程、完全に理解したわ。さて、どうするか。ここは公道でありドッグファイトを行うような大空ではない。構わず相手を前に出してバイバイするのが得策だろう。それならば相手の放った巡航ミサイルは空振りして終了だ。
もしくは、あくまで相手は追って来ていないと考えるか。つまり前を行く私は、売られたケンカをご購入したわけではなく、ここでペースを上げようと元々考えていたという言い訳だ。「あなたのことなんか眼中にないんだからね!」ってことだ。今は懐かしきツンデレ的走法といった感じだろうか。それでいこう。素直じゃないなぁ。
言葉はいらねぇ、私は振り返らずにフロント側ギアをインナーへ、リアを3枚あげ、軽くダンシングして差を広げにかかった。これは本気のアタックではなく、開戦のゴング代わりだ。ゴールは奥多摩湖だろう、言葉は無くてもわかるものだ。
私はあえて抑え気味で走る。心拍数182bpm、ケイデンス72rpm。奥多摩湖の手前はキツイ登りだ、そこでギアを上げ相手を一機に突き放す。力を蓄えて放つ一発のみの必殺技を、的確に急所に打ち込み仕留める作戦だ。全盛期のスペイン人自転車レーサーが得意だった作戦だ。
対する相手は差を詰めに動いた、ここで追い抜かれると、一機に置き去りにされる危険もある。私は相手の動きに反応し、前を維持した。すると相手はスッと引き下がり、一機に差が開くと思われた、思わず私も足を緩めてまった。
その一瞬で相手はギアを上げ、その差を一機に詰めて来た。伸びたバネが縮むような動き。スピードの緩急をつけ、こちらの力をじりじりと削りとっていく作戦とみた。こやつ、やり方を心得てやがる。前を譲れば、相手の攻撃にを的確に処理することが出来るだろう。しかし、ひとたび後ろに下がれば、再び前に出る為には力をかなり使うことになる。急激な速度の変化は正しく相手の思うつぼだ。相手はこちらの自壊を目論んでいる。私は先行を維持する。
トンネルに突入、トンネル内では相手の動きは落ち着いていた。「トンネル内は危険だから落ち着いていこう」といった所だろう。自転車競技では紳士的であることが求められる、相手はそれも心得ているようだった。よろしい。トンネル内で、私は相手を友達でもエスコートするように、優しく走った。
実力は拮抗しているように思われた、依然として私は先行していた。ここで現れた一瞬の下り区間とその先の登り返し。ここを狙っていたようだ、
後ろからシフトチェンジの短い「カンッ」という乾いた音、それが耳に届くのが早いか否か、相手はすでに横に並んでいた、そして力強く、一つ、二つ、三つとペダルを踏み込みダンシングし、その勢いを利用して、登りをギャロップのように駆け上がった。しまった、慌てて反応したが、短い登り返しが差を生んだ。
最後のトンネルを抜ける、相手が先行のまま最後の登りへ。先に生まれた差がなかなか縮むことが無かった。相手はここでハンドル下部を持ち、ギアを上げ再びダンシング、このまま引きちぎるつもりだ。奥多摩湖にある巨大なダムの放水口が見えた時、私はギアを変え、速度を緩めた。ギアを変えた音が相手の耳に届いたのち、遅れた私を確認したようだ。彼は勝利を確信したらしい。勝ち誇った笑い声がここまで響いてくるように思われた。彼もかなりの力を使っていたらしく、私の速度が緩んだ際に、ダンシングの勢いが少しそがれていた。
「かかったな!アホめ!!」この瞬間私はハンドル上部から、両手同時に下ハンドルに移行させると共に、ここまでセーブしていたパワーを全開にした。有無を言わせぬ爆発的加速により、唖然とする相手を尻目に30km/hでぶち抜き、そのままゴール目指して突進した。失速とギアチェンジはブラフだ。ギアの変わる音と共に失速したのだから、降参して、軽いギアに入れたと思ったのだろう。相手に油断が生じた事が見てとれた。実際に私が変えたギアはその逆だ、フロントギアをアウターへ突っ込んだ。フロントギアは歯数の差が大きいため、一回のシフトアップで高速ギアへ、ジャンプアップが可能だ。名付けて「死んだふりアタック」だ。
