7
古代都市アウラダ。
この世界にかつて繁栄した旧文明の遺跡を下地として発展した都市で、この都市の周りには未だ調査を終えていない遺跡がいくつも眠っている。
旧文明の遺跡からは様々な遺物が発見され、いくつかは解明されて人々の生活に利用され、またいくつかは未だ解明されず研究が続けられている。
発見された遺物は専門の商人買い取り、都市の中で販売したり、都市の外で行商を行ったりもする。
都市には遺物を求めて訪れる者や、遺跡そのものを目的に訪れる者が多く、そのため彼らを受け入れるための宿や料理屋なども多く軒を連ねている。
すでに探索済みの遺跡は公開されており、観光客のためのガイドまで存在している。
そういうわけで、割と賑わっている都市だった。
以上が、リーズから聞いた話と俺が実際にアウラダを見た感想を合わせたものだ。
人々が話していることや書かれている文字は分からないが、見た目や雰囲気で、そこがどういう場所なのか、またはその人がどういう人物なのかは大体分かるものだ。
そう間違ってはいないだろう。
「それで、俺たちが目指している遺跡はどこなんだ?」
都市には見たことの無い物や興味を惹かれるものが多くあったが、とりあえず言葉が分からない内はどうにもならない。
当初の目的通り、スクロールとやらを見つけることを優先する。
金もないことだし。
リーズは広場に建てられた都市の地図を見ていたが、俺の言葉で振り返った。
「これですね。クアトラード神殿。都市の北側に位置する遺跡のようです」
「遺跡に入る前に、何か用意しておいたほうがいい物はあるか?」
「まだほとんど探索の入っていない遺跡のようです。あまり深入りはせず、最初は様子を見る程度にとどめておいた方が良いと思います。明かりと水はブラックムーン様の魔法で用意できますから、とりあえず最初はそれだけあれば大丈夫だと思います」
俺には、その遺跡の危険度と言うものはよく分からない。
とりあえずリーズの言うとおり、最初は様子見とするのがいいかもしれない。
「そうだな、リーズの言う通りにしよう。遺跡まで案内してくれるか?」
「分かりました」
地図を見てもわからない俺の代わりに、リーズに先導してもらう。
人ごみを抜けて、都市の郊外へ向かう。
途中、俺やリーズの恰好を珍しそうに眺めている人達がいた。
俺は元の世界の服装のままだし、リーズはゴスロリだ。
都市を歩く人と比べれば、俺たちの恰好がいかに浮いているか分かる。
そのうち金ができたらこの世界に合わせた服も買わなくてはいけないな。
郊外を抜けた先は森になっていた。
あの毒まみれの森を思い出して嫌な気持ちになる。
もしかしてまたここから森の中を延々と歩かされるのか?
嫌な予感がしたが、遺跡は案外すぐに現れた。
森に入ってまだ五分も経ってはいないだろう。
遺跡は石造りの四角い祠の様だった。
入り口は階段を上がった少し高い場所にある。
俺たちは階段を上り、中の様子を確かめた。
遺跡の入り口からはすぐに下へ階段が続いており、その先がどうなっているのかは暗くてわからなかった。
「やはり明かりが必要なようですね」
「みたいだな……」
勢いに任せてここまで来たが、そのあまりの不気味さに圧倒される。
何かが潜んでいそうな闇は、俺たちの侵入を拒んでいるようにも見える。
「それではブラックムーン様―――」
「ん?」
リーズが俺に対して居住まいを正す。
「―――私はこの辺りでお暇させていただきます。ブラックムーン様の披露された魔法の数々は、この世界の偉大な魔術師にも引けを取らぬものでした。ブラックムーン様の、ますますのご活躍を心よりお祈り申し上げます」
ぺこりと頭を下げるリーズ。
こいつはいったい何を言っているんだ?
