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今日の異世界  作者:
2/12

2

 近くに金箔を売っている店はなかったので、ネットで注文することにした。

 到着までに数日がかかると、店からメールが来ていた。


 ゲート作りに関して、気になることをトーコに尋ねる。


「ゲートってのは、例えばこういうところにそってゴールドを貼り付けていってもいいのか?」


 俺の部屋の出入り口。

 扉の枠を指して、トーコに聞く。


「ゴールドで四角く区切られてさえいれば、大丈夫なはずです。……こんな大きなゲートが作れるんですか?」


「多分できるはずだ。これくらいの大きさなら、俺も通れるしな。俺もトーコの世界ってのは見てみたいし。一緒に行ってもいいだろ?」


「エーリも来るのですか!?」


 思いのほかトーコが喜んでくれた。

 歓迎してくれるという事だろうか?

 少しうれしくなる。


「そう考えてんだがな……。異世界ってのはどんな世界なんだ?」


「どんな……。うーん、どうなのでしょう。私はエーリの世界をよく知らないので、具体的にどう違うのかは分からないのです」


 そりゃそうか。

 俺だって、いきなりお前の住んでいる世界はどんな世界だ? なんて聞かれたら言葉に詰まる。


「そうだな……。じゃあ例えば、魔法なんてものはあるのか?」


 異世界と言えば魔法だろう。


「ありますよ! この世界にはないのですか?」


 こともなげに答えてくれるトーコ。

 まさか本当にあるとは……。

 しかしこれはいいことを聞いた。


「ああ、この世界に魔法はない。……そうか、魔法のある世界か。さぞかし楽しい世界なんだろうな」


「いっぱい楽しいことがあるのです!」


「……そっか」


 この世界じゃない世界に行きたい。

 そんなことを本気で考えていたのは、いつ頃までだっただろうか……。

 いまではもう、そういうことを考えなくなってしまった。

 この現実にそんなものはないと、わからされたからだ。

 その異世界への扉が、現実のものになろうとしている。


 幼いころ、俺が異世界に憧れた理由は、いったいなんだっただろうか……?