このアタックが決定的だった、彼も慌ててアウターギアに入れて、必死に追いすがろうとしているようだが、無駄だ。アウターギアは重いギアであるため、スピードに乗せるには助走が必要だ。そのタイムラグが私に味方し、差をさらに広げるための時間を与えた。
そのまま奥多摩湖に到着。ゴール。乱れた呼吸を整えるため、フロントとリア両方のギアを操作し、軽いギアをクルクルと回す。心拍数が190bpmから徐々に低下していく。
30秒ほど遅れて、彼が到着。がっくりと落とした肩を、上下させてあえいでる。こちらの姿を視界に認めたた彼は、息絶え絶えになりながらも、日焼けした浅黒い顔で、ニカッと白い歯を見せて笑顔でサムズアップ。そのままゆっくりと、道の横にあるダム資料館の駐車場へと消えていった。それが私が見た彼の最後の姿だった。あばよ強敵よ…。最後のフェードアウトはちょっとカッコよかったぞ。
この奥多摩湖沿いの道はほぼフラットだ。ここで私はゆっくりと走りつつ、携行食料の小粒あんぱん一つ食べて体力の回復に努めた。奥多摩町といえば真っ先に名前が挙がるのが、この奥多摩湖だ。だがさほど眺望が良いわけではなく、観光地として魅力はいまいちだ。しかし、昭和の初めに建設された小河内ダムにより、この奥多摩湖は東京の貯水池として、東京の街を潤している。湖底には、南北朝時代から続いた温泉と、かつてこの地で生まれ、生活し、死んでいった人々の村が沈んでいる。
今ではこの山村の温泉街は、かつての村人達の記憶だけに、竜宮城のように存在している。記憶の中の存在は、時間による風化という、抗い難い法則からも解放される。
そして、奥多摩湖から先の世界の主役は、人間ではなく山の自然だ。今までは、危険の要因は人の影響によるものだった。この先から自然からのプレッシャーに必死に抵抗する必要がある。
奥多摩湖~道の駅たばやま
後悔していた。遠くまで来てしまい過ぎた事を痛感した。この先柳沢峠のピークは約20km先だ。この状態ではどれほど努力しても、あと1時間以上は登り続けなければならない。しかも攣った脚を引きずりながらだ。そしてそれが済んだら、今度は家まで走らなければならない。下り基調ではあるが、その道のり90km。ここ、「道の駅たばやま」から今日はあと110kmもの行程が残っている。お尻の痛みも最高潮だ。
奥多摩湖周辺を走っていた私は絶好調だった。車も少なく信号のないコーナーが連続する道を、32km/hで快調に走っていた。リズムよく車体を右へ左へ倒し込み、流れるようにコーナーをクリアしていた。県境を越えて山梨県へ入った。そのままの勢いで、一足に峠のてっぺんまで行ける気分だった。このまま、もっと高く、高く、高くへ。
奥多摩湖最奥部の深山橋を過ぎてから、変化は思ったより突然に起こった。右コーナーを抜けた先、内側に傾いた車体を、そのまま真反対へ叩きつけようとするような突風。風の張り手の直撃をもらった。落車は回避したが、思わず「わぷっ!」というマヌケな声を上げてしまった。
春の嵐、という言葉が頭に浮かぶ、寒く厳しい冬を乗り越えて、やっと巡ってきた春。春うらら、穏やかでぽかぽか陽気。だが実際はそんなものは幻想である事に、ロードバイクを始めてから気付かされた。気温の乱高下、突然の豪雨と春雷、突風に翻弄され、巻き上がる土埃は呼吸系に確実にダメージを与える。おまけに花粉の大盤振る舞い、出血大サービスだ。繰り返すが、春は優しくない。まるで冬の間に溜め込んだ鬱憤を一機に爆発させたような季節だ。
そこから6kmほど、風と急坂の猛攻を受け続けていた。下ハンドルに持ち替え、上体を低くし、風の影響を受けにくいフォームをとり、とにかく前に前にともがき、押し戻そうとする力に必死に抵抗する。ここで私は、自分の感覚以上に体力を消耗している事に気付かされた。息を切らしながら、「そんなバカな…。そんなに無理をした心当たりは…。」無いと言いかけたが、どう考えても奥多摩湖手前から調子のってハイペースで飛ばしてきたツケが来たたけだ。
