6.我が愛車、完成(著:凡骨)
「これは良い、けど……魔石が悲鳴を」
「へえ、君も分かるかい。バイクは好き?」
猫を被った俺の声が自分の耳にも気色悪い。後部座席に跨った貧相なガキは、今までの落ち着き払った――悪く言えば陰気な声色をほんのりと喜色に染める。
「ああ。いつかお金を貯めて、買おうと思ってた」
「まどろっこ……いや、立派なことだな、うん!」
危ねえ危ねえ、危うく素の言葉が出るところだった。せっかく颯爽と助け出したんだから、最後まで救世主面していれば、今後こいつと関係を持つ上でもその印象が有効に働くはずだ。
俺とガキを乗せたバイクは、山の横っ腹に空いた巨大な坑道の前で停車した。幅は十メートルを優に超え、天井も同じくらい高い。ここから奥へ侵入すれば坑道は細分化していき、下手に迷い込めば二度と陽の光を浴びることは無いと云う。それを利用して坑道内に魔石を保管するのは賢明だが、俺の後部に座すこいつがいれば何とかなるかもしれねえ。
「さあ、盗賊の奴らはそこまで迫っている。怪我をしている君に鞭打つようですまないが、魔石の保管場所まで案内してくれるかい?」
「それは構わないけど、嘘を吐かなくていい。自分は分かってる。盗賊の……たぶん、首謀者さん」
……おっとぉ、どこまでバレてんのこれ。いや、鎌かけてんのかな?
「何のことだい? さっきも言った通り僕は貴族様から依頼を受けていた者で、盗賊に魔石を渡さないように」
「ここを所有している貴族は安全管理が杜撰。それに……」
遮るようなガキの言葉は、その後に何が続くのか俺の興味を引くに十分だった。
「それに?」
「タイミングが良すぎる。自分の能力――魔石を見つけ出せるって、あいつに最初から聞いていたはず。それで効率よく大型の魔石を見つけ出して、あいつはトカゲの尻尾……って? ここまで周到に動く人物が、単なるコソ泥とは思えない」
はい無理もう無理。なんだよクソッタレ、こいつマジかよ。この短時間でそこまで辿り着くかね。こりゃ、仕方ねえかな……
懐に収まるナイフに手がかかった時、俺の背中にガキの手がポンと置かれた。
「構わないと言った。魔石を見付ける。立派なバイクに乗せてもらう、お礼」
本気か? ……いや、この声色、本気だな。それにさっき言ってた事……
「なるほど……テメェ、バイク好きだな?」
「それもさっき答えた。買おうと、思ってた」
「はははっ! 上等だ、逃げ延びたらお前に一台プレゼントしてやる!」
「真っ直ぐ進んで、右奥の坑道へ」
「おっしゃ行くぜこら!」
アクセルを思い切り捻るとバイクがケツの下で嘶き、軽くタイヤを空転させながら坑道へと突入する。壁に等間隔で下げられたランタンの薄明りが、駆け抜ける鉄の馬のシルエットを無骨に削られた壁面へ投射する。この密閉された空間は、我が愛車のエンジンの唸りや、タンク横の排気口から白煙を地に噴き落とす轟音――普段から特段にうるさいそれを、更に何倍の音量にも増してくれる。
ああ、良い音! 良い気持ち! これだからバイクはやめらんねえよ!
その音でガキとも会話ができなくなったが、ちらと後ろを見やれば、その目をあからさまに輝かせて、風を浴びて薄く喉で笑っているので、まあ特に問題は無いだろう。しかし気持ちよさそうで何よりだが、正直不気味だし怖い。こいつ絶対友達少ない。
やがて件の横道へ近づくと、調子に乗った俺はバイクを横倒しにして、タイヤで地面を抉りながら停車する。ピタッと目標通りの所に停まると、ガキも感心したような唸り声を上げた。どんなもんよ!
