姫様、口が悪すぎます。たぶん翻訳スキルのせいです
「おう、よそ者。よくノコノコ来たな」
(訳:異界のお客様。よくぞ我が王宮へお越しくださいました)
白いドレスの姫様が、花みたいに笑っていた。
この人、絶対にトップだ。
床には光る円。
周りには甲冑の騎士。
天井には、俺のアパートの家賃三年分くらいしそうなシャンデリア。
三秒前まで、俺は会社帰りにコンビニへ寄っていた。
買ったのはツナマヨおにぎりと、サラダチキンと、割引シールのついたプリン。
それが今、王宮みたいな場所の真ん中で、姫様に囲まれている。
しかも治安が悪い。
「ツラ上げろや。ビビってんじゃねえ」
(訳:どうかお顔をお上げください。怖がらなくて大丈夫です)
怖がらなくて大丈夫な人間は、初対面でツラ上げろとは言わない。
俺は昔、地元で少しだけ荒れていた。
少しだけ、というのは俺の希望で、周りは勝手に伝説だの総長だの呼んでいた。今は違う。タイムカードを押し、年末調整を期限内に出す側の人間だ。
怒鳴る奴より、笑って距離を詰めてくる奴のほうが怖い。
姫様は一歩近づいて、俺の前で膝を折った。
ドレスの裾が、床の光を隠す。
白い手袋の指が、俺のほうへ伸びてくる。
「ケガしてねえだろうな。見せてみろや」
(訳:お怪我はございませんか。確認させてくださいませ)
俺は反射で両手を上げた。
「大丈夫です。どこもケガしてません」
声が裏返らなかったのは、昔の自分を褒めてやりたい。
姫様の後ろで、白い鎧の男が一歩前に出る。
腰の剣には手をかけていない。
だが、それが逆に怖い。
本当にやる奴は、最初から見せない。
「姫様の前だ。妙な動きすんじゃねえぞ」
(訳:姫殿下の御前です。どうぞそのまま楽になさってください)
騎士が白い手袋をはめ直した。
やめろ。
手袋を直すな。
昔、そういう奴はだいたい一発目が速かった。
俺はゆっくり姿勢を正した。
目は逸らさない。
睨まない。
ナメられすぎない。
元総長時代に一番役に立ったのは、拳よりこの半端な姿勢だった。
「黒瀬蓮司です。会社員です。状況が分からないので、できれば説明していただけると助かります」
騎士の白手袋が止まった。
侍女の盆が、銀色の音を一つだけ立てた。
俺はまずいことを言ったのかと身構えた。
姫様だけが、また笑った。
「筋通せる奴じゃねえか」
(訳:なんと礼儀正しいお方なのでしょう)
やっぱりトップだ。
初対面で、こっちの筋を見る。
しかも笑顔。
「茶ァ出せ。上等なやつだ」
(訳:お客様に温かいお茶をご用意して)
姫様が軽く手を上げると、侍女が銀の盆を持ってきた。
白いカップから湯気が立っている。
香りは甘い。
カップには金色の紋章。鳥のようにも、炎のようにも見える。
初対面で出される飲み物には、二種類ある。
歓迎の茶と、断れない茶だ。
これは後者だ。
「遠慮すんな。熱いうちにいけ」
(訳:どうぞご遠慮なく。温かいうちにお召し上がりください)
姫様が笑顔ですすめてくる。
俺はカップを受け取った。
手は震えなかった。
震えたら負けだと、昔の俺が勝手に判断したからだ。
一口飲む。
うまい。
悔しいくらい、うまい。
「気に入ったか。なら話は早ぇ」
(訳:お気に召したようで何よりです。それでは、事情をお話しさせてください)
囲い込みが早い。
俺はカップを両手で持ったまま、静かにうなずいた。
「まずは詫び入れさせろ。こっちの都合でお前を呼んじまった」
(訳:まずはお詫び申し上げます。私たちの都合で、あなた様をこの世界へお招きしてしまいました)
姫様が深く頭を下げた。
周りの騎士たちも、侍女たちも、同じように頭を下げる。
王宮中の頭が、同じ角度で下がった。
やめてくれ。
組織の上がそろって頭を下げる時は、後ろにもっと重い話がある。
「顔上げてください。話、聞きます」
姫様は静かに顔を上げた。
その顔は、まだ笑っていた。
笑っているのに、目の奥だけが真剣だった。
「今、うちのシマが荒れてんだよ」
(訳:現在、我が王国は危機に瀕しております)
来た。
俺はカップを置きかけて、指に力を入れた。
小さな音がした。
皿の縁に、細いひびが入っていた。
俺は固まった。
高そうな皿なのに、意外と薄い。
姫様は気づいていない。
侍女も気づいていない。
騎士だけが、なぜか俺の指先を見ていた。
見ないでほしい。
姫様の合図で、侍女が大きな地図を広げた。
