5
「わざわざご苦労様、レーヴェ。それで、この人間のいったいどこが珍しいの?」
自身を魔王と名乗った女性が言う。
レーヴェというのは、俺をここまで連れてきた魔獣の名前なのだろう。
「ケルハイト様、この男は魔法を使えるようです。さらに、我々の言葉も理解しておりました」
「へえ、魔法? そこの人間、本当なの?」
自分のことを魔王なんて名乗る奴は普通じゃない。
ここは、素直に認めておくしかないだろう。
「そうだ……」
「使って見せてくれるかしら?」
俺は黙って、右手に魔素を集中させる。
掌の上で、炎が燃え上がった。
そのまま一気に燃焼させ、すぐに炎を消し去る。
「どうやら本当みたいね。あなたは何者? どうして魔法が使える? あなたのような人間が他にも?」
一気に質問されたせいで、頭の整理が追いつかない。
ええーっと、俺が何者で、魔法が何だって……?
「ゆっくり考えてくれていいわ。あと、これを言うのを忘れていたわ。私は魔王だけれど、人間であるあなたの敵じゃない。貴方を殺そうとも思っていないし、魔獣以外を滅ぼうとも考えていない。私は静かに生きたいの、そのために取れる手を取っているだけ。だからそんなに緊張しなくていいわ」
俺を殺すつもりはない?
それは本当か?
考えてみるが、そもそも俺にはこの魔王が何を考えているのか推測するための情報がない。
それに人間の言葉が分からない今、俺が情報を得るために話をできるのはトーコと、後ろにいるレーヴェとかいうでかい魔獣、そして今話をしている魔王だけだ。
今はとりあえず話をして、できるだけ情報を集めるほうがいいだろう。
「わかった、質問に答えよう。そのかわり俺が質問に答えた後は、お前が俺の質問に答えろよ?」
もう相手が魔王だからと言って、気を使うのはやめよう。
いちいち戸惑っていては会話が先に進まない。
なるようになればいい!
「いいだろう……」
いきなり強気になった俺に、魔王が少し戸惑ったのが分かった。
「じゃあまずは俺が何者か、だったな……。俺は異世界人だ。俺の世界からゲートを通ってこっちの世界に来た」
魔王の反応を確かめる。
魔王は目を細め、俺のことを見据えている。
何か考えているのか、あるいは俺の言っていることが本当か値踏みしているのか。
その両方かもしれない。
「続けて」
「どうして魔法が使えるかはわからん。魔素と言うものが、俺にはなぜだか見える。だから使えるとしか言いようがない。他に俺のような人間がいるかどうかは知らない。とりあえず、俺は一人でこの世界に来た。これでいいか?」
「その妖精は?」
俺の後ろに隠れていたトーコの存在に気が付いていたらしい。
ひっ! と後ろから小さな悲鳴が聞こえた。
「俺の世界に迷い込んでいたところを保護した。誤って俺の世界に来てしまったらしい」
「私たちの言葉が分かる理由は?」
「わからない」
「いいわ……。お前が私に聞きたいことなに?」
魔王に問われ、この世界に来て一番困っていたことを聞いてみる。
「この世界の人間の言ってることがさっぱりわからん。なにかいい方法はないか?」
「魔獣の言葉は分かるのに、人間の言葉だけ分からない?」
「ああ、この世界の人間の言葉が分かるようになりたい」
「だったら、私が教えてやろうか?」
「は……?」
この魔王は、一体何を言っている?
俺にこの世界の言葉を教えてくれる?
それは、ありがたい申し出なのか……?
しかし、このまま分からないままと言うわけにもいかない。
俺の言葉が分かって、さらに人間の言葉もわかる奴はと言うのが、他にもいるのだろうか……?
最悪の場合、魔王に言葉を教えて貰うという事態もあり得る……?
「冗談だ。本気にするな」
冗談だったらしい。
見た目だけなら、魔王は美女だ。
お近づきになれるのはうれしいかもしれない。
しかし、魔王だ。
やっぱり近づきたくない。
どっちにしろ魔王の冗談だった。
あまり真剣に考えないようにしよう。
「そうだな……、アウラダの遺跡に意思疎通のスクロールが眠っているという話を聞いたことがある。そいつを使えば、見知らぬ言語の相手でも会話ができるだろう」
そんな便利なアイテムが!
