6
俺は早くも後悔している。
無理にでもレーヴェに運んでもらうんだったと……。
それほどまでに、森は深く険しかった。
まったく人が通らず、自然のおもむくままに成長した森というのは、こんなにも歩きにくいものなのか……。
平坦な道など全くない。
木の根や倒木が起伏を生み、枝葉が行く先をさえぎる。
しかもだ。
「これはどうだ?」
「それはセルビエンデの実ですね。毒です」
「これは?」
「キノコですか……。多分グリフですね。猛毒です」
「これならどうだ……?」
「ペルデントの葉は猛毒です」
「だあああああ!! 猛毒ばかりじゃないか!? どうなってんだこの森は!?」
先ほどからこんなことの繰り返しなのだ。
食べ物は現地調達で。
リーズの言うとおり森の中で食べ物を探そうとしているのに、どれもこれも毒ばかり。
一体何なら食べられるというんだ!?
「そう言われましても……。この森はもともと危険な森なのです。普段人間が立ち入ることはありません。だからこそ、森の中心部に魔王様の城があるのです」
「じゃあこの森に俺の食べられるものは無いのか!?」
「いいえ、そんなことはありません。あ、ほら、上空を見てください。あれはラドロという鳥です。あの鳥は毒を分離する器官を持っていますから、その身に毒はありません」
リーズに言われて空を見上げる。
高くそびえる木々の向こう、大きな鳥が円を描くように飛んでいる。
「――あれをどうやって獲れというんだ?」
「できませんか?」
「無理だ!!」
「そうですか。では別の獲物を探しましょう」
一体いつになったら食べ物を採れるのか。
今はまだ我慢できるが、そのうち空腹に耐えられなくなるかもしれない。
水だけなら魔法を使えばいくらでも出せることに気が付いたが、食べ物は魔法ではどうしようもない。
水だけで3日もしのげるか……?
「食べられる木の実はないのか?」
「ほとんどないですね。それらを探すくらいなら、獣を狩ったほうが早いと思います」
やはりもっとよく考えてから出発するべきだった……。
今更城まで戻れないしな……。
結局森に入った日、食べられるものは得られなかった。
水で空腹を紛らわし、火を起こして寝ることにした。
自分は寝なくても平気だからと、火の番はリーズがすることになった。
今日初めて会ったリーズに無防備な状態をさらすのは不安だったが、思っていたよりも疲れていたようだ。
気が付いたら寝てしまっていた。
「エーリ! エーリ、起きてください!」
「――トーコ、どうした?」
「エーリ、リーズがいません!」
「なにっ!?」
トーコの思わぬ言葉に驚き、一気に目が覚めた。
立ち上がってあたりを見回す。
火は消えていた。
確かに、どこにもリーズの姿はない。
「どこに行った……? トーコ、何か知らないか?」
「起きたらいなかったんです!」
嫌な予感がする。
「もしかして、帰ったんじゃ――」
「どうされましたか?」
「うわああっ!!」
背後からいきなり声をかけられて、俺は慌てて振り返った。
不思議そうな顔をしたリーズが立っていた。
「リーズ、お前どこ行ってたんだ!?」
「この先の様子を確かめてきました。直進すると崖になっていますので、こちら側から迂回しましょう」
帰ったんじゃなかったのか……。
昨日と変わりない様子のリーズにほっとした。
こんな森の中で置いていかれたら命にかかわる。
今はリーズの道案内だけが頼りなのだ。
「――わかった。早速出発しよう」
「ごめんなさい……、エーリ。私の勘違いでした……」
「いいんだ。目が覚めていきなり居なかったら、俺だって疑うさ」
今日も昨日と同じように、リーズを先頭にして森を進んだ。
リーズの言うとおり、あのまま進んでいれば崖だったのだろうか。
森は依然険しく、見通しは悪い。
遠くまで見通すことはできなかった。
――突然、木々の向こうから低い唸り声が聞こえた。
同時に聞こえる、ガサガサという葉のこすれる音。
だんだんと俺達に近づいてきている。
何かがこちらに向かってきている!?