 ◆



 何日か経ったが、まだ金箔は届かない。

 まあもうすぐ来るだろ。

 トーコを見ている限り、別に慌てる必要もないようだ。

 せっかくなので、トーコには聞いておきたいことがあった。


「こういう靄って、トーコには見えてるのか?」


「もや?」


「なんかこう、色のついた靄みたいなのが浮かんでるだろう?」


 この話を他人にするのは何年ぶりだろう。

 俺には、普通の人には見えないものが見える。

 カラフルな色のうすい靄が、そこかしこに漂っているのが見えるのだ。


 まだ俺が幼かった頃。

 この色のついた靄が何なのか知りたくて、いろんな人に聞いて回ったことがある。

 けれど、皆の答えはいつも一緒だった。


 そんなものは無い。


 俺のことを心配した両親は、まず俺を眼科へ連れて行った。

 結果は異状なしだった。

 それでも俺は、在りもしないものを見続けた。

 次は脳外科に連れて行かれた。

 その次は精神科。


 精神科に通院するようになって、やっと俺にも理解ができた。

 この靄は、見えてはいけないものなのだと。

 それから俺は、この靄は見えていないことにしている。

 精神科の先生にも、見えなくなったと嘘をついた。

 今でも靄が見えていることを知っているのは遠子だけだ。


 トーコならもしかしたら、これが何か分かるかもしれないと思った。

 それに分からなかったとしても、トーコなら俺のことを馬鹿にしたりはしないだろう。

 なので軽い気持ちで聞いてみたのだ。


「魔素のことですか?」


 トーコの答えは、実にあっさりしたものだった。


「魔素?」


「ああいう、赤かったり黄色かったりする霧ですよね?」


 トーコが、部屋の隅に浮いている赤い靄を指差して言った。

 そうか、これは霧だったのか……。

 靄と霧との違いはわからないが。


「この世界の魔素は随分薄いですよね。どこもこれくらいのものなんですか? それともこの辺りが特別薄いのですか?」


「たぶん……、どこでもこれくらいじゃないかな?」


 俺は平静を装って答えた。


 気を抜けば、泣いてしまうかも知れない。

 気合を入れて、揺れ動く感情を抑える。

 こんな何気ない話の途中で泣き出すなんて、馬鹿みたいだ。


 けれど……。

 思えば、この靄についてまともに話ができたのはこれが初めてだ。

 この靄のせいで俺の中にあったわだかまりが、確かに溶けていくのを感じる。


 俺は、自分の中に正体不明の何かがあるのが怖かった。

 それを誰も信じてくれない。

 そんなものは無いのだと一方的に断じられる。

 逃げ場のない恐怖は、俺の中にたまっていく一方だった。


 遠子だけは、未だに俺に靄が見えることを知っている。

 けれどそれは知っているだけで、俺を理解できるわけではない。

 それは救いにはならなかった。


 俺は今、トーコというこの小さな妖精に救われたのだろう。


「魔素っていうのは、トーコの世界には普通にあるモノなのか?」


 気持ちを落ち着け、不思議な霧についての質問を続ける。


「ありますよ! 魔素は魔法を使う元になるんです! でも不思議ですね、人間には魔素は見れないと聞きました。見れるのは妖精とエルフだけだと言っていました」


「そうなのか……。トーコの世界には、エルフもいるのか?」


「そうです。エルフは魔法を使える唯一の種族なのです。私も、本当のエルフを見たことはありません」


「妖精は魔法を使えないのか? 魔素って言うのは見えるんだろ?」


「妖精は見えるだけで、魔素をコントロールすることはできません。残念です」


 トーコは本当に残念だという顔をする。


「魔素が見えるのなら、エーリは魔法が使えますか?」


「どうだろう。魔法ってのはどうやって使うんだ?」


「魔素を集めて使うと聞きました」


「集める……?」


 色のついた薄い霧は、いたるところに浮かんでいる。

 手を伸ばしてみるが、触れることはできないようだ。


「……やっぱり触れないな」


 一応、今までも触ろうと試したことはあった。

 その時も魔素には触れなかった。

 なら、どうやって集めるのだろう?


