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傍に落ちる

作者: 白梅

ちょっとのろけてもいいかしら。


と、言うかのろけさせてくださいな。私の最愛の旦那様について。


正式に言うとまだ結婚はしていないので旦那様ではないのだけれど。使用人の方々が彼をそう呼ぶのを真似て言って見たら、耳をほのかに赤くして言葉に詰まった旦那様。それを見てから私の中で彼をこう呼ぶのがブームになってしまったの。


普段は仏頂面なのに、私がこう呼びかけると視線をそらして言葉に詰まる。饒舌ではないけれどすらすらと流れる言葉が止まることに喜びを感じてしまう私は性格が悪いのかしら。


うふふ、可愛いかわいい旦那様。マウリーリオ・リヴェントス様。


周りは彼のことを怖いだなんていうけれど、本当にこの人を知ればそんな思いは感じなくなる。賢くて、落ち着いていて、優しくって、包容力も抜群。訳ありな私の全てを受け入れて、私の全てを包み込んでくれた大きな人。


実を言うと最初は私もとっつきにくい人だなぁと思ったわ。だっていつも眉間にしわを寄せていらっしゃるんだもの。自分よりも20センチ以上背の高い男性が不機嫌そうな顔をしていれば萎縮してしまうのは普通でしょう。


でも、親しくなるにつれてその思いは自分の心が見せているまやかしだとわかった。彼はただ誠実に、真剣に人と付き合っているだけ。だから、こちらが本気で向き合えば例えどんな荒唐無稽な話も真剣に聞いてくれる。こちらが真面目に問えばどんな当たり前な答えでも丁寧に教えてくれる。こんなにも安心して全てを預けられる人を、こんなにも素敵な人を私は見た事がない。


マウリーリオ様に出会えたことが私の人生で最高の幸運だと思う。


彼に愛されたことは奇跡以外のなにものでもないと思う。


いまだに夢じゃないかと思うときがあるわ。この世界にいることではなく、彼に愛されていることが。ねぇ、わかるこの気持ち。告げたいけれど告げられない思いを根気強く待ってくれた。言わずともいいと受け入れてくれた。勇気を出して告げると、ありがとうと微笑んでくれた。この人じゃなければ私は人を愛することなんて出来なかった。身の内の恋を表舞台に上がらせることなんて絶対にできなかった。


好きだと告げることが出来る。

好きだという気持ちを受け入れてくれる。


こんなに幸せな気持ちがあるなんて私は旦那様に出会うまで知らなかったわ。


ねぇ、だから。


「私が、この身を捧げる相手はマウリーリオ・リヴェントス様、ただ御一人よ。ね、旦那様?」

「ああ。だがヨーコ、旦那様は止めなさい」


しっかりと肯いてくれた彼の耳はやっぱりちょっと赤くなっている。顔を真上に向けて見上げなければ背の高い旦那様の顔を見ることは出来ない。でも、顔を背けても無駄なのよ。耳は丸見えなんですから。うふふ、まだ人前で呼ばれると照れてしまうのよね。それとも、私が言った内容に照れてしまわれたのかしら。


だって、こんな機会でもないと私のほうが照れてしまって彼を如何に愛しているか語ることが出来ないんですもの。二人っきりのときにこんな風に愛を語るのはまだ私にはハードルが高いわ。だって奥ゆかしい日本人なんですもの。少しくらい許してね。旦那様。


「し、しかしっ!」

「くどいぞ、ドメニカ」


あらあら、厳しいだんな様のお声もやっぱり素敵。ぴしゃりと相手の言葉を留めさせる旦那様の声は第3王子に対しても有効みたい。さすが旦那様だわ。近頃はこんな声を聞くことがなかったからついうっとりと耳を傾けてしまう。私のために声を低めて周りを諌める旦那様。ああ、素敵。


「お前たちには、そこにいるミツキがいるだろう」


まるで離さないとでも言うかのように、肩に置かれた手に力がこもる。人前でこんなに引っ付くことはしない人だから、なんだか新鮮で、嬉しくって、気恥ずかしくなってしまうわ。でも、何より旦那様の体温がとても心強い。


ねえ、私はここにいていいのでしょう。旦那様。他のどこでもなく、あなたの腕の中に。


「確かに、私たちはミツキとともに今まで役目を果たしてきました。ですが、この国のことを考えるとそれではダメなのです…っ!」


まるで自分のほうが苦しんでいるかのようなルネ様の声に、私の不快感が上がるとともに、旦那様の機嫌が急激に下降していくのがわかる。まったく、旦那様を不機嫌にさせるなんてなんて命知らずなのかしら。ほらほら、ただでさえ威圧感バリバリの旦那様のお顔が大変なことになっているじゃないの。まあ、そんな旦那様さえ私にしてみれば愛おしいのだけれど。


