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女と二人っきり

数分後、羽月指導の下、

俺は『ジャパニーズ正座』というおかしな座り方をさせられながらカップ麺なるものを食べていた。単純な味だが、美味と言っても良い物だった。


「一瞬追い出そうかと思ったけど・・・。もう晩の10時だから止めてあげる! でも、部屋の中の物を勝手に触ったら・・・今度こそ追い出すからねっ!」


 羽月は腕組みをしながら俺の前に立ち、両足を広く開きながら見下ろしている。羽月が俺を無理に招き入れ、挙句、追い出すとか追い出さないとか・・・。なかなか身勝手な気がするのだが、とにかくこれも地球人の特性として覚えておこう。


 俺が食事を終えると、羽月は先ほど俺が開けてしまったクローゼットと言うものの中から、背を向けているので良く見えないがおそらくパンツを取り出しているようだ。


「それじゃあ、私お風呂入って来るから。シン、今日はお風呂我慢してもらう事になるけどいいよね? ・・・部屋の中の物に指一本触れちゃだめだよ!」


 羽月は怒っている割には、跳ねるような足音を響かして行ってしまった。


俺は誰もいなくなった部屋で一人言葉を発した。


「おい、いるか?」

〈やはり苦労されているようですね シン〉


 俺だけに合成音の声が聞こえてくる。


「シン? お前までその名前で呼ぶのか? ・・・まあいいや。地球人は洗練されたスピル人と違って、無駄が多いというか、かなり複雑で気難しいようだ」

〈しかし 親切で優しいと思いますね〉


「親切? 地球の言葉を使われても俺には分からない。今晩寝るときにこの国のもう少し細かい言葉と、日常生活に支障の出ない程度の文化を俺に送信してくれ」

〈了解しました しかし 情報があったとしても 人間のあなたでは私ほど言葉を使いこなせませんよ 覚悟してください〉


「今よりましになれば良い。なんせ、事あるごとに殴られてしまうからな。野蛮な生き物だ」

〈それには同感ですが ボタン一つで星を消してしまうスピル人も 地球人から見ると野蛮に思われると思いますよ〉


「それは敵だからだ。・・・地球の文化を覚えたからって、おかしな考えを持つんじゃない・・・えっと・・・。そう言えばお前の呼び名を決めてなかったな」

〈ネロスで結構です〉


「機体の名前そのままじゃないか。その辺りがスピル人の作った人工知能の特徴なのかもしれないな。じゃあ頼んだぞ」


 俺の頭の中で響いていた声が消えた。例え地球の反対側にいたとしても、体内のナノプローブを使った交信に影響のある距離ではない。


 俺は地球への任務を申請して、許可されて来たわけだが、特に何かをするといった訳ではない。興味があったのは俺だけであり、申請するに当たって大きな問題がある場合を除き、大抵は許可される。滞在日程も俺任せ。地球の文化に干渉したり、極端に言えば攻撃を加えたりする事を禁止するような法もスピルには無い。地球語で言う倫理なのか、それとも面倒くさいからか、俺を含めスピル人にそのような事を考える輩はいないだろう。


 地球に来てみれば、思っていたよりも文明が栄えているようで、・・・えっと、石器時代を抜け出したくらいになるのかな? 一生懸命ここの人間達も生きているようだ。

かなりきつい個性を持った人間がいるようで、物珍しい部分もあるが、少し予定を早めて二・三日のうちにやはり帰ろう。余ったお金はこの狭い個室の片隅にでも置いておくかな。

 

・・・。俺はスーツが気になりだした。本国では汚れがつく心配などないが、今までの上陸任務と同様に、この地球も埃っぽい。とてもこれを着用したままベッドに横になる訳にはいかない。だからと言って、あのベッドも衛生的かどうかは怪しいところだが、先ほどいい匂いがしたので問題無い気がする。


俺はスーツを脱ぎ、悩んだ末、比較的ベッドから遠い位置に折りたたんで置いた。木星ではもちろん、OVER DOLLにも搭載されているソニックシャワーがあれば簡単に汚れなど落とせるのだが・・・。そう言えば、地球の人間はどのようにして衣服の汚れを落とすのだろうか・・・。


まあいい。とにかくここ数日間、足を伸ばして寝ていなかったので少し休ませてもらおう。

 

