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度重なる揺れのせいで、体中が痛い。
気を紛らわすために外の景色でも眺めてみるが、先ほどから何も変わるものはない。
空は抜けるように青く、薄い雲がまばらに泳ぐだけ。
地平線まで続く平原に、鳥以外に動く物は見えなかった。
ここは馬車の中。
ひたすら揺られて、新しい町を目指す。
その名も学術都市エルミス。
この世の真理を追求し、飽くなき探究心で知識を貪り、神と悪魔を引きずり落とす。
そういう好奇心に魂を売ったような奴らが集まる町らしい。
そう言えば、トーコの知り合いのクセロとか言うやつもエルミスにいるらしい。
前にトーコがクセロのことを話して聞かせてくれた事がある。
クセロについてはほとんど忘れてしまったけれど、トーコがあまりに楽しそうに話すので、その様子だけはよく覚えている。
トーコがあれだけ懐くのだから、きっといい奴なのだろう。
俺も一度会って話をしてみたい。
しかし、体が痛い。
特に尻が痛い。
他の奴らは何とも思ってないのだろうか?
馬車の中を見回して、ちょうど正面に座っているエリスと目があった。
馬車に乗る前にいったい何を買ったのだろうと思っていたが、どうやらパンを買っていたらしい。
パンを口に頬張ったまま、紙袋からもう一つ取り出して俺に差し出してくる。
「ふぁふぇふ?」
多分、食べる? と聞いているのだと思う。
パンを受け取って、一口かじる。
何とも味気ないパンだ。
小学校の時に給食で食べたコッペパンを思い出すが、あれよりもだいぶ固い。
「トーコも食べるか?」
「ほしいです!」
俺の頭に寝転がっていたトーコが膝の上まで降りてくる。
かじった方と反対側を、小さくちぎってトーコに渡す。
トーコが食べるのをみて、感想を聞いてみる。
「うまいか?」
「パンは食べれりゃいいんだと、クセロが言ってました……」
そりゃそうだな。
しかしトーコよ、その割には微妙な顔をしているぞ?
◆
燃える遺跡の火は、魔法で水を出して消すことができた。
俺たちはひとまず町に戻り、少女が取っていたという宿に行くことになった。
部屋の中からはガタガタ、ガサガサいったい何に手間取っているんだと言いたくなるような音が聞こえてくる。
少女が俺に「すぐ終わるからちょっと待ってて」と言って部屋に入ってからずっとこの調子でだった。
それからまたしばらくたちやがて静かになった。
「入っていいわよ!」
中の少女から許しが出たので、部屋に入る。
なんだ意外と片付いてるじゃないかと思いつつ部屋を見渡すと、嫌でもそれが目に付いた。
ベッドがこんもりと膨れている。
中に誰か入ってんじゃないかという盛り上がり様だが、見なかったことにする。
少女はベッドに腰掛けている。
髪が濡れているし、服も着替えているようだ。
ふむ、いつの間に洗ったのだだろう?
どうやら部屋の奥に扉がある。
もしかしたらあそこに蛇口のようなものがあるのかもしれない。
最初の村で父親が桶に水を汲んでくるのを見ていたので、この世界に水道設備があるとは思わなった。
「その辺、どれにでも座って」
ベッドの向かいに丸テーブル。
テーブルの向こうに椅子が3脚ならなんでいた。
俺は少女の正面になるよう、真ん中の椅子に座る。
「ふう……」
椅子に座ってやっと落ち着けたことで、思わずため息が出てしまった。
「落ち着いた所で、挨拶がまだだったわね」
そうだ。
俺はまだ、この少女の名前すら知らない。
出会った時は言葉が分からなかったし、理解できるようになってからも蜘蛛のせいでそれどころではなかった。
ここまで帰ってくる時にも時間はあったが、少女から何も言ってこなかったので後にしようと思っていた。
それに、少女が何も言う気がないのなら特に聞き出そうとも思わない。
「私の名前は、エリス・エルスト・アレクサリウス。皆、エリーって呼ぶけど、好きな風に呼んでもらって構わないわ。さっきは命を助けてくれてありがとう。もうあそこで死ぬのだとあきらめてたわ……。それで、貴方の名前は?」
「俺の名前はエーリ・ブラックムーン。……言いたくないならいいんだが、エリスはなぜあんなところに?」
「友達と、ちょっとした遺跡探検のつもりだったの……。馬鹿な話だけど、あの遺跡に何かいるのは知ってたのよ……。そのせいで探索が進んでないこともね。友達の一人が魔物退治をやろうって言い出して、私もそれを止めなかった……。5人もいたし、何が出てきても何とかなるだろうと思ってた。それが、結局この有様よ……。あの魔物の接近に、誰も気が付かなかった。そのせいで不意打ちを受けて、明かりが消えて、闇の中で皆の悲鳴が聞こえたわ……。それで、残ったのは結局私だけ……。エーリが来てくれなかったら、私も死んでたと思う……」
あの場所で、すでに4人死んでたのか……。
俺も下手すれば一緒に死んでいたのだろう。
最初の蜘蛛との遭遇を思い出すと冷や汗がでる。
「それにしても、エーリの魔術はすごかったわね。貴方も、もしかしたら学院の生徒なのかしら?」
魔術……?