そんな私ののろけはさておき。この国には厄介な伝承がある。厄介なんていうとこの分野において権威ある家のお生まれである頭の固いルネ様に睨まれてしまいそうだけど。私にとっては煩わしい以外のなにものでもないから勘弁してもらいたいわ。


簡単に言えば、ここにいる旦那様以外の男ども。


この国の第3王子のドメニカ様。

考古学者のルネ様。

騎士であるマルティド様

魔術師のメルコル様。

薬師のジョヴェディ様

錬金術師のヴェネル様。

宰相補佐のサバト様。


その身に印の宿りし彼ら7人の力を借り、異界の巫女が1年をかけて、天より預かりし卵を孵す。そしてさらに1年かけて生まれた天の身遣いー天子ーを育て、天に還す。100年に一度行われるこの儀式によりこの国に平和と安寧がもたらされるというもの。本当はもっと注釈がつく小難しく、堅苦しい内容らしいのだけれども、旦那様がこの認識で間違いはないといってくださったから、私にとってはこれで十分だわ。


初めてその話を聞いたとき、それなんて育成乙女ゲー?と呟いた私に今ならグッジョブというわ。だって、「イクセイオトメゲー?」と首を傾げる旦那様は本当に可愛かった。


冗談はおいといて、現状打破の為に旦那様と考察するに異界の巫女を媒介に7人の異なる力を2年かけてゆっくりと卵や、天子と呼ばれる触媒に集め、集まった力を国中に拡散することによってこの国の魔力というか磁力的なものが安定されるのだろうということに落ち着いた。信仰の厚いこの国の中枢に位置しながら天の身遣いとか呼ばれて尊ばれているものすら現実的に割り切ってしまう旦那様は本当に素敵。


それに比べて彼らは何なのかしら。行き当たりばったりで、感情的で、自分のことしか考えてない。今だって、巫女であるミツキをその身で隠しながら会話している。協力してほしいなんていいいながら、まるで私と旦那様は彼らの敵であるかのよう。不愉快だわ。言っている内容も。彼らの態度も。全て。


「ヨーコ」


宥めるように旦那様が甘く私の名を呼ぶ。でも、視線を感じても今度は見上げることが出来なかった。


だって、不安なのよ。やっぱり。睨みつけるでもしていないと涙があふれてきそうになる。マウリーリオ様はぜったいに大丈夫だといってくれたけれど、漸くこの方の側に居れるようになったのに、その覚悟を決めたばかりなのに、側を離れたくなんかないわ。気を抜くと震えてしまいそうになる手をぎゅっと握り締める。


巫女は儀式が終わればどうなるのか。元の世界に帰るのか。この地に留まるのか。それともそのどちらでもないのか。さまざまな文献を紐解いたマウリーリオ様でも、それが巫女の自由意志で決めれるものかどうかの確信は持てなかった。こちらに残り、帰りたいと嘆いた巫女もいるという。恋人を置いて儀式の間から帰ってこなかった巫女もいるという。もしかしたら天子の育成状態との法則性もあるのかと考えたが情報がたりず結果を得ることは出来なかった。過去の文献の天子は得てして素晴らしいものとしか描かれていない。


わかっているのよ。儀式はこの国の今後を左右する大切なものなのだと。過てば国民に甚大な被害を及ぼす、決して失敗など出来ないものだと。それでも私が選んだのは、世界でも、この国でも、家族、友人でもなくマウリーリオ様ただお一人なのだから。ここを離れるのだけは絶対に許容できないの。


「ヨーコ」


マウリーリオ様の手が、私の手をとる。かたくなに握り締めたこぶしを解かれ、持ち上げられるのにつられて思わず視線がその手を追ってしまう。視線の先には私の手、その手を持つマウリーリオ様の手、そして。


「信じなさい、ヨーコ。私を」


優しく微笑むマウリーリオ様。


私にだけ、優しく微笑む愛おしいマウリーリオ様。


「はい」


それ以外の返事なんて存在しないわ。この方だけ。この方だけがいれば私はいつだって生きていける。不安も恐怖もこの方が側にいてくださるのなら何だって乗り越えてみせる。


「卵をこちらへ」


私を見つめたまま、マウリーリオ様が声を出す。しかし、返事が来ない。マウリーリオ様の声を無視するなんて本当にいい度胸をした殿方達だわ。


「帰ってもよろしいってことかしら?」

「ヨーコ」


諌める声に肩をすくめて応える。だってそうじゃない。私は知らないわ彼らのことなんて。


「ミツキには出来なかったのであろう」

「っ」


本当に小さく息を呑む声が聞こえた。それだけで7人は彼女を気遣うようなそぶりを見せる。きっとこちらを睨んでいるのね。そんなもの視界に入れたくもないわ。


「・・・巫女の役割は端的に言えば4つに分けられる。大前提として天子と常に共にあること、印を持つものの力をお渡しする媒介となること、卵を孵化させ天子をこの世界に誕生させること、天子を天へと還すことだ。その中で巫女自身の力が必要となるのは孵化だけだ」