さすが異世界!
俺の知っている常識なんてまるで意味がない!
「古代の遺跡だ。そんなに簡単にはいかんだろうがな。もしお前が死んでも、私のせいではないからな?」
この魔王が、いったいどういう性格なのかいまいち分からない。
「そのアウラダの遺跡ってのはどこにあるんだ?」
「ここからずっと東の方角だ。森の中に地下への入り口がある。あの辺りでは有名だから行けばすぐに分かるだろう」
「言葉がわからなくて、文字が読めなくてもか?」
「………」
そういえばそうだったと、思っているのだろうな……。
この魔王大丈夫か?
「ふむ、ならちょうどいい。交換条件といこうじゃないか」
「交換条件?」
「ああ、お前が私たちの言葉を理解できると聞いて考えていたのだ。お前に、私の使いになってもらいたい」
「使い?」
魔王に使われる……。
魔王の使い……。
そんなあきらかに悪役な役職はお断りしたいのだが。
そう思ったが、断るのは内容を聞いてからでもいいだろう。
まさか勇者の村を襲えとか言わないだろうな?
「そうだ。私の使いとして、魔獣に会ってもらいたい。そして私の配下につくかどうかを確認してほしい。私に仕えるならよし、もし逆らうというのなら、そのときはお前に説得してもらいたい。どうしても従わない場合は、殺してもらっても構わない」
「何のために……?」
「さっきも言ったが、私は静かに生きたいのだ。そのために大々的に人間と争うことは避けたい。私が魔王の座に着いたのはここ最近でな。父上が死に私が受け継いだのだ。そのせいで配下を離れた魔獣が少なからずいる。そういうやつらに、好き勝手なことをされては困るのだ。分かるだろう……?」
言っていることは分からなくもない。
人間とむやみに争いたくないのに一部の魔獣が好き勝手に人間を殺してしまっては、魔獣全体の印象が悪くなる。
人間が魔獣に牙をむく事態になるかもしれない。
窮鼠猫をかむというやつか。
だが……、魔王の配下であるはずの後ろのレーヴェは人間の子供を襲っていたぞ?
「聞きたいんだが、お前の配下に入ったら魔獣は人を殺さなくなるのか?」
「いや、そんなことはない。私たちも生きるために他の動物を殺さなくてはならない。まったく殺さないというのは不可能だな」
「人間を狙う生き物と、人間が仲良くできるとは思えないが?」
「人間だって人間を殺すじゃないか? お前は人間と仲良くできないか?」
「それは……」
どうなのだろう。
何か違う気がするが、うまく言葉にならない。
「極論を語っても仕方あるまい。私は大きな戦いを起こしたくないだけだ。別に人間と仲良くしたいわけじゃ無い」
そう言えばそうだった。
この魔王が言ったのは、静かに生きたいということだけだった。
「それで、引き受けてくれるのか? 別に特定の魔獣に会いに行けとは言わん。魔獣に会ったら、私に仕えるつもりがあるのかどうか確認して、然るべき対処をしてくれればいい。私の配下に入れておいた方が、人間の犠牲は減ると思うぞ? お前が引き受けてくれるなら、アウラダの遺跡まで道案内を用意してやろう。どうだ?」
どうだと言われても……。
言ってることは間違っていないのかもしれないが、魔王の言うことを全面的に受け入れるのはやはり抵抗がある。
それは俺が人間だからだろうか?
「トーコはどう思う?」
トーコは俺の首の裏に、魔王から見えないように隠れている。
「早く帰りたいです……」
トーコはだめだ。
冷静に考えてみれば、魔王の話に俺が不利になるところはない。
俺以外の人間にしてもそうだ。
被害が減りはしても増えることはない。
魔獣が人間を襲うと言っても、それは他の獣にしても同じこと。
だったら、ちょっとしたわだかまりがあるというだけで断ってしまうのはもったいないんじゃないか……?
魔王は交換条件だと言った。
俺がここで魔王の提案を受けなければ、道案内は用意してもらえないだろう。
ああああ……!
これ以上考えていてもしょうがない。
ここはとりあえず、魔王の提案を受けようじゃないか!!
