地球人 西原羽月
私立大谷高校。
歴史は古く、名門と呼ばれる学校だ。通っている生徒も裕福な家庭の子が多い。しかし、もちろん今時の高校生、お嬢様やお坊ちゃん風の子は少なく、普通の高校生同様元気一杯の声が響き渡る。
「なーに羽月ちゃん! ぼーっとしちゃってぇ! お腹でも空いているの? また朝ごはん食べてこなかったんでしょぉ!」
「えー・・・。まあ・・・遠からず遠からずって所ね・・・」
「やっぱ減っているんじゃないかぁ!」
美鈴はいつもの女の子っぽくかわいらしいメガネを私に向けると、茶色の髪を揺らしながら下を向き、「かわいそーに」と言いながら私のお腹をさすっている。
「男じゃないの?」
(ギクッ)
「あー!」
すぐ隣にいた光美がそう言うと、美鈴が声をあげた。
「いま羽月ちゃんのお腹がビクンッってなったよぉ! 光美ちゃん!」
「本当に? ・・・羽月・・・ついにあなたにも好きな人が出来ちゃったって事?」
「ちょっ・・・ちょっと! 何勝手に話を進めてるのよっ!」
私は美鈴の手を自分の体から引き剥がして、ショートカットの前髪をかきあげている光美に向かって口を尖らせた。
「やーん・・・。私を含め、学園中の羽月ちゃんファン達が暴動を起こすよぉ、・・・きっと」
「どうして美鈴も含まれるのよ! 女のくせにっ!」
「で、誰なのよ。昨日まではそんなそぶりなかったじゃない?」
光美は私の顔を両手で包むと、自分に目を向けさせる。
「だ・・・誰でもないわよ・・・」
「わぁ! 羽月ちゃんの目が泳いでる!」
下から見上げていた小柄な美鈴が両手を自分の頬に当てて笑顔で言うと、光美もゆっくりと頷いた。
「お・・・泳いでないっ!」
「じゃあ私たちの目をじっと見て」
そう光美に言われた私は、頬を膨らましながら二人の顔を正面から見据える。しかし、どうしてか耐えられず、数秒もしないうちに私の目は焦点を失い右斜め上へ逃げていく。
「間違いないわね。この子、恋してるわ」
「きゃぁ! 誰だれ? 学校の子? クラスの男子?」
「しーてーないっ!」
丁度そのとき、天の助けか次の授業の先生が入ってきた。二人は何か言いたげだったが、「部活のときに聞くからね」と言うと、残念そうな顔をしながら自分の席に戻っていった。
「・・・それに、もう会えないし・・・」
先生に礼をして、着席と共につぶやいた私の声は誰にも聞こえ無かった。
「まぁてぇー!」
「羽月ぃ! 逃げるなぁ!」
「今日、私急いでるの! また明日ぁ!」
部活が終わったとたん、同じ部の美鈴と光美は襲いかかって来た。しかし、その追撃をなんとかかわし、私は学校を後にした。梅雨も終わりかけの蒸し暑いこの時期、駅まで走り、冷房の効いた車内に駆け込むとハンドタオルで汗を拭う。一度電車を乗り換え、そこから30分間、電車の中には空いている席があると言うのに私はどうしてか気が急いて立っていた。
いつもの自宅近くの駅に到着すると、目の前のドアが開くと同時に降りる。改札を出て、商店街を急いで通り過ぎた所に公園があり、その向こうに池が見えた。そこで一度立ち止まり、ゆっくりと息を整えると、苦手な口笛を吹きながら池のそばに歩いて行く。
時間は19時半。薄暗くなった池は時折、魚かカエルによる水音を立てるだけで静かだった。私は昨日、宿無し男と出会った場所を何度かウロウロと往復をし、さらに範囲を広げて2度行ったり来たりしてみた。今日は池にも異常はなく、変質者もいないようだ。パトロール完了! っと。
「変な奴だったなぁ・・・。池が光ると同時に現れて・・・。冗談も昭和ギャグだし・・・。本気かシャレか分かんないけど・・・常識知らない感じだし。お金持っているかと思えば全部私に渡そうとしたり・・・。ちょっと・・・心配になっただけだよね。私、いい人だからっ!」
深呼吸に似た大きく深いため息を付きながら私は池を後にした。家に向かうには遠回りになるはずの道を行き、昨日寄った貴金属店をのぞいて、またため息を付く。
「初恋は実らないって言うけど・・・。もう二度と会えない人相手だなんて・・・残酷だなぁ・・・」
私は足取り重く、何度か振り返りながら帰る。家の前に着いたときにはうつむいて下唇を噛んでいた。
「・・・ん?」
辺りからいい香りが漂ってくる。私は鼻を動かしながらキョロキョロと見回したが、どうも自分の家からのようだ。
「ただいまぁ」
家に入ると、肉の焼ける匂いがする。・・・これは焼肉だ。口には出さなかったが、どうもここ最近家のおかずが貧しかった。昨日もあまりにも質素な晩御飯だったため、外国人であるシンに食べさせる事ができず、カップ麺でお茶を濁した。
それなのに・・・急にどうしてだろう? 今日は誰かの誕生日ではない。記念日の心当たりもない。しかし、久々のごちそうのようだが、私は食欲もわかず、力なく階段を上り自分の部屋に向かった。