俺はベッドのそばに立つと、布団を持ち上げ、もう一度いい匂いがするかどうか確かめると寝転ぼうとした。そのとき、「カチャ」っと音がしたかと思うと、ドアが開いた。


「ふぅ・・・。シンが気になるからシャワーですませちゃ・・・・・」


 羽月は俺を見たまま動きが停止した。エネルギー切れ? ・・・アンドロイドだったのか? ・・・いや、よく見ると瞬きの回数が増え、口が徐々に開いていっている。顔も見る間に赤くなりだした。


「きゃ・・・・きゃぁぁぁぁ・・・あっ!」


 またもや大音量の音波を発生させたかと思ったが、羽月は何かを思い出したかのような表情をし、自分の手で口を塞いだ。そして、後ろ手でドアを閉めると、壁のほうを向きながら小声で、口調は厳しく俺に言う。


「な・・・何してるのよ! どうして全裸なのよ! ・・・私を襲おうと待っていたんならそうは行かないわよ!」

「全裸? 俺は確かに裸に近い格好をしているが、よく見ろ。下着をつけている」


「わかってるけどっ! なにそのビキニよりも小さい下着! シンは露出狂の性癖も持ってるの!」

「・・・露出狂? この下着がおかしいと言われても、他のは見た事がないんだが・・。・・・まあとにかく寝てもいいか?」


 俺はベッドに片足を突っ込んだ。


「や・・・やめてぇ! そ・・・そんな格好で私のベッドを使わないでよっ!」


 羽月はクローゼットを開けて、何かを探しているようなそぶりを見せる。


「お前のベッド? そうだったのか。それでは俺のベッドはどこにあるんだ?」

「ベッドは一つしか無いわよ。ちょっと待って・・・。えーと・・・。あった! これと・・・これ・・・。これを着てくれたらそのベッド使ってくれていいから」


 羽月は顔をそむけながら俺に地球製の衣服を手渡してきた。広げてみると、袖が途中で切れているペラペラの上着に、下半身に身につけるのだろう物も裾が驚くほど短い。これでは肘も膝も丸出しになるだろう。防御力や保温性は皆無と言える。


しかし、おそらく好意で差し出してくれたのだろう衣服の機能性やデザインに文句は言わない方が良いような気がする。衛生面も我慢しよう。もし、何かあったときは薬を飲めば良いだけだ。


「ありがとう」

「べつに・・・いいわよ。・・・・ん?」


 羽月は笑顔のまま視線を下げ、俺の差し出した貨幣の束を見た。そして、眉間にしわをよせながらわなわなと顔を上げる。


「いちいちお金を出すんじゃないわよぉ!」


 羽月の握ったこぶしを額に受け、次の瞬間俺は天井を見上げていた。おかしい。物と貨幣は交換だと聞いていたが・・・。


俺は上体を起こし、羽月を見ると、その頬はパンパンに膨れていた。何かの病気か? ・・・いや、確かこの症状には見覚えがある。俺がカシオムと言う惑星に行った時、船内で発生したオタフク風邪の一種で・・・、スチオム酸とナノカロイドを混合した薬を静脈に打てば数分のうちに完治するはずだ。混ぜる割合は確か・・・。


「・・・・ん?」


 俺は肘に違和感があることに気がついた。少し熱いような、ひりひりとした感覚がある。腕を上げてみると、右の肘をどこかにぶつけたのか、血がにじんでいる。


「きゃぁ・・・・。ご・・・ごめんなさい!」


 羽月は俺にかけよって来ると、今度は俺の下着だけの姿は目に入らないようで、心配そうな顔で俺の腕を覗き込んでいる。


「気にするな。こんなものはすぐに治る」


 ・・・と、言ったものの、今は医療用機器を持ち合わせていなかった。ハンディで傷の上をなぞればものの数秒で元通りになるのだが・・・。それが出来ない場合の止血方法はどうすれば良かったのか・・・。そんなことあるはずが無いと考えていたので覚えていない。


 普通、敵意のある攻撃にはナノプローブが反応、皮膚を強化する。必要に応じて外側に出てきてプロテクター化してガードする。しかし、通常刺激程度にいちいち反応しては生活に支障が出るため、相手に敵意の無い場合は出てこない。もちろん、それでも命にかかわりが有りそうな場合は即座に反応するのだが・・・。今回のような場合、ナノプローブは働かないようだ。


「ごめんね、ごめんね・・・。ティッシュと・・・薬がここに・・・」


 羽月はふわふわとした物を何枚か手に取り、それで俺の傷口を押さえる。そうしながら反対側の手を伸ばし、机の引き出しからチューブを取り出して、内容物を俺の傷口に塗りこんだ。

塗るタイプの薬など初めて見たが、それよりも『薬』と言うような物が存在する事に驚いた。地球人は天に向かって踊りながら傷が癒えるのを待ったり、その辺に生えているわけの分からない草を薬として使うと木星の大人たちが言っていたが、どうも違ったようだ。


「・・・・治らないな?」


 じっと数十秒観察していたのだが、傷口に変化は見られない。ひょっとして地球人はやはり薬と言うものを知らず、怪我した穴を塞げば良いだけと考えて、接着剤でも塗りこんだのではないだろうか?