ここまでの流れは、どう考えても一緒に遺跡探検をする流れだったと思っていたのだが、俺が間違っていたらしい。
だが思い出してみれば、遺跡までの道案内だと確かに魔王は言っていた。
ここでリーズを無理に押しとどめることは約束を違えることであり、とても男らしくない。
「分かった……、ここまでありがとう」
何か煮え切らない思いを抱えながらもリーズに別れを告げた。
「ブラックムーン様なら、必ずや遺跡を攻略できると信じております」
そう言うと、リーズはさっさと階段を下り、元来た道を帰っていった。
何とも腑に落ちない気分だ。
俺はしばらくリーズが消えて行った森を睨み続けた。
「あの人は……、丁寧な言葉遣な割にやっていることは慈悲のかけらもありませんね……」
俺の肩の上で、トーコが静かに言った。
多分そういう事なのだろう。
◆
魔法で炎を灯し、遺跡の中を行く。
炎が照らし出せる範囲は狭く、手を伸ばせば闇に手が届きそうだ。
右手に作った小さな光源は壁に俺とトーコの影を描き、影は炎の揺らめきとともにその形を歪ませる。
闇と言う原始的な恐怖がどこまでも広がっていた。
ところで、遺跡探険と言えば罠と言うイメージなのだが実際のところどうなのだろう……。
リーズはここは神殿だと言っていた。
遺跡とは言っても、神殿の中に罠があるというのはおかしな話ではないだろうか。
俺のイメージの中にある罠は、恐らく王家の墓などの墓荒らし用に設置されたものなのだと思う。
だからここには罠はないはずだ……うん……。
前向きな想像で自分を鼓舞しなければ、一歩を踏み出すことも難しい。
注意深く足元を確認しながら進む。
遺跡の地面は、水気をはらんだ土に覆われている。
入り口から運ばれた土砂が、遺跡の中にたまったのだろう。
遺跡の道は何度も分かれており、俺はとりあえず全て右に曲がることにした。
戻る時や後で出直す時に、その方が分かり易いと思ったからだ。
遺跡の中を走る長い通路の片側には、ずらりと小さな部屋が並んでいた。
この辺りはすでに人の手が入った後なのだろう。
どの部屋でも、何かを見つけることはできなかった。
入り口から続いていた階段を降りきってからしばらく歩いたと思う。
降りた時間的にも恐らくここは地下だろう。
蟻の巣でも探索している気分になりながら、一つ疑問に思っていたことを考えてみる。
なぜこの遺跡は、探索が進んでいないのだろうか?
都市から特別遠くにあるわけでもなく、ここまで特に何があるわけでもなかった。
もっと人が入っていてもおかしくないはずだ。
何か人が立ち寄らない理由があるのだろうか?
トーコにも意見を求めてみる。
「本当はもう探索が終わっていて、何もなかったからとかでしょうか?」
「でもリーズはまだ探索が進んでないと言ってただろう? 何か人が立ち入らない理由があると思うんだけど……」
「神殿は神聖なものだから立ち入れないとかですか?」
「皆が皆そういう考えなら、墓荒らしもでないだろうな……」
トーコの平和的な考えに、少し和まされる。
もしそんな世界なら墓荒らし用に罠を設置する必要もなくなるし、俺が罠におびえる必要もなくなるわけだ。
いいこと尽くめだな。
まあ、実際はそんな理由とは思えないけど。
「エーリ……、何かいます……」
トーコがいきなりそんなことを言い出す。
その言葉に思わず足を止めてしまった。
「何かって何だ……?」
トーコはとても耳がいい。
俺には何も聞こえないし、何も見えない。
こんなにも暗く、誰もいない遺跡の中に、一体何がいるというのだろう。
もしかして、誰もがこの遺跡に立ち寄らない理由がこの先にいるのだろうか……。
「そいつはこちらに気が付いているか?」
「動いていないみたいです……。こっちには気が付いていないと思います」
どうするべきだろうか?
このまま回れ右して遺跡を出るか、正体を確かめるか。
そもそも、出直すことに意味があるだろうか?
俺の戦力は魔法だけだ。
剣も持ってはいるが、使える気はしない。
都市に出て情報収集しようにも言葉は分からない。
装備を整えようにも金はない。
出直す意味はない、か……。
――確かめよう。
右手に集中して、炎の威力を上げる。
大きさは手の平サイズを超え、直径40センチほどの火球が出来上がる。
火球が大きくなるに伴って、明かりが照らす範囲が広くなる。
覚悟を決めて、声を上げる。
「誰かいるのか!? 姿を現せ!」
暗い遺跡内に俺の声が反響する。
緊張と恐怖で冷や汗が出る。
闇に吸い込まれるようにして俺の声が消え、代わりに闇の向こうから声が聞こえてきた。
俺の声よりも高く、柔らかさを含んだ声。
女か……?
俺はこの世界に来て、魔獣と会話ができることを知った。
声が聞こえたからと言って、それが人間とは限らないと言うことだ。
聞こえた声が何を言っているのかは分からなかった。
今までの経験から言えば、それは人間である可能性が高い。
「エーリ! こっちに向かってきています!」
女の声が断続的に聞こえる。
俺はいつでも火球を放てるように構える。
人間か? 魔獣か?
それとも俺の知らない新しい生物か?