人間は乗り物を操作すると、自分の力の拡張に、どうしても調子に乗ってしまう。スピードを上げて無理な運転をしたり、だ。車のドライバーなどはその傾向が顕著だ。例えば普段は大人しい人が、車の運転中には口汚く他の車を罵ったりする場面を見たことがないだろうか。ロードバイクも例外ではない。
しかし調子乗ったツケは、体力の消耗という形で、圧倒的リアルな苦痛によって払わされる。それによって、ちょっと心に芽生えた世界に対する全能感は、完膚なきまでに叩きつぶされる。そして自分の、人という動物のか弱さを嫌でも実感する。「か弱い自然を護ろう」とはよく言えたものだな、と心の中で、その思い上がりぶりが可笑しくて笑った。たかが坂道と強風に殺されかけている今時分の状況が、どうしたって脆弱な自然などとは思わせない。
人間は降りかかる猛威に、ほったて小屋の文明で、ちょっとばかり抵抗しているだけに過ぎない気がする。欲を見せて、その小屋を拡張させようとしたとたん、自然の手痛い反撃にあって、小屋もろとも吹っ飛ばされてしまう。かといって自然に全面降伏して、全裸で原始の生活に戻ることなど到底できない。そうならないためには、木々に巣をかける山鳩のように、抵抗するのでは無く自然のものを利用して、上手に付き合う事だろう。剛から柔へ。インドの偉人は言った、非暴力、非服従と。
いままで無意識に力んでいた脚の力を緩めた。ギアを一番軽いインナーローへ、無理に風と坂に逆らうことを止め、余裕を持って、ゆっくりでいいから進む事だけに注力する。力をほんの少しでも温存する。一歩一歩と前進を続け、下り坂へ入った。そこに山中異界のような丹波山の街と、道の駅があった。
そして今現在時は、道の駅たばやまで、体制を立て直すべく小休憩だ。ここにはスタンドの無いロードバイク用に、自転車を引っかけて駐輪するサイクルラックが設置されていた。サイクルラックの見た目は完全に学校の鉄棒のそれだ。そこにサドル前部を引っかけて吊るすように駐輪する。
脚を攣ったのは予想外だった。ペダルから脚を外そうと、左足かかとを外側へ捻る動きを加えた際に、それを拒絶し、ふくらはぎがご臨終された。「ぐわぁぁあああ!!!」本日一番の苦悶の叫びと共に私は、顔面に超ド級の重たい右ストレートをもらったボクサーの如く、感覚的にはゆっくりと崩れ落ちた。身体とバイクは幸いにも無傷だった。
カラカラで焼けるようだった喉を潤し、充分に水分塩分糖分を補給して、携行あんぱんにより回復に努めた。ついでに売店で買ったバナナを食べる。バナナがうめぇ…。身体とは現金なもので、お腹が満たされると気力が自然と湧いて来る。あれほど泣き言を喚き散らしていたのが嘘みたいだ。人間の持つこうした、どうしようも無い面というか身も蓋も無さは、悪くないと思う。さっきのはエネルギー切れ、ハンガーノックだったのだろう。
本当に疲労困憊すると食べる事すらできなくなる。そうなれば以後走ることは不可能だ。逆に言ってしまえば、食べれるならばまだ走れる。まだ立ち上がれる。尻の痛みも引いた。風も弱まったようだ。
この先に美味しいわらび餅の店があることを知った。よし、登り切ったらご褒美にそれを食べよう。そんで家に帰ったら、あのラーメン屋で、アブラブタメンマシマシで食ってやろう。行くぜ相棒、待たせたな。ここからクライマックスだ。
柳沢峠 カテゴリー超級
青梅街道大菩薩ラインに現れた、道端に異様な存在感を放つ、くすんだ黄色に、血液のようなドス黒い赤の文字で「きのこ」とある看板、鳴り響くラジオの音、どうみても不法投棄されたようにしか見えない機械たち、倒壊寸前のほったて小屋、このシュール空間は、誰の抽象画の世界だろう。
丹波山の街とキノコ屋を過ぎてさらに山深く、深くへ走って行く。幾つかのトンネルを越えたが、トンネル内に照明が無く、目の順応も出来ず、本物の暗闇を体験した。そして真っ暗闇では上下左右の感覚の喪失を味わう羽目になった。トンネルの横には、かつて使われていたであろう道があったが、今は土砂崩れにより完全に封鎖されていた。落石も多くなってきた。鋭利な石片を踏み、タイヤを傷付けないように気を配る。