地図には、城らしき絵と、森と、山と、赤い印がいくつもついている。
赤い印は、王都へ向かって少しずつ近づいていた。
「魔族の連中が、好き勝手やってやがる」
(訳:魔族が国境を越え、各地を侵しております)
魔族。
完全に、敵対チームの名前だった。
騎士団長が、地図の端に置かれた小さな旗を摘まんだ。
青い旗だった。
旗の棒は折れている。
「北の旗も、東の旗も折られた。次はここだ」
(訳:北の砦は陥落し、東の村も襲撃されました。次は王都が狙われるでしょう)
折れた旗。
それを見た瞬間、俺の背筋が少しだけ冷えた。
昔、地元の集会所に掲げていた旗が折られたことがある。
あれは宣戦布告だった。
言葉より先に、周りの顔つきが変わった。
この王宮でも同じだった。
侍女の指が震えている。
若い騎士が唇を噛んでいる。
姫様は笑っている。
笑っているのが、一番まずい。
「正直、こっちも後がねえ」
(訳:私たちには、もう多くの猶予がありません)
王族なのに、声を荒げない。
追い詰められているのに、笑顔を崩さない。
やっぱりトップだ。
怖すぎる。
姫様は、そっと両手をそろえた。
白い手袋の指が、きつく重なる。
「できりゃ、よそ者に看板背負わせる筋じゃねえんだよ」
(訳:本来なら、異界のあなた様に頼るべきではありませんでした)
分かる。
筋じゃないと分かっていて、それでも頭を下げる。
そういう時は、だいたいもう後がない。
姫様が、深く頭を下げた。
「頼むわ。うちの看板、背負ってくれや」
(訳:どうか、我が国をお救いください)
やめてくれ。
看板を背負う。
ヤンキーの世界で、その言葉は重い。
一度背負ったら、部外者ではなくなる。
揉めた時に知らない顔はできない。
逃げれば、その場の全員の顔を潰す。
しかも相手は姫様だ。
白いドレスで、笑顔で、頭まで下げてくるトップだ。
ここで断れば、顔を潰す。
顔を潰すのが一番まずい。
俺はもう喧嘩をしない。
誰かを殴らない。
揉め事は避ける。
警察沙汰は絶対に嫌だ。
だから、できるだけ穏便な言葉を選んだ。
「できる範囲で、協力します」
王宮の音が消えた。
騎士団長の拳が、胸当てに沈んだ。
侍女の盆が小さく鳴る。
天井へ向けた神官の祈りだけが、妙に長かった。
姫様が顔を上げる。
まつげに、光が残っていた。
受け方を間違えたかもしれない。
「その筋、うちで預かった」
(訳:そのお言葉、我が国として確かに承りました)
預かられた。
その言い方は、もう返してもらえないやつだった。
広間の奥で、杖の石突きが一度鳴った。
騎士たちの膝が、同じ音で床につく。
侍女の盆が下がる。
姫様の笑顔から、ほんの少しだけ甘さが消えた。
赤い外套の男が、ゆっくり入ってくる。
金の冠。
白い髭。
腰の剣。
誰に紹介されなくても分かった。
親父だ。
「若ぇの。うちの娘に顔立ててくれたそうじゃねえか」
(訳:異界の客人よ。娘の願いを聞き届けてくださったこと、心より感謝する)
王様が、俺を見た。
声は低い。
怒鳴っていない。
笑ってもいない。
それが一番怖い。
「いえ、まだ何もしていません」
「座れ。立たせたまま話すほど、うちは腐っちゃいねえ」
(訳:どうかお掛けください。立ったままでは失礼にあたります)
座れと言われた。
座らないわけにはいかない。
俺は用意された椅子に、できるだけ音を立てずに腰を下ろした。
背もたれには寄りかからない。
足は組まない。
手は膝の上。
相手の顔を見る。
見すぎない。
昔、偉い人の前で一番大事なのは、強く見せることではなかった。
余計な意味を出さないことだった。
王様は俺の向かいに座った。
姫様は王様の少し後ろに立つ。
騎士団長はさらに横。
侍女たちは息をしていないみたいに静かだった。
王様は地図を見た。
折れた青い旗を、太い指で軽く押さえる。
「うちの看板は軽くねえ。だが、背負ってくれた奴を使い捨てにもしねえ」
(訳:王家の名は重いものです。けれど、協力してくださる方を決して粗末には扱いません)
重い。
王様の言葉は、姫様の言葉よりずっと重い。
動いていないのに、逃げ道だけが一つ減った気がした。
俺は背筋を伸ばした。
「自分にできることなら」
王様の目が、ほんの少し細くなった。
「その言葉、軽く聞き流すほど年食っちゃいねえ」
(訳:そのお言葉、確かに承りました)
まずい。
また受け取られた。
その瞬間だった。
ドゴォンッ!!
