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姫様、口が悪すぎます。たぶん翻訳スキルのせいです

作者: あゆと
掲載日:2026/06/23

「おう、よそ者。よくノコノコ来たな」

(訳:異界のお客様。よくぞ我が王宮へお越しくださいました)


白いドレスの姫様が、花みたいに笑っていた。


この人、絶対にトップだ。


床には光る円。

周りには甲冑の騎士。

天井には、俺のアパートの家賃三年分くらいしそうなシャンデリア。


三秒前まで、俺は会社帰りにコンビニへ寄っていた。

買ったのはツナマヨおにぎりと、サラダチキンと、割引シールのついたプリン。


それが今、王宮みたいな場所の真ん中で、姫様に囲まれている。


しかも治安が悪い。


「ツラ上げろや。ビビってんじゃねえ」

(訳:どうかお顔をお上げください。怖がらなくて大丈夫です)


怖がらなくて大丈夫な人間は、初対面でツラ上げろとは言わない。


俺は昔、地元で少しだけ荒れていた。


少しだけ、というのは俺の希望で、周りは勝手に伝説だの総長だの呼んでいた。今は違う。タイムカードを押し、年末調整を期限内に出す側の人間だ。


怒鳴る奴より、笑って距離を詰めてくる奴のほうが怖い。


姫様は一歩近づいて、俺の前で膝を折った。

ドレスの裾が、床の光を隠す。

白い手袋の指が、俺のほうへ伸びてくる。


「ケガしてねえだろうな。見せてみろや」

(訳:お怪我はございませんか。確認させてくださいませ)


俺は反射で両手を上げた。


「大丈夫です。どこもケガしてません」


声が裏返らなかったのは、昔の自分を褒めてやりたい。


姫様の後ろで、白い鎧の男が一歩前に出る。

腰の剣には手をかけていない。

だが、それが逆に怖い。


本当にやる奴は、最初から見せない。


「姫様の前だ。妙な動きすんじゃねえぞ」

(訳:姫殿下の御前です。どうぞそのまま楽になさってください)


騎士が白い手袋をはめ直した。


やめろ。

手袋を直すな。

昔、そういう奴はだいたい一発目が速かった。


俺はゆっくり姿勢を正した。


目は逸らさない。

睨まない。

ナメられすぎない。


元総長時代に一番役に立ったのは、拳よりこの半端な姿勢だった。


「黒瀬蓮司です。会社員です。状況が分からないので、できれば説明していただけると助かります」


騎士の白手袋が止まった。

侍女の盆が、銀色の音を一つだけ立てた。


俺はまずいことを言ったのかと身構えた。


姫様だけが、また笑った。


「筋通せる奴じゃねえか」

(訳:なんと礼儀正しいお方なのでしょう)


やっぱりトップだ。


初対面で、こっちの筋を見る。

しかも笑顔。


「茶ァ出せ。上等なやつだ」

(訳:お客様に温かいお茶をご用意して)


姫様が軽く手を上げると、侍女が銀の盆を持ってきた。


白いカップから湯気が立っている。

香りは甘い。

カップには金色の紋章。鳥のようにも、炎のようにも見える。


初対面で出される飲み物には、二種類ある。

歓迎の茶と、断れない茶だ。


これは後者だ。


「遠慮すんな。熱いうちにいけ」

(訳:どうぞご遠慮なく。温かいうちにお召し上がりください)


姫様が笑顔ですすめてくる。


俺はカップを受け取った。

手は震えなかった。

震えたら負けだと、昔の俺が勝手に判断したからだ。


一口飲む。


うまい。


悔しいくらい、うまい。


「気に入ったか。なら話は早ぇ」

(訳:お気に召したようで何よりです。それでは、事情をお話しさせてください)


囲い込みが早い。


俺はカップを両手で持ったまま、静かにうなずいた。


「まずは詫び入れさせろ。こっちの都合でお前を呼んじまった」

(訳:まずはお詫び申し上げます。私たちの都合で、あなた様をこの世界へお招きしてしまいました)


姫様が深く頭を下げた。


周りの騎士たちも、侍女たちも、同じように頭を下げる。


王宮中の頭が、同じ角度で下がった。


やめてくれ。


組織の上がそろって頭を下げる時は、後ろにもっと重い話がある。


「顔上げてください。話、聞きます」


姫様は静かに顔を上げた。


その顔は、まだ笑っていた。

笑っているのに、目の奥だけが真剣だった。


「今、うちのシマが荒れてんだよ」

(訳:現在、我が王国は危機に瀕しております)


