出撃前夜
届けられた命令書には、強行偵察任務を行うように書かれていた。
この戦争が始まる前、旭日皇国の隣にはトルアン王国という小国が存在したが、その国はアルメディアの侵攻を受け、現在は併合されている。アルメディア軍はこの国を通って旭日皇国各地に進出した。
現在戦線は膠着しているが、このトルアン王国にアルメディア軍がどれほどの軍を進出させているかが全くもってわからない。一応スパイを送り込んでいるようではあるが、情報は中々入ってこない。そこで、空からの偵察となった。
既にこちらの世界に来て2ヶ月あまり経つ。敵もバカではないからなんらかの対空兵器を配備していてもおかしくない。そこで、通常のテキサンではなく戦闘機の零戦にカメラをつけて強行偵察を行うこととなった。
早速五十六は地図を見て作戦の検討に入った。そして偵察する場所を決めた。ニムルという旧国境線から40km程入った所にある街だ。
人口5000人ほどの小さな町であるが、付近は盆地であり荒地が広がっている。補給基地等を設営するにはそれなりに申し分ない立地条件である。
行き先を決めると、五十六はパイロットの選抜をした。偵察任務であるから全機出動の必要はない。零戦2機での出動とした。
「自分が行きます」
パイロットを決めようとした時に真っ先に手を上げたのが2番機の松内であった。しかし、五十六はこれを却下した。
松内は隊で2番目に上手い戦闘機パイロットである。彼が万が一落ちるような事になれば隊にとって計り知れない打撃となる。
結局2番機パイロットは偵察隊のパイロットである大河飛曹長となった。
大河飛曹長は32歳の脱サラパイロットで、軽飛行機のライセンスを持っていた。リストラされていた所を河口にスカウトされた。しかし体力的な問題から戦闘機ではなく偵察機に回された。
14歳も歳の差があって階級は2つも五十六の方が上だが、大河は素直に従ってくれた。五十六も人生経験豊富なこの先輩を色々と頼りにしていたので関係は良好だった。
人選が決まると、五十六は早速出撃準備に取り掛かった。まずそれぞれが乗る零戦の主翼機銃を1基ずつ降ろし、代わりにカメラを装着した。
また、燃料は満タンにせず往復分プラス予備として戦闘20分分の燃料だけを入れた。これは万が一被弾した場合に備えての処置である。
こうした下準備が終わり、出撃を控えた夜。五十六の部屋を大河が訪れた。
「失礼します。」
「あれ、大河さんどうしました?」
突然の来訪に五十六は少し驚いた。
「出撃前夜です。折角だから外にでも食べに行きませんか?」
食事の誘いである。別に予定があるわけではないので、五十六は付き合うことにした。
「ええ、構いませんよ。いきましょう。」
どこで食べるかは大河に任せる事にした。彼が五十六を案内したのは街の外れにある小さな食堂だった。
「へえ、こんな店があったんですね。気付きませんでしたよ。」
「でしょ、だから穴場なんですよ。味は私が保証します。」
扉を開け、暖簾をくぐると威勢の良い女性の声が響いてきた。
「いらっしゃい、あら大河さんじゃないの。こんばんは。」
店の中は5人も入れば一杯になりそうなほど小さかった。カウンター方式の席が4つほどあるだけだった。客の姿はない。
そのカウンターの向こう側に声の主である女性が立っていた。歳の程は20歳後半という所だろう。整った顔立ちに白い肌。身長は150cmあるかないかぐらいで小柄である。美人というより可愛いという表現が似合いそうな女性だ。
先ほどの口ぶりからして、大河は何度もここを訪れているようだ。
「こんばんは幸子さん。今日は上司を連れてきたよ。うちの隊長の高野中尉だ。」
大河が五十六のことを、幸子と呼んだ女性に紹介する。五十六は帽子を取って挨拶した。
「空軍中尉の高野です。」
この世界の民間人相手に対しては、五十六たちの身分は新設された空軍軍人とするよう通達が出されていた。
「まあお若い士官さんですね。さぞや優秀な方なんでしょうね。」
幸子はあまりに若い士官に驚きつつも、2人に席に座るよう勧めた。
「ここはテンプラが美味いんですよ。幸子さん、テンプラ定食を2つ。」
「はい。」
五十六は店内を見回した。木造で椅子や机も粗末な作りだ。そして天井の光は蛍光灯ではなく裸電球だ。テレビもラジオもない。しかし、それがまた何か懐かしい感じをかもし出しているように五十六は感じた。
20分ほどして、テンプラが揚がり、2人の前に出された。
「さあどうぞ。」
五十六は出されたテンプラを見た。やはり戦争中であるせいか、日本で良く食べた海老等の高級食材はない。唯一川魚と思われるテンプラがあるだけで、あとは山菜や野菜ばかりだ。
しかし、食べてみると確かに美味い。なるほど、大河が言った事も過大な物ではなかったようだ。
「美味いですね。」
「でしょ。ここはテンプラも良いし、うどんやそば、味ご飯も美味いんですよ。これも幸子さんの腕がいいからですよ。」
「まあ、大河さんはお上手ですね。」
誉められて喜ぶ幸子。五十六はその頬が少し赤みを帯びているのに気付いた。
(もしかしてこの2人出来ているんじゃ?)
そんな予感がしたが、深く突っ込むのはやめることにし。このあと食事を終え、2人が店を出ようとしたとき、幸子が大河に何かを渡していた。そして彼女はこう言って2人を送り出した。
「お二人の武運長久をお祈りしています。」
武運長久。長く武運が続くことを祈る言葉。2人はピシッと敬礼をして、返礼した。
翌朝、2人は偵察任務へと赴く。
「コンターック!!」
2機の偵察仕様の零戦が滑走路に引き出され、出撃準備に入った。
「大河飛曹長、出撃します。」
「了解。」
朝もやの中、2人は飛び立った。その時、街の小高い丘から赤い布を振っていた女性がいるのが見えた。
その姿を見送りつつ、2人は西へ向かって飛んでいった。
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