「そんな早く治るわけないでしょ・・・」


 羽月は『包帯』と言う物を俺の腕に巻きつけてから一息ついた。羽月が言うには3日ほどしたら傷は塞がるだろうと言う事だ。いまだ俺の腕を見ている羽月の額には汗がにじんでいる。それを拭う羽月を見ていると、なにか・・・奇妙な感覚がする。妙な事に頑張るなというような、ひたむきだなというような感覚か。興味をひかれる。明日にでも帰ろうかと考え始めていた俺だったが、もうしばらく地球に滞在しても良いかもしれない。特にこの羽月と言う女は面白そうだ。


「あ! ・・・は・・・早く服着てよっ!」


 先ほど渡されてから、俺が床に落としてしまった服を拾い上げてそれを羽月は俺に押し付けてきた。羽月の顔はまたもや赤くなっている。・・・やはりこれはオタフク風邪の症状の一つに間違いないと思うが・・・。明日、薬でも持ってきてあげようか。羽月が苦しむのは可哀相かもしれない。


 俺が服を着ている間、羽月はベッドに座り、じっとうつむいている。どういう訳か、地球では人の着替えているところを直視してはいけないようだ。知らなかったとは言え、俺はマナー違反を犯してしまっていたと言う事か。羽月が着ている服を参考に、俺は渡された衣服を身につけると、羽月の横へ座った。


「ちょっ・・・! 近いよっ!」


 羽月は俺との間を30cmほど空けて座りなおした。自分から顔を寄せてきたり、俺から近づくと近すぎると言ったり、地球人との距離感がいまいち掴めない。


「シン! 何なのあなた! ・・・泊めただけで・・・変な事をさせるつもりなんてさらさらないんだからね!」

「・・・変な事?」


 部屋には数十秒沈黙が訪れた。俺は一生懸命考えてみたが・・・羽月の言わんとしている事がまったく分からない。


「日本じゃそんな事・・・急すぎるのよ! ・・・あなたの国ではどうかしらないけど・・・。私はまだ高校2年生の17歳なんだからっ!」

「高校・・・? ・・・偶然だな、俺も17歳だ」


「えっ・・・。そうなんだ。シンの国では・・・そう言う積極的なやり方が・・・普通なの? ・・・女性にもてるの?」

「もてる? ・・・やっと話が噛み合う時が来たな。俺は国ではかなりもてる方だ。・・・データベースには残念ながらまだ記録されていないらしいが・・・」


「へ・・・へぇ・・・。やっぱそうなんだ・・・。かっこいいもんね」

 ため息をついている羽月に、俺は首を捻りながら言う。

「かっこいいとは何だ?」


「え? ・・・えと、目鼻立ちが・・・良いって言うか・・・。バランスが良いって言うか・・・。人目を引くと言うか?」

「良く分からないが、目や鼻は羽月もきちんと付いているじゃないか。それに、もてるのにどうして顔が関係あるんだ?」


「そ・・・そりゃ・・・。顔だけじゃないけど・・・」

「話の方向性、興味が同じかどうかを確認する作業が恋愛だろ。その上で限りなく話が続けば良いのだが・・・。残念ながら前回はガールフレンドに振られてしまった」


「確認する作業? ・・・なんか微妙にシンの国と日本は違うような。そ・・・それに・・・シンは振られたんだ? 今、彼女無し? ・・・へ・・・へぇ・・・。その性格だもんね・・・ふふふ」