広間の外で、城が割れたような音がした。
シャンデリアが大きく揺れる。
カップの紅茶が跳ね、白い皿に赤いしずくを散らす。
壁際の侍女が悲鳴を飲み込み、騎士たちが一斉に剣を抜いた。
ガァン、ガァン、ガァン。
遠くで鐘が鳴った。
「結界がブチ抜かれたぞ!」
(訳:結界が破られました!)
神官の叫びと同時に、ステンドグラスの向こうの空に黒い穴が開いた。
穴から、黒い火が落ちてくる。
ズンッ。
火は床に触れた。
けれど、絨毯は燃えなかった。
ただ、広間にいた全員の影だけが、濃くなった。
黒い火の中から、角のある男が現れる。
そして、深く一礼した。
後ろに控えた三人の魔族も、そろって頭を下げる。
「お取り込み中、失礼いたします。国王陛下にお会いできますか」
(訳:王を出せ。出さねばこの城ごと灰にする)
俺は、少しだけ肩の力を抜きかけた。
この世界に来て初めて、名刺を出してもよさそうな相手が現れた。
王様が立ち上がった。
「魔王。うちの城へ穴あけて、よく頭下げに来られたな」
(訳:魔王よ。我が城の結界を破り侵入するとは、許しがたい暴挙である)
魔王。このまともに名刺交換できそうな人が、魔王。
俺は、抜けかけた肩の力を戻した。
「本日は、王都明け渡しのお願いに参りました」
(訳:王都を明け渡せ。拒めば焼く)
お願いという言葉の使い方が、俺の知っているお願いと少し違った。
会社にもいた。
メールだけ丁寧で、納期だけ人を殺しに来る取引先。
魔王は、その王だった。
「ご判断は、日没までにいただけますと幸いです」
(訳:日没までに首を垂れろ。でなければ民から燃やす)
俺は困った。
困ったが、王様のほうが先に動いた。
「うちの民に火ィつける話を、俺が黙って聞くと思うなよ」
(訳:我が民を害する宣言を、私が黙って聞くと思うな)
姫様も前に出ようとした。
「下がってろ。そいつ、挨拶代わりに城ぶち抜いた奴だぞ」
(訳:お下がりください。その者は結界を破って侵入した危険な魔王です)
姫様は、俺を守ろうとしてくれているのかもしれない。
だが、その言い方はやめたほうがいい。
相手は一応、頭を下げている。
ここで頭ごなしにやると、場が荒れる。
俺は王様と姫様の間から、半歩だけ前に出た。
「まずは、先方のお話を最後まで聞きませんか」
王宮の空気が止まった。
王様が俺を見る。
姫様が俺を見る。
騎士団長が俺を見る。
魔王だけが、少しだけ口元を動かした。
「ご理解のある方がいらして助かります」
(訳:人間どもにも多少は話の分かる者がいたか)
王宮側の視線が痛い。
「ただ、王都明け渡しというのは、さすがに急です。いったん持ち帰りにしていただけると」
魔王の後ろにいた魔族の一人が、ゆっくり前に出た。
額に一本角。
肩幅が広い。
曲がった大剣を持っている。
こちらも、深く一礼した。
「恐れ入ります。魔王陛下のご提案を、お持ち帰りになるという理解でよろしいでしょうか」
(訳:逆らうなら腕を落とす)
目がまったく笑っていない。
「持ち帰りというか、関係各所と調整というか」
「ご回答は、今この場でいただく形となっております」
(訳:今ここで従え。できないなら殺す)
クレーム窓口で一度だけ見たことがある。
声は穏やかなのに、議事録だけで人を追い詰めるタイプ。
魔王が片手を上げた。
「控えなさい」
(訳:黙れ)
部下が止まった。
だが、足はまだ前を向いている。
肩にも力が残っている。
あれは止まっていない。
止まったふりをしているだけだ。
昔から、止まったふりをする奴が一番危ない。
俺は一歩出た。
足が軽い。
軽すぎる。
半歩のつもりだったのに、石床の模様が一つ分、後ろへ流れた。
「会議中に武器を出すのは、やめましょう」
俺は両手を見える位置に出した。
殴らない。
蹴らない。
止めるだけ。
魔族の大剣が動いた。
騎士団長が動くより早かった。
俺は反射で前に出る。
相手の手首をつかんで、肩を押さえる。
昔なら、それで勢いが止まった。
はずだった。
ばきっ。
魔族の膝が、石床に沈んだ。
床に、蜘蛛の巣みたいなひびが走る。
大剣が魔族の手から落ちた。