「声聞こえねえから、指させよ! 停まるときは服引っ張れ!」
「分かった」
「え、なに!?」
「分かった」
「お前腹から声出せねえのか! こんなふうによ!」
「オオゴエホエザル」
「多分悪口言ったな! 振り落す気で行くぞこの野郎!」
無論案内人を落とす気は無いが、こいつはきっとそのつもりで運転しても平気だろう。ビビらないで、自然体で、バイクに身を任せる。運転席でも後部座席でも、これができない奴はすぐに事故って怪我をする。できる奴は、その内あっさり死ぬ。こいつは間違いなく後者だ。表の馬鹿共でもなかなかいないんだ、この手の奴は。
俺は愉快な案内人に気を良くしながら、坑道へと突入する。更に狭くなったその道の幅は直径で五メートル程。この先で更に窄まっていくだろうこの細道が、何だかやけに挑発的に思えてきて、俺は決してアクセルを弛めはしないと勝手に誓いながらバイクを駆った。
予想通り細くなる道に時折ミラーを擦りつけながら、右に、左に、上に、下に。最早どういう順路で来たのかも朧げな記憶になりながらも、とうとうガキが俺の服を強く引っ張った。しかしその報せが無くとも、俺にもその部屋が遠目からハッキリと異質のものだと理解できた。今まで通ったどこよりも暗い道の先に、どこよりも明るく漏れ出した人工の光。
ゆっくりとアクセルを戻し、その光の漏れる横穴へと進み入る。すると先程まで狭い道で反響を繰り返していたバイクの轟音が、広い空間を見付けてあっちこっちへ霧散していった。そこはドーム型の天井が広がる、かなり大きめに造られた部屋で、天井からは無数のランタン――しかもかなり高性能のそれが無作為にぶら下がっている。
そしてその部屋の中央に寄せるようにして置かれた革製の袋の小山。ざっと見て十や二十は下らないお目当ての、夢にまで見たそれ。俺は否応なしに歓声を上げた。が、バイクは逆にそれを見て気が抜けたのか、バスッ、バスッと詰まったような妙な音を出しながら、よろよろとその小山にタイヤを回す。
「あ、あ~。とうとう限界かあ、ととっ」
勢いの削がれた車体は自立することもいよいよ難しく、俺は咄嗟に片足で地面を蹴りながらバランスをとって、静かに小山の前で停車した。サイドスタンドを立ててよっこいしょとバイクを降りると、ガキはいつの間にか小山の前で、それを見上げていた。まあ同じくらいの上背しかないのだが。俺もそこに近付いて、手を擦って舌なめずりをする。
「よ~し、さあ探そう探そう。どれが良いかな~?」
「待って。自分が探す」
そう言ってガキが進み出たので、まあやらせてみる事にする。しかし何もしていないのも手持ち無沙汰なんで、俺はバイクの調整をしながら、しかしそれでも退屈だと、ガキに話しかけた。
「まさか本当に着くとはなあ。一体何がお前は違う……ああ、技能は秘匿か?」
そう聞くと、ガキは別段何でも無いように、こちらに顔も向けずに言った。
「別に。言ったってどうしようもない。ただ自分には声が聞こえるだけ」
「声? って、魔石の声って事か?」
「そう。恨みがましい、冷たい、うるさい声」
その声もすげえ冷たいぜ、なんて茶化すこともできない程、しんと静かに、しかしその奥に得も知れない何かを含んだ冷たい言葉。だからこそ絶対茶化してやろう、なんてのは俺が捻くれ者だからか。
「じゃあ、そこってすげえうるさいのか? でかい奴ほど声もでかいのか?」
「当然、うるさい。声がでかい奴もあちこちにいる。でも多分、こいつが……いた」
そう言ったので見やれば、その手には俺が生涯で見たことも無い、巨大な魔石が抱えられていた。限りなく黒に近い青の光沢を湛えるその体は、間違いなく一級品。おそらく1000MPはどうやっても上回るだろう。
俺が笑い声を上げながら走り寄ると、ガキがポツリと呟いた。
「こいつが一番、声がでかくて、煩わしい」
「自己主張の強い奴は嫌いじゃないぜ。最高だ、最高! お前は他にもいくつか見繕っといてくれ!」
「ああ……あの笑い声は、ここには居ない。あれは一体……」