来た。


俺はカップを置きかけて、指に力を入れた。


小さな音がした。


皿の縁に、細いひびが入っていた。


俺は固まった。


高そうな皿なのに、意外と薄い。


姫様は気づいていない。

侍女も気づいていない。

騎士だけが、なぜか俺の指先を見ていた。


見ないでほしい。


姫様の合図で、侍女が大きな地図を広げた。


地図には、城らしき絵と、森と、山と、赤い印がいくつもついている。

赤い印は、王都へ向かって少しずつ近づいていた。


「魔族の連中が、好き勝手やってやがる」

(訳:魔族が国境を越え、各地を侵しております)


魔族。


完全に、敵対チームの名前だった。


騎士団長が、地図の端に置かれた小さな旗を摘まんだ。

青い旗だった。

旗の棒は折れている。


「北の旗も、東の旗も折られた。次はここだ」

(訳:北の砦は陥落し、東の村も襲撃されました。次は王都が狙われるでしょう)


折れた旗。


それを見た瞬間、俺の背筋が少しだけ冷えた。


昔、地元の集会所に掲げていた旗が折られたことがある。

あれは宣戦布告だった。

言葉より先に、周りの顔つきが変わった。


この王宮でも同じだった。


侍女の指が震えている。

若い騎士が唇を噛んでいる。

姫様は笑っている。


笑っているのが、一番まずい。


「正直、こっちも後がねえ」

(訳:私たちには、もう多くの猶予がありません)


王族なのに、声を荒げない。

追い詰められているのに、笑顔を崩さない。


やっぱりトップだ。

怖すぎる。


姫様は、そっと両手をそろえた。

白い手袋の指が、きつく重なる。


「できりゃ、よそ者に看板背負わせる筋じゃねえんだよ」

(訳:本来なら、異界のあなた様に頼るべきではありませんでした)


分かる。


筋じゃないと分かっていて、それでも頭を下げる。

そういう時は、だいたいもう後がない。


姫様が、深く頭を下げた。


「頼むわ。うちの看板、背負ってくれや」

(訳:どうか、我が国をお救いください)


やめてくれ。


看板を背負う。


ヤンキーの世界で、その言葉は重い。

一度背負ったら、部外者ではなくなる。

揉めた時に知らない顔はできない。

逃げれば、その場の全員の顔を潰す。


しかも相手は姫様だ。

白いドレスで、笑顔で、頭まで下げてくるトップだ。


ここで断れば、顔を潰す。


顔を潰すのが一番まずい。


俺はもう喧嘩をしない。

誰かを殴らない。

揉め事は避ける。

警察沙汰は絶対に嫌だ。


だから、できるだけ穏便な言葉を選んだ。


「できる範囲で、協力します」


王宮の音が消えた。


騎士団長の拳が、胸当てに沈んだ。

侍女の盆が小さく鳴る。

天井へ向けた神官の祈りだけが、妙に長かった。


姫様が顔を上げる。

まつげに、光が残っていた。


受け方を間違えたかもしれない。


「その筋、うちで預かった」

(訳:そのお言葉、我が国として確かに承りました)


預かられた。


その言い方は、もう返してもらえないやつだった。


広間の奥で、杖の石突きが一度鳴った。


騎士たちの膝が、同じ音で床につく。

侍女の盆が下がる。

姫様の笑顔から、ほんの少しだけ甘さが消えた。


赤い外套の男が、ゆっくり入ってくる。


金の冠。

白い髭。

腰の剣。


誰に紹介されなくても分かった。


親父だ。


「若ぇの。うちの娘に顔立ててくれたそうじゃねえか」

(訳:異界の客人よ。娘の願いを聞き届けてくださったこと、心より感謝する)


王様が、俺を見た。


声は低い。

怒鳴っていない。

笑ってもいない。


それが一番怖い。


「いえ、まだ何もしていません」


「座れ。立たせたまま話すほど、うちは腐っちゃいねえ」

(訳:どうかお掛けください。立ったままでは失礼にあたります)


座れと言われた。


座らないわけにはいかない。


俺は用意された椅子に、できるだけ音を立てずに腰を下ろした。

背もたれには寄りかからない。

足は組まない。

手は膝の上。

相手の顔を見る。

見すぎない。


昔、偉い人の前で一番大事なのは、強く見せることではなかった。


余計な意味を出さないことだった。


王様は俺の向かいに座った。

姫様は王様の少し後ろに立つ。

騎士団長はさらに横。

侍女たちは息をしていないみたいに静かだった。


王様は地図を見た。

折れた青い旗を、太い指で軽く押さえる。


「うちの看板は軽くねえ。だが、背負ってくれた奴を使い捨てにもしねえ」

(訳:王家の名は重いものです。けれど、協力してくださる方を決して粗末には扱いません)


重い。


王様の言葉は、姫様の言葉よりずっと重い。


動いていないのに、逃げ道だけが一つ減った気がした。


俺は背筋を伸ばした。


「自分にできることなら」


王様の目が、ほんの少し細くなった。


「その言葉、軽く聞き流すほど年食っちゃいねえ」

(訳:そのお言葉、確かに承りました)


まずい。

また受け取られた。


その瞬間だった。



ドゴォンッ!!