魔族は片膝をついたまま、目を見開いている。
俺も目を見開いた。
軽く押さえただけだった。
本当に、軽く。
「すみません。力加減を間違えました」
誰も答えなかった。
王様が黙る。
魔王が黙る。
騎士団長の剣先が、少し下がった。
姫様の白い手袋だけが、口元を押さえていた。
俺は慌てて魔族の肩から手を離した。
魔族はその場に残った。
膝が床から抜けないらしい。
まずい。
示談の範囲を超えたかもしれない。
後ろの魔族二人が、同時に一礼した。
片方は黒い槍を出した。
片方は炎を手にまとわせた。
黒い火が、手のひらの上で膨らむ。
「恐れ入りますが、実力行使に移らせていただきます」
(訳:殺す)
「お怪我の保証はいたしかねますので、ご了承ください」
(訳:腕が飛んでも知らんぞ)
だいぶまずい。
やめてくれ。
広間だぞ。
姫様も侍女もいる。
火事になる。
「危ないので、火はやめましょう」
俺は炎のほうへ手を伸ばした。
火を払うつもりだった。
本当に、払うだけだった。
ヒュンッ。
魔族の手の炎が消えた。
黒い煙が弾け、壁際の重そうなカーテンが全部めくれ上がる。
ステンドグラスに、細いひびが一本入った。
軽く押しただけで床が割れた。
軽く払っただけで煙が消えた。
更生に向いていない。
「すみません。今のも力加減です」
魔王が、初めて笑った。
低く、静かな笑いだった。
「お名前を伺っても?」
(訳:名を名乗れ。覚えておいてやる)
礼儀正しく聞かれてしまった。
ここで名乗らないのは失礼だ。
だが、名乗ると覚えられる。
どちらもまずい。
「黒瀬蓮司です」
魔王の目が細くなった。
「黒瀬蓮司様ですね。次回からは、名指しでお伺いいたします」
(訳:黒瀬蓮司。次は貴様を狙う)
名刺交換みたいな顔で、標的にされた。
王様も、同じように俺を見た。
「黒瀬蓮司。うちの娘の前で、ずいぶん筋通してくれるじゃねえか」
(訳:黒瀬蓮司殿。娘の前で、見事な振る舞いを見せてくださいましたな)
王様にも覚えられた。
姫様が、こちらを見る。
花みたいな笑顔だった。
今はもう、その笑顔が一番怖い。
「蓮司。うちにいてくれ。お前みたいな奴が必要なんだ」
(訳:蓮司様。どうか、しばらく王宮にご滞在ください。あなた様のお力が必要なのです)
姫様にも名前で呼ばれた。
王様。姫様。魔王。
三つの看板に、同じ日に名前を覚えられた。
俺は、会社帰りにプリンを買っただけの男だったはずだ。
ツナマヨおにぎりもまだ食べていない。
サラダチキンも鞄の中だ。
なのに今、王様と魔王の間に立っている。
魔王は膝を床に埋めた部下を見下ろし、声だけは穏やかに言った。
「本日は、これで失礼いたします」
(訳:今日は退く)
俺の肩から、力が抜けかけた。
「次回は、もう少し落ち着いた場でお話ししましょう」
(訳:次は、逃がさん)
抜けかけた力が、戻った。
魔王は黒い火の中へ戻っていった。
膝の抜けない魔族は、仲間二人に両脇を抱えられ、床の石ごと引き抜かれて運ばれていった。
床に、魔族の膝の形をした穴が残った。
俺はそれを見て、静かに息を吸った。
弁償だろうか。
異世界の床材、いくらするんだろう。
広間に静けさが戻った。
壊れていない扉。
ひびの入ったステンドグラス。
めくれたカーテン。
床に残った膝の穴。
まだ温かい紅茶。
王様が、俺に近づいてきた。
「若ぇの。お前、うちに残れ」
(訳:蓮司殿。どうか我が国に留まり、力を貸していただきたい)
親玉直々の勧誘だった。
断れる空気ではない。
姫様が侍女から小さな鍵を受け取った。
金色の鍵だった。
さっきのカップと同じ紋章がついている。
「ビビんな。今日からあんたは、うちで預かる」
(訳:どうかご安心ください。今日からあなた様のご滞在は、王家が責任を持ってお引き受けいたします)
姫様が、俺の手に鍵を置いた。
金属の小さな音が、やけに大きく聞こえた。
預かる。
ヤンキーの世界で、その言い方をする場合、だいたい帰れない。
俺は鍵を握りしめた。
金色の紋章が、手のひらに少し痛い。
帰りたい。
異世界のヤンキー、こわすぎる。
あと、いちばん丁寧なやつが魔王なの、何?