魔法とは違うのだろうか。
魔術も魔法も似たようなものだろうし、人によって言い方が違うだけなのかもしれない。
それに、学院と言う言葉も聞くのは初めてだ。
この世界にも学校があるのか。
「エリスの言う学院ってのは知らない。俺は――」
一瞬、俺が異世界から来たことを言うべきかどうか迷った。
魔王の時には考えもしなかったことだ。
それは、この世界において異世界から来た人間がどういう扱いを受けるかってことを、今の今まで考えもしなかったということだ。
異世界人はすべからく人権などなく、家畜同然に扱われる存在である。
そういう世界である可能性もあるのではないだろうか。
「――異世界から来たんだ。まだこの世界のことはよく分からないから、良かったらいろいろ教えてもらいたい……」
危険は覚悟で、やはり言うことにした。
俺はこのエリスと言う少女の命を救ったわけだが、この少女が命の恩人をいきなり掌返して貶めるような少女には、すくなくとも俺には見えなかった。
「異世界人? へー、異世界人って本当にいるんだ?」
異世界人と聞いて、エリスが興味深げに俺のことを眺める。
そうか、普通はこういう反応か……。
そもそも異世界人なんてものが一般的ではないのだろう。
俺の世界でも異世界人なんてものが認知されていないのと同じだろう。
「そういえば珍しい服着てるもんね。それは、あなたの世界の服なんでしょう?」
「ああそうだ。やっぱこういう服着てると目をつけられたりするかな?」
「目をつけられる?」
「珍しい格好をしているせいで狙わりたり……、つまり危険な可能性があるかどうかってことかな」
「そうだね……、野蛮な奴らに襲われる可能性は高くなるかもね。普通の人たちは、珍しい恰好をしているからどうこうっていうのはないと思うな。まあ、エーリなら襲われても余裕で撃退できそうだけどね」
エリスが笑う。
服についてエリスは大丈夫だと言うが、やっぱできるだけ危険は減らしておきたい。
金に余裕ができたら、やはり服はこの世界に馴染むものにしよう。
「学院っていう所には、俺みたいなのがいるのか?」
エリスは、俺のことを学院の生徒かと聞いた。
それはつまり学園の生徒なら俺がやった事と同じ事ができるということだろうか?
この世界について、知りたいことが山ほどある。
魔法についてもそうだ。
やはり魔法について話を聞くなら、詳しい人に話を聞いておきたい。
「どうかなー、上級生にはエーリぐらいすごい人がいるのかなーって思っただけ。私も一応学院通ってるんだけど、魔術はからっきしなんだ。やっぱ剣振ってる方が楽しいし」
蜘蛛を倒した時のエリスの剣捌きが見事だったのを思い出す。
蜘蛛はエリスに触れることもできずにその体を切り刻まれていった。
あれほどの剣術があっても、場合によってはあっさりと死ぬことになるのだ。
俺も魔法が使えるからと言って油断していると、あっさりと死ぬことになりそうだ。
「あと、遺跡の中では悪かったな。別に言葉が分からない振りをしてたわけじゃないんだ。最後の広間で、四角い奴をいじっていただろう? あれのおかげでやっと言葉が分かるようになった」
エリスに遺跡内で不安にさせたことを誤っておく。
そういえば、あの端末は本当になんだったのだろうか?