広間の外で、城が割れたような音がした。


シャンデリアが大きく揺れる。

カップの紅茶が跳ね、白い皿に赤いしずくを散らす。

壁際の侍女が悲鳴を飲み込み、騎士たちが一斉に剣を抜いた。


ガァン、ガァン、ガァン。


遠くで鐘が鳴った。


「結界がブチ抜かれたぞ!」

(訳:結界が破られました!)


神官の叫びと同時に、ステンドグラスの向こうの空に黒い穴が開いた。


穴から、黒い火が落ちてくる。


ズンッ。


火は床に触れた。

けれど、絨毯は燃えなかった。


ただ、広間にいた全員の影だけが、濃くなった。


黒い火の中から、角のある男が現れる。


そして、深く一礼した。


後ろに控えた三人の魔族も、そろって頭を下げる。


「お取り込み中、失礼いたします。国王陛下にお会いできますか」

(訳:王を出せ。出さねばこの城ごと灰にする)


俺は、少しだけ肩の力を抜きかけた。


この世界に来て初めて、名刺を出してもよさそうな相手が現れた。


王様が立ち上がった。


「魔王。うちの城へ穴あけて、よく頭下げに来られたな」

(訳:魔王よ。我が城の結界を破り侵入するとは、許しがたい暴挙である)


魔王。このまともに名刺交換できそうな人が、魔王。

俺は、抜けかけた肩の力を戻した。


「本日は、王都明け渡しのお願いに参りました」

(訳:王都を明け渡せ。拒めば焼く)


お願いという言葉の使い方が、俺の知っているお願いと少し違った。


会社にもいた。

メールだけ丁寧で、納期だけ人を殺しに来る取引先。


魔王は、その王だった。


「ご判断は、日没までにいただけますと幸いです」

(訳:日没までに首を垂れろ。でなければ民から燃やす)


俺は困った。


困ったが、王様のほうが先に動いた。


「うちの民に火ィつける話を、俺が黙って聞くと思うなよ」

(訳:我が民を害する宣言を、私が黙って聞くと思うな)


姫様も前に出ようとした。


「下がってろ。そいつ、挨拶代わりに城ぶち抜いた奴だぞ」

(訳:お下がりください。その者は結界を破って侵入した危険な魔王です)


姫様は、俺を守ろうとしてくれているのかもしれない。


だが、その言い方はやめたほうがいい。


相手は一応、頭を下げている。

ここで頭ごなしにやると、場が荒れる。


俺は王様と姫様の間から、半歩だけ前に出た。


「まずは、先方のお話を最後まで聞きませんか」


王宮の空気が止まった。


王様が俺を見る。

姫様が俺を見る。

騎士団長が俺を見る。


魔王だけが、少しだけ口元を動かした。


「ご理解のある方がいらして助かります」

(訳:人間どもにも多少は話の分かる者がいたか)


王宮側の視線が痛い。


「ただ、王都明け渡しというのは、さすがに急です。いったん持ち帰りにしていただけると」


魔王の後ろにいた魔族の一人が、ゆっくり前に出た。


額に一本角。

肩幅が広い。

曲がった大剣を持っている。


こちらも、深く一礼した。


「恐れ入ります。魔王陛下のご提案を、お持ち帰りになるという理解でよろしいでしょうか」

(訳:逆らうなら腕を落とす)


目がまったく笑っていない。


「持ち帰りというか、関係各所と調整というか」


「ご回答は、今この場でいただく形となっております」

(訳:今ここで従え。できないなら殺す)


クレーム窓口で一度だけ見たことがある。

声は穏やかなのに、議事録だけで人を追い詰めるタイプ。


魔王が片手を上げた。


「控えなさい」

(訳:黙れ)