「っ、それじゃあ!」

「ヨーコが孵化をさせた後の天子の世話はこれまで媒介として力を与えていたミツキが行うほうが力の性質が変わらず好ましいと思われる。天に還すことにしても巫女は天子が還るのを見送ればよい。天子が正しく成長しておられるのならば、お任せすればよろしい」


淡々と紡がれる旦那様の言葉に、部屋に安堵の空気が流れる。私と旦那様の周辺だけは逆に温度が下がったような気がするけれど、それも仕方がないわよね。


顔を見合わせて笑顔を浮かべる彼らに旦那様が水を差すように指示を出す。素晴らしいタイミングだわ。私の為に笑顔を作っていても、内心では相変わらず旦那様もイラついていたのね。


「ヨーコ、手を」

「ええ」


のせられた卵は両手のひらにぴったりと収まった。思っていたよりも大きい。それに比例してずっしりとした重さもある。


「ミツキ、ヨーコの下に手を添えなさい」

「はい、リヴェントス先生」


先生。


マウリーリオ様は巫女の教育係を拝命されているのだから、彼女にそう呼ばれても不思議ではないのに、なぜかしら。胸の奥がチリリと疼く。嫉妬とは違う何か。どうしてか、それに気付きたくなくて、目の前の彼女からも、卵からも視線をそらしてマウリーリオ様を見あげた。


私が全てを捨ててでも、選んだ人。


マウリーリオ様が頷きで応えてくれるとともに力を解放した。




ふわりと髪が揺れる。




ああ、孵化する。手の上で、ドクン、と脈打つ命に体が熱くなった。ピシッ、ピシっと小さな音が響く中。卵の上部からぱらぱらと殻が落ちていく。


「生まれる」


誰かが呟いた。しかし、この場にいるものたちの視線はただひとつからそれることはなかった。


ピシリ


ひときわ大きく響いた音。


私と巫女の手のひらの上で、卵の上半分が完全に砕け真白な天子がその姿を現す。まるで子猫のような愛らしい姿。体に落ちた殻をふるふると揺らして落としている。誰もがその姿に言葉もなく釘付けになった。頭上の殻を振り落とした天子が一瞬の静止の後、こちらを見上げるように顔をーーー


「かわいい!」


先に動いたのはミツキ。


私の手の下に添えていた手を引き抜くと、彼女はまだ半分ほど残っている卵の殻から天子を抱き上げる。驚いた天子がぱちりと大きめ目を瞬く。そして自分を持ち上げた人物を見上げ首をかしげた。ほんの一瞬の出来事。硬直している私の手の平からは、ひび割れずに残っていた卵の半分がころりと転がる。


きゃあ、と歓声を上げて天子を掲げるミツキを視界の端に映しながらも、私は自分の手から目を離すことが出来ない。


殻が。


硬直して動けない私の体はいったいどうしてしまったのだろう。指の一本ですら動きはしない。


ああ、傍に、

















落ちた。


何故だかそれがとてもゆっくりと目に映る。衝撃で砕け散った卵が私の足元に転がった。調子を取り戻した巫女達が騒いでいる声も耳に入らず私はじっとその殻を見つめていた。床に転がったちっぽけな抜け殻を。


「帰るぞ、ヨーコ」


マウリーリオ様に包み込まれて、漸く視線をはずすことが出来た。何だったのかしら。まるで夢の中にいたような気分だわ。手の上に残っている残りの殻も床に落としてしまうと、私はマウリーリオ様に体を預けた。


ああ、やっぱり一番安心するわ。


ここが私のいるべき場所。


「はい、マウリーリオ様」


甘えるように微笑みかけると、私は巫女と、彼女を囲む彼らを一瞥して踵を返した。



私の手の平からは全ての重みがなくなり、天子は巫女の手の中に消えた。


「いいなー」


コントローラーを握ったまま彼女は呟いた。視線の先に写し出されているのは、このゲームのヒロインの結婚シーン。乙女ゲームと呼ばれるジャンルのゲームで、これは異世界から召還された女子高生が試練を乗り越えつつ攻略対象の男性と交流を深めていくものだった。


今回のゲームはあたりだったと、彼女は思った。絵は綺麗だし、ストーリーもなかなか面白い。やりこみ要素もあるし、なにより攻略対象の7人がみんな魅力的だった。


画面では最後に攻略したヒーローがきらきらとした笑みを浮かべている。


満足だった。幸せに感じた。楽しかった。そのはずなのに、同時に少し寂しくなった。羨ましくなったのだ。


「私も彼女みたいに…」


思わず出た願いは誰にも聞かれることなく消えると思っていた。

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