ドアを開けた空間は真っ暗で、人のいる気配が無いことに私は肩を落とした。電気を付け、部屋を見回すと、ベッドの上には昨日シンに貸し与えたTシャツとハーフパンツが置いてあった。それを横目で見ながら制服を脱ぎ、いつもの部屋着を手に取ったが、すぐにそれを椅子にかけ、ベッドの上にあったTシャツをかぶった。着替え終わると、何か少し満たされたような気がした。一階に下りてリビングのガラス扉を開けると、目の前に座っていた母親に声をかける。
「どうしたの、お母さん。焼肉なんてひさしぶ・・・・」
その姿勢のまま視線だけを部屋の中へ動かした所、私は固まった。
「遅かったわねっ! 寄り道しないで帰りなさいって昨日行ったでしょ! 待ちきれないからもう食べ始めたわよ! あなたもすぐ座りなさい!」
母親は私に顔を向けずにそう言うと、慌しく肉を焼いている。父親もでーんと座っている・・・訳ではなく、その横の人物に「これ焼けていますよ。野菜ももう食べれますよ」と気を使って話しかけている。
「し・・・し・・・・シン?」
目をごしごしとこする私に母親は尚も激しく言う。
「あなたのお友達なんでしょ? 詳しい説明は後でするからとにかく座りなさい!」
「う・・・うん」
私は空けてあった席に座った。
「ではあらためまして・・・。ちょっとあなた! 火を弱くして!」
父親はすぐさまコンロの火を弱めて肉が焦げないようにする。私は横目ですぐ隣の男を見ながらつばを飲み込んだ。
「うちの新しい大家さん。悠里シンさんですぅー! はい、はくしゅー」
母親と父親につられて私も手を叩いた。
「ちなみに、外に止めてある車もシンさんの物なので気を使って使わせていただきましょう!」
「は・・・はぁ? ・・・ちょっと待って、シンが大家って・・・どういうこと?」
口を挟んだ私を、母親が同じ遺伝子を感じさせる口調で答える。
「どうもこうも無いわよ。この借家の大家さんがシンさんに代わったのよ。今日、以前の大家さんからシンさんが買い取ったって訳。車のローンに苦しんでいた私達から車を買ったのもシンさん。でも免許ないからずっと貸してくれるって。もちろんタダじゃないわよ! 用事があるときはシンさんの運転手代わりとしてお父さんが頑張ってくれる約束でね」
「・・・・あっ! あのお金で! ・・・でもどうしてそんな? うちはそこまでお金がないって訳じゃないでしょ?」
「それが・・・言い出せなかったけど、お父さんが2ヶ月前にリストラにあったのよ・・・。今日、ついに引越しして狭い集合住宅に入ろうとでも考えていた時・・・、シンさんが新しい大家さんになったって事。それに家賃もタダにしてくれるんだって!」
「家賃がタダ? ・・・そんなっ! ちょっと待ってよ! 嫌よそんな施しを受けるのは!」
私は強くテーブルを叩いてそう言ったが、母親は涼しい顔で肉を口にしている。
「お母さんもそう言ったわよ。ところが聞いてみるとシンさんは住むところが無いらしいから家を買ったの。それで、掃除洗濯、食事を作るって条件と引き換えに家を貸してもらったってわけよ」
「・・・えっ? ・・・ちょっとよくわからない・・・」
「つまり、今までどおり私達はここに住んで、シンさんも一緒に住むの。あなたの隣の部屋空いているでしょ。そこに今日から住むから! 昼間の間に片付けも終わらせちゃったんだから」
「えぇっ! ・・・つまり・・・、私達は家族丸ごと、この成金外国人に買われちゃったわけ?」
「いやぁ。お褒めに預かりまして・・・」
「褒めてないわよ!」
頭を下げるシンを私は一喝した。
「人聞きの悪い事を言うんじゃありません! この際、シンさんがもし、不法入国者であろうと気にしないことにします!」
母親は何に負けたのか、お金か、この目の前にある霜降りの肉なのか。シンの事をキラキラとした目で見ている。・・・お父さんへ向けられる死んだ魚のような目と大分違う。
「ま・・・マジですか・・・」
「マジです! ・・・それに羽月、どうして言葉とは裏腹に、あなたさっきから顔がにやけているのよ?」
「に・・・にやけてなんてないよっ!」
私は両手で顔をぴしゃりと叩き、母親を見る。しかし、どうしてかすぐに口元が緩んでくるのだ。
「ごちそうさまぁ。・・・シン、ちょっと来て」
私は箸を置くと、目を細めてお茶を飲んでいたシンの首根っこを引っつかみ、リビングを出て行く。そんな私たちを見て母と父は何やらごにょごにょ言っている様だが気にせず二階へ上がる。
「羽月は・・・彼と実際どういう関係なんだろうな?」
父親はまだ肉を口に運びながら母親に聞く。
「シン君が言うには、昨日会ったばかりらしいけど・・・。それにしても羽月・・・、いい男に見初められたものね。今まで男の『お』の字も聞かなかったから・・どうしようかと思っていたわ。私があの歳の頃なんて・・」
「こ・・頃なんてなんだったんだ? そんな話聞いたこと無かったけど・・・」
「とにかく! ・・・中東の石油王か何かかしら? 現金で3000万円なんて・・・。でも、これ以上は頼っちゃ悪いから・・・あなたは早く仕事見つけてくださいね!」
「・・・わかったよ。・・・母さんの高校生の頃どうだったんだろ・・・」
母親はその言葉には聞こえない振りをしていた。