「精神集中して集めるらしいです。魔素は直接触れませんから」


「精神集中?」


 目を瞑って、それらしくうんうんうなってみる。

 目を開ける。

 何も変わっていなかった。


「よく分からないな……」


「この世界の魔素は薄いですから……。元の世界に戻ったら、もっと分かりやすいと思います」


「そうか。じゃあ、トーコの世界に行ってからもう一度試してみよう」


「はい! その方がいいと思います!」



 ◆



「なんで学校休んでるのっ!?」


 勢いよく俺の部屋の扉を開けて、いきなり遠子が姿を現した。


「お前はなんで俺の部屋に勝手に入ってきてるんだ?」


 俺は椅子に座ったまま、椅子を回転させて遠子の方を向く。

 この女はとんでもない女だ。

 普通人の部屋に入るときは、ノックの一つもするのが礼儀だろう。


「あんたが学校を休んでるから、わざわざ見舞いに来てやったのよ。ほらっ!」


 遠子が手に持っていた袋を投げてよこす。


「なんだこれ?」


「見舞いだって言ったでしょ?」


 袋の中にはカフェオレが一つ。


「見舞いにしてはどうかと思うが?」


「あんたにはそれで十分なのよ」


 ドカッと、遠子が遠慮もなしに俺のベッドに腰を掛ける。

 おいおい、壊さないでくれよ……。


「それで、頭痛は治ったの?」


 遠子が聞いてくる。

 怒っていても、一応心配はしてくれるんだな。


「ああ、割と調子いいよ」


 素直に答える俺。


「だったら、なんで学校に来ないのよ!!」


 そして再び怒る遠子。

 優しく聞かれたから素直に返事をしたのに、まさか再びキレられるとは。


「授業にだけは出席するって約束したでしょ!?」


「あ、ああ……。そうだったな……」


 それは俺と遠子がした約束。

 もう、一年以上前になる。


「なんで出てこないの? 何かあったの?」


 再び優しくなる遠子。

 本当に俺のことを心配してくれているのだろう。


「まあな。悪いけど、もう学校には行かないよ」


 しかし俺はその遠子に対して、こんな恩をあだで返すような返答をしてしまう。


「ふっ……ざけてんのっ!? 学校行かなくてどうするつもりなのっ!? 大学まで行けば、全部帳消しにできるじゃない! 何でまたあきらめるのっ……!?」


 遠子が、俺のことを思って言ってくれているのはよく分かる。

 でも、逃げるとかそういう事じゃない。

 それを遠子には分かってほしい。


「やりたいことができたんだ」


「やりたいことって何……?」


 ここで素直に全部話したところで、遠子には理解できないだろう。

 俺がおかしくなったと思われるだけだ。


「私には言えないこと?」


「もう少ししたら、説明する。だからもう少しだけ待っててくれ」


 遠子のまっすぐな瞳が、射抜くように俺を見る。

 うっ……この目を見ちゃだめだ……。

 昔からこちらに非がなくても、この目で見つめられて勝てたためしがない……。

 あからさまに目をそらす俺。

 しばらくの沈黙が続く。


「……分かった。待ってあげるから、ちゃんと説明してもらうからね?」


 もともと、遠子にだけはきちんと別れを告げるつもりだった。

 遠子には恩があるから、終わりくらいはきちんとしたい。


「帰る」


 突然そう言って遠子は立ち上がり、そのまま部屋を出ていこうとする。

 部屋を出る前に振り返る遠子。


「待ってるからね?」


「ああ……。分かってるよ」


 遠子が足音が部屋を離れていく。

 やがて、一階から俺の母親と遠子の話す声。

 何を話しているのかは分からなかった。


「あの人、私と同じ名前でした!」


 トーコが、遠子が帰ったのを見計らって現れる。

 部屋に誰か来たら隠れているように言っておいたのだ。


「そうだな……」


「遠子さん、怒ってましたけど?」


「悪かったとは思ってるよ」


 本当に。



 ◆



 結局、ゲートは手ごろな廃墟の中に作ることにした。


 俺たちが通った後のことを考えてのことだ。

 俺たちが通った後も、金で囲われた範囲はゲートとしての機能を維持したまま残るらしい。

 だったら、人が多くいるところに作るわけにはいかない。

 そもそも人目につく所で金箔を貼るなんてしたくない。

 そんなことをしていては、全然知らない人からも変人扱いされてしまう。


 俺は廃墟の中で壊れて扉の外れた枠組みを見つけ、金箔を張り付けていく。

 ぎりぎり一回使えればいいだけなので、作業は適当なものだ。


「これが金箔……? 本当にすごく薄いです!」


 トーコは金箔の薄さに驚いている。


「くしゃくしゃにするなよ? すぐ破れるからな」


「はい!」


 俺はペタペタと、金箔を適当に張り付けていく。

 この調子ならすぐ終わりそうだ。


「そろそろ、遠子を呼んでおくか……」


 この廃墟は分かりやすい所にあるので、目印さえ伝えておけば遠子一人でもたどり着けるだろう。

 携帯電話を取り出し、メールを送っておく。


 金箔を張る作業は、あっさりと終わった。


「こんなもんか……」


 金箔で最後の隙間を埋める。


「すごいです!」


 トーコの歓声とともに、ゲートの枠が出来上がった。

 素人が張り付けた金箔は見るからによれており、そう長くはもたないだろう。

 廃墟の中で輝く、やたら豪華な枠だけの扉。

 なんだかシュールな光景だ。

 

 一応、金で四方を囲むことができた。

 トーコの言った条件は満たされてるはず。


「これからどうするんだ?」


「それじゃあ、ゲートを作動させます! 離れていてください!」


 そう言ってから、トーコが口を動かした。

 キーンと、耳鳴りのような音が響く。

 どうやらトーコが何かをつぶやいているようだが、何を言っているか全く聞こえない。

 人間の可聴域外の声と言うことか……?


 すぐに、ゲートに変化が起きた。

 ゲートの中心で、小さく空間が裂ける。

 次の瞬間には、それが一気にゲートいっぱいまで広がった。

 さっきまで見えていたゲートの向こうにあるはずの景色が消えた。

 ゴミや瓦礫が積み重なった廃墟は見えなくなり、代わりに違った風景が見える。

 森……だろうか?

 風景は揺らいでおり、はっきりとは見えない。

 まるで水面に映った景色だ。


「うまくできました!」


 トーコがうれしそうな声で言う。


「これがゲート……?」


「そうです!」


 確かに、向こう側にはありえない光景が見える。

 しかし異世界への扉ってのは、こんなに簡単に開いていいものなのか?


 それから、遠子が現れるまでしばらく待った。

 待つこと数分、ザリッと、後ろから砂利を踏みしめる音が聞こえた。

 振り返ると、遠子が立っていた。


「なに、これ……?」


 ゲートを見て、信じられないものを見たという表情をしている。

 それも当然のことだろう。

 なぜなら、俺だって驚いたからだ。

 いつまでも驚いている遠子を眺めているわけにもいかないので、話を切り出そう。

 俺は、ゲートの向こう側に用がある。

 遠子とはここでお別れだ。


「これが何かわかるか?」


 ゲートを差して、遠子に尋ねる。

 首を振る遠子。


「一体なんなの……?」


「聞いて驚け? これはな、異世界への扉だ!」


「頭痛でついに頭がおかしくなったの……?」


 ひどい言いようだな……。


「まあ、どう思ってもらっても構わない。遠子、お前とはここでお別れだ」


「お別れ……?」


 俺の表情から冗談ではないと感じたのだろうか?

 俺の頭の心配をしたくせに、やけにまじめに相手をしてくれる。

 まあいい。


「この世界に、俺が求めるものはない。俺は今から異世界に行く! 危険な旅になるだろう! もしかしたら、向こうで死ぬかもしれない! まあ、気が向いたら帰ってくるつもりだ!」


 俺はリュックを背負っている。

 中身は当面の食料や、着替え。

 金箔も当然持っていく。

 だから、向こうでゲートを作ることもできるだろう。


「一体、何言って――――――」


「じゃあな」


 話が長引くのは嫌だったので、言いたいことだけ言って別れの言葉を告げる。

 俺は、そのままゲートに飛び込んだ。

 首筋に、トーコが捕まっている感触を感じる。

 そういえば……。

 いまさら大事なことを思い出した。

 トーコにゲートの処理を頼むのを忘れていた……。

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