なにか訝しげなガキの言葉など最早俺には届かず、その手からひったくるようにして魔石を持ち去ってバイクに駆け寄り、上半分を開いたタンクにそれをゆっくりと、万感の思いを込めてはめ込んだ。魔石が一瞬ぎらついたように見え、わくわくしつつも恐々とタンクを閉じると、そこからじんわりと広がっていくように、エンジンやフレームに沿って一瞬、バイク全体に滑らかな青い光が走る。それが黒い車体に反射して映し出された光景のあまりの美しさに、俺は感嘆の歓声も上げられなかった。
「美しい」
そのガキの呟きにようやく意識を現実に戻したが、俺は呻くような返事しかできなかった。ガキは気にすることもなく俺のバイクに近付いて、リアサイドのフックに魔石の詰まった革袋を結びつける。
「二袋、持っていける。あなたは反対に」
「お、おお、そうだな」
俺は首を振るって気を取り直し、ガキと反対の側面に回って革袋を結びつける作業に入る。その最中、俺はふと気づいて話しかける。
「そういや、俺達まだ名乗ってもいねえな。俺はガラン。お前は?」
「エデルトルート」
「洒落た名前してんじゃねえか。でも長ぇから……エディな」
「構わない。よろしく、ガラン」
革袋を結び終わった俺の目の前に、エディの筋張った小さい手が差し出された。俺は立ち上がってその手をしっかり握る。
「よろしくな、エディ。俺とお前は一蓮托生だぜ」
「約束は忘れてない?」
「ワーオすっげぇドライ。分かってるよ、約束は守るぜ。さ、行こう。乗りな」
俺が跨った後にエディもタンデムステップに足をかけ、少々足元に余裕のない後部座席へ座る。さあ……ドキドキしてきた……!
「かけるぞ? エンジンかけるぞ? マジで、うっはー!」
「早く。聞かせてくれ」
エディも表情はあまり変わらないが、生まれ変わった俺のバイクを味わいたいらしい。これは俺達だけの特権というわけだ。
キーを捻り、クラッチを握り、そして始動スイッチを押した。
全ては一瞬だった。一瞬でこのバイクの全てが完成したことを如実に感じさせるような、その衝撃は正に爆発だった。エンジンに魔石から流れるエネルギーが充満し、今にも飛び出さんばかりの力を蓄えていて、なおそれを億尾にも出さぬような、厭味ったらしい大人の余裕とでも言うべきものを感じさせる、安定したアイドリング。タンク横から吹き落とされる白煙はその風圧で粉塵を巻き上げ、そして一瞬の内に姿を消す程のキレ。後方の排気口からは以前の不整脈のような情けない音は消え去り、安定した重低音を部屋中に響かせる。
全てが目から、耳から、座面からハンドルから、俺にその存在を一生忘れ得ぬ記憶のシミにしてやろうと、雪崩の如く飛び込んでくる。
ああ、これだ。正にこれ。一生の内、死んでもいいと思える瞬間。今言える、それは今この瞬間だと間違いなく言える。
そして俺は耐え切れずに爆笑した。
「あっはっはっはっは! ウぇっほ、げほっ、はははは!」
「いい……素晴らしい……これぞバイク……」
耳をつんざく爆音の中で、狂ったように笑う一人と、感じ入るように目を閉じる一人。端から見れば気でも違っているのかと思えるような光景だが、事実もうどこか狂っているのかもしれない。いや、黒いボディのこいつに狂わされたんだ。
やがて笑いも収まったところで、俺のバイクの重低音より明らかに高めの、別のエンジンが唸りを上げて走る音が遠くから聞こえてきた。それを聞き取ろうとバイクのエンジンを止める。
「こいつは……味方のバイクか?」
「いや……これは、違う。もっと上のクラス。それに、案内無しでここに来れるとは考えづらい」
「おい、杜撰な安全管理じゃなかったのか。やばいだろ、こりゃ」
「やばそうだ、逃げろ!」
こいつでけえ声出んじゃねえか、なんてどこかで小さく思いながらエンジンを始動させ、思い切りアクセルを捻る。と、あまりのパワーに車体前方が浮かび上がり、計らずしてウィリー走行の形となった。
はは、すげえ! 誰だか知らねえけど、今の俺に付いてこれっかよ!