部下が止まった。


だが、足はまだ前を向いている。

肩にも力が残っている。


あれは止まっていない。

止まったふりをしているだけだ。


昔から、止まったふりをする奴が一番危ない。


俺は一歩出た。


足が軽い。


軽すぎる。


半歩のつもりだったのに、石床の模様が一つ分、後ろへ流れた。


「会議中に武器を出すのは、やめましょう」


俺は両手を見える位置に出した。

殴らない。

蹴らない。

止めるだけ。


魔族の大剣が動いた。


騎士団長が動くより早かった。

俺は反射で前に出る。


相手の手首をつかんで、肩を押さえる。


昔なら、それで勢いが止まった。


はずだった。


ばきっ。


魔族の膝が、石床に沈んだ。


床に、蜘蛛の巣みたいなひびが走る。

大剣が魔族の手から落ちた。

魔族は片膝をついたまま、目を見開いている。


俺も目を見開いた。


軽く押さえただけだった。


本当に、軽く。


「すみません。力加減を間違えました」


誰も答えなかった。


王様が黙る。

魔王が黙る。

騎士団長の剣先が、少し下がった。


姫様の白い手袋だけが、口元を押さえていた。


俺は慌てて魔族の肩から手を離した。


魔族はその場に残った。

膝が床から抜けないらしい。


まずい。


示談の範囲を超えたかもしれない。


後ろの魔族二人が、同時に一礼した。


片方は黒い槍を出した。

片方は炎を手にまとわせた。


黒い火が、手のひらの上で膨らむ。


「恐れ入りますが、実力行使に移らせていただきます」

(訳:殺す)


「お怪我の保証はいたしかねますので、ご了承ください」

(訳:腕が飛んでも知らんぞ)


だいぶまずい。


やめてくれ。

広間だぞ。

姫様も侍女もいる。

火事になる。


「危ないので、火はやめましょう」


俺は炎のほうへ手を伸ばした。


火を払うつもりだった。

本当に、払うだけだった。


ヒュンッ。


魔族の手の炎が消えた。


黒い煙が弾け、壁際の重そうなカーテンが全部めくれ上がる。

ステンドグラスに、細いひびが一本入った。


軽く押しただけで床が割れた。

軽く払っただけで煙が消えた。


更生に向いていない。


「すみません。今のも力加減です」


魔王が、初めて笑った。


低く、静かな笑いだった。


「お名前を伺っても?」

(訳:名を名乗れ。覚えておいてやる)


礼儀正しく聞かれてしまった。


ここで名乗らないのは失礼だ。

だが、名乗ると覚えられる。


どちらもまずい。


「黒瀬蓮司です」


魔王の目が細くなった。


「黒瀬蓮司様ですね。次回からは、名指しでお伺いいたします」

(訳:黒瀬蓮司。次は貴様を狙う)


名刺交換みたいな顔で、標的にされた。


王様も、同じように俺を見た。


「黒瀬蓮司。うちの娘の前で、ずいぶん筋通してくれるじゃねえか」

(訳:黒瀬蓮司殿。娘の前で、見事な振る舞いを見せてくださいましたな)


王様にも覚えられた。


姫様が、こちらを見る。

花みたいな笑顔だった。

今はもう、その笑顔が一番怖い。


「蓮司。うちにいてくれ。お前みたいな奴が必要なんだ」

(訳:蓮司様。どうか、しばらく王宮にご滞在ください。あなた様のお力が必要なのです)


姫様にも名前で呼ばれた。


王様。姫様。魔王。


三つの看板に、同じ日に名前を覚えられた。


俺は、会社帰りにプリンを買っただけの男だったはずだ。

ツナマヨおにぎりもまだ食べていない。

サラダチキンも鞄の中だ。


なのに今、王様と魔王の間に立っている。


魔王は膝を床に埋めた部下を見下ろし、声だけは穏やかに言った。


「本日は、これで失礼いたします」

(訳:今日は退く)


俺の肩から、力が抜けかけた。


「次回は、もう少し落ち着いた場でお話ししましょう」

(訳:次は、逃がさん)


抜けかけた力が、戻った。


魔王は黒い火の中へ戻っていった。


膝の抜けない魔族は、仲間二人に両脇を抱えられ、床の石ごと引き抜かれて運ばれていった。


床に、魔族の膝の形をした穴が残った。


俺はそれを見て、静かに息を吸った。


弁償だろうか。


異世界の床材、いくらするんだろう。


広間に静けさが戻った。


壊れていない扉。

ひびの入ったステンドグラス。

めくれたカーテン。

床に残った膝の穴。

まだ温かい紅茶。


王様が、俺に近づいてきた。


「若ぇの。お前、うちに残れ」

(訳:蓮司殿。どうか我が国に留まり、力を貸していただきたい)


親玉直々の勧誘だった。


断れる空気ではない。


姫様が侍女から小さな鍵を受け取った。

金色の鍵だった。

さっきのカップと同じ紋章がついている。


「ビビんな。今日からあんたは、うちで預かる」

(訳:どうかご安心ください。今日からあなた様のご滞在は、王家が責任を持ってお引き受けいたします)


姫様が、俺の手に鍵を置いた。


金属の小さな音が、やけに大きく聞こえた。


預かる。


ヤンキーの世界で、その言い方をする場合、だいたい帰れない。


俺は鍵を握りしめた。

金色の紋章が、手のひらに少し痛い。


帰りたい。


異世界のヤンキー、こわすぎる。


あと、いちばん丁寧なやつが魔王なの、何?


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