「・・・何がおかしいんだ?」

「べっつにぃ」


 羽月は自分の膝に頬杖を付いて、俺を下からいたずらっぽい顔で見上げてくる。


「・・・それで、どんな女の人だったの? その彼女は。髪型は? 顔は? 肌の色は? スタイルは?」

「妙な事を聞いてくるな。コウ・ヒム・ヨウトは特に特色の無い外見だったはずだが。遺伝子を触ることにあまり興味がないタイプだと言えるかもしれないな」


「イデンシ? ・・・まあ、普通の子だったって事かぁ。私との大きな違いって何かな?」

「違いと言えば、羽月のように髪を長く伸ばした女は初めて見た。私の国の女は皆、髪は短く、長くても肩に届くか届かないかくらいだ」


「ショートやセミロングが流行なんだぁ。・・・じゃあ私の髪型って変?」

「最初は驚き、奇異を感じたが・・・。今は違和感が無いな。そう言うのも良いかもしれない。よく似合っている」

「も・・・もぉ! やっぱりもてるってのは本当みたいね! 軽い男だわっ!」


 羽月は立ち上がり、俺の顔をチラっと見たかと思うと背を向ける。そのとき、ふわりと長く黒い髪の毛が美しく舞った。


「・・・綺麗だな」

「えっ!」


 羽月は俺に向かって顔を向けようとしたが、途中でそれを止め、トタトタと壁に向かって歩いていき、足を止めて動きを停止した。


 数十秒間、羽月はそうしていたが、両手でぺたぺたと自分の顔を何度か触ると、ようやく俺のほうを振り返って言った。


「でも私は軽くないから!」




 一時間後、寝るための準備を整えた俺と羽月はそれぞれの布団に入った。


「羽月・・・」

「なに?」

「これは・・・危ないんじゃないだろうか? 先ほどからナノプローブの警告音が鳴りっぱなしなんだが・・・」


 俺のベッドのすぐ隣に、部屋の全ての物を積み上げた高い壁がそびえ立っている。それは2m以上の高さがあり、上にいくに従って、金属で出来たような物が置かれている。


「危ないわよぉ。一番上に置いているのは私が部活のトレーニングに使っている重さ5kgの鉄アレイなんだから。いたずらしようと考えている変質者はかなり痛い目を見ることになるわね」

「いたずら? 寝ている姿勢を変えた程度の振動でも崩れると思うのだが・・・」



 深夜3時、寝返りをうたずとも顔の横に落ちてきた鉄塊の衝撃で、俺は目を覚ますことになる。




 朝6時、俺は目を開けた。左には部屋の壁、右には今にも崩れてきそうな壁。少し考えた末、俺は飛び起きて左側の壁に張り付いた。


[ドドドドド]


 俺が今さっきまで横になっていた場所は、雪崩によって埋まった。


「何! 地震っ!」


 部屋の隅で寝ていた羽月も飛び起きた。目をこすりながら俺を見て、すぐさま髪を整え始める。


「お前たちは寝ている間もこのように緊張した状態を維持、つまり、訓練をしているのか?」


 俺は散らかった物を、昨日俺が部屋に来たときにあった場所に一つ一つ戻す。


「まだ6時じゃない! もうちょっと寝たかったなぁ・・・。っていうかシン、目覚ましも無いのに起きたの? おじいさんみたいね・・・」


 羽月は起き上がってあくびをしながらストレッチを始めている。


「目覚ましはある。体内ナノプローブがその代わりをしてくれている。今日は平日。お前は確か高校二年生って言っていたな。学校へ行くのか?」

「・・・あれ? ・・・急に常識的な話し方になったね? 昨日の晩とはちょっと違うような・・・」


 羽月は俺に近寄り、手を自分の額と俺の額に当てている。


「熱など無いぞ。少し学習しただけだ」

「・・・ふーん」


 ネロスの奴は、俺が寝ている間にしっかりとこの国の細やかな情報を送信して来たようだ。もちろん、機械であるあいつが忘れたりするはずは無いのだが。


「あと、おじいさんと言うような年を過剰にとってしまった外見の者は俺の国にはいない」

「またまたぁ。昭和ギャグ? いないわけ無いでしょ?」


 羽月は両手を口に当て、目を細めている。


「本当だ。スピル、地球では木星と呼ばれている星では大人になったら成長を止める。その後、数百年生きても何も変化は訪れない。しかし、その無限の時間は大人達を怠惰にし、やる気を失わせる。木星で働いているのは主に生まれてから500年以内の人間だ」