「わかった。その条件に乗ろう!」
「そうか、それはよかった。お前の働きに活躍しているぞ……。ああ、そういえば名前を聞いていなかったな。お前の名はなんという?」
魔王の問いかけに、あることをはっと思い出す。
ついに、この時が来たのだ。
俺はトーコから異世界があると聞いて、ひそかに考えていたことがある。
それは、この世界で生きるための新しい名前だ。
ここに来るまでに何人もの人に会ったが、誰も話が通じなくて名前を名乗ることはできなかった。。
ついにここで、俺の苦労が報われる。
やっと、新しい名前を名乗ることができる。
しかも相手は魔王だ。
初めての名乗り相手として申し分ない。
今こそ、この名前こそが俺の真の名前になることだろう!
「俺の名前は――――」
世界が俺の新たな誕生を祝福してくれている!
どこからかファンファーレが聞こえてくるようだ!
聞け、魔王よ!
そして俺の名の前にひれ伏せ!
俺の真の名は!
「エーリ・ブラックムーンだ!」
この瞬間が、新しい俺の誕生だ!
◆
「エーリ・ブラックムーンか。ファミリーネームがあるな……貴族なのか?」
「いや……。俺の世界では普通のことだ」
俺が喜び勇んで名乗りを上げたというのに、魔王の反応は薄い。
これでは何か俺が恥ずかしいことをしたみたいではないか。
いや、俺は生まれ変わったのだ。
こんなことではこの世界に馴染むことはできないぞ!
これまで積み上げてきたものをすべて捨てるんだ!
「まあいい。ブラックムーン、お前の通訳を用意してくる。少し待って居ろ」
うっ……、いきなりそっちを使うのか。
いや、負けるな俺。
この試練を乗り越えた時、俺は新しい俺になれるのだ!
だから落ち着くんだ俺。
「リーズ! リズヴィア! どこだ!?」
魔王が誰かの名前を呼びながら扉から出ていく。
まるで1階から2階にいる子供を呼ぶ母親のようだ。
この魔王のやることは、なんだかいちいち間が抜けている。
しばらくして魔王が再び扉から現れた。
後ろには小柄な少女を連れている。
なんとも言い難い格好をしている。
この世界にもこんなものが存在していたのか……。
その少女が着ていたのは、大量のフリルがあしらわれた真っ黒なドレスだった。
「ゴスロリか!?」
まさか異世界に来てこのような服を見ることになろうとは……。
「ほら、あいつがブラックムーンだ。アウラダの遺跡まで連れて行ってやってくれ」
「分かりました」
魔王の元を離れ、俺のもとに近づいてくるゴスロリ。
少し離れたところで止まり、スカートの左右を軽く持ち上げた。
そしてそのまま頭を下げてくる。
「お会いできて光栄です、ブラックムーン様。アウラダまでの道案内をさせていただきます、リズヴィアと申します」
見惚れてしまうような、優雅な動作だ。
顔を上げたリズヴィアの瞳は赤く、引き込まれそうなほど美しい。
魔王と同じ黒髪だが、リズヴィアは肩口で切りそろえている。
背は俺よりも低いが、その見事なスタイルのせいで、実際よりも身長は高く見えた。
女性らしさでは魔王には負けているが、こちらはこちらで実に怪しい雰囲気を漂わせている。
「リーズとお呼び下さい」
いかん!
負けてたまるか!
「俺の名はエーリ・ブラックムーンだ! よろしく頼む」
「はい、よろしくお願いします。ブラックムーン様」
「それじゃあリーズ、後のことは任せたから」
後ろで見ていた魔王がリーズに声をかける。
「分かりました。ケルハイト様」
「ブラックムーン。使いの話、忘れるなよ?」
去り際に、魔王が俺に釘を刺す。
「俺を誰だと思ってるんだ?」
俺の返事を聞いた魔王は、微かに笑って扉の向こうに消えて行った。
後に残ったのは俺とトーコ。
後ろで黙って話を聞いていたレーヴェと、俺の前に立っているリーズだ。
「それでは、さっそく行きましょうか?」
リーズが俺に問いかけてくる。
「そうだな。時間はまだ昼前だろうし、さっさと遺跡まで行きたい。参考までに聞くが、その遺跡とやらまでどれくらいかかる?」
「そうですね……。ここからアウラダまでなら、人の足で3日くらいだと思われます」
3日か……。
ろくな交通機関のない世界では、移動に3日と言うのはきっと普通なのだろうな……。
仕方あるまい。
「分かった。長距離の移動になれば、食べ物や飲み物が必要だろう? 何かあるのか?」
「そうでした。私は飲まず食わずでも平気ですが、ブラックムーン様はそうはいきませんものね……」
「私がアウラダまで運ぶというのはどうでしょう?」
俺とリーズが話していると、レーヴェが割って入ってきた。
そうだ。レーヴェなら、あっという間につくんじゃないか?