だんだんと近づいてくる声。
魔獣ならいいが、人間に対して魔法を放つわけにはいかない。
明かりの範囲に入った瞬間、即座に判断するしかない!
足音が近づいてくる。
俺は緊張で息をのむ。
もう、すぐそこまで来ている。
心臓が張り裂けそうなほど鼓動を速めている。
そして、ついにそれが闇の向こうから姿を現した。
暗い遺跡の闇の中から現れたのは、およそこの場所に似つかわしくない少女だった。
少女の身長は俺とさほど変わらない。
俺の持つ明かりが、少女の表情を浮かびあがらせる。
少女は泣いていた。
頬や額に、赤いなにかがこびりついているのが分かった。
俺の体にすがりつき、俺には分からない言葉で必死に訴えてくる。
残念ながら、何を言っているのか分からない。
「悪いが、何を言っているか分からないんだ……」
俺の言葉に、少女が驚いた顔をしたのが分かった。
この少女に俺の言葉はどんなふうに聞こえるのだろう。
「トーコ、いったん帰ろう。この女の子を地上に届けないと……」
「はい、私もその方がいいと思います!」
彼女を連れたまま先に進むことはできない。
顔だけでなく服も血で汚れているようだし、怪我をしているのかもしない。
早く遺跡を出た方がよさそうだ。
できればいったい何があったのかこの少女に聞きたかったのだが……。
言葉が通じなければそれも望めない。
「分からないだろうけど、これから地上に戻ることにする」
俺は少女が来たのと反対を指差す。
分かってくれたのだろうか? 少女がうなずいた。
俺とトーコと少女で、来た道を引き返す。
「やっぱりこの遺跡には何かいるんじゃないか?」
ずっと考えていたことが、少女に会って確信に変わった。
そいつがこの遺跡の探索が進まない理由だろう。
この少女が何かに襲われたのは一目瞭然だ。
少女は血まみれの割に普通に歩いているし、どこかを痛がる様子もない。
もし少女に付着した血がこの少女のものでないとしたら、大量の血を流した誰かは死んでいるだろうな……。
「今のところ、私の聞こえる範囲には何もいないみたいです……」
ギィ―――――――――――――。
トーコがそう言った瞬間、突然後ろから扉がきしむような高音が響いた。
「なっ!?」「きゃ!!」「ひぃ!!」
三人が同時に悲鳴を上げ、はじかれるように振り返る。
そこに、それはいた。
哺乳類にはありえない長く細い脚。
脚には隙間なく生えた、黒く微細な体毛。
六本の足を、床壁天井関係なく這わせ、体を固定している。
脚の集まる部分には、足と同じく隙間なく体毛が生えた丸い体。
黒い毛玉から何本もの足が生えたようなシルエット。
体の中心には白い球が4つずつ並列に並ぶ。
複数の眼が明かりに照らされて鈍く光っている。
ギィイイイイイイイイイイイイイイ!!
巨大な蜘蛛にしか見えないそれが、耳をつんざく悲鳴のような鳴き声を上げた。
その声に驚き身がすくむ。
いきなり強引に手を引かれて、つんのめりそうになった。。
俺が動き出すよりも先に、少女が俺の手を引いて走りだしていた。
「何も聞こえませんでした!!」
走り出した俺の肩に捕まってトーコが叫ぶ。
そりゃそうだろう!
全力で走る俺たちを追いかけて来ているのに、蜘蛛はまったく足音を立てていない。
振り返って確認しなければ、まるでいないかのようだ。
俺と少女はひたすら逃げる。
いくつかの分かれ道を曲がり、もうどこを走っているのか分からない。
蜘蛛は曲がり角のたびに速度を落とすが、直線では距離を詰められる。
いつまでもつか分からない鬼ごっこだったが、とうとう目の前に長い直線が現れてしまった。
左右には小さな部屋が並ぶだけで、必死で分かれ道を探すが見つからない!
苦し紛れに部屋に入っても袋の鼠になるだけだ。
――このままじゃ追いつかれる!
魔法で退治したくても、全力で走るのに余裕がなさ過ぎて魔素をあつめるのに集中できない。
――いったいどうする!?
俺にあるのは明かりとして出している火の球と、使えもしない剣だけ。
――考えはないこともない。
けどそれは、この蜘蛛が俺の世界の蜘蛛と同じ習性をもっていなければ成功しない。
もし失敗すれば逃げ道を失う。
しかしこのまま走り続けてもじり貧だ、いずれ追いつかれるのは目に見えてる!
――やるしかない!!
俺は意を決して、右手に持った火の玉を思い切り投げた!