「ぷ・・・・ぷははっ! あはは! なに言っているのよっ!」


 羽月は吹きだし、床をバンバンと叩き始めた。


「何よ木星って! 火星人とか木星人なんて古いって! 昭和だって! どうせ語るならアンドロメダ星雲から来たとか言いなさいって! あはは! シンってば面白すぎっ!」

「あ・・・アンドロメダ? ・・・バカな、あんなところ最高ワープでも何千年とかかってしまうぞ・・・」


 その後、数十分木星の話をしてみたが、羽月はずっと笑い転げていた。



「わかったわかった。そのやる気の無い星って言う設定? 良かったよ。十分面白かった!」

「・・・・・」

「それじゃあ、私たちの星に怪獣が攻めてきたとき、「ショワッチ」って巨大化して戦ってよね!」


「・・・・考えておく。怪獣かどうか分からないが、獰猛な巨大生物はいるぞ。・・・科学力を持ち合わせていないため、星間を移動する手段を持たないから来る心配はないが」

「あっ! もうこんな時間! シンと話し込んでたらいつも起きている時間過ぎちゃってた!」


 羽月は携帯電話の時計を見ると、すぐに学校の制服に着替え始めた。俺は顔を逸らすことをもちろん忘れず実行する。


「朝ごはんを食べてくるのか?」

「ううん。私朝は食べないんだ。シンも我慢して! ・・・それじゃ、私学校へ行ってくるけど・・・。シンは・・・やっぱり・・・出て行っちゃうよね・・・」

「そうだな・・・。昨日来たばかりだし、もう少し観察に行ってみようかと思う」

「そりゃそうだよね・・・。あ・・・時間が・・・。私、結構学校まで電車乗り継いで時間かかっちゃうんだ・・・。もう行かないと・・・」


 羽月はしきりに携帯を開いては覗き込み、また開いては時間を見ている。


「遠いのか? 送ってやろうか?」

「シンが? ・・・どうやってぇ?」

「もちろん乗って来た・・」


「ロボットで!」


 羽月は先回りをして言ったかと思うと、ケタケタと笑っている。


「あーおかしい。昭和のギャグもこれだけ立て続けに言われるとおかしくなってくるね。・・・それじゃあ行ってくるけど・・・。あのね、もうすぐ私の後にお父さんが仕事に出て行くと思うから・・・。その後、シンはお母さんにばれないように玄関から外に出て。鍵は開けっ放しで出て行っても、お母さんがそのうち気付いて閉めてくれると思うから」


「わかった。家にいる羽月の家族には俺の存在をばれないようにして消えたらいいんだな」


「うん・・・。今回は・・・私にしてはすごい冒険だった! ・・・まだ今日もこの街にいるのなら・・・って街にホテルがないから行っちゃうよね・・・。・・・今日もあの池の周りを寄り道してかえろーっと!」


 なぜか最後の方は俺に言うというより、独り言に近い感じで話しながら、羽月は部屋のドアを閉めて廊下を走って行った。少しすると、玄関のドアが閉まる音も聞こえてきた。


「家族・・・、親か・・・」


 地球人は、自分の遺伝子を分け与えた者と住居を同じくするようだ。自分を形作っている遺伝子を持つものがまだ生きているだけでも珍しいというのに、同じ場所で一緒に住むなんて木星では考えられない事だ。


俺はもちろん普通に、コンピューターが良好だと思われる組み合わせの中でランダムに選ばれた遺伝子を使って生まれている。身体、頭脳もそうだが、見た目も問題が無いように作られる。昨日羽月が「かっこいい」と言っていたのはそう言う外見のバランスの事なのだと学習にて分かった。


 木星では自分の好きな年齢で、不老化と俗に呼ばれる処理を受ける。しかし、遺伝子をバンクに記録した者の大半が生きてはいないと言うのは、もちろん死んでしまったからだ。外敵? 事故? ・・・いや違う。多くの者が何百年、何千年と生きている間に生きることに不感症になり、自分を殺してしまうのだ。


 羽月に続いてまた玄関の扉が開き、誰かが出て行った。先ほど言っていた父親であろう。


俺は昨日着ていたパイロットスーツを着て、羽月から与えられた衣服をベッドに上に置いた。そして立ち上がって耳を澄ませる。木星人には気配を感じるといった器用なことはセンサー無しでは難しい。音で想像して判断するしかない。


・・・、どうやら物音は聞こえてこない。目の前の廊下を左に真っ直ぐに進み、階段を降りてすぐにあるドアを開けて外に出るだけ。簡単な任務だ、すぐに実行に移そう。俺は部屋の扉を開けた。


「・・・・・」


 静まり返った家の中。俺は足音を立てないようにして廊下を歩く。階段を降りようとした瞬間、玄関の扉が開いた。俺は慌てて階段を降りるのを止め、壁に身を隠した。かがんで階段の下をそっと覗くと、背広を着た男が元気なく靴をそろえていた。