「大変ありがたい申し出だけれど、今回は遠慮させていただくわ。ありがとうレーヴェ、気持ちだけ頂いておきます」
「どうして断るんだ……? こいつに運んでもらえばすぐだろう?」
「ブラックムーン様。レーヴェには息子が一人います。そして残念ながら、まだ独り立ちできる年齢ではありません。恐らく今も森でレーヴェの帰りを待っていることでしょう……。今回だけは、レーヴェを息子のもとへ返してあげることはできないでしょうか?」
そういえば、レーヴェと一緒に小さな魔獣がいたな。
おかあちゃんと呼んでいたし、あれがレーヴェの息子だろう。
明日には帰ると息子に約束したレーヴェをこれ以上連れまわすわけにもいかないかもしれないな……。
「わかった。息子の方が大事だな。ここまで運んできてくれて助かったぞレーヴェ」
俺は寛大な心でレーヴェを労う。
それに対してレーヴェは軽く俺の方を一瞥しただけだった。
そういや、こいつとは別に仲良くなってもいなかったな……。
「ありがとうございますブラックムーン様。レーヴェ、ここまでの長旅ご苦労様でした。息子の元へ帰ってあげてください」
「お心遣い感謝します」
そう言うと、レーヴェは城から出て行った。
一飛びで信じられない距離を飛び、すぐに見えなくなった。
「さて、ブラックムーン様。水と食料ですが、やはり現地調達ということでいかがでしょう? あいにくこの城にブラックムーン様の口に合うものはありません。到着は少し遅れるかもしれませんが、このまま無駄に時間を消費するよりはよいでしょう。」
「そうするかしかないか」
この城に食べられるものがないのなら、このまま留まっても仕方ない。
「そう言えば……。ケルハイト様より、ブラックムーン様へ渡すようにと預かっているものがあります」
いったいどこから出したのか、リーズが剣を持っていた。
簡単な装飾の入ったシンプルな鞘をしている。
鞘の上部には見たことのない紋が入っている。
本物の剣だ。
こういうものは初めて見るが、やはり男なら心が踊る。
リーズから剣を受け取る。
ずしりと、確かな重みを感じる。
「これは?」
「ケルハイト様の使いである証だそうです」
つまり魔王の使いである証か。
便利なんだろうが、なんだか嫌なものを渡された気分だ。
「重いな……」
「必要になるまで私がお持ちしましょうか?」
俺のつぶやきが聞こえたのだろう。
リーズが提案してくれた。
しかし男が何も持たず、少女にだけこんな重い物を持たせるわけにもいかないだろう……。
「いや、大丈夫だ」
「そうですか? なら、そろそろ出発しましょう」
リーズが先頭に立って歩き出したので、俺もリーズの後に続く。
「トーコ? 大丈夫か?」
全くしゃべらなくなったトーコが心配になった。
「魔王はもういませんか……?」
トーコが、俺の後頭部に顔をうずめたまましゃべるので少しくすぐったい。
「ああ、もういないよ。別にそれほど怖くなかったぞ?」
「エーリは能天気すぎます! 魔王は恐ろしいって、クセロも言ってました!」
魔王がいなくなったと聞いて急に元気になるトーコ。
これでひとまず安心だ。
「トーコ、今からアウラダってとこに行くぞ。知ってるか?」
「知っているような……知らないような……」
考えるトーコ。
何か聞けるかと思って聞いてみたが、よく分からないらしい。
「そっか。とりあえずそこに行くんだ。一体何があるんだろうな? ちょっと楽しくなってきた!」
「はい! 楽しいです!」
この世界に来てから、思えばここまで流されっぱなしだった。
ついに自分の足で、目的を持って新しい場所に行ける。
なんだか気分が高揚してきた。
俺の冒険はここからだ!