「ああ、あれね。私も大声で怒って悪かったわ。なんかこう、私がこんなに怖い思いをしてるのに、なんで貴方はそういうことするのよーって我慢できなくなっちゃって。せっかく助けが来たと思ったのに、全然言葉がわからないんだもん。本当に、どうなることかと思ったわ。それで、あれっていったいなんだったの? エーリはあれが目的で遺跡に入ったの?」
「確かに目的はあれだったんだけど……。あれが何かは俺も知りたいよ。心当たりとかない?」
「んー、あんなの見たことないなー。でも、遺跡の中にあったんだから、それって旧文明の遺物って事でしょ? だったら、エルミスに詳しい人がいるかもね」
「エルミスですか!?」
トーコがエルミスと言う言葉に食いつく。
ちなみとトーコは、ここまでずっと机の上にあった果物を食べ続けていた。
なんだろう、ブドウのような房状で色はピンク。大きさはブドウよりかなり小さい。
「どうしたトーコ? 知ってるのか?」
「私が前に住んでたところです!」
「ああ、そういや言ってたな。学術都市だっけ?」
「ねえエーリ。遺跡にいるときも気になってたんだけど、貴方いったい誰と話してるの? トーコって誰? それとも盛大な独り言?」
いぶかしげな顔をしているエリス。
そう言うことを聞くってことは、エリスにはトーコが見えていないという事なんだろうな。
まあ、最初の村に行ったときに子供たちがトーコに興味を示さないから、そんな気はしていたのだ。
そのおかげで、俺はエリスが言うことが理解できた。
この世界でトーコのことについて話すのは初めなので、少し確認しておきたいこともある。
「妖精ってさ、知ってる?」
「知ってるわよ。おとぎ話に出てくる奴でしょ? なに、妖精と話してるって言いたいの?」
ますます不審げな表情になるエリス。
これは、なんだか困ったことになったぞ。
もしかして、この世界でも妖精はいないことになってるのか?
実際に異世界に来て、俺の思い描いた異世界感と、現実の異世界がずれが次第に大きくなる。
「なあトーコ、妖精って人間には見えないものなのか?」
声を潜めてトーコに話しかける。
そんなことをしても、エリスには多分聞こえているだろうし、その眼差しは詐欺師を見るがごとく俺を睨み付けている。
「そうみたいです。いままで私に話しかけてくれたのは、クセロとエーリだけです。皆私のことを無視するので、さびしかったのです……」
そりゃ見えないんなら、話しかけようもないだろうしな。
しかしそうなると、少し気になるところが出てくる。
「なあエリス。机の上の果物が減ってると思わないか?」
またこいつは一体何を言い出したんだと言わんばかりの嫌そうな表情。
おまえ、命の恩人にその表情はだめだろう……。
「一体何言って―――」
果物を見るエリス。
しばし硬直。
考え中、考え中……。
「いつの間に食べたの? 別にいいんだけど……」
好奇心から、ちょっと実験。
「トーコ、ちょっと実をちぎってみて」
「はい」
いまエリスの注意は果物に注がれている。
その状態でトーコが果物を触るとどうなのだろう。
俺には、トーコが実を取っている様子が普通に見える。
それじゃあ妖精が見えないエリスの目には、どのように映るのか……。
「へ!?」
エリスの目が驚愕に見開かれる。
「どうなった?」
「な、なんか実がいきなり消えたんだけど……」
なるほど、妖精が見えない人は、妖精が触ったものも見えなくなるのか。
さっきからずっと食べてたのに俺が言うまで気が付かなかったということは、認識阻害のような効果もあるのかもしれない。
果物が浮いてるようには見えないんだな、残念。
「妖精のトーコが取ったからな。普通の人がどうなのか知らないけど、俺には妖精が見えてる」
さて、信じてくれるだろうか。
「うーあー、そうだね……。見えないけど、いるのかねー妖精……」
腕を組み、しばし考え込むエリス。
整理がついたのか、ひとりでうなずきながら顔を上げる。
「ま、いっか。居るなら居るでうれしいかな。よろしく妖精さん」
「エリスがよろしくだって」
「こちらこそよろしくお願いします!」
「トーコもよろしくだってさ」
通訳よろしく二人の言葉を訳してやる。
「ところでさ、私これから遺跡のことで役所に行こうと思うんだけど、一緒に行ってくれない?」
「何しに行くんだ?」
「遺跡であったことを一応伝えておかないとね。入り口も壊しちゃったし」
「わかった。一緒に行くよ」
遺跡の入り口を実際に壊したのは俺だ。
それが罪に問われるというのなら、それは俺の責任になるのだろう。
しかし役所とは。
どの世界でもあるものはあるんだな。
「よっしゃ、じゃあ早速行きましょ。ついでに新しい剣も買わないと。あの遺跡の中で無くしちゃったのよね」
あはは、とエリスが照れ笑いする。
「そういやエーリはお金は持ってるの? 異世界のお金じゃ買い物できないんじゃない?」
金か……。
万が一のことを考えて一応財布は持ってきていたが、リュックと一緒にどっか行ってしまった。
「金はないんだよな。なにか稼ぐ方法知らないか?」
「いろいろあるわよ。エーリなら、獣とか魔物を倒して売るのが早いかもね。ま、今日は欲しいものがあったら私が買ったげるわ。なにしろ命の恩人だしね」
気前のいいことだ。
やっぱり人助けはしておけと言うことだろう。
ありがたくいただくことにしよう。
「ありがとう。その時は頼むよ」