大常木トンネルに入った。トンネル内には、自分の口から発せられた、乱れた呼吸の音が反響して、否が応にも耳に戻ってきた。そしてこのトンネルは、先ほどまでのトンネルと違って、異様に薄ら寒い感じがした。日当たりが悪いせいだろうか、いずれにせよとっとと抜けてしまおう。そのトンネルを抜けても、間髪入れずに一之瀬高原トンネルに入った。このトンネルは先ほどと打って変わって明るく、寒さも感じない。やはり、あのトンネルは…。余計な事考えるのはよそう。
一之瀬トンネルを抜けた。道は右に大きくカーブして、その先でUターンするような恰好で、眼前にある壁の上に戻ってくる。ここは事前にチェックポイントとして地図で確認していた。一之瀬高原入り口、そしてほど近くには、おいらん淵と呼ばれる場所がある。おいらん淵、名前からしてヤバそうだ。伝承によると、それは戦国時代のこと、この地域に存在した武田氏の隠し金山。この存在が公になることを恐れた奉行が、金山で採掘に当たっていた部下と、金山の遊女55人をここで全員殺っちまったそうだ。なんでも、この川の上に藤のツルで吊った宴台をこしらえて、その上で宴をしている最中にツルを切って、全員を淵に真っ逆さまに沈めたそうだ。ナムアミダブツ!!…もっとも、この話の信ぴょう性は低いらしい。ビビらせんの止めろマジで。
ヘアピンを過ぎて、川沿いをずっと行く。先ほどからインナーローで回しているが、心拍数がもう190bpmから落ちない。苦しみながら、自分を誤魔化し、なだめながら走る。「もう止めようかな。でも、せめてあの電柱までは走ろう。」そして電柱までたどり着いたら、「じゃあ、今度はせめてあの小屋までは頑張ろう。」といった具合に。酷使した呼吸系は、今はカラカラに干からびて、ミイラのように萎縮するような痛みを生じる。だが耐える。強制的に体力を絞り尽くそうとする坂道から、ほんの少しでも温存できるように足掻く。この苦痛から解放される瞬間を待ちわびている。コーナーを抜ける度、この先が峠のピークである事を祈る。そしてその期待は悉く打ち破られる。
一之瀬ヘアピンから2km。心拍数192bpm、ケイデンス62rpm。眼前には10%以上の勾配がありそうな急登が立ちはだかった。その距離は目測400m。ダンシングで切り抜けるような力はもう残っていない。
苦しみを全身で受け止め、わざわざ噛み締め味わうような、ゆっくりとした速さで登って行く。一回のペダルの往復に、これっきりの力を載せつつ。それでいて、0.01%だけでも、体力を温存しつつ。
顔が涙や鼻水やら汗やらよだれで大変な事になっている。女の娘としては残念だが、今はもうどうでもいい。今、この困難を乗り切ることに、全ての力を費やせばいい。日常のごちゃごちゃした悩みや苛立ちは、全て消え去った。いまこの脅威に、立ち向かうことだけすればいいんだ。こんな迷いの無い澄み切った心は、この死力を尽くしている瞬間だからこそ感じられる。
急登をクリア、心拍数195bpm。回復すべく息を整えようとするが、そうする間も無く、すぐさま2連続ヘアピンの難所へ。今度は何とかダンシングで乗り切る。この時、このバイクの軽さと反応性の良さが非常に際立った。このバイクが、生まれて初めて、その性能を存分に発揮していることが感じとれた。
そうだ、私は、持てる全ての力を引き出す、その瞬間が好きなんだ。平地ではここまでの事は出来ない。街で全力スプリントなど出来ないし、それでもなお、ロードバイクの全てを引き出すことはできない。だがここでは、私の力全てと、ロードバイクの能力全てを持って、無遠慮に全力で挑んでいける。挑む相手は、私自身の世界へ、だ。
2連ヘアピンを突破、ダンシングのまま赤い欄干の橋へ、残り1km、フラムルージュ。脚の回転を早める。右手中指で素早くシフトレバーを操作し、シフトアップ。この苦しさも、沸騰しそうな血液の熱さの温度も、脚や胸の痛みも皆、生きてる感触だ。そして今だけ私は、世界最高のレーサーであり、ここは最高の大舞台、ラルプデュエズ峠だ。