[トタトタトタ]


 足音が聞こえたのでもう少し顔を出して覗くと、女が男のカバンを持ってあげている。この男と女はどこと無く見覚えがある。羽月に似ているのだ。彼女に遺伝子特性を与えた者と言う事は・・・これが親か? しかし、元気な羽月の親としては、二人は静かで似ていないとも思える。


「これで・・・もう二ヶ月も同じ生活をしているな・・・」

「早く仕事を見つけないと・・・」


 二人はぼそぼそと話している。そして、そのまま家の奥へ二人で歩いていった。俺はゆっくりと無音の足取りで階段を降り、玄関の扉に手をかけようとした時、気になる言葉が聞こえた。


「・・・・羽月は悲しむだろうな」


 男性の方、父親の声だった。羽月に何か災難が起こるのだろうか? 俺には関係ない事だが、どうしてか胸がざわつき、気が付けば二人が話し込んでいる部屋のガラス扉の前に俺はいた。


「車を買って貯金を使ってしまったのが良くなかったよな・・・。まさかその後リストラに合うなんて・・・。車なんて売っても二束三文だし・・・」


「退職金ももう残ってないわ・・・。この家の賃貸料、羽月の学費、車のローン・・・。引っ越すにもお金がかかるし・・・。でも借金してでも引っ越さないと・・・。羽月もなんとか公立高校へ編入させて・・・」


 昨日、羽月を晩御飯だと呼んだ張りのある声を出した母親と同一人物とは思えない。木星の大人とはまた違った感じで目の光が消えている。借金? お金? 二人は貨幣を持ち合わせてないことで困ってるのだろうか?


[ピンポーン]


「はーい!」


 家に音が響き渡った。母親が立ち上がったのを見て、俺は慌てて近くにあった扉を開けて中に隠れた。


「あ・・・大家さん・・・」


 玄関の扉が開く音が聞こえると、また別の人間の声が聞こえてきた。どうやら誰か尋ねて来たようだ。


「ごめんねぇ・・・。西原さん。・・・先月の家賃の入金が無かったものだから・・・」

「す・・・すみません・・・・あの・・」

「いや、いいんだよ。まだ敷金としていただいている分があるからね。・・・でも、次の入金がなければ・・・ちょっと私も困っちゃって・・・」


 俺は隠れた場所に丁度いい椅子があったのでそれに腰を下ろす。しかし、どうも事態が飲み込めない。


「ネロス、いるか?」

〈はい もちろん聞いていましたよ 羽月さんの家は少し困った事になっているようです〉

「お金が無くて困っているのか? どうしてそんな事態になる?」

〈働いてお金を得る訳ですが 羽月さんの家はその働く場が無いようです したがってお金が入らない そして お金が無いから住む場所も無くなりそうです〉


「なんだって? せっかく昨日は俺を泊めてくれたのに・・・羽月自身も家が無くなると言うのか? ・・・それは何か良くない気がするな」

〈シン あなたはひょっとして羽月を気に入ったのではありませんか? 普通の木星人なら 昨日までのあなたなら気にせず立ち去るところだと思いますが〉


「気に入る? 何を言っている、地球の原始人なんか・・・」

〈見た目は木星人に近いですね 目はパッチリ 鼻は高いが小さい 唇は魅力的な厚み 地球では『美女』と言う分類に属するかと思います〉


「・・・・ふん、興味は無いな。木星では見た目など関係ない。趣味や考え方が同じかどうかだけだ。・・・俺と羽月はまったく違う」

〈ならば折を見てこの家を立ち去るのが良いでしょう ところで 今から私は羽月の家を現状維持する一つのプランを言いますが 独り言なので気にしないで下さいね〉


「A・Iが独り言? ・・・おかしな奴だ。勝手に言ってろ」

〈・・・・・・〉

「・・・・どうした、言えよ」

〈ふふふ・・・・〉




 羽月の母親と父親は何度も玄関で頭を下げていた。大家はそれに対して苦笑いをしている。


[バターン]


 突然廊下に面した扉が開き、中からひたすら怪しい黒色の光沢あるパイロットスーツに身を包む男が出てきた。母親と父親は驚いた表情で振り返り、震える声を出した。


「な・・・・なにっ? 誰あなたっ!」

「き・・・君! 誰だっ! ・・・どうしてトイレから出てきたんだっ!」


 男はまったく臆す様子も無く、三人の前に歩いてくると口を開いた。


「提案があるんだが」






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