「エーリ、何かいます!」
「ああ、俺にも聞こえてる!」
「お手並み拝見です、ブラックムーン様」
何が来ているのかわからないが、友達になりたくて近寄ってきているわけではないだろう……。
俺は魔素を集め、撃退に備える。
森の中で戦うなら、恐らく青の霧がいいはずだ。
森の中でも使用を制限しなくていいし、応用が利く。
炎は、火事の可能性を考えると使いにくい。
茂みの向こうから現れたのは獣だった。
しなやかな体をした獣だった。
その姿は俺の世界の豹に似ており、森の色に染まったような色をしている。
長く伸びた牙をむき出しにし、俺に飛びかかってくる。
「エーリ!」
「これでも喰らえ!!」
準備していた魔法を、獣に向けて放つ。
俺は右手の上で作った水の温度を下げ、氷の状態にしていた。
それは大きく、今現れてた獣と同じくらいの大きさだ。
さらに、こんなこともできた。
「砕けろ!」
俺の言葉とともに、放り投げた氷の塊が無数の破片にはじける。
その一つ一つは刃物の様に尖っており、猛スピードで飛びかかってくる獣に容赦なく迎え撃った。
全身に氷の刃物を受け、獣が無様に地面に落ちる。
もがく獣にとどめを刺すべく、俺はその獣に接近する。
左手にはさらに大きな氷の塊を作っていた。
その形はまるで氷のギロチンだ。
「…………」
生き物を殺すことに罪の気持ちを覚えた。
しかし、殺さなければ俺が殺されてしまう。
俺が生きてきた世界とは常識が違うのだと、自分に言い聞かせた。
俺は左手で支えていた氷塊を落とす。
鋭い断面は、獣の体の半分ほどを引き裂いて止まった。
もがくのをやめた獣は完全に息途絶えたようだった。
「ふう……」
思えば、まともに生き物を殺したのはこれが生まれて始めてかもしれない……。
初めてにしてはうまくやれたと思う。
頭の中でシミュレーションを繰り返し、その通りに動くことができた。
これからはこういうことに慣れないといけないのか……。
「エーリすごいです!」
「おめでとうございますブラックムーン様」
立ち尽くす俺に二人が声をかけてきた。
達成感はあるし、気分も高揚しているのが分かる。
しかし生き物を殺して褒められるのは、正直複雑な気分だ。
「ああ、ありがとう……」
「これで食料が調達できましたね」
リーズの言葉に、そういえばそうだったと思う。
俺は腹が減っていたはずだ。
氷の刃物によって切り裂かれ、域途絶えた獣を見る。
これを食べるのか……。
「これはパディラスという獣です。内臓には毒がありますから、表面の肉だけを剥ぎ取るのがいいでしょう。そんなに長旅ではありませんし、おおざっぱにとってしまっても大丈夫だと思います」
剥ぎ取る。
俺にできるだろうか……。
「こういう肉をさばいたことが無いんだが……」
「そうですか。では、僭越ながら私が指示をさせていただきます。ナイフはこちらをご使用ください」
リーズが俺に、大きめのナイフを渡してくる。
覚悟を決めなければいけない……。
俺が殺し、俺が食べるのだから、俺が解体するのは当然のことだ……。
「最初はとりあえず血を抜かないといけません。首を切ってください」
こうしてリーズの指示の元、俺はこのパラディスという獣を解体した。
なるべく無心であることを努めた。
そうしなければ、肉を切る感触や皮を剥ぐという行為に耐えられなかっただろう。
2時間程をかけて、必要な分だけの肉を取り出すことができた。
「ふう……」
だいぶ精神的に参っている。
リーズが火を起こすための枯れ木を拾ってくる間、少し休憩する。
「エーリ、大丈夫ですか?」
「ああ……。――トーコはこういうの平気なんだな?」
俺が必死で解体している間、トーコはリーズとともに俺に指示を出してくれていた。
トーコなら怖がると思ったのだが。
「人間が獣を解体するのは、何度も見たことがあります。エーリの世界では誰も獣を解体しないのですか?」
この世界に、1か所に集めた家畜を専門の人が解体し、パック詰めして売るような文化はないんだな。
この世界で生きていくなら、こういうこともできないといけないのか……。
「そうだな。初めてこんなことやったよ……」
「初めてはみんな苦労します! エーリは初めてなのにうまくできてました! 次はもっとうまくできると思います!」
「ありがとう……」
トーコの励ましのおかげで、なんだかすこし元気が出てきた。
苦労して切り分けた肉を見る。
こうなってしまえば、店で売っている肉と大差ない。
とりあえず、さっさと食べよう。
腹が減りすぎてるから、こんなに弱気になるのではないだろう……。
えーい、リーズはまだか!
◆
パディラスという獣の肉は、想像以上にうまかった。
俺が酷く空腹だったことも大きいかもしれない。
この世界においても、やはり肉は肉だった。
火で焼けばそこはかとなくうまそうな匂いがして、食欲を取り戻すことができた。
肉はすべて焼いてしまい、必要な分だけ持っていくことにした。
その後は再びリーズの後に続き、終わりの見えない森を歩き続けた。
森に入ってから丸2日以上が経って、やっと森を抜けることができた。
森を抜けた先には、地平線まで草原が広がっていた。
「アウラダにはまだ着かないのか……?」
「この草原を抜けた所にありますので、夜は休むとして、明日の昼ごろの到着になります」
「――3日で着くんじゃなかったのか?」
「途中かなり休憩を入れましたので、仕方ないかと……」
それはそうだろう。
普通あんな険しい森の中を1日中休まず歩き続けるなんて無理だ!
リーズの言う3日と言うのは、休憩なしで歩き続けた時の話なのか……。
3日の我慢だという俺の希望が打ち砕かれて、がっくりと肩が落ちた。
しかしその無茶な予定も、このリーズと言う少女ならやりかねない気がした。
森に入ってから約3日が経っているが、リーズにまるで疲れた様子はない。
しかも本当に何も食べす、何も飲まなかった。
最初からそうなのだろうなとは思っていたが、やはりこの少女は人間ではないようだ……。
「それでは、出発してよろしいですか?」
「――ああ、頼む……」
そうしてまた草原でも、リーズを先頭にして俺たちの行進がはじまる。
地面が平らな分、森の中を行くより全然ましだった。