PUNK
世界は最初から狂っていた。
東京。満開の桜並木は、まるで内臓をぶちまけたようなドピンクの暴力だ。見上げるだけで吐き気がする。だが、その狂い咲くピンクの群れに、俺の歪んだシナプスがほんの少しだけ自鳴するのを止められねぇ。
胸の奥には、どす黒い底なしの沼が鎮座している。
自分を律するほどの高潔さ(モラル)もなければ、完全にドブに落ちるほどの弱さもない。死ぬ勇気がないから、惰性で心臓を動かしているだけだ。
時折、その虚無が牙を剥いて心音を急かす。背中を伝う冷たい汗が、俺がまだ肉塊として生きていることを証明してやがる。
「明日? そんなもん、ハナから信じてねえよ」
吐き捨てた言葉は、渋谷のスクランブル交差点の人混みに揉まれ、一瞬でかき消された。夢なんて大層なガラクタは、満員電車の網棚に忘れちまった。
愛を歌うなんて上等な芸事は忘れた。いや、最初から俺のプレイリストには入っていなかった。
昨日何を食べたかさえ、安ビールの泡みたいに弾けて消える。何をやっても裏目に出る。ディストーションの歪みすぎたギターみたいに、俺の人生はノイズしか発していない。
それでも、ブーツの先を前に進める。
理由なんてねえよ。理屈が欲しいなら、後からいくらでもデッチ上げてやる。俺が欲しいのは教科書の正解じゃない。嘘で塗り固められた、俺だけの真実(爆音)だ。
「おい、そこの、お前だよ」
すれ違う奴らの視線はどれも冷ややかで、鏡に映った自分の死んだ魚のような目とそっくりだった。世間の優しさってやつには、必ず裏に利息(ギブ&テイク)のタグがついている。計算高い優しさなんて、反吐が出る。
俺が欲しかったのは、そんなビジネスじゃない。
「無償の愛」だ。
だが、どこへ行ってもギグの観客はゼロ。俺は一人だ。どこへ歩けばこの渇きが報われるのか、そのコード(答え)を知る奴は、この街には一人もいない。
俺のなかの「勇気」とやらは、いつの間にかただの「狂気」にモジュレートされちまっていた。これまでの生き方すべてが、完全なミスタッチだった。
――ガシャーン!!
頭の中で、アンプが派手に爆発して崩れ落ちる音がした。
何かを知ることから逃げ、何かを為すことから逃げ続けた罰だ。ステージの上には何も残っていない。すべては砕け散り、俺は完全な「無」とタイマンを張っていた。
俺は何が欲しかった? 何を手に入れたかった?
他人はおろか、自分自身にさえ分かりゃしない。冷酷な現実という名の巨大な壁の前に、俺は膝をつくしかなかった。
「無償の愛、か……」
もしそんな綺麗事に触れられたなら、この腐った生き方のチューニングも直るのか?
そう口にした瞬間、脳内のもう一人の俺が、中指を立ててせせら笑う。『おいおい、他人任せのワガママ言ってんじゃねえよ、パンク気取りが』。こびりついた理屈と固定観念が、俺の四肢を縛りつけて離さない。強烈なジレンマでゲロが出そうだ。
通りすがりの奴が、俺を見て鼻で笑った。
別の奴は、哀れみ混じりの安っぽい同情を小銭のように投げつけてきた。
だが、俺の心は一ミリも動かない。怒りもなければ、感謝もない。
ただ、たまらなく恥ずかしかった。
ただ、この世界からスモークみたいに、パッと消えてなくなりたかった。
*
その夜、泥水のような意識の底で、俺は夢を見た。
歪んだディストーションは消え、そこは静かな海辺だった。俺は錆びついたベンチに腰掛けている。視界の先には、どこまでも穏やかな水平線が広がっていた。
潮風は心地よく、肌を刺す太陽はどこまでも温かい。あまりのまぶしさに、凍りついていた俺の顔が、自然と笑みに変わっていく。
そこには虚無もなければ、夜の底のような孤独もなかった。
そして、なぜだか直感が、アンプのハウリングみたいに脳内で鳴り響いた。
――今の俺なら、空を飛べる。
俺は硬いアスファルトを蹴り破るように、力いっぱい大地を踏み切った。
重力なんて知るか。身体が宙を舞い、俺は本当に、空を飛んでいた。
自由だった。
風を切り裂きながら、俺はすべてを悟った。
スリーコードさえあれば、まだやれる。
――世界は、まだ俺を見捨てちゃいねぇ。