今まで少しずつ残してきた力を、ここで全て解放してやる。私の胸を突き破りそうな、心臓の躍動が感じられる。心拍数はすでに200bpmを突破し、測定値があいまいになる。恋ってこんな感じだろうか。ただ、今だけは誰も私の心に通さない、邪魔できない、私だけの時間だ。
勢いだけが全てのでたらめなダンシング、そして身体のどこかで、特別な力が駆動を始めた。エネルギーの塊へと身体が昇華するようだった。
この瞬間、私は私の苦痛や、肉体や、私自身さえ、振り解いた。
一瞬に輝く、莫大な力、熱の奔流は、その勢いで遙か遠くへ飛翔した。
峠の頂上に、空っぽの自分が居る事を意識した。私は解放された。私を突き動かした莫大なエネルギーからも、苦痛からも。終わった。そして、勝った。何に勝ったかは解らないが、勝利の感覚が在った。
少し遅れてから、私が置き去りにした苦痛やら痛みやらが、律儀にも追いついて来た。痛みで全身の形がはっきり解ったくらいだ。法面に寄りかかるようにして、停止。ハンドルに突っ伏した状態で、そのまましばらく動くことは不可能だった。
柳沢峠~自宅
何とか動ける状態になると、重たい身体を引きずって道の反対側にある、峠の茶屋前の東屋に移動する。まだ息は上がり切ってぜぇぜぇ言っていて、肩を上下させて必死で酸素を取り込んでいるような状態だが。
でたらめに暴れる心臓の、高すぎる心拍をなだめるように、ゆっくりと右へ旋回してUターンする。峠の眺望が開けた場所から、青い山の稜線の奥に、富士山の姿が目に映った。雪の衣を身に纏った円錐形の山体が、青く霞む。乱れた呼吸は整ったが、ぽっかりと胸に風穴があいた様な虚ろな気分だ。ロードバイクを柱に立てかけ、東屋のベンチに腰を下ろし、富士山をただ眺めた。
背中のポケットから携行食のあんぱんを取り出し、一口大にちぎって、ちまちまと口へ運ぶ。あぁ喉が渇いた。近くに自販機を発見した、もっさりとした足取りで自販機に近づきコーラを購入。手がプルプル震える。小銭を探して自販機に入れるだけでも一苦労だった。プルタブを引き起こし開栓。カシュッといい音がした。くぴっと一口…したところで、そのまま一気に半分以上、カラカラの喉にコーラの激流を流し込んだ。「あぁあ!最っ高に!うまい!!」炭酸の刺激が、しびれるようで美味い。お前のこの美味さだけは反則だ。2口で飲み干して、2本目を購入する。最後のあんぱんを食べたら、もう体力は復活していた。富士山をバックに、相棒の写真をスマホで存分に撮ったところで、満足した。さぁ、家に帰ろうか。
ウィンドブレーカーを羽織ってから、遅すぎず、早すぎないスピードで下り始めた。先ほどまでの出来事を、その場所を通り過ぎる度に、フラッシュバックしながら。行きはあんなにも苦労したのに、帰りはあっさり流れるように過ぎ行く。おいらん淵、道の駅、奥多摩湖、青梅駅。わらび餅も喫茶店もいつの間にかスルーしてしまった。結局、柳沢峠を走り切ったことだけで、満足感は一杯になったからだと思う。懐的な事情も大いにあったけど。
入間川CRで、日も暮れたところで、もうすっかり街の中だ。車の排気ガスの匂いも、人々の雑踏も、何処かの家から漂う、夕飯のいい香りも、子供の甲高い笑い声も、埃っぽい夕暮れにも、人の住む街、生きた街の安心感がある。この感じも好きだ。結局、私は一匹狼にはなれないのだ。街の匂いが染みついた空気を、胸一杯に吸い込んで深呼吸をする。そうやって元居た場所、日常へと回帰して行く。なるべくゆっくり走った。そして、家に帰って来た。
お風呂入って、ご飯を食べる。ご飯がうめぇ…。もう寝よう。布団が心地いい。きっと今夜は心地良い疲労で、ぐっすり眠れるだろう。お尻は痛いが、まぁ大した事はないだろう。ぐっすり寝て、「起きたら、月曜日か…。」一瞬にして現実に連れ戻された…。音楽でも聴いて現実逃避するかな。「朝6時のアラームが鳴らなければいいのに。」私の好きな歌の歌詞がもう遠くに聴こえる。「さぁ、起きて、夢見がちなお寝坊さん。」
音楽のネタを仕込みました。すみませんでした。
タイトルにした、その「一瞬に輝く」様子って憧れます。一瞬に全力を尽くす女の子ってすごく可愛いと思ってこれを書きました。